ハジマリのうた -2-



エースと付き合いだすようになって、不都合なのはコンパに誘われる率が格段に減ったことか。
なんてことで、サンジは暢気に悩んでいた。
別に誘われないことはないのだが、コンパ中のネタがエースとの付き合いのことで盛り上がって、その後二人でどこか行こうとか、そんな感じで引っ掛かる子が一人もいない。
興味本位であれこれ聞かれたり、自分のディープな恋の悩みを相談されたりで、完璧に異性としてのストライクゾーンから外されている。
「こりゃあ、由々しき事態だろう」
一人ごちても、こんなことを誰かに相談できる訳もなく・・・まずエースに愚痴るのは論外だし、ナミ辺りだと「ホモとしての自覚が足りない」と説教を受けそうだ。
「つまんねえなあ」
サンジは講義中にも関わらず、横を向いて盛大に溜息を吐いた。
なぜそうできるかというと、このところサンジが座る席の隣に、誰も座らないのだ。
何故かぽつんと隣が空くから、まあ狭苦しくなくていいなとその程度の認識で気楽に座っている。
以前は顔見知り程度に会話を交わしていた学生たちとも疎遠になった。
学校で親しく話をするのはナミなど決まった友人達くらいだ。

この間も廊下を歩いていたら、知らない学生からすれ違い様に「キショ」と呟かれた。
ぎくりとして振り返ったが、その学生は知らん顔で歩き去っていく。
直接言われたわけでもないし、聞き間違いかもしれない。
そう思うと面と向かって言い返せないし、ましてや喧嘩を買うことも売ることもできやしない。
釈然としない思いのまま踵を返して、サンジは早足で歩き出した。
別に、たいしたことじゃない。




酒豪のナミに付き合って、今日はしこたま飲んでしまった。
無事送り届けてくれるはずのエースは、ここ一週間ほど研修で地方に行っていて留守だ。
寂しいでしょうとかなんとか口実を作られては飲まされ、相当へべれけになったところで、ナミはそれじゃさよならと迎えに来たルフィと共に爽やかに去っていった。
ぽつんとの残され、覚束ない足取りのまま家路に向かう。

―――やべーな、ちょっと水分取っとこう
誘われるように、煌々と灯りのついたコンビニに立ち寄った。
「いらっしゃいませー」
無愛想な声の主を無意識にちら見して、ばっと振り返る。
「なんで、てめえここにいるんだ?」
「あ?てめえこそ、なんで来たんだ」
またあの緑頭だ。
しかも客に向かってなんで来たとは、なんて言い草だ。
「お前なあ、俺は客だぞ」
「・・・いらっしゃいませ〜」
ムカつく!
サンジはゾロを無視して飲料水売り場に向かった。
自分では真っ直ぐ歩いているつもりだが、何故か雑誌コーナーの角に引っ掛かったり、日用品の棚に掛けてある見出しにぶつかって落としたりしてしまう。
あちゃ、と思って拾おうと頭を下げたらくらりと来た。
揺れる床の端っこにでかい靴が見える。
緑頭を見下ろしたと思ったら、さっさと手が伸びてあちこちに散らばった物や見出しを拾い集め、元に戻している。
さすがにバツが悪くなって、サンジはぺこんと頭を下げた。
「・・・ごめん」
「今日は彼氏は一緒じゃねえのか?」
またこくんと素直に頷く。
ちょっと酔いが回ったせいか、反応が鈍くなっている。
「彼氏いないからって自棄酒か?」
またこくんと頷きかけて、首を傾げた。
今なんつったこの野郎。

「誰が彼氏だくらっ、しかも寂しいって、自棄酒ってなんだコラっ」
ゾロがにやにや笑っている。
「完璧な酔っ払いだな。ちゃんと水飲んだ方がいいぞ」
冷蔵庫から水を取り出して、手元につき出す。
条件反射で受け取って、サンジは懐くように2リットルボトルを抱き締めた。
「は〜〜〜〜気持ちいい〜〜〜」
ポケットを弄って小銭を取り出す。
レジの横のビニール傘売り場にしゃがんで、震える手でキャップを取って一気に飲んだ。

