ハジマリのうた -3-



両手に荷物を抱えたまま、ふらつくエースの背中を押してマンションまで辿り着いた。
ロックを外すのに手間取っているエースの後ろ姿を見ながら、ここでさいならって帰ったらやっぱまずいだろうなとぼんやり思う。
「さ、開いたぞ。ただいま〜〜〜」
ドアを開け放してぽいぽいと荷物を放り投げると、サンジの手を引いて雪崩れ込むように上がりかまちに倒れる。
背後でバタンとドアの閉まる音を聞きながら、サンジは抗議の声を上げた。
「痛え〜、しかも重・・・」
最後まで文句を言い切らないうちに、唇を塞がれる。
噛み付くような勢いで、エースが圧し掛かり貪ってくる。

「・・・ん・・・」
抵抗するつもりはないが、やや乱暴で困惑した。
息苦しさから逃れようと首を振るのに、エースの手は後頭部を撫でながらもがっちりと抑えてくる。
もう片方の手でサンジの顎を捕らえ、指でさらに唇を抉じ開けた。
エースの舌と指が遠慮なく口内に入り込み、逃げようと惑う舌を捉えられる。
指のしょっぱさに唾液が湧き、口端からたらりと垂れた。
エースは構わずサンジの口の裏や歯列を舐めて、舌に吸い付いてくる。
「・・・ん、や―――」
無理に広げられる唇が痛む。
床は冷たく、乗り上げたエースの重みと圧迫感で背中が痛い。
膝を立て、足で廊下を蹴っても滑って、開いた足の間にエースは寝そべるように腰を下ろしてぐりぐりと押し付けてきた。
昂ぶりがサンジの股間に擦り付けられる。
何故かぞっとして、エースの唇を食んだまま身震いした。
今日のエースはあまりに強引で乱暴で、怖い。

サンジの唇を貪りながら、エースの手はシャツの裾から滑り込ませ裸の胸を撫でた。
掌の温度は高く心地良いが、何故か嫌悪感が先に立つ。
「エース、やだって・・・」
執拗な口付けからようやく逃れて、サンジは両手でエースの胸を押した。
けれどエースはサンジの背中に回した腕の力を緩めない。
「・・・ごめんねサンジ、なんか我慢できねえ」
サンジを正面から見つめながら、エースは掠れた声で囁いた。
「会いたかったよ、すごく」
エースの目が、欲情に濡れている。
頬や額に口付けながら、ボトムの中に手を差し込んで下着の上からやわやわと揉んだ。
そうされて初めて、自分も勃っていることに気付く。
「あ・・・エース・・・」
「好きだよ、サンジ」
首筋にキスを落としながら、シャツを捲り上げベルトを外し、下着ごとずり下ろす。

エースにつられたように興奮する身体とは裏腹に、どこか冷めた気持ちが沈んでいく。
こんな明るい場所で、いくらオートロックとは言え玄関先で裸に剥かれて撫で回されるだなんて―――
嫌だ止めろというはずの声は、喘ぎにしか聞こえなかった。
自分のものとは思えない荒い呼吸音が、決して嫌がっていないことを如実にエースに伝えてしまっている。
痛いのに、乱暴なのに、恥ずかしいのになんでこんなに、感じてしまう。


中途半端に脱がされた服が手足に絡みつき、局部だけを曝される。
エースの舌と指で高められて、はしたない水音が廊下の天井に響いていた。
いつもなら先に一度イかせてくれるのに、エースも切羽詰っているのか解すことばかりに専念して、そのまま昂ぶりを押し当ててきた。
「ごめん、ね」
口調は柔らかいのに、普段愛嬌のあるエースの顔から笑みが消えていて、苦しげに眇められた瞳はぞっとするほど冷たく見えた。
そのことに戦慄を覚えながらも、身体が余計に興奮する。
「あ、あ・・・」
無理矢理押し込まれる苦しさに呻きながらも、なんとか受け入れようと内部が蠢き収縮するのがわかる。
エースはサンジの手を握りこんで指を絡めると、腕を突っ張って腰だけを埋め込むように律動を始めた。
硬い床に腰が当たって痛い。
サンジが顔を顰めると、それと察してエースは片手でサンジの腰を抱き上げて、そのまま深く突いてきた。
「うあっ、あん、あ・・・」
耐え切れず声を上げて、サンジは無意識にずり上がろうとする。
それを押さえつけて、エースは抉るように腰を揺らめかした。
額に汗を浮かばせて、まるで舌なめずりでもするような獰猛な目付きで、エースが笑みを浮かべている。
挿迭する度にびしりと筋肉が引き締まる綺麗な腹筋を目にして、不意にゾロもこうなのかなと思った途端、サンジは射精していた。







