ハジマリのうた -5-



“エースがサンジに振られたらしい”と言う噂は瞬く間に学内を席巻し、旋風のように飛び去っていった。
付き合い始めの時と同じく、エース自ら吹聴したのだ。
「いや〜、サンジに振られちゃってね」
あっけらかんと言い放つエースのキャラクターと、それでも変わらない二人及び彼らを取り巻く友人達の関係故か、噂は思ったよりも早く他のスキャンダルに紛れて消え去った。


「私は最初から気に食わなかったの。エースのやり方もサンジ君の態度も」
午後のランチルームで一緒に遅い昼食をとりながら、ナミははっきり言った。
「サンジ君が流されやすいのをいいことに、エースったら最初から周りを固めて既成事実を通そうと するんだもの。あれは卑怯よ」
なんでもナミは、振られちゃった〜とボヤくエースの横っ面をその場で張り倒したらしい。
サンジの名誉を傷付けてまで手に入れておきながら、あっさり手放した無責任さを詰り激昂したそうだ。
「無論、一番悪いのはサンジ君よ。だらしなくフラフラしてるからエースにつけ入れられるのよ。
 もっと身持ちを固くしなさい」
そう説教されて、サンジはますます小さくなった。
年下の女性に諭されては立つ瀬がない。
「でも、エースには本当に申し訳ないことをしたんだ。何もかも悪いのは俺なんだよ」
「馬鹿ね、恋愛は二人でするものよ。申し訳ないなんて台詞が出るんなら、私もエースに同情するわね」
ナミの辛辣さが今のサンジには救いだ。

「それで、エースを振ってまで心動かした相手とやらとは、うまくいってるの?」
一転、目を輝かせてナミは頬杖をついた。
「いや・・・まだ何も・・・」
「なにそれ、煮え切らないわねえ。なんのためにエースと別れたのよ」
「・・・・・・」
ナミが呆れるのも無理はないだろうが、サンジとしてはゾロと付き合うためにエースと別れたつもりはなかった。
これは自分自身でのけじめだ。

「もう、そいつとは会わないかもしれない。・・・踏ん切りがつかないんだ」
「なあに、無節操な割に義理堅いのね」
あんまりな言い種にサンジは苦笑して、じっとナミを見つめた。
「いっそこのまま、ナミさんを攫って何もかもから逃げてしまおうか」
「逃げるなら一人で行ってちょうだい。止めないから」
ひらひらと追い払うように片手を振る。
「でもエースと付き合ったお陰で、男同士云々って殻は破れたでしょ。もう怖いものなしじゃない」
「ええっ」
サンジは心底驚いて目を瞠った。
「え、なんで知ってるの?ゾロのこと、エースから聞いた?」
「ええっ、ゾロだったの?!」
反対にナミの方が瞠目する。

「嘘、マジ?あらまあ、意外だったわねえ。なんでまたゾロなのよ。あいつ貧乏だし無愛想で将来性も
 なさそうよ?それならエースのがよっぽどよかったじゃない。ああ〜、ほんっとに男見る目がないわねえ・・・」
「えっと、ちょっと待って。俺もしかして、墓穴掘った?」
「掘った、しかも自ら穴に落ちてる。そうか、ゾロだったのか・・・」
くしゃくしゃと前髪を掻き混ぜるナミに、サンジは恐る恐る尋ねた。
「んじゃなんで、俺の相手が男ってわかったの」
「あらサンジ君『そいつ』って言ったじゃないの。女の子相手にそういう言い方しないでしょ」
「・・・ごもっともで・・・」
鋭い人間が多すぎるのか、己が迂闊過ぎるのか・・・
サンジはますます小さくなって、冷めたコーヒーを啜った。












街中をクリスマスソングが流れる中、サンジは休日を利用して電車に乗った。
目的地は隣町の外れ。
本当に都内かと疑わせるような田舎だ。
電車の窓越しに見渡す田んぼは霜が降り、薄っすらと白く染まっている。
駅に降り立つ人の少なさに、体感温度がぐっと下がった気がした。

「懐かしいなあ」
エースとゾロとの恋の終わりに関係はないが、自分自身で一つの区切りをつけるために、ここまでやってきた。
多分、ここが出発点。
サンジの記憶はこの町から始まっている。


