ハジマリのうた -1-



人生最大の過ちを犯した日の翌朝、サンジはブラインドから漏れる黄色い陽光に目を細めた。
隣にはまだスヤスヤと安らかな寝息を立てる、ごつい男。
昨日まで気のいい先輩だったのに、今日から恋人になっちゃいました。






見たかったDVDが手に入ったからって誘われて、手ぶらじゃなんだしビールとつまみでも持参して、でもそれ以上に豊富だったエースん家の冷蔵庫からアレコレと薦められては飲んで、楽しくて盛り上がって押し倒されて―――
やられちゃいましたよ。

自分の迂闊さを改めて呪いながら、サンジはだるい腕を伸ばしてテーブルに置かれた
煙草を手に取った。
寝そべったまま火をつける。
大きく吸い込んで深く吐き出せば、傍らに潜り込んでいた黒髪がぴくんと動いた。

「・・・こらー、寝タバコ禁止・・・」
まだ寝惚けた声を出して、愛嬌のある雀斑面が顔を出した。
よく気がついて優しいエース。
頭がいいのに気さくでそれでいて頼もしいから、誰からも好かれる頼れる先輩だったのに。
実は狼さんでした。
しかも結構、ワイルドな。




善良な市民の振りして実はワルだった男は、サンジの顔を見てにかりと笑った。
「おはよう、いい朝だね」
「―――最悪だ」
不機嫌を前面に押し出して顔を顰めても、何故かエースはご機嫌だ。
可愛いなあとか呟いて、前髪をクシャクシャ掻き混ぜて来たりする。
こんなエースに敵わないから、サンジは文句を言うのは諦めて横を向いたままスパスパ煙を吹かした。

勢いで押し倒されてあれこれよからぬことをされているうちに、うっかり気持ちよくなってしまったのも
また事実。
他を知らないから断定はできないけれど、多分エースは上手いのだろう。
でなければ、いくら酒に酔っていたからとはいえ、男に弄くられてあーとかうーとか、言ってしまうわけがない。
その上「もう俺のモノv」とか言われて、ウンウン頷いたりなんか、絶対に―――
そこまで思い出して、さーっと目に見えるほどに蒼褪めた。
そんなこと、約束なんかしちゃっただろうか?
ぎこちなく横を向くと、エースはサンジの横顔を眺めていたらしく、相変わらずニコニコしている。

「サンちゃん、酔ってても記憶ははっきりしてるクチだよね。忘れたとは言わせないよ」
「・・・なにを?」
「昨夜のコト。こっちも酔った勢いで軽々しく手を出した訳じゃないからね。俺の熱い想いはわかってくれたでしょ?」
言いながら、サンジの髪を梳きキスを落とす。
「ん、ななななっ、冗談に決まってんだろ、こんなん男同士でっ」
「その割に、途中からノリノリだったじゃ・・・」
「だ――っ、言うなああああっ」
寝転んだまま膝蹴りしようとしたら、先に毛布ごと抑え付けられた。
「大好きだよ、本気で。大切にする」
頬に口付けされ、更にぎゅっと抱き締められる。
男に抱きつかれるなんて鳥肌モノなのに、その力強さが妙に心地良くて困った。
どんなに否定したってやっちゃった事実は消せないし、エースのことはまあ嫌いじゃないし、実際気持ちよかったし・・・
―――まあ、いいか?
何故か内心でも疑問形のまま、サンジは小さく頷いてしまった。

その後、グラ大キャンパス内に「エースとサンジがデキたらしい」と言う噂が広まるのに、さして時間はかからなかった。








「一体何をトチ狂ってエースと付き合うことになったんだ?」
「サンジ君のフェミニストぶりって、実はフェイクだったの?」
「あの・・・私、応援してますね」
登校して早々気のおけない仲間に矢継ぎ早に質問やら励ましを受けて、サンジは面食らうより先に逃げ出したくなった。
なんで、ここまで話が広まっているのか。
「あーら、だってエースがあちこちで自慢してるもの。サンジは可愛い、俺のだもんねーって」
ナミにしれっと告げられて、サンジはそのまま遠くでへらへらしているテンガロンハット目掛けて走った。
「なにさらしとるんじゃ、ボケえっっ!」
渾身の飛び蹴りもなんのその、エースは衝撃で豪快に鼻血を垂らしながらニコニコしている。
「まーたまた、照れちゃって」
「今すぐオロす、息の根を止めてやる〜〜〜」
涙目で怒り狂うサンジを、仲間達は面白半分で盛大に祝福した。

