Gossamer  -1-



帰らずの森と言う
一度足を踏み入れた者は、二度と帰って来ないと言われる魔の森




「そんなとこに好んで足を踏み入れるのは、力自慢の馬鹿かトラブル好きの愚か者よ、お宝がある訳じゃあるまいし・・・」
そうばっさり切って除けたナミの隣で船長はグルグル巻きにされていた。
「冒険―、冒険がオレを呼んでる―――っ」
「馬鹿言ってんじゃないの!どうせこの島のログは半日で溜まるんだから、ちょっと大人しくしてなさい!もう面倒ごとを持ち込まないで!」
「ナミさ〜んv買い出し終わったよ」
「ご苦労様、町が近いから楽に行けたみたいね」
「こじんまりしててあんまり選択の余地がなかったからなあ。町まで一本道だし、辺鄙な田舎だから海軍の姿も手配書もねえし・・・」
「おどろおどろしい伝説の森があっても、滞在時間が半日じゃあ、旅人が森に呑まれるって話もあまりないみたいね」
「んじゃ、そろそろ出発しましょうか」

運び終えた荷物を収納し、出航の準備を始めたところでナミはふと手を止めた。
「・・・ところで、ゾロは?」
「さっき町ん中ぶらついてみるって、言ってたぞ」
「町では見かけなかったぞ」
「・・・」

まーた迷ってんじゃないの?なんて軽口は誰も叩かなかった。
それが真実だと気付いているから。

「ったくもー!!しょうがないわね。じゃんけ〜ん」
ポン!っといきなりの掛け声にもルフィ以外全員反応して、迷子捕獲係が決定した。








「ったく・・・手間掛けさせやがって―――」

昼なお暗い森の中をサンジはぼやきながらブラブラと歩いた。
途中立ち止まり、煙草に火を点ける。
マッチの灯りで一瞬周りが照らし出されるほど、暗い森だ。
「マリモじゃなくても、迷い込んだら出られなくなりそうな森だよな」
暗いし静かだし、同じような木が鬱蒼と生い茂って、獣道が縦横無尽についている。
遭難者があちこち歩き回った果てについたシロモノか、それともケモノがたくさん住んでいるのか。
「それにしちゃあ、動物の気配がないんだよな」
独り言でも呟かなければやってられない不気味さだ。
別に怖いとは思わないが、賑やかな場所で育って来たサンジにとって暗闇と静寂にはあまりいい思い出がない。

「おーい、迷子腹巻。怒らないから出ておいで〜」
ほーほーと鳥でも呼ぶみたいに声を上げた。
「泣きべそかいて寝てんじゃねえだろうなあ。お家はこっちだぞー」
茶化した声も木々の合間に吸い込まれるみたいに消えて行く。
しん、と音までしそうでサンジは舌打ちした。
「ったく、ガキじゃねえんだから、遅れりゃ泳いで追っ掛けてくんだろう。馬鹿馬鹿しい」
探索を早々に諦めて、くるりと踵を返した。
が、目の前に広がる光景はさっきまで目にしていたものとまったく同じだ。
「?」
くるんと振り返り、左右も見比べる。
うわあ、全部同じ風景に見える。
―――もしかして、俺も迷子?

状況としては最悪だ。
まだ日は高いはずなのに、足元は影ばかりで方向も確認できない。
風が吹かないから木々もざわめかず、匂いも淀んでいるようだ。
「まいったな」
目印にとポキポキ折って来た小枝が、ぐるりと一周していた。
踏み込む時点でどうやら方向を誤ったようだ。

「くそー、みっともねえ」
同じ場所を通っていたと気付かなかったのは失態だった。
それにしても、森の入り口からこれほど遠ざかるくらい歩いてきただろうか。
ナミから借りた磁石を懐から出して眺める。
針が上を向いたきりクルクルと回っている。
「磁場が狂ってやがる」
サンジは諦めてまたタバコを取り出した。

火を点けようとして、ふと気配を感じて顔を上げる。
木立の向こうに、ひっそりと女が立っていた。




白い肌に黒く長い髪。
無地の布を身体に巻きつけるような服を着ている。
切れ長の目がどきりとするほど艶っぽく、かえって寒気を感じるほどの美貌だ。

「お、嬢さん!こんなところにお一人で!」
実際にはお嬢さんと呼べるほど幼い年齢には見えない。
かといって老けているわけでもない、年齢不詳の美女。
女は目元だけで笑った。
「私、この森に迷い込んでしまいましたの」
落ち着いた声だ。
状況と声音と仕種の伴わない、ちぐはぐな雰囲気の中にあってサンジは自分のペースを取り戻せないまま女の元に駆け寄る。