「ふわ〜生き返る」
もう時刻は深夜だ。
道を行き過ぎる人は多いが、店の中に客はおらず静かなものだ。
「てめえがいるから、ビビって誰も客来ないんじゃねえの?」
「なんでビビんだよ、普通の店員だろうが」
むっとしながら、おでんを引っくり返している。
「お前、居酒屋は止めたの?」
「今日は居酒屋定休日。毎週水曜はここ」
ふうんと呟いて、またごくりと喉を鳴らしながら水を飲む。

「お前って勤労青年。あちこちで働いてばっかじゃん」
「貧乏だからな」
「そうなのか」
面と向かって悪びれず自分を貧乏だと名乗る男は初めて見た。
「じゃあ何か?生活のためバイト掛け持ちしてるとか、四畳一間のボロいアパートで風呂なしとか」
「風呂と便所は共同だ」
「うわー、すげーっ」
軽く感動した。
そんなに年は違いそうにないのに、苦労しているヤツなんだ。

「そういうとこって家賃めっちゃ安いんじゃねえの?飯とかどうしてんだよ」
思い切り興味本位で聞いているのに、ゾロは別にむすっともせずに淡々と応える。
「家賃はまあ、安いだろうな。駅からも離れてっし。最近灯油が上がったとかで風呂が一週間に一度になっちまった」
「げ」
「かと言って銭湯も高えしな。ここんとこ涼しくなってきたとはいえ、あんまり風呂入ってねえと臭いからって商売するには不向きだし」
「そ、そりゃあそうだろう」
サンジは引き気味に頷いた。
なんだよこいつ、こんないいガタイしてんのに貧乏で、風呂にもろくに入れねえなんて。
急に親近感が湧いた。

「お前ちゃんと食ってんのか。一人暮らしなんだろ」
トイレや風呂が共同のアパートで彼女と暮らしてるってことはないだろう。
「その点ここのバイトは便利だ。賞味期限の切れたもんを格安で買って帰れる」
その言葉に、サンジは不覚にもほろりと来た。
ああこいつはなんて不憫な奴なんだ。
「そんなもんばっか食ってちゃ、ろくなもんじゃねえぞ。たまには田舎とか帰って、 おふくろさんの飯とか食わねえと・・・」
「そんなもん、いねえよ」
ゾロは保温機の中の肉まんを補充し終えると、缶コーヒーのホットコーナーに向かった。
「いねえって、田舎がねえのか?」
「田舎も親もねえよ。元々施設で育ったし、高校は定時制だ」
「え、マジ?」
サンジは裏返った声を上げて足をバタつかせた。
「うわーすげー、お前カッコいい。ガキん時から一人で生きてきたってか?」
「あんだそりゃ」
呆れた声を出しているが、驚くほどゾロは機嫌を損ねていなかった。
少なくともそう見える。
珍しがられたり同情されたりするのに慣れているのだろうか。

「そんで彼女もいねえんじゃ救われねーじゃん。甲斐性あるんだかねえんだか・・・」
「お前に言われたかねえぞ」
そろそろ、ムカっときたらしい。
「残念ながら、俺に料理上手な彼女もいねえしな。別に食えるもん食ってりゃなんてこたねえ」
「あ、てめ嫌味だなそれ。あからさまに料理上手な俺に対する嫌味だな」
言い返しながら、またペットボトルの水を呷る。
「そうやって年がら年中働き詰めか?趣味とかねえの?」
「趣味じゃねえが、剣道をやってる」
それはまたストイックな・・・
「待てよ、剣道だって?ますます臭えじゃねえか」
「なんでそっちに行くんだよ」
「いや絶対臭えって、うわ〜やばそ〜」
「人間臭いくらいじゃ死なねえ」
「かーっ、もう底辺の言葉だなそれ。ある意味めっちゃ、カッコいーっ」
やはりサンジは相当酔いが回っている。

「だが時にはまともな飯くらい食いたいなあ。茶碗に入った白飯とか、 お椀に入った味噌汁とか・・・」
「くああああ、益々泣かせやがる」
サンジはしゃがみ込んだまま目に涙を浮べていた。
どうやら泣き上戸らしい。
「てめえ、炊き立てのご飯よそってお米が立ってるーとか、経験したことねえのかよ」
「・・・炊飯器が、ねえ」
「うわあああああん」

「いらっしゃいませ〜」
自動ドアが開いて客が入ってきた。
レジの横でポロポロ泣いているサンジを見てぎょっとしながらも、店の中に入ってくる。
「お前商売の邪魔だ。帰れ」
「ううう、畜生、くそう、帰るよううう」
ふらふらと立ち上がり、まだ開ききらない自動ドアにぶつかってガンと派手な音を立てた。
振り返らずそのまま表へと出る。