「サンジ、お前エースの嫁に来るってか?!」
誰よりも大声かつ熱烈に歓迎したのはルフィだった。
「・・・てめえ、てめえら兄弟に常識を期待するのは間違っちゃいるが、それにしたって限度ってもんがあるだろう・・・」
反論する気力もなくて、サンジは大学の門柱に抱きついた。
「だってよう、サンジがエースの嫁に来てくれたら、毎日サンジの弁当が食えるじゃねえか」
「所詮食いモンかよ、てめえの価値基準はやっぱそこかよ!」
「良かったわねサンジ君。恋人の弟に歓迎されるなんて、いくらジェンダーフリーな世の中になってきたとは言え、そうそう理解のあるもんじゃないわよ」
「ナミさん!なんでわかってくれないんだ。俺はほんとに君一筋なんだよおおおおお」
「うっさいわね、ホモ」
「うわああああああ・・・」
「泣いてないで早く行こうぜえ、腹減った!」
問答無用で襟首を掴まれて、街中へと繰り出す。



今までも友人同士でよく飲み食いしていたが、今日のこれはエースがとうとう年貢を納めたね、の「お祝い」だそうだ。
「ああ・・・、俺も祝ってやる立場でいたかったぜ」
「なーに辛気臭いこと言ってんの。さ、乾杯しましょv」
妙に嬉しそうな女性陣に囲まれて、サンジはしょぼくれたままグラスを鳴らした。
場所は、駅前に新しくできた居酒屋。
何故かルフィがオープン記念割引券を手に入れていて、そこで軽く祝盃を上げている。
愛しいナミの隣にはなぜか年下のくせに生意気なルフィ、儚げな美少女カヤの隣には長っ鼻、お嬢様
ビビの隣には幼馴染と言いつつ、それ以上に親しげなコーザ。
「なんっで、オレがあぶれてんだよう」
嘆くサンジの肩を抱いて、エースがよしよしと頭を撫でる。
「ひっどいわねえサンジ君。あぶれたもの同士くっ付くなんて、エースに失礼でしょ」
「そうですよ、エースさんってほんとにモテるんですから」
「私の友達も、かなりショック受けてました」
「その子をオレに紹介してよ〜〜」
相当アルコールが回って来たサンジを皆で宥めすかしながら、やはり他人事なのかメニューから
目を離さない。

「それにしても、なんでまだ高校生のルフィが居酒屋の割引券なんて持ってたのよ」
「トモダチにもらった」
「友達?」
「おう、一緒におにぎり食ったんだ。美味かったぞ」
ルフィの説明は要領を得ない。
誰も深く掘り下げて聞くこともなく、そのまま話題は逸れそうになったのだが・・・
「あ!ゾロだ」
唐突にルフィが叫んで、その場でぶんぶんと腕を振った。
「うおーい、ゾロ〜〜〜、来たぞう」
見れば厨房の奥から、手ぬぐいを頭に巻いた男が首だけ出して振り返っている。
左耳に揺れる派手なピアスがキラリと光った。

ルフィの顔を認めてにかりと笑い、片手を上げて奥に引っ込む。
「なあに、彼がトモダチ?」
「おうそうだ、河原でオヤジ狩ってた若造を一緒にボコったら、おっさんがオニギリくれたんだ」
「あー、つまりケンカ友達ね」
さすがにナミはルフィの理解が早い。




しばらくすると両手に山ほどのジョッキを軽々と持って、その男がやってきた。
「早速来たか、ありがとうよ」
手際よくジョッキを配り、注文表を片手にチェックしていく。
「とりあえずメニューの上から全部くれ」
「また豪勢だな」
「割引貰ったしな、それに今日はエースの祝いだ」
「なんだ、めでてえことでもあったのか」
話の成り行きに嫌な予感を感じて、サンジは慌ててルフィを引っ張り、男に向かって怒鳴る。
「いや、なんでもねえよ。注文取ったらあっち行けよ!」
「・・・んだとお?」
とても接客業とは思えない、凶悪な表情で睨み返す。
「こいつはエースっつって俺の兄貴だ!」
そんな雰囲気をものともせず、ルフィがエースの肩をバンバン叩く。
「エースに恋人ができたんだ。そいでお祝い!」
「はあ、そりゃおめでとうございます」
言って、ゾロと呼ばれた男はざっと視線を巡らせた。
高レベルな女が3人。
一体どれが恋人なのか―――