顔の下半分を覆うくらいマフラーをぐるぐる巻きにして、コートのポケットに手を突っ込みながら、サンジは駅前から続く寂れた商店街を歩いた。
歳末を迎えて少しは賑やかに飾り付けられている店を通り過ぎ、昔はなかった住宅街を横目に見ながら、そこだけまだこんもりと緑が残る鎮守の森へ向かう。
かつて、神社の手前に小さな剣術道場があった。
穏やかな夫婦が、道場と併設して養護施設を営んでいたはずだ。
そこはまだ、残っているだろうか・・・
サンジ自身、その夫婦とも施設とも何の面識も関わりもない。
だが、一方的ながら特別な思い入れがあった。




そこだけ別世界のように杉の大木がそびえる砂利道に足を踏み入れると、賑やかな子どもの声が届いた。
昔、一度だけ訪れたあの時と変わらない風景。
落ち葉が舞う、そう広くない園庭を、子ども達が元気に駆け回っている。
太い幹の影からそっとその様子を眺め、サンジは安堵の息を漏らした。
変わらない場所が、確かにある。
過去に遡り違う道を歩んだとしても、辿り着く先が同じだとしたら、何度だってやり直しはきくかもしれない。

―――ゾロに、会いにいこう



あれからまだ2週間しか経っていない。
もう忘れられているかもしれないけれど、少なくともサンジ自身はとても会いたいのだ。
会いたいことを理由にして、会いに行くのは構わないだろう。
エースとのことや恋愛感情など抜きにして、ゾロとちゃんと話してみたい。
きちんと向き合えば、今まで誰にも話したことのない自分のことも、話しながら整理できるかもしれない。
ゾロがまだ、俺のことを気にかけてくれるなら―――

単に興味半分で近付いて来ただけかもしれない。
もう、他のことに夢中になって、サンジのことなど忘れたかもしれない。

けれど―――
もう一度、会いに行こう。





どんよりと曇った空を眺めながらサンジがそう決意した時、子ども達が歓声を上げながら道場に続く木戸へ走り寄った。

「ゾロ!」
「ゾロ兄ちゃんっ」


その声に反射的に視線を上げれば、子ども達の輪の中で呆然とこちらを見返すゾロと目が合った。








「なんでお前が・・・」
「なんで、ここに?」

お互い馬鹿みたいに口を開けて、歩み寄った。
ゾロに纏わりつく子ども達が一緒についてくる。
「わー、外人さんだ」
「ゾロの知り合い?」
「兄ちゃん、すげー」
なぜか尊敬の眼差しで見詰める子ども達に苦笑して、ゾロは後ろを振り返った。
「悪い、ちょっと抜ける」
「あ、どうぞ。こっちで先に打ち合わせ始めてます」
ゾロより少し年上くらいの青年が、にこやかにサンジに向かって会釈する。
他にも数人の若者が木戸の向こうに集まっているようだ。
子ども達の頭を軽く撫でながら手を離して、ゾロは大股で近付いて来た。
サンジは立ち止まり、咥えていた煙草を携帯灰皿に捻じ込む。

「いいのか?」
「ああ」
ゾロは軽く首をしゃくると神社に向かう道を先に立って歩き始めた。
サンジも少し遅れてそれに続く。





「驚いたな。なんでここにいるんだ?」
「それはこっちの台詞だ。お前の田舎はここだったのか」
サンジの言葉にゾロは頷き、社務所の前で足を止めた。
「俺の家はここから大分離れているが、ガキン時この道場に通ってたんだ。今でも、さっきいたガキ共は半分はこの近所の子ども等だ」
「そうか・・・そうだったのか」
サンジは納得して頷いた。
これなら、ゾロの口から出た「施設出」の突拍子もない嘘も少しは理解できる。
「まあ、師匠んとこはグループホームだから、実際入所してんのは5人だ。少ない方がいいに決まってる」
ゾロは独り言のように呟いて、すっとサンジの傍らに立ち、軽く首を傾けて覗き込む仕種をした。
「お前はなんで、ここにいるんだ?」
不用意に近付かれてどきりとしながら、それでも後退りせずにサンジはゾロを見返した。
「・・・俺も、もしかしたらここに入るかもしれなかったから・・・」
ゾロの目が驚きに見開かれる。
「覚えてたのか?」
「え?いや、後でそう聞かされただけで・・・」
ゾロの言葉に引っ掛かる物を感じて、逆にサンジから顔を近付ける。
「お前まさか、俺のことを知っているのか?」
「・・・やっぱり、覚えてないのか」
落胆の色を隠さず、ゾロは目を伏せた。
なおも詰め寄ろうと一歩踏み込んだサンジの後ろから、声が掛かった。
「ゾロさん、すんませんそろそろ・・・」
「ああ、今行く!」
サンジの肩越しに大声で返事を返すと、ゾロは脇をすり抜け様、腕を掴んで強引に引っ張った。
「一緒に来い。時間、いいだろ」
サンジは無言で頷き、歩き出した。







