ハジマリのうた -4-



小春日和の午後とは言え、足元を吹き抜ける風はかなり冷たくなってきた。
大きなカフェオレボールで両手を温めて、ずずっと緑茶でも啜るように口をつける。
実質的な熱の温もりが、喉から腹へと単純に広がり落ちた。



「同じ外なら、やっぱ屋台でラーメンのがいいかね」
「あったかいけど鼻水出んぞ、きっと」
同じように鼻の頭を赤くしたエースに笑い返して、サンジは熱々のグラタンをフォークで掻き混ぜた。
「ラーメンはやっぱ夜中だろ」
「今度夜鳴き蕎麦食いに行こうよ」

最近、懐かしいチャルメラの音がどこからか響いてくるんだと、エースは屈託なく話す。
そうして報告しなければならないくらい、ここのところエースの部屋に行ってない。
サンジの部屋にも招いていない。
誘われても体調が悪いとか実家から呼び出されたとか、なんのかんのと理由をつけて体よく断っていた。
それでも態度を変えず、こうしてランチに誘ってくれるエースのことを、サンジは正直わからなくなってきていた。
よほど忍耐強いのか、サンジの動向をそれほど気にかけていないのか、自信家なのか―――
こうして向かい合ってたわいのない会話を続けていても、授業が始まればじゃあまたってあっさり別れる。
夕食を食べに行ったり飲みに行ったりしても、夜が更ければそれでさよならだ。
―――俺ってもしかして、最低の寸止め男?
自分にそれほどの値打ちがあるとはとても思えないが、やってることは都合がよすぎる。
それに文句の一つもつけないで、いつも楽しそうに付き合ってくれるエースに申し訳なくて、最近では誘われるのすら苦痛になってきた。

どういうつもりで誘いを掛けてくるんだろう。
俺といて、一体何が楽しいんだろう。
かと言って、せめてもの罪滅ぼしみたいにSEXするのは嫌だった。
それこそ、エースに対して失礼だと思うから。





「サンちゃん、イブの予定ある?」
「誰に聞いてんだよ。調整するのが大変なんだっての」
去年までの台詞をそのまま使って、サンジはフォークを置いて煙草を取り出した。
食事の途中だが、勝手に手が動いてしまう。
「まあ、こっちもイブはさすがに予約取れなかったけどね。金曜の夜は空けておいてよ」
「なに?」
気のない素振りでライターを取り出し火を点けた。
エースの顔をまともに見返せない。
「薔薇亭のディナー予約抑えた。どう?」
咥えていたタバコをぽとりとテーブルに落とす。
慌てて拾い上げ、灰皿に揉み消した。
「嘘、マジ?」
「マジマジ。二人分、予約取れちゃった〜」
一瞬、サンジの顔がぱっと明るくなったが、すぐに影が差すように表情が消えた。
新しい煙草を取り出して、火を点ける。

「嬉しいけどさ。なんか、寒くねえ?男二人で聖なる夜近く、ディナーなんてよ」
「寒いっつったら、野郎二人でオープンカフェランチも、もんのすげえ寒さだろう?」
さらっとかわされて、サンジはなぜかイラついた。
エースはいつもそうだ。
自分でも嫌になるくらい卑屈な物言いをしても、少し嫌味を込めて話しても、さらりと流して受け入れてしまう。
それがエースの度量の大きさなのか、自分が狭量すぎるのか・・・
そう思ってみればひどく惨めな気分になるのは、あまりに身勝手なことだろうか。



「エースって、なんでそうなの?」
サンジはテーブルに肘をついて、苛立ちを隠さないままそう呟いた。
「薔薇亭のディナーなんて、それ言っただけでどんな子でも誘えるよ。やっぱ女の子との方が絵になるじゃん。オレよか違う子誘いなよ」
ひどいことを言っていると、自覚はある。
いくら寛大なエースでも、そろそろキレて怒るだろう。
それを卑怯にも待っている自分がいる。
「他の子のために薔薇亭のディナーなんか予約取らないよ。サンちゃん、薔薇亭に特別な思い入れがあるだろ?」
穏やかな表情を崩さないエースの言葉に、サンジは一瞬表情を曇らせた。
「ビンゴ?なんとなくそう思っただけで、根拠はないけどね」
エースは懐から煙草を取り出して咥えた。
サンジほどではないが、エースも時折煙草を吸う。
ただ、そんな時は大抵少し話が混み合う前兆だ。