歩道から足を踏み外し、アスファルトにがくんと膝をつく。
砂利が痛えなと呟いて足を擦りながら立ち上がり、今度は隣のビデオ屋の看板にぶつかった。
ああ痛え・・・痛いけど、ゾロは本当に可哀想なんだ。
苦労してるのに無愛想で、その面相じゃきっと子どもの頃から可愛がられたことなんてないんだろう。
一人で生きて、きっと一人で死ぬんだろうなあ。
家庭のぬくもりも知らないまま・・・ああ、なんて可愛そうなゾロ。

誰かに無性に「かわいそうなゾロ」の話をしたくなった。
エースがいればいいのに、エースだったらきっと親身になって話を聞いてくれるだろうに。
ああ、エースに会いたいなあ・・・

空を見上げて「エースう〜」と叫んでみた。
明るいネオンに照らされて、星どころかどこが空だかもわからない、ぽっかりと開いた空間にその声は吸い込まれていく。


「重傷だな」
すぐ真後ろで吐かれたため息に、サンジは首を揺らしながら振り返った。
可哀想なゾロが後ろに立っている。
さっきと違うと思ったのは、制服を着てないからだ。
このクソ寒いのに、Tシャツ1枚で立っている。
ああ、なんて不憫なヤツ。
「どうした、かわいそうなゾロ」
「なんだそのネーミングは。てめえが心配だから、早く引けさせてもらったんだよ」
「心配?俺が?」
なんてこった。
こいつはこんな逆境の中でも、人への思いやりの心を忘れないのか。
っつうか、人の心配してくれてんのか。
ほんとになんていい奴なんだ。
サンジは袖で鼻を拭った。
拍子にふらついて、また歩道から足を踏み外す。

「ったく、見てられねえ」
ゾロはサンジの肘を掴んでぐいと引き寄せた。
掴まれた腕が痛かったが、なんてでかい手だとどうでもいいことに頭が行く。
「んで家はどっちだ。歩いて帰れるのか?」
「おう、こっち真っ直ぐ行って角を左だ」
「こっちか」
ゾロがサンジの腕を掴んだままさくさく歩く。
やっぱ腕が痛いなーとか思ってたら、視界が右に回転した。
「・・・左っつってんだろ」
酔っ払っていても、一応突っ込んでおくべき所では突っ込んでおく。



「ったく、慌てて帰ったから飯買い損ねたぜ」
歩きながら呟くゾロの声とともに、く〜っと腹の虫の弱音が聞こえる。
「帰っても食うもんねえのか?ああ、炊飯器がねえんだなあ」
見慣れた街並まで辿り着いた。
マンションの玄関まで来て、ここだと立ち止まる。
「折角ここまで来たんだ。よかったら飯食っていけよ」
「はあ?」
ゾロはさっきまで掴んでいたサンジの肘を離し、それじゃあと踵を返した。
今度はサンジの方がその肩をがしっと掴む。
「腹減ってんだろう、ずっと働き詰めじゃねえか。そんな身体して、食わねえともたねえぞ。それに、うちにはちゃんと風呂もシャワーもあるし、生き返ってみろよ」
「死んでねえよ」
酔っ払いの強引さでもって、サンジはゾロを引き摺って解除ボタンを押しエレベーターに乗り込んだ。
「大丈夫だって、俺の飯は美味いぞう。死ぬ前に一度くらい天国見てみろってんだ」
「死なねえっつってんだろ」
エレベーターを降りて部屋の前まで縺れるように歩きながら辿りつく。
「えーと、あれ・・・鍵・・・」
しゃがんでポケットの中を引っくり返した。
財布やカードがばら撒ける。
「ったく・・・」
サンジが鍵を見つけてドアを開けている間に、ゾロは落ちたものを拾うと仕方なくそのまま部屋に入ってきた。

灯りを点けて靴を脱ぎ散らすと、狭い廊下を歩いてキッチンの灯りも点ける。
振り向けばゾロは玄関に無造作に脱いである靴を、全部揃えて端から置き直している。
―――やっぱり几帳面だ