「クリスマス会?」
「毎年の行事なんだ。昼飯にちょっとしたご馳走を食べてゲームしたりして遊ぶ。近所の子供らも一緒だから、クリスマスの日とかは避ける」
母屋の土間には高校生からOLくらいまでの男女が集まって、あれこれと忙しく動き回っていた。
「ここの職員とかボランティアとか、あと卒園生とかな」
「あらゾロ、お友達?」
年配の女性が割烹着で手を拭きながら、暖簾の下から顔を出す。
「こいつ台所で使ってやってくれないかな。ってえか、いいか?」
今更了解を求めて来るから、サンジは苦笑して女性に歩み寄った。
「台所の手伝いなら任せてください」
「こいつの料理は玄人はだしだから、たまには変わった美味いもんでも食わせてやれんのもいいだろ?」
「そうね、いつも私の手作りばかりじゃ子ども達に気の毒だわ。ありがとう、助かるわ」
いえそんな・・・と愛想を振り撒く暇もなく、サンジは女性に連れられて家に上がりこんだ。



「メリークリスマス!」
別棟の広間は紙細工やモールで飾り付けられ、大きなテーブルを真ん中にどんと置いて、三角の帽子を被った子ども達が輪になって歌を歌っている。
先程まで園庭で身体を使ったゲームを楽しんでいたから、みんな頬も鼻の頭も真っ赤だ。
司会役の青年の掛け声に合わせて、みんな声を揃えてサンタクロースの名を呼ぶ。
大きな袋を持って現れた眼鏡サンタに歓声を上げ、一斉に駆け寄った。
子ども達の注意が逸れたその隙に、サンジ達はテーブルにご馳走を手早く並べる。
匂いに気付いたのか、プレゼントの箱を抱えた男の子が振り返って叫んだ。
「うわ、すげー」
つられて子ども達がテーブルに駆け寄る。
「すごーい、お店屋さんみたい」
「キレイ〜」
はしゃぐ子ども達の間を縫って次々と緒料理を運べば、邪魔にならないようにぱたぱたと退きながらも興味津々で見つめている。
「なんかすごいっすね、違う料理みてえ」
「美味しそう〜」
大人まで目をキラキラさせて覗き込むから、サンジはなんだか嬉しくなった。
「ケーキが2つもある、すげえ〜〜〜っ」
元気な子供は声がでかい。
耳に響く歓声に苦笑しながら、サンジもテーブルの隅に腰掛けた。

賑やかなおしゃべり、笑い声、口元を汚しながらも嬉しそうに食事をする子どもたち。
今まで小さな子どもとこうして触れ合う機会などなかったサンジは、目を丸くするばかりだ。
ギトギトに汚れた小さな指を差し出されて思わず身を引きそうになったが、なんとか顔を強張らせただけで耐えた。
子どもの手が、そっとサンジの髪に触れる。
「・・・キレイ・・・」
夢見るように輝く瞳に見つめられて、サンジの胸にじんわりと温かいものが広がった。











「悪かったな、いきなり巻き込んで」

パーティも終わり後片付けを済ませた後、夕食を一緒にとの誘いを丁重に断って、ゾロとサンジは施設を後にした。
今は並んで、駅への道を歩いている。
「いや、俺も楽しかったし。奥さん可愛らしい人だなあ。一緒に作ってて面白かった」
ゾロは照れ臭そうに頷いた。
「サンタやってたのが俺の師匠だ、奥さんと二人で経営してる」
「自分ちで道場持ってんのに、ここまで習いに来てたって?自分の息子みたいなものだって、奥さん自慢してたぜ」
「元々師匠は親父の兄弟子だ。俺も、どっちかってえと親父より師匠のが習い易かった」
「そんなもん、かもな」
懐からタバコを取り出すと歩きながら火を点け、サンジはゾロを見ないで聞いた。