「いつか、サンちゃん薔薇亭のコンソメスープを飲みたいって、呟いてた時があったんだよ。まだ俺らが付き合う前にね。そん時から、食わせてやりたいなーって思ってて・・・けど薔薇亭のコンソメはディナーメニューにしかないしね。クリスマスだから丁度いいじゃん」
エースの優しさに、なぜだか胸が潰れそうになった。
「なんで・・・かなあ・・・」
吸わないうちに短くなった煙草を揉み消して、サンジは力なく呟いた。
「悪いけど、やっぱ俺にはさっぱり理解できねーや。なんで俺?そりゃあ付き合ってるのは野郎同士だし色々分かり合えるし気楽だし・・・けど、それとエースがマメに動くってのは違う、気がする」
言葉を選びながらもどうしてもつっけんどんになるサンジの台詞に、エースは黙って耳を傾けている。

「あれこれしてあげてって・・・やったげて楽しいのはやっぱ女の子相手だろ?それって、俺がそうだからそう思うのか?だって、俺ら所詮野郎同士じゃん。気なんて遣わなくてもいいじゃねえか。気取らなくても、都合のいい時に会って楽しく過ごして・・・気持ちよければ?それでいいはずなのに・・・」
最後は尻すぼみになって口の中で消えてしまった。
気持ちいいことすら、自分は拒否している。
こんなことを言える立場ではない。

口篭ったサンジに、エースは口端から煙を吐きながら微笑みかける。
「なんとなくね、俺がしてあげたくなるんだよ、サンジに対して色んなことを。男とか女と関係なく・・・なんてんだろう。俺から見ると、どうしてかサンジは、常に餓えている気がする」
ぎくりと、サンジの顔が強張った。
「普通の家庭に育って安穏とした日々を送っているのにね。どうしてか俺には、君が一人ぼっちに見えるよ。友達も多くて、陽気で人懐っこくて、誰にでも好かれてるはずなのに」
色を失ったサンジの表情に、気分を害したかとエースは慌てて煙草を揉み消した。
「悪い、変な意味で言ったつもりじゃないよ。ただ勝手に俺がそう感じてるだけで・・・だから、なんとなく甘やかしてやりたいと思って。サンジ自身が安心してさ、八つ当たりでも我がままでも、俺に言ってくれるのを望んでるだけだ」
「・・・なんで?」
「え、だから・・・」
「なんで、知ってる?」
サンジの様子が只ならぬことを察して、エースは言葉を止めた。

「俺のこと調べた?どうやって?だってここに越して来たのは高校入ってからだし、知らないはずだ。そんな遠いこと―――やっぱエース人脈広いし・・・、誰か知ってる?それとも薔薇亭の・・・」
きょときょとと青い目が忙しなく動く。
じっと見詰めるエースの瞳に今更気付いた顔をして、ぐっと口元を引き締めた。
「悪・・・、なんか俺―――」
取り乱したことを誤魔化したいのか、サンジはすっかり冷めてしまったグラタンを乱暴に掻き混ぜた。
「そんなの、知ってるはずねえのに。薔薇亭ならなお更だ。なんかもう自意識過剰過ぎて、恥ずかし〜・・・」
一転、顔を赤くして早口で捲くし立てるサンジを、エースはじっと見詰めている。
「俺が勘繰り過ぎた。ほんとゴメン。別に隠すことでもないのに、なんか・・・最近騙されたばっかだから・・・」
「騙された?」
問い詰めるでもない、淡々としたオウム返しに、サンジは素直に頷いた。
「・・・騙されたんだ。あの、ゾロってのに。ほらエース、コーザの親戚だとか言ってただろ。それ聞いて俺もわかってさ」
カリカリと頭を掻き、新しく煙草を取り出す。

「あの、居酒屋で会ったときから後で、偶然また会ってさ。なんか話してる内にあいつ、自分のこと天涯孤独で親も親戚もなくて施設で育ってしかも今一人で飯も風呂も不自由するくらい貧乏だって、そういう話になって・・・」
火を点けていない煙草を咥えたまま、サンジは自嘲気味に笑った。
「俺もすっかりそれを真に受けてさ。腹減ってんだろ、着替えもろくにねえんだろって、飯食わせたり風呂貸してやったり・・・、あいつ、俺ん部屋出入りしてたんだ。黙ってて、ごめん」
煙草を指で弄びながら、サンジはエースの顔を見ないで頭を下げた。
「別に、男同士だし・・・なんもやましいことねえから黙ってた。黙ってる方が、不自然だったかもしれねえ。それは謝る。けどほんとにあいつとなんでもなくて、俺が勝手に面倒とか見てただけで・・・けど、それが全部嘘だってわかって、それで俺、腹が立って・・・」
エースが灰皿に煙草を揉み消した。
その動作に一瞬びくりと身体を揺らしながらも、視線を上げようとしない。