「大丈夫、僕が側にいればもう安心です。この森にも感謝しなければ、こうして貴女と運命的な出会いができたーっ」
それでも目をハートにしてくるくる舞うサンジに、女は嬉しげに目を細める。
「私も貴方とお会い出来てよかった。頼もしいわ」
そう言ってサンジにしな垂れかかってくる。
むはーと鼻息を荒くついて、サンジはおずおずとか細い背中に手を回した。
「大丈夫、僕が必ず貴女を家に連れ帰ってあげます」
女の肌はひんやりと冷たく、透き通るように白い。






迷子のマリモのことなどすっかり忘れて、サンジは女と連れ立って森の中を歩いた。
迷ったと言っておきながら、女の足はまるで目的があるかのように早い。
「いけませんよレディ、迷った時に無闇に歩いては」
「ええ、でもこちらで水音を聞いた気がしたものですから」
などと言ってサンジの手を繋いだままぐいぐい引っ張るように森の奥深くへと進む。

さすがのサンジも、目の前の女が常人ではないことは気付いていた。
がしかし、ここがサンジの弱いところで、いくら得体の知れない相手と思っても、女の形をしていると
無下にできない。

―――まあいざとなったら当て身をして逃げればいい。
他に仲間がいる気配はないし、女性の細腕で自分に何ができるかと言う油断もあった。


「水音は、聞こえませんよレディ・・・」
そう言って立ち止まりかけた時、不意に自分の手首に何かが絡み付く感触があって前を向いた。
女の姿がない。
驚く間もなく身体が引っ張られた。
まるで他人のもののように、手足が意図せぬ方向へとたぐり寄せられる。

「なにっ」
肌にねとっとした感触が残る。
よく見れば透明に近い細い糸が、無数に手首やスーツの袖に絡み付いている。
「うわっ」
気色悪くて振り払おうともがくのに、がっちり絡まって動かすことさえできない。
しゅるしゅると音がなり、気付けば両脚にもそれぞれ糸が伸ばされ、まるで大の字のように中空に貼り付けられた。

「レ、レディ?!」
いつの間に現れたか、先程消えたと思った場所に女が立っている。
至極満足そうに笑みを浮かべて。



「ふふふ、嬉しい。綺麗な蝶がかかったわ」
「へ?」
「綺麗なきんいろ。私、綺麗なもの大好き」
レディの美しさには敵いませんよう〜と言いかけて気を引き締める。
そんな戯れを言っている場合じゃない。
明らかに自分は捕まってしまった。
「レディ、冗談はやめて助けてください。一緒に森を出ましょう」
「いやよ、せっかく捕まえたのに」
しゅるりと、女の長い服の袖から透明な糸が新たに伸び出た。
「レディ、もしかして―――」
「ふふ、私の獲物v ゆっくり味わって食べたいとこだけど・・・」
くすりと口元を抑えて忍び笑いを漏らす。

「駄目なの、貴方を最初に望んだのはこの人だから、約束は守らないと・・・」
女がすっと滑るように身を引いた。
その後ろに、最初の目的であったはずの迷子のマリモ剣士がいた。




「なにしてやがんだ、この迷子マリモ!」
サンジは両手を投げ出した状態で叫んだ。
思わぬ美女に出会って当初の目的を失念してはいたが、確かこいつを探すために森に入ったはずだ。
「この野郎、迷子にかこつけて、こーんな薄暗い森でレディにコナかけようとしてやがったな?
 ったく、とんでもねえ!っつうか、何そんなとこでぼさっとしてやがる。さっさと降ろせ!」
サンジが顔を真っ赤にして怒鳴っても、ゾロは涼しい顔で腕組みをしたままだ。
身動きできない姿を面白そうに眺めているようにも見える。
「てめ、ざけんな!なんか言え!」
焦れて足を振り上げようとしたがそれもできなかった。
まさに雁字搦め。
手も足も出ない。