「お前、俺のこと知ってたの?」
「ああ」
ゾロは前を向いたまま、答える。
「小学校2年くらいまで、同じクラスだったんだぜ」
「・・・・・・」
やっぱりか、とサンジは心の中で呟く。
同郷であったなら、狭い田舎だ。
顔見知りであってもおかしくない。
「幼稚園からずっと一緒で、どっちかっつうとケンカ仲間だったな。見た目なよっちいくせに口と足が達者だったてめえとよくやり合ったもんだ。2年の時、転校したとかなんとかで、夏休み明けたらお前はいなくなってた」
サンジは目を閉じ、じっとゾロの言葉に耳を傾けている。
「あの、居酒屋で初めて見た時、俺はすぐにわかったぜ。そのきんきら頭も変な形に巻いた眉もよ、全然変わってねえ。けどまあ、ガキん時のことだからお前が覚えてねえのは無理ないかと思った。男に愛想がないのはよく知ってたしな。ところが・・・」
一旦言葉を切り、横目で睨んだ。
「まさかお前が、あんだけガキん時から女好きだったお前が、男の恋人を連れてるたあ・・・」
きっぱり言い切られて、トホホと額に手を当てる。
自分が知らない過去の自分を評されるのは、当っているだろうだけに気分のいいものではない。
「なんと言われたって、エースと付き合ってたのは事実だ。言い訳するつもりはねえよ」
「言い訳なんざ求めてねえし、責めるつもりもなかった。・・・悪い」
幾分トーンを下げて、ゾロは詫びた。
それでも、前を向いたままの横顔はどこか意固地に強張っている。


まだ夕方だというのにすっかり陽の落ちた駅前通りは、すでに何軒かシャッターが下り、閑散としていた。
行く人もまばらな舗道に、クリスマスソングだけが賑やかに響いている。
途切れた会話を繕うでもなく、サンジはしばし黙々と煙草を吹かしていたが、指を焼くほどに短くなってしまうと立ち止まって携帯灰皿に握り潰した。
「あのよ、俺エースと別れた」
「ああ?」
些か凶悪な顔つきで、ゾロが振り返る。
「俺が、エースを、振りました」
なんで丁寧語?とセルフ突っ込みしながら、サンジの心臓は今更みたいにバクバク高鳴りだした。
「振った?なんで?」
ストレートに聞くか?そこで!
そう思いつつも、聞き流してスルーされないことにホッとする。

「他に、好きな奴ができたから」
サンジは挑むようにゾロの目を正面から睨み返した。
端から見れば、一触即発の状態に取られかねない、緊迫した雰囲気だ。
「好きな奴って、誰」
ゾロもサンジを見返して、表情を変えないまま淡々と聞き返す。
日が暮れて随分と冷え込んで来たのに、サンジの背中は変に汗を掻きはじめた。
「・・・お前・・・」

やや弱々しい声でそう応えると、数秒間を置いて、ゾロの口端が片方だけ上がった。
思わずカッと着て片足を振り上げる。
「なんだその顔はっ、ムカつく!」
「なんでいきなりキレんだよっ」
身軽に飛び退りながらも、ゾロの顔が笑っている。
「冗談じゃねえや、なんだそのしてやったり、みてえな顔はよ!前言撤回だっ、てめえなんか・・・」
「好きだぞ」
「・・・す」
さらっと言われて、サンジは次の蹴りを繰り出す構えのまま固まった。
「笑ったっていいだろうが。嬉しがらせろよ。十数年来の初恋が実ったんだ」
「な、は・・・は?」
耳まで真っ赤に染めて、サンジは口をパクパクさせている。
それに満足したように、ゾロは改めてサンジの前に立ち、薄い背に手を回した。
「お前のことを聞かせてくれ。今までもこれからも、話すことはたくさんあるはずだ」
そっと抱き寄せられて、サンジはおずおずとゾロの肩に首を傾けた。

口から飛び出そうなほどに、心臓が騒いでいる。
添えられたゾロの掌の温もりが布越しに伝わるようで、夜の寒さも感じなかった。
今側にゾロがいて、頬が触れ合うほどに近付いて、お互いの気持ちを確かめたのだ。
まるですべてが夢のように―――

うっとりと目を閉じかけたサンジは、視界の端に人影を認めてはっと目を見開いた。
人がまばらとは言え、ここは商店街。
しかも閑散としているからこそ、男同士で寄り添い佇む自分たちの姿は、遠巻きに見守られるほどに衆目を浴びていた。

「バッカ野郎!」
密着した状態で膝を蹴り上げたら、ゾロの鳩尾に綺麗にヒットし、身を折って顔を歪めた。
「こ、んのや・・・」
「てててて、てめえが悪いんだ、この恥知らず!不届き者!」
サンジは数歩後退りして、踵を返した。
一人でさっさと駅に向かって走り出す。

「ちっ、待てこの野郎!」
巻き舌で低く怒鳴りながらも、後を追うゾロの顔は、やはり少し緩んでいた。





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