広めのユニットバスの中で、サンジはゆっくりと手足を伸ばした。
どうやってここまで運ばれたのか、正直なところあまり覚えていない。
一緒に入るのかとぼんやり考えたけれど、エースはサンジの身体を丁寧に洗ったあと湯船につけて、濡れた服のまま浴室を出て行った。
「ゆっくりお入り」とすまなそうな笑みを残して。

ゴムを付けずに挿入したことを、エースはしきりに詫びていた。
そんなものかとも思い、別に構わないのにとも思う。
エースに気を遣われるのに慣れ過ぎて、どんなものが男同士の真っ当なセックスなのかサンジにはわからなかった。
ちゃぽんと心地よい水音が響く湯気の中で、サンジは深いため息をつく。
エースに触れられるのは嫌じゃない。
さっきだって死にたくなるほど恥ずかしかったけど、身体は確かに感じていた。
酷く興奮して、何度もイった。
挿入されてイくなんて、初めての経験もしてしまった。
けれど―――
サンジは搾ったタオルを頬に当てた。
…なんか、違うものを想像してイった気がする。

なんであの場面でゾロが出てきたのか、それを考えるとエースへの申し訳なさが先に立つ。
こういうのは駄目だと思う。
自分が自他共にエースの恋人である以上、誤解でも疑惑を持たれるような言動や思考は慎まなければ…
そこまで考えて、はっと気付いた。
何考えてんだ俺、所詮男同士じゃないか。
サンジにエースが興味を持ったことが特異なことであって、世間一般ではそんなにホモは多くない(はずだ)ゾロだって、昨夜来た時も普通に接していたじゃないか。
用が済んだらさっさと帰って、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
―――俺のが、意識しすぎてんだ
ついついエースに甘やかされるから、自意識過剰になっていたんだろう。
考えてみれば野郎同士、二人で部屋にいたからってどうにかなる訳がない。
ああ俺ってば、恥ずかしい勘違い。
タオルで額の汗を拭って、ははと声に出して笑った。

ゾロは、貧乏で細かくてセンスも目つきも悪いけど、顔立ちと身体は悪くないんだ。
きっとその気になったら女の子なんてすぐに引っかかってくるんだろう。
だからガツガツなんかしてなくて、貧しくても卑しくなくて、朴訥でも野蛮じゃなくて、割といい男なんだ。
多分、余裕で誰とでも付き合える。
ホモの俺とも普通に接して、珍しいだろうけど興味の対象には絶対にならない。
そんなのも、いいじゃんか。

サンジは、なぜか自分に言い聞かせるように頷いた。
それが普通だ、男同士なんだから。
意識する方がおかしい。
いい、友達になれるかもしれない。



「おーい、大丈夫か〜」
唐突にエースの声がして、我に返った。
「逆上せてないかい?」
「あ、ああ。大丈夫…」
慌てて湯船から上がりかけると、エースがガラリと戸を開けて、裸で入ってきた。
手には水のペットボトル。
「はい、水分補給」
「ありがと、ってなんで裸なんだ?」
思わず視線を彷徨わせて、横を向いたままペットボトルを受け取る。
「いや〜、どうせなら一緒に入っちゃおうかと」
「…俺、もう上がるぞ」
「つれないこと言わないで、だから水持って来たんじゃん」