「んで、こっちがエースの恋人のサンジ」
「う、わああっ、このクソガキ!」
いきなり首根っこを引っ張られたサンジが、足だけ振り上げて器用にルフィを蹴り倒す。
それを呆然と見届けてから、ゾロははあ?と露骨に顔を顰めた。
「へえ・・・そりゃあまあ、おめでとう」
それがあからさまにバカにした口調だったので、元々短気なサンジがぶちんと切れる。
「なんっだその言い種はあ?それが客に対する態度かああ?」
「新妻がそんな乱暴な口きいちゃ、いけねえぞ」
「だ、れが新妻だ!上等だ、表へ出ろい!」
あわや乱闘といったところで、仲間が総出で間に入った。
「まあまあ、ごめんなあ、こいつ酔っ払ってて」
「もう、あなたもいいから早くあっち行ってよ」
ゾロは済ました顔でぺこりと頭を下げると、隣の席の空きグラスをまた山ほど抱えて厨房に戻っていった。



「くそ、なんだあいつバカにしやがって・・・」
「サンジ君も飲みすぎよ。ちょっと頭冷やしなさい」
「大体ルフィがいけねえんだぞ、時と場合を弁えろよ」
「なんでだ?めでてえじゃねえか。一緒に祝おうぜ」
顔を真っ赤にしてお絞りを握り締めているサンジに、エースは磯部揚げを摘まんで見せた。
「そーんなことで一々腹立ててちゃこの先付き合っていけないよ。はい、あーんv」
「・・・ざけるな!」
今度は鮮やかにコンカッセを決めて、サンジはエースを床に沈めることでなんとか溜飲を下げた。





気が付けば、エースと二人夜の住宅街を歩いていた。
居酒屋を出てからの記憶がない。
と言うか、居酒屋での記憶がすでにまばらだ。
酔いが回って覚束ない足取りだから、エースが手を引いてくれている。
ああ〜男同士で手なんか繋いで歩いちゃってるなあ・・・なんて自覚しながら、その手を振りほどけないくらい酔っているんだろう。
どこか客観的にそう思いながら、人気のない夜の道をゆっくりと歩く。

エースのでかい手が力強くぎゅっと握って強引でない振りで引っ張っている。
体温が高いのに汗ばんでなくて、不快感はなかった。
いつもの態度そのままに、頼もしい感じだ。


サンジは他人事のように繋がれた手を見詰めて、それから少し先を行くエースを見た。
鼻歌でも歌っているのか、緩く首を振りながら前だけを見て歩いている。
広い背中も、しゃんとした姿勢も、エースの生き方をそのまま表したみたいに真っ直ぐだ。

頭も性格も見目も良いエースは、いつだって堂々と生きている。
実力に裏づけされた自信に満ち溢れ、多少世間の常識からずれても後ろ暗く感じたりしないのだろう。
男の自分と付き合うと宣言することだって―――
サンジはエースの背中を眺めながら、素朴な疑問を感じていた。
エースはなんだって、オレみたいな野郎を好きになったんだろう。
好き、なんだよな。
押し倒してあんなことやこんなこと、するくらい好きなんだよな。
好きじゃないとできないよな、あんなこと。
思い出すと恥ずかしくて、繋いだ手から嫌な汗が湧き出そうだ。
無意識にぎゅっと握ってしまったのだろう。
エースがん?と振り向いて、目が合ってしまった。

「お、正気に戻った」
「ええっ、オレ正気じゃなかったの?」
思わず声を出すと、おかしそうにクスクス笑った。
「いんや、ただの酔っ払いだったよ。泣くわ絡むわ・・・」
「うそ、マジ?」
野郎共はともかく、ナミさんたちにそんな醜態を見せたとしたら大問題だ。
「だーいじょうぶ、全部俺が受け止めてあげたから」
にかっと笑って手を強く握り返して来る。
遠くの電灯がチカチカと瞬いて、そんなエースの顔を幻みたいに浮き上がらせた。


「・・・なんでだ?」
自然に、疑問が口を付いて出た。
「なにが?」
「エース、元々ゲイじゃねえだろ。なんで俺に手え出したんだよ」
サンジは手を繋いだまま立ち止まって、じっとエースを見た。
視界が少し傾いでいる。
今の俺は小首を傾げたみっともない酔っ払い。
ああ、気色悪いほど可愛くねえ・・・
なのに―――