「暴れても無駄よ、余計ひっついちゃうわ」
女の白い指がつい、とサンジの頬を撫でた。
途端、吊り上がっていた眦がだらんと垂れる。
「ああ〜、放してくださいよレディ。俺は貴女から逃げたりしませんから〜」
「ふふ、可愛い」
女はちらりと後方のゾロに視線を流した。
「ね、ちょっと舐めてもいい?」
ゾロは無言のまま、僅かに顎を縦に振る。
これにはサンジがカチンと切れた。
「なーにえらそうに許可してやがんだ!てめえ、何様だあ?」
激昂するサンジを宥めるように、女がその髪を梳く。
殆ど条件反射でサンジはまたふにゃふにゃと相好を崩した。
「そんなあ、な、舐めるだなんて〜vどうせなら、こんな汗臭い筋肉ダルマの見てる前じゃなくて、どこか二人で・・・」
サンジの口元が、笑いの形のまま固まり引き攣る。
目の前のたおやかな美女の口がぱかりと裂けた。
涼やかな目元も不自然に縮んだと思ったら、分裂して8つに増える。

「ん、わ――――っ!」
あんまり驚いて、辺り憚らぬ悲鳴を揚げてしまった。
その合間にも、かつて美女だったはずの顔は変形し、巨大な牙がサンジの眼前へと迫る。
「何が舐めるだ、溶かしてんじゃねーぞ。止めろ」
ゾロの声に近付く動きはぴたりと止まった。
するすると造作が元に戻り数秒も立たない内に、目の覚めるような美女が目の前で微笑んでいる。

「あら残念、美味しそうなのに」
サンジは溜め込んでいた息を、思い出したように吐き出した。
絡め取られていなければこの場で崩れ落ちてしまいそうなほどダメージがでかい。
「ごめんなさいね。私みたいな化け物、怖いわよね。嫌よね」
女は辛そうに顔を歪め、鼻を鳴らした。
サンジがはっと我に返る。
「と、とんでもない!何か事情がおありなんでしょう。嫌うなんて、そんなことありえません!」
先程のビビりもなんのその。
すぐさま復活したサンジに、女一瞬ぽかんとした顔をした。
それから口元を袂で隠してけらけらと笑い出す。

「まああ、聞きしに勝るね。なんて凄い人。私こういう人、嫌いじゃないわ」
そう言ってゾロを振り返る。
「美味しそうだけど絶対食べない。けどずっと手元に置いておきたいかも」
「ごたくはいいから、さっさと去れ」
「うふん、残念」
女はくるりと踵を返すと、木立の中へ真っ直ぐに歩いた。
ゾロも当たり前のようにそれについていく。
「ちょ、ちょっと待てコラ!てめえ俺を放しやがれ、つうか、置いていくなよ!二人で何シケ込む気なんだあああっ!」
サンジが喚く声を無視して、ほどなく二人の姿は森に消えた。



「・・・嘘、だろ?」
一人取り残されて、馬鹿みたいに中空で万歳して立ち竦んでいる。
あのレディが只者でないことは確かだが、ゾロは取り込まれてしまったのだろうか。
態度も目付きも普段と変わりなく見えたし、操られているとは考えにくい。
がしかし、仮にも同じ船に乗る仲間が窮地に陥っていると言うのに、それを見捨てるとはどういうことか。
しかもあの二人の雰囲気から察するに、こうなることを予め示し合わせていたような印象を受ける。

「そりゃあ、仲がいいとは言えないけどよ・・・」
同じ船に乗り合わせているというだけで、実際は顔を付き合わせればケンカばかりだ。
本気の殴り合い、蹴り合いだってしょっちゅう仕掛ける。
お互い身体が頑丈なものだから、手加減なしでやりあえるのは結構楽しかったりするのだが・・・
いや待て、楽しいってなんだよ。
内心一人突っ込みでサンジは項垂れた。
何かってえと憎まれ口ばっか叩いてっけど、案外あいつとの付き合いは楽しかったんだがなあ。
そう思っていたのは自分だけだったんだろう。
口うるさく疎ましい奴だと嫌われていたに違いない。
そうでなければ、こんな得体の知れない森の中で、自由を失くし拘束されたままの仲間を見捨てたりなど
するものいか。
厄介払いができたと思っているのかもしれない。
「・・・そんなに、嫌われたかな、俺」
例えば、これがルフィだったら、一も二もなく助けるはずだ。
いやルフィだけじゃない、ウソップだってチョッパーだって、誰だってなんの躊躇いもなくすぐに助け出す。
多分、自分だけが特別で―――
そこまで考えて、ぶんぶんと頭を振った。
助け出すってなんだよ。
別に俺あ、あんな緑カビに助けて欲しいなんて思っちゃいねえぞ。