豪快に髪を洗い出したエースの隣で、サンジは湯船に腰掛けて水を飲んだ。
「なんか、人が髪洗ってる図って間抜け?」
「無防備だろう。目を瞑ってて背後丸出しってのはヤダねえ」
手の動きが乱暴だからあちこちに泡が飛んで、エースの鼻や目元も白くなっている。
「夜、怖い話とか聞いた後一人で風呂入って、頭洗うの嫌だよねー、あイテ・・・」
目に沁みたらしく慌てて洗い流している。
「怖い話って、いくつの時のことだよ」
「最近やらないねえ、テレビでも」
ざぱざぱと髪と一緒に顔も荒い身体をぞんざいに擦った。
濡れねずみのまま、ざぶんと湯に入る。
「ほらほら、サンちゃんもこっち来」
「・・・オヤジくさ・・・」
横を向いたままペットボトルを呷っていると、腰を掴まれ引きずり込まれた。
「うりゃ、来い」
「このスケベオヤジ〜っ」
コチョコチョと脇腹を擽られて、手にした水を投げ落として身体を捩る。
「いい色に染まってんじゃん、たまんねー」
「エロオヤジすけべホモ、男の全裸に欲情するなんて信じられんねー」
冗談半分本気半分だ。
だってさっき抱えられてから、サンジの臀部に硬いものが当たっている。

「エースってバイ?女の子もいけるんだろ?」
確かサンジがエースとはじめて出会った時、凄い美人の彼女がいたはずだ。
「んー、まあオレが可愛いと思う子は男も女もあんまり関係ないからな」
そういう意味では立派なバイだねと、サンジのうなじに口付けながら暢気に笑う。
「関係ない、か。やっぱエースは剛毅だね」
後ろからさわさわと湯で撫でるようにエースが触れてきた。
少し兆した股間を擽る。
「サンジもそんな風にすかしてるけど、本当にノンケだったら男に触られたくらいで勃たないぜ」
「え?」
サンジは驚いて振り向いた。
顔のすぐ横で、エースが意味ありげに笑っている。
「何されたって男の手じゃ反応示さないのが普通ってもんだよ。サンジは最初から感度よかったから、こりゃいけるなって思ったもん」
「えええええっ」
鈍器とまでは行かなくても、ハリセン辺りで頭を殴られたぐらいのショックを受けた。
そう、だったのか。
「おうよ。ちなみに俺は好きな子になら触られると勃つけど、そうじゃないと全然勃たない。気持ちよくねえもん」
「・・・へえ」
「・・・サンジ、もしかして電車ん中で痴漢されても勃つんじゃないだろうね」
思い切り疑わしく尋ねられて、慌てて首を振った。
そんなこと、ないと思いたい。
「違えよ、きっと・・・エースだからだろ」
「へえ、そりゃ嬉しい」
後ろから抱きすくめて、覆い被さるようにキスしてきた。
首を傾けて必死にそれに応える。

湯の中で弄る手も指の動きも、それなりに気持ちいいと感じてしまう。
それって、俺が根っからホモだったってことか―――
今更ながらショックを受けて、サンジはエースの腕の中で身体を捻ると、自棄になって自分から抱きついた。



自分にホモの素質があったと指摘されてから、なんとなくサンジは吹っ切れてしまった。
今更どう足掻いてもエースとできちゃった事実は変えられないし、特に不都合なこともない。
最初の頃はあからさまに、あまり親しくない者から嫌がらせのような言動を受けたけれど、気にしないでいたらその内相手も飽きたのか関わって来なくなった。
平穏無事な、毎日だ。


「焼けたぞ、鍋敷き出せよ〜」
「どこだよ」
「そこそこ、壁に掛かってる」
顎で示せばゾロはああ、と取ってテーブルの上に置く。
「ただ置くんじゃねえこの阿呆。鍋ごと置くんだから、周りのもの退けろよ」
「ああ」
「気がきかねえな、ったく・・・」
「うっせえな、二人なのにモノが多すぎんだよ」
文句言いながらも、丁寧に退けて行く。
「多すぎるほど食うのはどいつだ」
「美味いんだから、仕方ねえだろ」
さらっと言われて、うっかり顔がにやついてしまった。
誤魔化す勢いでパエリヤ鍋をどんと置く。
「うお、すげ・・・」
覗き込む、ゾロの顔が嬉しそうだ。
「好きなだけ取って食えよ。ピザはこっち、パスタの取り皿はこれ・・・」
今日イタ飯三昧だ。