構わず炊事場で手を洗うと、椅子に掛けてあるエプロンを身につけ、冷蔵庫を開けた。
「お邪魔します〜」
なぜか営業用の平坦な挨拶を呟いてゾロがやって来た。
廊下の隅に追いやられている、普段使わないスリッパを勝手に回収しては玄関のスリッパ立てに片付けている。
一応サンジの部屋のキッチンは綺麗に整頓されているが、それ以外は乱雑なものだ。
開けっ放しの扉から寝室が見えて、ゾロはなんとも言えない顔をした。
「どうした整頓マリモ。なんかしたいのか」
「勝手に呼び名を増やすな」
と言いつつ、目がちらちらと奥の間に移る。

「俺これから飯作るから、てめえ好きにしてていいぞ」
「いいのか」
「ああ、別に俺はモノがどこにあろうが場所が変わろうが気にしねえ」
ゾロは俄かに表情を緩めて、腕まくりをしながら寝室に入った。
なんだか嬉しそうだ。
たいして表情の変わらない無愛想な顔付きのままなのに、その僅かな変化に自分が気付いたことが、何故かサンジは嬉しかった。




手早く米を洗っておいそぎでセットした。
水に浸けておく時間はないが、仕方が無い。
その間に煮物を炊いて、酒の肴を作った。
湯を沸かしパスタを茹でながら味噌汁も用意する。
冷蔵庫の残り物を使ってだが、色んなものを食わせてやりたい。
料理をしている間に酔いもどこかに吹っ飛んで、サンジは鼻歌交じりで冷蔵庫を覗いた。
缶ビールもストックがある。
手早く作った前菜とパスタをテーブルに並べ、エプロンを外した。

「うっし、できたぞー」
隣室を覗き込めば、なにやら雰囲気が変わっていた。
掃除機こそかけてはないが、あちこち散乱していた雑誌やCDがそれぞれ固められ綺麗に積まれている。
服も畳んで、同じく整えられたベッドの上に重ねてあった。
―――片付けたというより、種類分けして積んであるって奴だな
なんにしても格段に見栄えがよくなった。
ゾロはテレビの下の収納ケースの前で、まだ何かごそごそしている。
「綺麗になったな、ありがと。飯だぞ」
「おう」
名残惜しそうに振り返って、それでもゾロはキッチンまでやってきた。

テーブルの上で湯気を立てるご馳走に、文字通り目を丸くする。
「…これ、今作ったのか?」
「おうよ、残り物ばかりで悪いな」
「残り物って…」
素材的にはありきたりだが、盛り付けにこだわるから見た目が家庭料理っぽくない。
サンジはしてやったりと得意な気分で缶ビールを勧めた。
「本来ならワインかシャンパンでも開けたい気分だけどこれしかねえ。まあ座れって」
「おう…」
サンジの向かいに腰掛けて、ほんとにいいのか?とまた問うて来る。
「いいって、はいいただきます」
サンジが手を合わせたら、ゾロもつられるように手を合わした。
恐持ての顔立ちで神妙に手を合わせる様は、どこかユーモラスで可愛らしい。
「お前は食わないのか?」
「俺はさんざん食って飲んできたもん。遠慮なくどうぞ」
ゾロは改めて一礼して、すごい勢いで食べ始めた。

決して美味いとかすげえとか口に出しては言わないけれど、その食べっぷりから気に入られたことはわかった。
箸が止まらず次から次へと空にしていく。
意外と言うかなるほどと言うべきか、ゾロの箸使いは綺麗で皿も箸も不必要に汚さない。
ビールも水のように飲むから、またたくまに冷蔵庫のストックは空になってしまった。
「ビール、これで最後だぞ。もう飯にしろ」
「ああ、さんきゅ」
遠慮なく最後の1本も飲み干す勢いなので、サンジは慌てて煮物を盛り付け味噌汁をよそった。
「ちょうど炊けたとこだ。ったく、蒸らす時間もねえぜ」
炊き立てのご飯を切るように混ぜて山盛りによそう。
ゾロはそれを大事そうに両手で受け取って、また「いただきます」と呟いた。



舐めたように綺麗に平らげられた皿を積んで、サンジは流しに置いた。
ここまで食べつくしてもらえると、気分がいい。
またしても鼻歌を歌いながら、手際よく洗い流していく。
ゾロは今、風呂に入っている。
食べて飲んだ直後だからまずいかとも思ったが、ゾロは「ごちそうさま」と手を合わせた後、すぐに食卓でうつらうつらと船を漕ぎ出したので、目を覚まさせるつもりで風呂を進めた。
このまま寝られてはまずい。
まずいっつうか…
この時点で、すでにまずいのではないだろうか。