「んで絶交宣言したんだ。もう俺の前に面見せんなって、金輪際関わるなって。まあ奴も反省してたみたいだし、もうこれきり縁が切れて、二度と会うことはねえし・・・」
長い前髪の隙間から何度も瞬きを繰返す瞳を、エースは黙ってじっと見据えた。
「とか言って、また会うかもしれねえけどよ。ルフィのダチだし、コーザの親戚だし。まあそん時は俺もあっさり水に流して?知り合い程度の付き合いは再開してやってもいい」
ちらりと、視線を上げた。
「黙っててほんとゴメン。やましいことねえのは本当だ。第一奴は俺とエースのこと知ってるし、俺んち入り浸ってたのも飯が目的だったし、あと部屋ん中片付けたりするのが趣味だって・・・だから、俺んちがやけに綺麗だったんだ、けどよ・・・」
とうとう両手をテーブルの上から引っ込めて、膝の上でもじもじと握り締めながら、サンジは首を下げた。
「ゴメン、何言っても言い訳になる。エースの知らないとこで、ゾロと親しくしてた。けど誓ってなんもしてねえ。普通の友達っつうか、その程度。けど全部騙されてたことだから、嘘つかれてたから・・・だから俺―――」
「それで、腹立ててたんだ?」
いつもと変わらぬ、エースの軽い声にほっとして頷いた。
「うん」
「道理で、なんかイライラしてたり、俺八つ当たりされてたよなあ」
「うん、ごめん」
「最近Hしてくれねえのも、そのせい?」
「う・・・んっ?いやっ、それとこれとはっ」
慌てて顔を上げて、それからわたわたと辺りを見回すサンジを、エースは頬杖しながらじっと見据えた。
「全然関係ねえことだ。なんかもう、俺頭ん中がぐちゃぐちゃでいっぱいいっぱいで、余裕なかった。ほんとごめん」

顔を真っ赤にして必死で頭を下げるサンジの前で、エースは一つ大きくため息をついた。





「つまり、ここんとこ様子がおかしかったのは、サンジの頭の中が俺以外の男の事でいっぱいだったからってことだよな」
エースは不機嫌を隠さず、顰めた顔つきのままそう言い放った。
サンジが慌てて首を振る。
「いや、けっしてそんな訳じゃ・・・」
「違うのか?」
真顔で問われれば違うとは言いがたい。
「ちょっとニュアンスが違うっつうか・・・ほら、俺の中は怒りでいっぱいになってた訳だし」
「同じことだ。いや、それのがタチ悪い」
エースの表情は、見たこともないほど険しい。

「何も手につかなくなって、俺を蔑ろにしてまで腹が立つってどういう訳だよ。嘘を吐かれたからか?騙されたからか?確かにサンジんとこに入り浸って飯も食われたかもしれないが、それを実害だと言えるのか?嫌な経験だったのか?」
サンジはぐっと喉を詰まらせ沈黙する。
確かに被害者面して嘆くほどのことではないかもしれない。
ならばこの、自分の中で嵐みたいに渦巻く怒りに似た感情はなんなんだろう。

打ちひしがれて黙り込んだサンジを、エースは厳しい目で見据えた。
「サンジが腹を立てているのは、ゾロが嘘を吐いたからだ。騙されて腹を立ててるんじゃない。嘘を吐いて詰ったことで、縁を切ったって言ったよな」
反射的にこくんと頷く。
「サンジに一方的に責められて、ゾロは言い訳したか?謝ったか?」
「・・・謝った」
「それで、金輪際会わないって了承した?」
「した」
「それきり?会ってない」
「会ってない」
「一度も?」
サンジは顔を上げて力強く頷いた。
嘘を吐いたゾロと決別し、過ちを犯さない内に終わったのだ。
だから、エースに対して負い目を感じる必要はない。

「・・・だから、だ」
反してエースはがっくりと肩を落とした。
「は?なにが?」
「サンジが怒ってる理由だよ。ゾロが来ないからだろう」
「・・・・・・」
ぼけっとエースを見返す瞳が、丸く見開かれる。
「騙された腹立ったってんなら、縁切ればそれきりじゃねえの。散々詰って怒りぶつけたんだろ。それで切れたんならせいせいしたろうに。いつまでもぐずぐず怒って気にかけてるってのは、拗ねてるだけじゃないか」
「・・・す、拗ねてる?」
「ゾロが自分のところに顔見せないから、臍曲げてんだよサンジは」
ずばりと言われて、思わず椅子から立ち上がりそうになった。
「なに言ってんだよエース、意味わかんねえ・・・」
「本気で気付いてないようだから俺がわざわざ言ってんじゃねえの。嘘を詰られたくらいで簡単に寄り付かなくなったゾロに、怒ってんだよ。・・・会いたいんだろ?」
険しく眇められていた瞳が一転、穏やかになった。
哀れむように口元を緩め優しく見詰め返すエースに、サンジは動揺を隠せず、ただ首を振る。
「んなことねえって、ただ俺は―――」