「なんせサンジは可愛いからなあ」
臆面もなくそんなことを言って、肩を抱いてくる。
張り倒す気力もなくて、されるがままだ。
「エースってチャレンジャーだもんな。なんにでも興味を示して積極的で、器がでかくて・・・」
「人を物好きみたいに言うなよ」
苦笑して肩に両手を置いた。
何故か真剣な眼差しで正面から覗き込む。
「確かに俺はサンジに比べて少々無頓着なところはあるかもしれないけど、こういうのって理屈じゃないだろ」
「―――え」
息が掛かるほど間近で囁かれて、不覚にもどきりとする。
「いいなって思って好きだと自覚して、触れたいって思うのは、男も女も関係ねえじゃん」
いやそれ関係あるし・・・と思ったが口には出せなかった。
エースがそう言うと、なんとなくそんな気もする。

困惑顔のサンジに表情を崩して笑いかけると、エースはくしゃくしゃと乱暴に前髪を掻き混ぜた。
「サンジは根っから女の子大好きなノンケだから、理解できねーのかもしれないね」
「・・・って、エースやっぱゲイなのか?いや、バイか?」
「ん〜・・・っとに、短絡的だなあ」
ちょっとムッと来て口を尖らせるのに、エースはどこか嬉しそうに目を細めている。
「理屈抜きで好きって、まだサンジには理解できないのかもしれねえな。ちょっと寂しいけど・・・」
「んなことねえよ。俺の初恋は幼稚園の時だぞ、多分」
ああはいはいと適当に返事して、エースは手を繋いだまま、また歩き出した。
なんとなく追いかけるようにサンジの足も速くなる。

「俺が強引なのは自覚してるよ。身体から始まる恋もありだし」
「かっ・・・」
真っ赤になって絶句したサンジを引っ張って、塀の影になった暗い壁にその背を凭れさせた。
「俺は気が長い方だし、酔ってたとは言えちゃんと受け入れてくれたサンジは脈アリだと思ってる。俺って思い上がりすぎ?」
「う、いや・・・」
「すんげえ好きだよ。けどまた酔いにつけこむのも嫌なんだ」

ちょん、と唇の先に触れるだけのキスをされて、サンジは目をぱちくりさせている。
「だから、今夜はこれでおやすみ」
はっと気がつくと、自分のマンションのすぐ側だ。
「あ、え?送ってくれた・・・の?」
女の子じゃないんだから、カッコ悪い・・・と呟くサンジの頭をまたポンポンと軽く叩いて、エースはあっさり踵を返した。
「またね、おやすみ」
「あ、うん。おやすみ」


その後ろ姿が街灯の向こうに消えるまで見送ってから、壁に凭れたままほっと息をつく。
なぜか今頃ドキドキしてきた。
飲み過ぎたんだろうか。
それともこれは、さっきのキスの余波なんだろうか。
―――なんかまるで、恋人同士みてえ・・・
誰も人通りがないとはいえ往来でキスされて、しかも真っ赤になって立ち尽くすなんて恥ずかしすぎる。

サンジはようやく我に返って歩き出した。
まだ胸はとくとくと鳴っている。
もしかして、これが恋ってやつかもしれない。
だって、どうも・・・どう考えても、エースに愛されてる・・・気がする。
確かに、男だろうが女だろうが、誰かに大事に想われるって・・・いいなあ。
なんとなく気持ちが暖かくなって、サンジは一人でににやけてくる口元を意識的に引き締めながら、ふらつく足取りでマンションのオートロックを外した。













エースとサンジができちゃいました旋風はあっという間にキャンパス内を駆け抜けて、行ってしまった。
そりゃあもうあっさりと。
今や世間は講師の痴漢疑惑で盛り上がっている。

「人の噂も75日ってね」
「それで、交際の方は順調なんですか?」
まったくたわいのない世間話程度に話を振られて、はあまあと曖昧に答えた。
交際も何も、一週間前に電撃的にデキちゃって以来、エースとは特に進展はない。
今のところ、だ。
なぜなら今夜、またDVD見においでと誘われたから。

「デートとかしてないの?」
「あ〜うん・・・まあ、今日・・・と、か」
「あらそう、楽しんでらっしゃいよ」
「そういえば、この間コーザと行ったお店が美味しかったですよ。今度どうですか?」
ナチュラルに話を繋がれて、サンジも仕方なく合わせた。
内心、緊張でドキドキしてるなんてとても言えない。
あれからエースはアクションを起こしたりしてこなかったのだ。
実質今夜が愛の二日目になる可能性がある。
だからビビってるだなんて・・・

「どこかに出かけて食事?」
「いや〜・・・なんか、鍋食いたいとかで・・・」
「わあ、二人鍋っていいですよね。好きなもの入れて、向かい合わせでつつき合うのv」
「それができればいいわよ。私なんて、ヘタしたら一口も当たらないのよ〜」
ああ、やっぱりさらっと流された―――
かと言って相談に乗られても困るんだけど。