一人居酒屋で服を渡した日の翌々日の夜中、ゾロはふらりとやってきた。
何の遠慮も頓着もなく「腹減った」と言われ、そうかそうかと扉を開けて招き入れてしまった。
以来、頻繁に食事をとりにふらりと現れる。
ビールや酒は持参してくるが、豪快に食べてついでに風呂に入って、さっさと帰ったりそのまま泊まったりと気まぐれだ。
サンジが調理している間に部屋の中を掃除したり整理したりしてくれるからなんとなく重宝して、結局奇妙な形で居付いてしまった。
泊まっていく時はソファにごろりと転がってそのまま爆睡する。
肌寒い日でも毛布一枚あればいいらしい。
サンジはサンジで、いつ来てもいいようにと保存食を作り置いたり多目に材料を買い揃えて冷蔵庫に入れてあったりと、すっかりゾロの行動に順応できるようになってしまった。
サンジの部屋の洗面所には、常に二人分の歯ブラシがコップの中に入れて置いてある。


「目覚まし時計な、単なる電池切れだぞ」
「なんだそうか。別に目覚まし機能はいらねえんだけど、時間が合ってないと不便でなあ」
「それから、ビデオとテレビの配線がちょっとおかしいぞ。後で触っていいか」
「あー、頼む。最初ウソップにしてもらったのに一度俺がビデオ持ち出してから適当に繋げたんだ」
明日のバイトは9時からだよなーと、ゾロのスケジュールまで把握した会話を交わしていると、サンジの携帯が鳴った。
着信音でエースとわかる。
サンジは慌てて口の中のものを飲み込むと、ビールを喉に流し込んだ。

「はい、もしもし?」
「おー、サンジ〜元気?」
「夕方別れたばっかだろ」
今日はサークルの打ち上げがあると聞いていた。
「あのさあ、今駅まで流れてんだよ。サンジんちの近くだろ。今から行ってい?」
「え?」
どきんと、心臓が跳ねてしまった。
「あー大丈夫大丈夫、俺一人だから〜。みんないい具合に弾けちゃって、抜けても全然わかんないんだよね」
「・・・・・・」
「なんか都合悪い?」
サンジは視線だけ泳がせて正面に座るゾロを見た。
察したのか、自分の皿だけ凄い勢いで掻き込んで空にすると、静かに手を合わせる。
「いや、ちょうど飯食ってたとこだから、散らかってるけど・・・」
「あーそう、んじゃ今から行く」
「場所、知ってたっけ?」
「前にマンションの前まで送ったじゃんか」
「あ、そうだっけ。とにかく玄関先で待ってるよ」
「あ、助かる」
携帯を切るサンジの前で、ゾロは立ち上がり上着を羽織った。
「エース来んだろ、俺帰るわ」
「・・・うん、すまね」
友達が来てるからと普通に断りを入れて一緒に食事すればいいだけのことなのに、何故か後ろめたくて浮き足立ってしまう自分が情けなかった。
ゾロの察しが良くて、本当に助かる。

「ごめんなあ、ちゃんと飯食ってねえだろ」
「いや充分食ったぜ。美味かった」
そう言って玄関から出ていき掛けて、すぐ戻ってきた。
「駅からならすぐだろ、お前先に下りて入口で待ってろ」
「え?」
「俺のが後で出る。オートロックだからお前が鍵持ってでりゃ問題ねえ。早く行け」
「あ、ああ」
促されるまま靴を踏んで外に出た。



もう冬も間近できんと張り詰めた空気が頬に冷たい。
白い息を吐きながらエレベーターで階下へと下りる。
夜中の住宅街は人っ子一人いなくて静かで、すべてが眠ってしまっているようだ。

こんな中を、ゾロは一人で帰るのかな。
帰る日もあれば泊まる日もある。
けれど今日はゾロは帰る。
多分、慌てて。
腹も満ちていないだろうに。

なんだか切なくなって空を仰いだら、思いの外多くの星が瞬いて見えた。
ひたひたと軽快な足音が近付いて来る。
曲がり角を先に影が過ぎって、エースが姿を現した。
コートを着て寒そうに肩を竦め、サンジの姿を認めると嬉しそうに駆け足になる。
「お待たせ、寒いのにごめん!」
言われて初めて、自分がセーター一枚だったことに気付いた。
エースは手早くコートのボタンを外すと、前を開いてサンジに被せるように肩を抱いた。
「アホ、こんな往来で・・・」
「夜中だよ、誰も見てねえじゃん」
静けさの中で言い返すのは躊躇われて、仕方なくエースを引っ付けたままマンションのロックを外す。
エレベーターに乗り込んで、すぐに口付けられた。
「このバカ!防犯カメラがあるんだぞ!」
今度こそ本気で怒って足を踏ん付ける。
苦笑いするエースを押し退けながら、今頃ゾロは階段を駆け下りているのだろうかとふと思った。