サンジは泡だらけのスポンジを握ったまま、動作を止めた。
ちょっと待てよ、なんでこんなことになったんだ?
とうに酔いは覚めて、しかも冷静になって考えてみれば、ほとんど見ず知らずの男に飯を食わせて風呂に入れてやっていることになる。
別に男同士だから問題ないと言えばそのとおりなのだが、なんせ自分の恋人は男だ。
今のところエース以外に男に興味はないから、自分的に問題がないとは言え、相手はサンジの恋人が男であることを知っている。
つまり、ホモだと思われてる。
――――警戒されてんじゃねえのかな?
自分なら、ホモの部屋に泊まったりしない。
そういうことはあまり気にしない性質だろうか。
勿論ゾロを襲ったりしないけれど、気持ち悪いとか思わないんだろうか。
…俺がその立場なら、絶対キモいとか思う。

学校で言われなき悪意を受けても、心底腹が立たないのはサンジにはその気持ちがわかるからだ。
多分、認めたくはないけれど自分はかなり狭量な心の持ち主だ。
恋愛はまず男と女がするものであって、同性同士は不毛だと思う。
特に女性同士は勿体ない、断固反対と叫んでしまいたいくらい悔しい。
野郎同士なんて鳥肌モノで、まず嫌悪感のが先に立つ。
なのになんで、こうなったんだ?
エースだから、だろうか。
ものの垣根を感じさせない、何につけても平等で寛大な、性別を超えた好人物。
男だとか女だとか、そういうものじゃなしにエースだから、って奴だろうか。
―――違う気がする…
サンジは濡れた手で額を押さえた。
違う、なんつーかやっぱ…俺、流されたんだ。
ナミに差し入れするつもりで持って行ったケーキをエースにも食われた。
美味いな、と手放しで褒められて、つい調子に乗って弁当も作った。
ナミやルフィ達と一緒になってあちこち遊びに行った。
映画やCDの話で盛り上がって、二人で買い物にもでかけるようになった。
見たいDVDが手に入ったからと誘われて家にまで遊びに行った。
…やっぱり、流されてる。
ここで不思議なのは、結局身体の関係になっても嫌悪感が沸かなかったことだ。
どうやら流されやすい上に、快楽にも弱いらしい。

サンジは軽い頭痛を覚えて、濡れた手を拭いて椅子に座った。
タバコを取り出し火をつけ、深く吸い込む。
…まずいぞ、俺また同じような状況になってるんじゃねえだろうな。
行く先々で顔見知りになったゾロ。
身の上を聞いて気の毒になり、しかも酔っ払っていたので家まで送ってもらった。
せっかくだからと部屋に入れ、飯を食わせて風呂にまで入れた。
…まずいまずいまずい

「お先」
文字通り飛び上がって椅子から落ちそうになった。
いつの間に上がってきたのか、ゾロが腰にバスタオルだけ巻いて後ろに立っている。
湯気に包まれた上半身は日に焼けて浅黒く、綺麗に筋肉がついている。
見事に割れた腹筋を目の前にして、サンジはずるずると椅子からずり落ちる。
「なにやってんだ」
「あ、わ…いや―――」
なんか着ろよと言い掛けて、着替えを出してなかったことに気が付いた。
「ちょっと待ってろ」
慌てて寝室のクローゼットを開けて中身をポイポイ放り出す。
なんとか新品の下着を見つけてゾロに投げた。
ちょっときついかもしれない。
「えーとそれから、着るもんだな」
さすがにスウェットは新品がないから洗濯したものを出す。
その間に下着を身に付けたゾロは、サンジが放り出した衣類を丁寧に畳んではクローゼットに仕舞っている。
まだ半裸の身体をちらりと見れば、ビキニタイプのブリーフの腰の辺りがぴちぴちで、非常に際どく映った。

―――うわ〜まずい〜
何がまずいかわからないまま、バクバクと心臓が鳴っている。
ゾロは手早くスウェットを着ると、サンジが散らかしたものを手際よく片付けて「さて」と振り返った。
「世話になったな、帰るわ」
「へ?」
なぜか間抜けに聞き返してしまう。
「もう夜中だしな、長いことお邪魔した」
「あ、ああ」
「服、借りるぞ」
「ああ」
「おやすみ」
「…おやすみ」
思い切りよく呆気なく、ゾロは玄関まで大股で歩き、片手を挙げて扉の向こうに消えてしまった。
それを呆然と見送るサンジ。