エースん家に向かう道すがら、商店街に寄った。
あれこれと食材を買い求め、ふと小さな間口の本屋に気付く。
―――ずっとシャッター閉まってたから、潰れたかと思ってた
店頭に並んだ奥様向けの情報誌に、『鍋ともう一品』なんて見出しがあった。
つい手が伸びて、パラパラとページをめくる。

サンジには奇妙な才能があって、料理レシピに関してのみは、一度読んで頭の中でシミュレートすれば大概それで覚えてしまう。
しかも忘れることはない。
他の教科や試験でその能力を発揮できれば最高だろうに、なぜだか料理に関してだけなのは残念だが、
便利なのは便利だ。

目当てのページを開いて頭の中で調理してみる。
パタパタと耳元で何かが鳴った。
構わず集中して読んでいると、あからさまに頭上から風圧がかかる。
「・・・んだよ」
振り返れば、真横に男が立ってハタキを振り回していた。
左耳の派手なピアスがきらりと光る。

「・・・あ、てめえっ」
「狭い間口の真ん中で立ち読みすんじゃねえ。せめて端に寄れ」
相変わらずえらそうだ。
今日は手拭いを被ってないからわからなかったが、えらく派手な緑の髪をしている。
「なんでてめえがこんなとこにいるんだよ」
「バイトだ」
ふだん着でエプロンもしてないから、ハタキを持ってなけりゃ客か冷やかしにしか見えない。
これみよがしに平積みの本の乱れを直されたりするから、サンジはむっとしながらもちょっと端に移動した。
無骨な手で、らしくないほどきっちり細かく隅を合わせる動作をちょっと珍しいものでも見るように眺めていたら、
男―――ゾロは不意に横を向いた。
店の戸口に立っていた中学生が反射的にびくっと身体を揺らす。
―――おいおい、モロバレだって
シラを切り通す度胸もないなら、万引きなんて止めればいいのにと思う。
どうせ、たいして欲しくもない本だろう。
中学生はこっちに視線をよこさないで、モジモジ手を握ったり擦ったりしてから、鞄と制服の間に挟んでいた文庫をぽいと週刊誌の上に落とした。
そのままぎこちなく前だけ向いて足早に立ち去っていく。

「ああいうの、警察に突き出してやんねえと、治らねえんじゃねえの?」
“万引きは犯罪です”と壁や柱に貼ってある。
「させたくねえから俺みたいなの雇って、ない金払ってんだろうが」
ああそう言えば、前はしょぼくれた爺さんが一人で店番してたっけか。
あれじゃあ盗られ放題だったろうなあ。

「ほんとにてめえ、ここでバイトしてんだ。居酒屋のは?」
「あれは夜。こっちは夕方」
面倒そうに返事して、中学生が置いていった文庫を棚に戻している。
小さな本屋ながら、何故か雑然とした印象を与えないのは、棚も平台のも妙に角が合ってるからだ。
こいつもしかして、物凄く几帳面なタイプなのか?

「んで、てめえそれを買うのか買わねえのか?」
まだ週刊誌を持ったままのサンジに振り返り、ぎろりと目で凄まれた。
こいつ性格はともかく、客商売には絶対向かないタイプだ。
「うっせえな、選ぶ権利くらいあるだろうが」
言い返して、自分が持っているのが女性用雑誌だと気付いた。
ゾロは、なにやらバカにしたような目で見ている。
「あっ、てめえ・・なんか誤解してんじゃねえだろうな」
「は?誤解って、なにが?」
言い方が癪に障る。
なんだその軽い発音は。
「俺が見てんのは料理レシピの方だ。俺は元々料理が趣味で・・・勿論、家庭料理とかじゃねえぞ。
 本格料理の方だぞ」
なんでか必死に言い訳しているようだ。
大体家庭料理じゃないって、持ってる雑誌がおもいきり家庭向きじゃねえか。
内心でセルフ突込みしてるだけなのに、ゾロは何がおかしいのかニヤニヤ笑っている。
その顔がまたむかつく。