何故だか腹が立っただけなんだ。
天涯孤独の身の上だからって、食うのにも事欠くような貧乏だって、嘘吐いてまで近付いたのに、あっさりと姿を消したゾロに。
金輪際顔を見せるなって怒鳴っただけで、本当に消えてしまったゾロに――――

「あ・・・」
サンジは手で口元を押さえ、テーブルに肘をついた。
―――俺って、最低だ

「やっぱゾロに、怒ってんだろ」
「嘘吐かれたからって、別に傷付いたりしてないだろ」
「会いたいと、思ってるんだろう」
優しく諭すようなエースの言葉に、サンジは素直に頷いた。
嘘を吐かれたことに、さほどショックは受けていなかった。
ただ、ゾロが天涯孤独だと聞いた時、自分の琴線に触れてしまったことは確かだ。
だから必要以上に肩入れした。
親身になって世話をするのが楽しかった。
同じ“餓え”を知るものだと、思ったから・・・

「俺あ、馬鹿だ―――」
サンジは声に出して嘆息した。
ゾロが来ない部屋はいいつもより酷く静かで寒く感じて、スペースが空いた冷蔵庫を開ける度に虚しくなった、どうして側にゾロがいないのか。
ついこないだまで、待ってやしないのにふらりと現れて、残り物を綺麗に平らげて風呂に入ってテレビ見て、手慰みにそこらに散らばってる小物を片付けて―――
なのに、今はもう来ない。
テーブルを挟んだ向かいの椅子にも、居間のソファにもその影すらなくて、洗面所には歯ブラシが1本きりしかなくて、探し物をして散らかした引き出しはそのままで、新聞や雑誌は放り出したきりで。
そこにゾロがいないということが、耐えられなかった。
こんなにも呆気なく終わらせて、それきり何事もなかったように時が過ぎるなんて。

部屋がまだ暖まってなくても、冷たいフローリングに寝っ転がって、テレビの下の収納ケースを片付けて・・・
飯だぞって声をかけたら冬眠中の熊みたいにのっそり起き上がって、けれどその表情はどこか嬉しそうで―――
部屋の中で一人きり、無意識にゾロの面影を追う自分が信じられない。
こんな想いをするくらいなら、出会わなければよかったのにとすら思った。
あの時、居酒屋で飲み会なんかしなければ、本屋になんて立ち寄らなければ、コンビニで酔い覚ましなんてしなければ―――
どこまで遡っても、自分の中に残る執着の言い訳になりはしない。

ただ単に人寂しいのなら、エースを呼べば済むことだ。
世話を焼いた焼かれたりしたいなら、一緒に暮らすことだってできる。
恐らくサンジが何を望んでも、エースなら聞き入れてくれるだろう。
けれど―――
胸にぽっかり空いた空洞は、ゾロでなければ埋まらない。
ただの友人だった筈なのに、いや、それ以前の間柄だけのはずなのに。
いつの間にか、誰にも代えがたい存在として側にいた。




「サンジ」
名を呼ばれて我に返る。
先程までの冷たい表情とは打って変わって、穏やかに微笑むエースが目の前にいる。
「サンジが俺以外の男のために傷付いたり悲しんだりするのは癪だけど、俺はそれでも構わないぜ。だってサンジは、ゾロと寝たりしてないんだろう?」
ぽかんと口を開けたまま小さく頷いてから、かあっと顔を赤らめた。
「なに言い出すんだっ、当たり前だろうがっ」
ゾロがいないことを寂しいと感じても、それが恋愛感情だとは思っていない。
事実、いくら二人きりで一緒にいてもゾロからはなんの素振りもなかった。
無論自分は、同性相手に催す性癖もない。
「なら俺的には別に構わないぜ。ゾロとまた付き合っても」
「え?」
間の抜けた声で問い返す。
「飯食わせたり面倒みたりみられたり・・・親しい友人みたいな関係なんだろう。男同士なら普通は別段おかしくもない間柄だ。俺だって、自分の恋人の友人の存在まで排除しようとするほど狭量じゃないよ」
言われてみればそのとおりだ。
だけど―――