鍵を開けて部屋に入る。
「うわ〜いい匂い」
エースが感嘆の声を上げた。
「食事の途中だったんだよ。丁度良かった、作り過ぎてたから一緒に食う?」
「勿論!」
サンジより先に上がりこんだエースは、匂いのする方へと誘われるように台所に向かう。
「お、今日はイタリアン?美味そう」
「今温めるよ、座ってろ」
エースの後ろから覗いて、テーブルの上が片付いていることに気付いた。
残っているのはサンジ一人分の食器のみだ。
ゾロの食器は洗い籠の中に伏せてあるが、不自然じゃない。

―――片付けてくれたんだな
気を遣わなくてもいいのに、と思う。
誰か居たのと問われれば、友達が来てたと答えればいいだけだ。
別に男同士なんだから、気を回す必要もないだろうに。
・・・だめだな、俺はホモだから。
同性も恋愛対象になる性癖だから、純粋な友達付き合いは難しいのかも知れない。
まあ、ゾロは自分ちに飯を食べに来るだけだし、来たらきたで綺麗に片付くからこちらも助かるし。
ギブアンドテイクだ。

サンジがレンジを使っている間に、エースはうろうろと歩き回って洗面所やトイレなんかを覗いたりしてる。
「綺麗にしてるねー。意外」
「そうか?」
「うん。サンジって割と大雑把だから、もっと散らかってると思った」
―――散らかってるんだよ、ほんとは
「よくわかってんだな、俺のこと」
少し伸びてしまったパスタと温め直したピザ、パエリアはそのまま食べてもらおう。
「そりゃあね、んで今夜泊まってっていい?」
「今更な時間だな」
サンジは苦笑した。
もう日付は超えている。
どうせ明日の講義は午後からだ。
ゾロの朝飯、好きだっつってた大根の味噌汁にするつもりだったのにな。
この期に及んで残念に思う自分がいて、また一人で笑いを漏らした。


「あー、やっぱサンジの飯は美味いなあ」
「みんなで飲んできたんだろ?」
「ああ、だから食うの。あー美味い」
頬袋一杯に詰め込んで、もぐもぐと咀嚼しながら平らげていく。
サンジは煙草を咥えてぼうとその光景を眺めていた。
一応、自分はひととおり食事を済ませたことになっているから、あまり食べてはいけないと思ったからだ。
どのみち、食欲はとうに失せている。

「んでそうそう、あのなゾロだけどよ」
「うん、って、えっ?」
いきなり名前が出て、聞き間違いかと思った。
「ほら、あの居酒屋にいたルフィのダチのゾロな。あの目付きの悪い」
「あ、ああ・・・」
どきどきどきどき
「今日コーザと飲んでて初めて聞いたんだけど、あいつら親戚だってよ」
「・・・えっ」
口をぽかんと開けて、聞き直す。
「従兄弟だかまた従兄弟だとかで、そう言われればなんとなく雰囲気似てるよな」
「あー・・・そうだ、な」
そうか、ゾロとコーザは親戚・・・なのか?
「でかい道場の跡取り息子だってのに、修行だとか言ってこっちまで出て来て一人暮らししてんだとよ。変わった奴だよなあ」
「・・・・・・」
驚きすぎて、相槌も打てなかった。
「こないだ居酒屋で顔合わした時も、お互い知らぬふりしてたんだとよ。伯母さん・・・ゾロのおふくろさんが心配してるってのがバカ息子にはうざいらしくて、実家には盆正月でも殆ど帰って来ないって」
「・・・実家」
「折角進学した大学も勝手に中退したって、親父さんには勘当されたらしいけどな。なかなか剛毅な奴だぜ。サンちゃんと同い年になるんじゃないかなあ」
「大学・・・生」
「ん?どうした、サンジ?」
呆然としたサンジの顔を、怪訝そうに覗きこむ。
「大丈夫か?顔色悪いぜ」
「あ・・・いや、ちょっと・・・風邪気味で―――」
誤魔化しの言葉も適当だったが、エースは大丈夫かと額に手を当ててきた。
「可愛そうに、風邪引いてるのに寒空で待たせたな、ごめんな」
抱き締められてポンポンと背中を叩かれて、サンジは曖昧に頷いた。
頭の中では色んな疑問が渦巻いてぐるぐると回っている。