「・・・てめえ、やっぱり誤解している・・・」
「だから、なにが」
「お前、俺のことオカマか何かだと、思ってるんだろう!」
ビシっと正面から指を指してやった。
怯むかと思いきや、鼻でふんと笑われる。
「違うのか?」
「だ―――っ! 違うに決まってんだろがっ、てめえどこに目えつけてやがる。この漢前な俺様のどこがオカマだっ!」
「野郎の恋人がいんだろが」
「うわあああ、口に出して言うなってんだっ」
サンジの腕に、ぶつぶつと瞬時に浮き出た鳥肌を見て、ゾロはますます怪訝な顔をした。
「・・・お前、変なヤツだな」
「なにがだ」
「ルフィの兄貴と付き合ってんのはホントだろうに、なんで嫌がんだ?それもポーズとかじゃねえ、お前
 本気でヤなんだろ」
当たり前だ。
なんだって男と付き合ってるなんて、口に出して言われなきゃならないんだ。
サンジがふうふうと鼻息を荒くしながら頷くと、ゾロはむっとしたように眉を顰めた。
「嫌なのになんで付き合うんだ。お前、ルフィの兄貴のこと、好きじゃねえんだろう」
「・・・なっ!」
虚を突かれて、思わず絶句した。
「好きでもねえのに、なんで付き合うんだ」
「な、ばっ・・・好きに決まってんだろーが!」
うっかり大声で言い返していた。
「はあ?好きなのか?」
「おおう、あったりめーよ。好きじゃなきゃなんであんなこと―――」
言い掛けてから、ぼっと顔に火が付いた。
しまった、つい勢いで言い返して何を口走ろうとしてるのか・・・
「へ〜・・・どんなこと」
ゾロはえらそうに腕組みして目を細めている。
「だ、ど・・・んなことだって関係ねえだろうが!さっさと勘定しろい」
手にしていた雑誌を突き出すと、ゾロは『ありがとうございまーす』と抑揚のない声で受け取って、番台みたいな勘定場でレジを打った。

「ありがとうございました。またどうぞ」
畏まって頭を下げて見せるのがまた癪だ。
「うっせえ、二度と来っかボケえ」
ゾロが顔を上げた。
すました表情で、口元だけ微妙に歪んでいるのは笑いを堪えているせいか。

サンジはなんだか恥ずかしいような腹が立つような複雑な気持ちになって、そこから逃げるように立ち去った。
エースの家に向かうのが、さらに憂鬱になった。



「いらっしゃーい、待ってたよ」

チャイムと同時に扉が開き、笑顔全開のエースに出迎えられて、サンジは何故かほっとした。
今までどうしようか、行くの止めようかなんて逡巡していた気分が吹っ飛ぶような歓迎ぶりだ。
「見てよ、こないだよりちょっとは片付いてるっしょ」
勝手知ったるで靴を脱ぎ、部屋に上がる。
エースはサンジの両手に提げた買い物袋をすかさず受け取って、キッチンに入った。

「片付いたって、まあ・・・前の時も散らかってた訳じゃねえだろ」
エースの部屋には、なんだかわからないものがゴチャゴチャと置いてある。
けれどそれらは一応整然と並べられているので雑多な感じはしないが、それとはまた別に使用頻度の高いものが手の届く範囲に配置されているのが特徴だ。
なぜこれがこの位置に?なんて場所にぽつんと置いてあるものも少なくない。
故に部屋の中はいつも雑然としている。
散らかし放題な汚い部屋じゃない、おもちゃ箱みたいにエース同様飽きない部屋だ。

「一応、片付けたって意思は汲みとれるぞ。皿が同じ種類で積み上げられてる」
エースの食器棚の中は、通常朝・昼・そして夕食用の食器ごとに分けられて納められていた。
それが今夜は同じ大きさのもの同士まとめて片付けられている。
この食器棚の前でちまちま皿を並べ替えたのかと想像すると、おかしくなった。
エースの部屋は、法則性はあるが合理的ではない。
それがエースらしいとも思うし、妙に居心地のいい場所でもある。

ふと、あのゾロとか言う男の部屋はどうだろうかと考えた。
本屋での整理の仕方を思えば、恐ろしくきっちりと片付けられた几帳面な部屋かもしれない。
それとも、粗野な外見通りの乱雑で男臭い部屋なのか。
そんなことを一瞬でも考えた自分に驚いて慌てて首を振り、エースを振り返った。
「鍋の具買って来たけど、ベースは何がいい?」
「サンちゃんが作るものならなんでも。調味料は揃ってるよ」
「そうだな・・・たれの種類いくつか作って、あれこれ楽しむか」
エースの家は調理器具も調味料も豊富だ。
自身が自炊生活で玄人はだしなのもあるだろうし、なんにでも興味を持って手を出す姿勢が窺われる。
―――ゲテモノ食いの資質もあるな
我が身になぞらえて自嘲気味に笑った。




エースと並んでキッチンに立ち、食卓を整えた。
調理の主導はサンジだが、かゆいところに手が届くかのようにエースは先回りして用事をこなしてくれる。
それが適度なタイミングで、押し付けがましさもないから鬱陶しく感じない。
友人だけでなく、一緒に働く同僚としても、エースのようなタイプは重宝されるだろう。