ただ、こんな状態で置いてけぼりはあんまりだと思っただけだ。
そう、何と言うか常識に反する。
「クソ天然マリモめ、覚えてろよ。帰って来たら飯抜きだ!」
んでもってしばらく口も利いてやらない。
徹底無視を決め込んで、腹が減ろうが喉が乾こうが放っとくのだ。
無論キッチンの酒は一滴たりとも飲ませねえ。
「餓えて渇いて俺の積年の恨みを知れえええ」
別に積年の恨みなどないが、こうなったら憎しみ倍増だ。
元より、性格の合わないいけすかない奴だったから、大嫌い人間bPとしてばっさりと人生から切り捨ててやる。
よくわからない決意を胸に、サンジは吊られた格好で思う限りの呪詛を呟いていた。
闘うしか能のない役立たずめ。
お前なんか酒の変わりに海の水飲んで干乾びてみればいいんだ。
緑ハゲ、筋肉脳ミソ、寝くたれネギ坊主、酒漬け腐乱マリモ・・・
言ってる内に虚しさが込み上げて来た。
どんなに悪態を吐いたって、ゾロがここに再び帰ってくる保証なんてない。
ゾロなんてあてにしないで自力で脱出すべきだろうが、いかんせんまったく身動きが取れなくて完全にお手上げ状態だ。

「―――助けを待つしか、ねえか」
サンジは力を抜いて自分を縛る糸に寄りかかった。
相当強いのだろう、程よい弾力を持って、受け止められて案外気持ちいい。
ここらで一服したい所だが、なんせ手が自由に動かせないから胸ポケットを探ることすらできない。

あ〜・・・間抜けだ・・・
こんな姿をクルーに発見されるのも嫌だが、仕方ないだろう。
それにしても、腹が立つのは見捨てたゾロだ。



また沸々と腹の底から怒りが湧いてくるのに、ふと空気が変わった気がして顔を上げた。
森がざわめいている。
ざあっと風が吹き上がり、それに釣られるように空を見上げた。
揺れる木々の間から、青い空が垣間見える。
午後の日差しを浴びて、何か小さなものがいくつも、キラキラと輝きながら放射状に跳んでいくのが見えた。

「なんだ?」
やがて風は止み、もとの静寂が訪れた。
しんと静まり返る森の奥から、枯葉や小枝を踏み締める音が聞こえる。
「クソ剣士・・・」
いくらそりが合わなくとも、誰の足音かくらい判別はつく。
どう詰ってやろうかと頭を巡らせてはみたが、正直ほっとしたのも否めない。
ゾロはさっきと同じように無表情な顔付きで近付いて来た。




一人なのを訝しんで、文句より先に疑問が口をついて出る。
「おい、あのレディはどうしたんだ?」
一戦交えたにしては時間が早い。
この早漏野郎とからかうべきか?

「あの女はもういねえ。死んだ」
「―――!んだとお?!」
サンジは目を剥いて怒鳴った。
さっきまでここで、妖艶に笑っていたあの美女が死んだだと?
まさか―――
「てめえ・・・」
ゾロに向けた疑いをすぐに頭の中で払拭する。
いくら化け物でもゾロは女を殺さないだろうと思い込むのは甘いだろうが、あながち間違いではないはずだ。
先程のやりとりもどこか親しげだったし、第一ゾロからは血の匂いがしない。
しかし、ならなぜ?

「ともかく、俺をこっから放せ」
助けろよ、とは口惜しくて言えなかった。
これで懇願しろとか意地の悪いことを言うなら、また自分は反発しててめえになんか助けて欲しくないと喚くだろう。
だがなぜこんなことになったのか。
およそゾロらしくないことだ。
何かがおかしい。
ゾロは腕組みをしたままサンジを値踏みするように見詰めている。
ひどく不気味で、不愉快だ。

「お前、何考えてんだ」
言葉くらい通じてるはずだ。
ケンカばかりの間柄でも、こんな陰険な雰囲気になるはずはなかった。
「何とか言えよ。てめえ、ほんとにどうしたんだよ」
情けなくなってきた。
ゾロが見知らぬ他人に思える。
「なんか、悪いものでも食ったのか?」
サンジの言葉に、ゾロは一旦目を伏せて盛大に息を吐いた。
もの凄く深いため息だ。
「俺は・・・」
ゾロが俯いたまま唸るように声を出す。
肩が細かく震えていて、まるで嘆いているかのようだ。
いやまさか、ゾロが泣くなんてことはあり得ないんだろうけど・・・
怪訝な顔で不自由に首を傾けて覗き込もうとするサンジに、ゾロは不意に顔を上げ鬼のような形相で睨み付けた。
「てめえにとことん呆れかえった。この、ド!阿呆がっ!」
何故かは知らないが、ゾロは猛烈に怒っている。




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