ゾロが跡取り息子って、実家もあるって、大学生だったって・・・
施設で育ったって、両親はもういないって、貧乏で金がないって、一人で生きて来たって――――

「マジ顔色悪いな、もう寝な」
エースに促されて、サンジはのろのろと立ち上がり着替えるために洗面所に行った。
いつもはコップの中に入っている色違いの歯ブラシは、ない。

ゾロが俺に、嘘を、吐いてた?
一本だけぽつんと残った自分の歯ブラシを、サンジはただ呆然と眺めていた。






身寄りがなく貧乏、なゾロが実は真っ赤なウソだったと知ってサンジはショックを受けていた。

なんだって嘘をついたのか。
そもそも何のために?
何が目的で嘘をついて、ずっとそれで通して来たんだろう。
いくら考えてもその意図がさっぱりわからない。
―――からかわれたのか
なんでも鵜呑みにしすぎただろうか。
けれど最初から疑って掛からなければならないほど、用心がいる相手だとは思わない。
大体、そんなことでゾロにメリットがあるとは思えないし・・・
―――もしかして、人違いとか?
コーザが言ってたっつっても、実は他人の空似だったとか。
そこまで考えて、そんな馬鹿なと思い返す。
いくらなんでも同郷の親戚は間違えないだろう。
あんな緑頭がそこいら中にいるとも考えにくい。
ゾロはコーザの親戚で、でかい道場の跡取り息子で、両親が健在の大学中退者なのだ。
「なんか、しっくりこねー」
あれこれ考えすぎて、疲れてしまった。
そんなことに気持ちを捕らわれたままでいる自分が一番嫌だ。



短気な性格上ゾロのバイト先に押しかけて白黒はっきりつけたいところだが、そこまでする義理もないと躊躇いながら過ごす内に、ゾロがまたひょっこり家に顔を出した。

「うっす」
ドアを開けるサンジの横を擦り抜け、靴を脱ぐついでに靴箱の中を整理する。
流れるような一連の動作を見守ってから、サンジは軽く溜息をついた。
「今から飯炊くから、待ってろよ」
「おう」
勝手知ったるで先に部屋に入るゾロの背中に何か言おうとして、止めた。







「今日は鍋か」
「余りモノしかねえんだよ」
ゾロのために食糧を備蓄していなかったから、今日は本当に有り合わせだ。
ほとんどが野菜の鍋に急ごしらえの炊き込みご飯。
秋だから、なんだって美味い。

ゾロは早速持参した発泡酒を開けて、まずサンジに注いだ。
そろそろコタツ出せよなんて呟いて鍋をつつく。
「コタツなんてねえよ。第一この部屋に似合わねえじゃん」
「充分似合うぞ。この乱雑っぷりにコタツ、みかんの皮とくれば完璧だ」
腹が立つより噴き出した。
「失礼だな、てめえが長いこと来なかったから・・・」
言いかけて、先日の非礼を詫びるべきかそれとも嘘を詰るべきか、一瞬考えた。
二人で鍋を囲んだ和やか食卓で、いきなり「嘘つき」呼ばわりは悪いだろうか。
「あのよ・・・」
「うん」
「エースから、聞いたんだけどよ」
自分の口から『エース』の名が出ることに、何故か遠慮を感じる。
ゾロはこれっぽっちも気にしていないだろうに、なぜこうも引け目に思うのだろう。
サンジは勢いつけて酒を飲み干した。