「もう就職、決まってんだっけ?」
「ああ、残り少ないキャンパスライフを、サンちゃんで彩られて嬉しいよ」
「・・・全然華やかじゃないぞ、それ」
エースがサラリーマンだなんてちょっと想像つかないけれど、なんでもソツなくこなすから、どこにいたってすぐ馴染むだろう。
営業とかでバリバリやって、どんどん出世するかもしれない。
なんでもエースに任せれば大丈夫って安心感があって、それは多分キャリアや年齢だけじゃない天然のものだ。

「もう、エースは自分の道決めてんだもんなあ」
台詞と一緒についため息が出てしまった。
「サンジはまだ焦らなくてもいいじゃねえか。それに・・・」
紙袋の中から奥様雑誌を見つけて、吹き出した。
「なんだ、どうしたんだこれ?サンジが料理雑誌買うなんて珍しい」
「それはちょっと・・・成り行きで・・・」
「料理以外に見たい記事があったとかか?そういやこれはすげえ才能だよな。レシピがすぐ頭に入るっての。その道に進めばいいのに」
「その道って料理か?それなら最初から大学行かずに専門学校に入ってるよ。俺のは頭ばっかで実地がこなせてねえもん。本気で目指すなら、また一から勉強し直しだろ」
「勉強っつうか、修行っつうか?」
「そんなんかったるくてやってらんねえよ。それより堅実に、そろそろ会社めぐりくらい始めようっかな」
「サンジ、料理のセンスもいいのにな。勿体ない」
小気味よく包丁を鳴らしながら、サンジはそりゃどうもと口先だけで応える。
「俺にとって料理はあくまで趣味の範疇だな。大体昔から人にモノを習うのって、苦手なんだよ。講釈垂れてんの
 見ると苛々するし。独学でやってきたのも、結構なんでも上手く行くしさ。けど、だから中途半端?これってもしかして器用貧乏ってヤツ?」
「あーわかるわかる。俺もそのケあるから」
エースはグラスを並べながら大袈裟に頷く。
「たいして苦労しなくても、勘だけである程度できちゃうとね、こっちも甘く見ちゃうしやり遂げた達成感もない。すべてが中途半端になるんだよ。好きなことのはずなのに、これが結構続かない」
「あ、やっぱり?」
「そういう半端さが、自分じゃちょっと嫌なんだなあ」
サンジはエースに向き直り、がしっと手を握りたくなった。
まさしく自分がそれだ。
同じ境遇の者同士、わかりあえる気がする・・・が―――
「エースは全般に、だよな。オールマイティーだもの。俺は料理だけだよ」
「それが取り柄ならたいしたもんさ。贅沢言うな」
エースが冷蔵庫を開けてにやりと笑う。
「今日のデザートは薔薇亭の限定スイーツ『秋の彩り』だぜ」
「えっ、すげえ!手に入ったのか?」
「おうよ、並んだよ俺は」
すんげえと、条件反射で抱きつきそうになった。
伸ばした両手を宙に浮かして、サンジはこほんと咳払いする。
「それにしても、エースってほんとにマメだよな。その労力をなんで俺なんかに使うかね」
「そりゃ、愛しい恋人のためならどんな労苦も惜しまないさあ」
さらっと笑顔で返すエースを、サンジはどこか客観的に見てしまう。
自分の言い方は、どこか一線引いて、しかも卑屈だ。
それをむっとした顔を見せないで軽くいなすところが、感心する部分でもあり癪でもある。