「サンジが気にするなら俺が間に入ってやってもいい。ゾロと仲直りして、またサンジんちに入り浸ったって俺は気にしないぜ。むしろゾロが嫌じゃなければ、三人で過ごす時間があってもいいと思う」
それを想像してみて、サンジの胸がどくんと鳴った。
それは何故か、ひどく嫌だ。

「ゾロだって俺とサンジのことを承知してんだろ。なら異論はないはずだ。ゾロは旨い飯が食えて人間らしい生活ができる。俺とサンジは今までどおりラブラブに付き合えばいい。ね、OK?」
エースが不意に腕を伸ばし、テーブルの上で握り締められたサンジの手首をぎゅっと掴む。
「だから、今日はもう午後の講義はサボって、どこかでHしよう」
どこでどう繋がって「だから」になるのかわからず、サンジは硬直したまま目を瞬かせた。

「は?」
「ここからなら俺んちの方が近いか、それともホテル行ってみるか。昼割もあんだろうし。な、しようぜ」
反射的に手を引きかけて思いとどまった。
だが、今は手首を掴むエースの掌の温もりが厭わしい。
「行こう」
エースが低く呟いて、腰を上げた。
対してサンジは、まるで踏みとどまるようにテーブルの端を掴む。

「悪い、俺・・・」
「なに?」
見下ろすエースの瞳が、ぞっとするほど冷たかった。
正面からそれを見上げて、背筋に寒いものを感じながらも、サンジは必死でその目を見つめ返す。
「ごめん、もう・・・エースとはできねえ」
考えるより、先に口から出てしまった。
なんでだと、思考が後から追いかけてくる。
「なんか、できねえ。したくねえ。今だけ、かもしれない。なんか混乱してるし、その・・・割り切れてねえのかもしれない。俺馬鹿だから、頭がうまく動いてないだけかも・・・けど、今はやだ」
そう、嫌だ。
嫌なのだ。
エースのこの手に触れられて、抱かれることが嫌なのだ。
エースは決して無茶をしないし、多分上手い。
気持ちいいだけの行為のはずなのに、どうしてこんなに嫌なんだろう。
サンジ自身、その矛盾が理解できなかった。

「そっか、嫌なのか」
エースはぱっとサンジの手首を離した。
「なら、俺ら別れるしかねえな」
あまりにも唐突に、そして自然に、その言葉がエースの口から告げられる。






「別れる・・・」
「そう、Hできねえんなら、別れよう」
サンジは瞠目したまま、動くことすらできない。

「元々、酔っ払ったはずみでデキた俺らだったし。身体の相性ばっちりで、俺も楽しませてもらったよ。けどサンジにその気がなくなったんなら、俺も付き合ってたってしょうがないしね。無理やりするのも趣味じゃねえし、だから別れよう」
「・・・・・・」
固まったまま返事もできないサンジの目の前で、エースは伝票をひらひらと振り手元に置く。
「ここは奢ってくれ、今度からは割り勘しような。勿論バラティエのディナーの話もなしだ。それまでに俺は新しい恋人見つけるからさ。あ、一応俺が振られたってことで、OK?」
「エースっ・・・」
なんとか搾り出した声は掠れていた。

「なんで、いつから気付いてた?俺より先に、俺の気持ちに」
「いんや、サンジがゾロと親しくしてたのは今、話聞くまで知らなかったぜ。けど・・・」
エースが大げさに肩を竦めて見せる。
「ゾロとの関係でサンジが説明する時、いつもならサンジは野郎同士で有り得ないだろうって言いそうなものなのに、それを言わなかったからね。ああ、少なくともゾロの気持ちはわかってるんだなって、ピンと来たんだ。自分に好意を持たれて、それでいて拒絶するどころか相手を求めているんなら、両思いじゃねえの?」
サンジはゆるく頭を振る。
「まあ、俺を振るなんざたいした度胸だからね。逃した魚は大きかったって、せいぜい後悔することだ。ゾロと揉めて泣きついてきたりなんか、するなよ?」
今度はぶんぶん、激しく首を振る。
「これからサンジがゾロとくっ付こうがこのまま別れようが、俺の知ったこっちゃない。けど、サンジはいつまでも待つばかりじゃいけないよ。受け入れて施すのはただの自己満足だ。自分自身が動かなければ、この先何人も、サンジに出会う愛しい人たちは、通り過ぎる者ばかりになる」
まじめな顔つきをすぐに崩して、にかりと笑う。
「唯一俺が振られた相手だ。幸せになりな、サンジ」

コートを羽織って身を翻したエースは、そのまま歩道に出た。
少し寒そうに肩を竦め、大股で歩き去って行く。

振り返りもせず、小さくなっていく後ろ姿をただ見送って、サンジは赤くなった鼻の頭を乱暴に擦った。



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