「なんか、コーザがお前のこと知ってるって」
「ああ」
ゾロはなんでもないことのように頷いた。
「お前って、コーザと親戚?」
違うよな?続けてそう聞きたかった。
他人の空似だと、それは別人の話だと、嘘でもいいからそう言って欲しくて―――
「ああそうだぜ」
ゾロはあっさりと認め、自分のコップを飲み干してから新しい発泡酒の封を開けて、置かれたままのサンジのグラスに注ぐ。
残りを自分のグラスに注いで、また新しく缶を開けた。
プシュッと鳴り終わるのを待って、サンジは口を開く。
「ってことは、コーザとも田舎が同じで・・・」
「ああ」
「実家とかも、あって」
「おう」
「その、お前大学行ってたんだって?」
「よく知ってるな」
くいーとグラスを呷るゾロの反らされた喉仏をぼんやり見詰めて、サンジは箸を置いた。
「・・・って、てめえ、施設で育ったっつったじゃねえか」
「ああ」
同じ調子で相槌を打つ。
「親もいねえって、金もねえって・・・」
「ああ」
「嘘、だったのかよ」
「ああ」
ゾロは鍋の中の白菜と葱をサンジの皿に取り分け、上手に箸で豆腐も掬った。
「炊きすぎるぞ、どんどん食え」
「・・・てめえ」
テーブルの上で拳を作り、ダン!と叩いた。
卓上コンロが揺れて、茶碗や湯飲みが一瞬浮く。
「危ねえなあ、火傷すっぞ」
ゾロは零れたポン酢を台布巾で拭いて、転がった箸を戻す。
「ふざけんなっ、てめえなんのつもりで嘘つきやがった」
ゾロの態度があまりに冷静だから、かえって無性に腹が立った。
これで少しでもうろたえたりシラを切るなら、まだ可愛げがあるものを。

「そうだな、嘘ついたな」
だがゾロは、あくまでいけしゃあしゃあとしている。
「なんで騙したんだよ」
「てめえ、あんまりあっさり信じやがるからよ」
咀嚼を止めず、ゾロはどこまでものんびりと鍋を味わいながら返事をする。
「大体てめえも、ちょっと考えたらおかしいとか思わねえか。施設で育ったような男が、いちいち靴揃えたり物分類したり、整理整頓好きに育つとか思うのかよ」
「そんなの、知らねえしわかんねーだろ!」
なんだか、ゾロ目掛けて手当たり次第にモノを投げたくなった。
「お前がもし、もう一度疑うようなこと言ったら、そん時は『あれは嘘だ』って言おうと思ってたんだがな。てめえそれきり疑いもしねえし、あれこれ世話してくれるし飯も食わせてくれるし・・・」
「それでずっと、騙し続けたって?」
「おう」
「おま・・・ちっとか悪いとか、思わねえのか?人を騙して・・・」
「悪かった」
「悪かったで済むなら、警察はいらねえんだよっ」
飛んできた濡れ布巾を、ゾロは片手で受け止めた。
続いて飛んだ箸は、ゾロを飛び越えて壁に当たりバラバラに跳ね返る。
「大体なんのために、なにが面白くて騙しやがった!か、からかったのか」
「そうじゃねえ」
「んじゃなんだよ」
鍋の火を止める冷静さがまた頭に来る。
「てめえはどうやら素直で単純で、純粋に優しいみたいだからな。気を引けると思った」
「は?」
笑いもせず生真面目にそう語るゾロの顔を、サンジは呆然とみやる。
「俺が、まあ貧乏なのは事実だが、天涯孤独で不自由な暮らししてるって聞いたら、てめえ放っとけねえって顔したろ?人に飯を食わせるのも嬉しそうだし、見返りは求めねえみたいだし・・・まあ、俺は趣味でこの部屋の片付けをしてたがな。例えば俺がなーんもしなくてゴロゴロしてるだけだったとしても、てめえ俺に飯食わせてくれたんじゃねえか?」
逆に問い掛けられて、サンジは返答に詰まった。
「俺のこと不憫だっつって同情して、できる限りのことをしてやろうって、お前思ったろ。それで俺がずっとこの部屋入り浸っても嫌な顔一つしねえで、ただ飯食らっても文句言わねえで、寧ろえらく嬉しそうでよ。てめえは、誰にでもそんななんだ」
「そ、んなこと・・・」
「人に対してあれこれしてやることを、てめえは厭わねえんだな。これはもう性格だろうが。そいで喜ばれれば嬉しい。けどだからってボランティア活動に入れ込むようなマメさはねえ。てめえは、なんでも受身なんだ。請われれば与える。求められたら応える。流されるばっかで・・・」
ゾロは頬杖をつき、淡々と呟く。
「いい感じに酔っ払ってるときに俺がてめえを押し倒したら、やらせてくれんじゃねえの?」
サンジは溜まらず立ち上がり、テーブル越しにゾロの顔を張った。
勢いでイスが倒れ、派手な音を立てる。
「馬鹿にすんなっ」
「違うのか?」
力いっぱいひっぱたいたのに、ゾロはよろけるでもなくイスに座ったまま、腕を組んでいる。
そのふてぶてしい面ごと、蹴倒してしまいたい。
「てめえエースが恋人とかほざいてやがるけど、ほんとはあれだって勢いでやっただけだろうが」
「なんでっ」
知ってると言いかけて、慌てて口を噤む。
「んなもん、見てりゃわかっだろうが。てめえが本気で惚れてる相手のことなら、俺に遠慮なんざしねえで惚気の一つもこぼれっだろうにそれもねえ。『エース』の名前を出す時はなんか浮かねえ面だし、その辺のアイドルの話してっ方がよっぽどイキイキしてやがる」
「・・・・・・」
「かと言って、てめえが嫌々エースと付き合ってるとか、逆に怖がってるとかでもねえ。強いて言うなら遠慮、だな」
ぎくりと、顔が強張るのがわかった。
「そんだけ好きでもねえのに断る理由もねえからズルズル付き合ってる、そんな感じだ。だから多分、この先エースの方から別れを切り出されたら、てめえはそんだけ傷付きもせず了承するんだろうな」