目当てのDVDのほかに、エースは秘蔵モノまで2本用意していた。
サンジが好きなグラビアアイドルの本番モノだ。
無邪気に飛び付き掛けたが、エースと二人で見る場面を想像したら、あまりの気まずさに腰が引けた。
絶対、自分の意識は違う方向に向いて純粋に楽しめないに違いない。
「や・・・やっぱ、いいわ俺」
DVDをセットしようと浮かしていた腰を下ろして、エースは改めてサンジの顔を見、俄かに爆笑した。
「いや〜参った参った。ほんと参った、サンちゃん・・・可愛すぎっ」
涙まで流して笑い転げるから、どこか切れでもしたのかと心配になった。
「だってねえ、この部屋入ってからこっち、なんてーの?緊張しっぱなしってのが、もうヒシヒシと伝わってくる訳。
 ああ、意識してるな〜って」
「オレは別に、そんなこと」
ねえぞ、と言い切れなかった。
自分でもわかるほど頬が熱い。
「なんか警戒する猫みたいに毛逆立てちゃってさ。あ、別にほんとに毛が逆立ってる訳じゃないから。ともかくサンジはすぐ顔に出るから、つい俺もからかっちゃったんだよね。ごめん」
・・・そんなにモロバレだったのか?
赤面して不貞腐れたサンジの肩を抱き、エースは自分の胸に抱き寄せた。
「こんな風にドキドキしたり、サンジのすることなすことが気になるって、ほんと俺には新鮮なんだ。なあ、俺だって緊張してんだぜ」
言って、自分の胸の鼓動を聞かせるように抱き締める手に力を込めた。
とくとくと、規則正しい脈が伝わる。
「なんせサンジが素面で目の前にいるしなあ。それでいて、俺がちょっと後ろ通るだけで肩いからせたり、腕に力入れてたりしてさ、そんなに警戒してんのかと思うと、俺も捨てたモンじゃねえなって。ほんとにもう、大好きだよ」
胸に抱いたまま、覗き込むようにしてキスをした。
ちょんと触れてすぐに離れる。
けれど間近でじっと瞳を見据えられて、まともに見返すのが何故か怖かった。
エースの瞼と眉毛の間辺りに焦点を合わせて、困惑したまま何も言えないでいる。
「緊張したサンジをからかうのも面白いんだけど、やっぱりもっと、ちゃんとしよう」
安心させるように和やかに微笑んで、今度は深く唇を合わせてきた。



エースの愛撫は彼らしく丁寧で巧みだ。
男に抱かれるなんて初めての経験なのに、容易く快楽を引き出される。
女性と交わすSEXとは違う、受身の行為。
けれど案外これが楽で気持ちよくて、ついつい素直に反応してしまった。
―――もしかして俺って、こっちのが性に合ってるのか?
己を疑いたくなるほどに、エースの愛撫は肌に合った。
決して無理をせず、けれど確実に快感のツボを抑えてくれて、気がつけば誰のものかと驚くくらい甘い声が自分の喉から漏れていた。
けれどそれが抑えられない。
声を絞って啼くことでしか、この表現しようのない辛いほどの快感を逃がす手立てがないのだ。

「んあ、エース・・・」
見てビビるほどのエースの砲身を内部に納めながら、それでも気持ちがいいだなんて、俺の身体は狂ってる。
きっとエースに狂わされた。
こんな風に雄を受け入れて啼いてよがるだなんて、本意ではないのに気持ちよくて堪らない。

「サンジ、愛してる」
エースが慎重に腰を揺らめかし、イイところを突いてきた。
たった二度目の男とのSEXで、こんなに感じてしまっていいのだろうか。
俺には素質があったのか?
頭のどこかで冷静にそう突っ込む自分を感じながら、サンジはエースの名を呼び続けるしかできなかった。











口に咥えたままの煙草から灰が落ちる寸前、灰皿が差し出された。
慌てて指に挟み、もう随分短くなっていたことに気付く。
相当ぼんやりしていたな。
サンジは髪を掻き上げて、気だるそうに揉み潰した。
視線を上げれば、シャワーを終えたエースがこちらに背を向けて髪を拭いている。
綺麗に筋肉のついた広い背中。
自分だってそれなりにいい身体をしているはずだが、いかんせん色が白くてあんな風に男らしくは映えない。

―――かっこいいなあ
シーツに頬をつけて、くったりと身体を横たえる。
自分がぼうっとしている間に、エースはゴムを外して身体も拭いてくれて、すべて始末してくれたようだ。
肌触りのいい毛布に包まれて、このまま心地良く眠ってしまいそう。
うとうとしかけたサンジの頬に、エースがちょん唇をつけてきた。
「・・・?」
寝ぼけ眼でもぞもぞと身体を動かし移動しようとしたら、肩に手を置かれた。
「退かなくていいよ。俺はソファで寝るから」
「ん、でも・・・」
「いいからおやすみ」
さすがに、ベッド1つに大の男2人はきついだろう。
けれどここはエースの部屋だ。
遠慮するなら俺の方なのに。
まだぼうっとしているサンジの視界の隅で、エースはソファを畳み直して簡易ベッドにするとそこにごろりと転がった。

テーブルの上には飲みかけのグラスと封を開けたワイン。
汚れた皿もそのままに、とろとろと頭の芯が蕩けて、心地良い眠りへと誘われる。
エースの側もエースの部屋も、居心地いいよなあ・・・
適度な疲労感に包まれながら、サンジはいつの間にか眠りに落ちた。




next