ゾロが出て行って1分後、なんとか我に返ってほっと息をつく。
帰っちまった。
はは、なんだ…
半端に笑いながら、ふと玄関横の壁に掛けられた鏡に目をやると、やけに赤い顔をした自分が情けない顔で笑っている。
なんだなんだ、まだ酔いは残ってたのか。
両手で顔を叩いて、それから思い出してドアに施錠して、とぼとぼと部屋に戻った。
なんだかわからないけど、凄い一日だった気がする。
時計を見れば、もう1時だ。
明日のために、早く寝よう。

ゾロはちゃんと家にまで辿り着けるんだろうか。
もしかしたら方向音痴かもしれないゾロの帰りがふと心配になって、いやいやと首を振る。
ガキじゃねえんだから、心配するこたねえ。

そう自分に言い聞かせて、それでもなんとなく気になって、サンジはその夜なかなか寝付けなかった。








翌日の夕方、珍しくコンパに誘われたのも丁重に断って、サンジは居酒屋に足を運んだ。
五時開店を少し待って店に入る。
一番客で一人なのは気が引けたが仕方がない。
「いらっしゃいませー」と輪唱する従業員達に目を走らせて、ゾロの姿を見つけた。
「おう」
気付いて向こうからやってくる。
助かった。

「あのよ、これ」
そう言って紙袋を渡す。
昨日脱いで行ったTシャツとジーンズ、それに下着だ。
いつまでも置いておくのも何なので、速攻洗って乾かした。
「おう、昨日はありがとうな」
素直に受け取るゾロの手に伝票が握られているので、サンジはチューハイとつまむものを注文した。
ここで軽く夕食を済ませてしまおう。
オーダーを受けてくるりと向いたゾロの後ろ姿は、店のエプロンの下が昨日のTシャツとスウェットのままだった。
やっぱりなと、一人で笑みを零す。
貧乏だからしょうがねえのか。
ちょっと格好を考えると、ものすごくカッコいいのに。
腐ったことを考えながらおしぼりで手を拭き灰皿を引き寄せる。

ほどなく、ゾロが小皿とチューハイを持って来た。
「昨夜、ちゃんと家まで帰れたか?」
サンジが煙草を咥えながら聞くと、ゾロは妙な顔をして黙った。
―――まさか・・・
「・・・結局、そのままバイトに行ってな」
「はあ?だって本屋って夕方からだろうが」
「本屋の前、昼は駅前の茶店に行ってんだ」
「寝てねーのか?」
「茶店で寝た。ウロついて遅刻するより早出で寝てた方が利口だ」
天性の方向音痴ゆえについた智恵か。
サンジは感心しつつも同情した。

「そんなんなら、いっそうちで寝てった方がよかったな。もしかして、相当彷徨ったんだろう」
「・・・まあな」
否定しないでまた厨房へと引っ込む。
あまり仕事の邪魔をしては悪いが、ほかに客はいないのだから構わないだろう。
ゾロはすぐにカルパッチョと湯豆腐を持ってまたやって来た。

「そう言えば、テレビの下のDVD、えらく綺麗に片付けてくれたな」
「いや、あれまだ途中だ。お前ケースと中身が違い過ぎる」
「デッキに入ってる奴を、聞きたくて出したケースに入れたりしてるからな」
「信じらんねー。後で探すのに困るだろ」
「手当たり次第に開けてりゃ、その内当たる」
とんでもねえやと、ゾロは呆れた。
けれどどこか柔らかく笑っている。
「お前見かけと違って結構乱雑だよな。彼氏はそれで呆れたりしねえのか?」
つくん、と何故か胸が痛んだ。
「見かけって、それ言うならてめえだろうが。なんだよそんな面して細けえこって。それに・・・」
言われて初めて気がついた。
「エースは俺の部屋、来たことねえもん」
「そうなのか?」
「うん、別にそんだけ・・・」
親しかったわけではない、と言いかけて口を噤んだ。
ゾロ相手に、俺は何を言ってんだ。
「まあ、何にせよ俺はやりっぱなしが気に入らねえんでな。また片付けに行っていいか?」
思わぬ申し出に、戸惑うより何故か嬉しかった。
「ああ、大助かりだぜ。礼に飯でも作るよ」
「それはありがてえ」