何も言えなかった。
なにもかも、ゾロの言うとおりだからだ。
だがこの胸の中で嵐のように渦巻く、訳のわからない怒りみたいな衝動は治まらない。
「・・・出てけよ」
大きく肩で息をして、喘ぎながらなんとか言った。
「出てけよ、てめえの面なんざもう、二度と見たくねえよ。俺の前から消えろ」
ゾロは椅子に腰掛けたまま、視線だけ上げてサンジを見ていた。
その顔には困惑も狼狽も、心配のそぶりさえもない。
ただじっと見ているだけの、冷たささえ感じる表情。
「出てけって!」
その顔を見返すのが耐えられなくて、サンジは壁を叩いてドアを指差した。
隣の部屋には迷惑な騒音だろうが、そんなことまで気が回らない。

ゾロは自分の取り皿の中身を掻き込むように口の中に入れると、もそもそ租借しながら立ち上がった。
手早く食器を重ねて流し台に置き汚れたテーブルを布巾で拭いて、サンジの横を通り過ぎる。
玄関に掛けたブルゾンを羽織り履き潰した靴を引っ掛け、後ろ手でドアを開けてサンジを振り返った。
「美味かった。ごっそさん」
サンジは誰もいないテーブルを睨みつけたまま、振り向かなかった。
扉を開け、出て行く音がする。
かちゃりとドアが閉まり、ゾロ特有の歩幅の広いゆっくりとした足音が遠ざかって行く。



それでも暫くは動けなくて、サンジは壁に凭れたままぼうっと湯気の立つテーブルを見つめていた。
鍋の中身はまだ半分以上残っている。
火は止めてあるから煮込みすぎてはいないけれど、くたりと煮えた葱の間に残るしらたきがやけに目立った。
しらたきは、ゾロの好物なのに。
もっと食っていけばよかったのに。

この期に及んでそんなことを考える自分に猛烈に嫌気が差して、サンジは思い切りテーブルの足を蹴った。
バキっとか変な音を立ててテーブルが傾き、端からポン酢や茶碗が落ちる。
いっそ清々しいまでに派手な音を立てて床にモノが散乱し、中央にあった卓上コンロは辛うじて落ちずに傾いたままテーブルに残っていた。
惨劇の後にまた沈黙が訪れて、サンジはずるずるとその場にしゃがみこんだ。
フローリングの上に割れた茶碗の欠片やら、サンジの取り皿の中身やら汁やらが飛び散っている。
ポン酢はゾロがきちんと蓋してくれていたから、ごろごろ転がっただけだ。
「ちっ」
自棄を起こして物に当り散らしても、結局片付けるのも自分自身だ。
この場にゾロがいたらきっと黙々と、けれど手際よく綺麗にして、なにもなかったみたいにしてくれるんだろう。
そんな風に、たやすく想像してしまう自分に、ほとほと嫌気が差す。

サンジはポケットをまさぐってタバコを取り出し火をつけると、しゃがんだままぼうっとそれをふかし続けた。
自分が腹を立てているのか悔しがっているのか、本当は泣きたいのかすらも、もうわからない。





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