不意に、ポケットに突っ込んだ携帯が震えた。
取り出して着信を見る。
エースだ。
ゾロは厨房に引っ込んだ。

誰もいないとは言え、座席に身を屈めるようにして電話に出る。
「もしもし、エース?」
「おう、サンジただいまー。今どこ?」
「帰って来たのか?・・・居酒屋、前にルフィたちと来たとこ」
「おうそうかそうか、丁度いいから今から行くよ。皆も一緒か?」
「うんにゃ、一人」
「一人?一人で居酒屋?」
「・・・うん」
「まあいいや、3分後にはそこに着いてるぜ」
切れた携帯電話を握って、サンジはなぜかドキドキしていた。
一人で居酒屋だなんて、なんて言い訳したらいいんだろう。




「ただいま〜」
3分も経たない内に、エースは店の暖簾をくぐった。
誰もいない店内をきょろきょろと見回して、戸口に近い席にぽつんと座るサンジを見つける。
「あー、ほんとに一人居酒屋かよ。いい?」
「当たり前だろ」
サンジは煙草を揉み消してテーブルの前を片付けた。
のに、エースはサンジの横に腰を下ろす。
「なんで横並び・・・」
「いいじゃん、久しぶりなのにつれねえなあ」
拗ねたように口を尖らせる。
サンジはああと気がついて「おかえり」と改めて言った。



「んでね、木曾の山奥で修行しながら・・・」
「なんの修行だよ」
「こう、断崖絶壁に立って・・・っつっても、怖くて立てないから誰かに足を持ってもらって、だな」
「なんかそれ聞いたことあるぞ。でも木曾じゃなかったような・・・」
生ビールで乾杯して、エースが豪快に飲んで食べる。
その内客も入り出して、店内はいつの間にか賑やかになっていた。
ゾロも忙しく立ち働いている。

「んでお土産にまんじゅうと漬物、あと麩とワカメと・・・」
「なんで海産物があるんだ?」
久しぶりに会ったエースは相変わらず陽気で面白おかしくサンジはケラケラと笑った。
「何見ても、これサンジが喜びそうだな〜とか思っちゃうんだよ。食わせてやりたいとか、この酒飲ませたらイチコロだろうなとか・・・」
「ちょっと待て、イチコロってなんだ」
話をしながら、エースはどんどん自分の方へ身を寄せてくる。
肩も腰も密着するほど近付かれて、じりじりと下がるうちにサンジは壁際まで追い詰められていた。
「エース、暑苦しいぞ」
「木曾は寒かったんだ」
「・・・酔っ払ってるな?」
返事の代わり、エースはちょんとサンジのこめかみに唇をつけた。
驚いて仰け反り、木の壁にゴンと頭をぶつけてしまった。
「・・・痛っえ〜・・・馬鹿!何すんだ」
「照れるなよ」
「誰が照れるか。だ、誰か見てたらどーすんだ」
本気で腹が立った。
なのにエースはしれっと言い放つ。
「別に誰も見てねえよ。ゾロ以外は」
「えっ」
ぎょっとして、思わずエースの背後に視線を走らせた。
ゾロが両手にジョッキを抱えてさくさく歩いている。

「・・・見てねえだろっつうか、関係ねえだろ」
「まあね」
エースはぐいっとジョッキを煽った。
凭れ掛かる重みが肩に痛い。
ドン、と勢いよくテーブルに空のジョッキを置くと、エースはサンジに向き直ってにかりと笑った。
「さて、んじゃ今夜はサンちゃんちに行っていい?」
「え?あ?」
「このままサンちゃんちに泊めてよ。まだ行ったことないし」
「あ、ああ・・・」
何故か躊躇って、サンジは足元の荷物を見た。
「いいけど、やっぱり今日は真っ直ぐエースんちに帰った方がいいんじゃねえの。その荷物・・・」
促されて、エースも下を向く。
「んん〜〜っやっぱ、そうかなあ」
「そうだよ。な、もう帰ろう」
頃よく、食事も綺麗になくなっている。

会計をエースに任せて、サンジは先に店を出た。
ヒヤリと夜の空気が肌を刺して、薄着のままの身体を竦める。
ゾロは厨房に入っているのか、姿を見ることはなかった。




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