ごめん。 -2-



―――なんだありゃ
ギャラリー以上にサンジの反応を楽しんでいたのは、実はゾロだった。
ロビンに言われ渋々とは言え、試しに“言葉”を口にして以降、サンジのストレートすぎるリアクションが楽しくて仕方がない。
礼を言えば耳まで真っ赤にしてうろたえるし、詫びればなんだか悔しそうに歯噛みしている。
実に素直じゃない。
素直じゃないのに、どう思っているかがモロバレでわかりやすい。

喧嘩ばかりしていた頃は、正直サンジはゾロにとって正体不明の生物だった。
何を考えて何にイラついているかさっぱりわからなかいし、なんで口うるさく世話ばかり焼いてくるのかも理解できない。
そもそも育ち方も習性も価値観も嗜好も違ったから、よほど馬が合わない相手だと諦めてもいたのだ。
だから顔を見れば憎まれ口を叩き、いらぬ一言がムカつきの元だとばかりだと思っていたものを―――
ロビンが言う礼節を守るためによくよくサンジの動きを見ていれば、実に勤勉な毎日を送っていることに気付いた。
毎食当たり前のように用意される食事。
いつ如何なる時も上等で美味でありながら、細やかな配慮を加えられクルー達に供されていることも。
規則正しい生活から逸脱しがちな自分が食いはぐれないように、わざわざ起こしに足を運んでくることも、好みの味付けを覚えていてくれることも、鍛錬に適したジュースを特別に造ってくれることも、見張りの夜には必ず夜食を用意してくれることも。
それらすべてが仲間に対して公平に行われていることに驚嘆し、そうわかっていてもやはり自分に対する行為には感謝が沸き起こると同時に嬉しさもこみ上げてくる。
ありがとうの言葉はいつしか、ロビンに言われたからではなくゾロの内面から湧き出るようになっていった。

けれどその度、サンジは赤くなったり呆けたり不機嫌そうに顔を歪めたりしてまともに返事をすることができない。
その表情がまた可愛らしくて、こちらとしては素直な感情表現以上の楽しみになってしまったりもしている。
――――いや、可愛いって何だよ


「なによゾロ、一人で笑って気持ち悪いわね」
ナミにずけずけと突っ込まれ、ゾロは知らぬ間に笑っていたのかと頬を擦った。
「ゾロさん、楽しんでらっしゃるでしょう。サンジさんの反応を見て」
やはり、これもバレているのか。
「あんだけ素直じゃねえと、却って面白えじゃねえか」
ストレートにそう言うと、みんなうひゃあと笑い出した。
「やっぱりね」
「見てる分には面白いけどな」
どこまでも他人事なのか暢気な反応だが、ゾロとしては別に腹も立たない。
「まあ、喧嘩腰でモノを破壊していた頃に比べたら随分と平和になったわ」
「売り言葉に買い言葉って、ほんとだよな」
「でもサンジ君は、このままでは済みそうにないわね」
少し気の毒そうに笑うロビンの隣で、ナミが意味ありげにゾロへと視線を移した。
「ゾロ、あんた小さい頃は好きな子を虐めてたタイプじゃないの?」
「ああ?なんでだ」
「だってすごく楽しそうなんだもの」
んな訳あるかと言いかけて、ふと動きを止める。
特に小さい頃にそうだったという覚えはない。
と言うか、小さい頃に好きな子なんていなかったからだ。
だがしかし、もしかすると。
「・・・確かに、楽しいかもしれねえ」
たっぷり1分間沈黙してからぼそっと呟いたゾロに、周囲の仲間たちがドン引きしたことは本人だけは気付いていない。





―――可愛いって、そういうことかよ。
自覚しだしたら結論は早かった
赤くなって戸惑う姿もそっぽを向いて口元を尖らせる仕種も、なにもかもがゾロの目を惹く。
不思議なことに、以前感じていたようなムカつきも苛立ちも湧かなくなった。
なぜか心が温かくなって、自然と笑みがこぼれるほどに穏やかな気持ちになる。
遡って思い出してみれば、罵り合っていた時でさえゾロの口をついて出る悪態とは裏腹に憎悪は沸いていなかったはずだ。
口うるさく世話を焼かれたり蹴り飛ばして起こしたりされればムカつきはしたが、だったら消えて無くなれと思うほどに嫌いではなかった。
そう、嫌いではない。
憎まれ口を叩いて言い合うのも、遠慮なく拳や足を繰り出してじゃれ合うのも楽しかった。
そう、じゃれていたのだ。
あれはあれで運動にもなるし面白いよなと考えれば、たまには喧嘩を売るのも悪くないと思える。
温かな言葉を投げかければテレるサンジは可愛いし、乱暴な言葉を投げつけて歯向かってくるサンジもまた可愛い。
だが、可愛いサンジをただ眺めているだけでは物足りない気もした。
例えば、今の時点で「ありがとう」や「ごめんなさい」を言っているのはゾロだけだ。
ほぼ一方的にゾロ。
何故ならば、ゾロはしてもらう側でしかないからか。
サンジから言葉を貰うにはゾロが何かをしてやらなければならない。
だが一体自分に、何ができるだろう。
礼を言われただけであんなにしどろもどろになるサンジが、ゾロに向かって「ありがとう」と、ぶっきら棒にでも口にする日が来たとしたら。
それは想像しただけで心躍る光景だ。
少しはにかんで言ったりしたら、さらにポイントが上がる。
想像だけでゾロのテンションが勝手に上がって、次はいかにしてサンジから言葉を貰うかに情熱が傾き始めた。
まずは一体何をすべきか。
眉間に皺を寄せながら真剣に考えるゾロの姿を、仲間達は不気味な思いで遠巻きに見守るしかできなかった。





「誕生日?」
「そう、せっかく春島海域を通るのに寄港する場所がなくて残念なんだけど」
「船上でもせめて、精一杯祝いたいよな」
「とは言え、宴会の準備するのやっぱりぐる眉なんだろう」
午後のお茶を飲みながら、サンジが洗濯物を取り込んでいる隙に仲間内でひそひそと相談し合う。
「食料に問題はないでしょうけど、自分の誕生日ともなるとあまり豪勢にしないから」
「ルフィがねだればいいんじゃねえか?でも食材は変わり映えしねえのか」
「せいぜい釣果を期待したいところだな」
「ようし、俺頑張るぞ!」

ゾロは芝生に寝転がって、目を閉じながら耳だけ欹てていた。
――−なるほど、誕生日か
仲間が10人ともなると“誕生日”なる口実が増えて頻繁に宴会が催されるようになったが、今度の主役がコックだったとは。
あんな可愛い生物がこの世に生した日なら実にめでたいし、そうとなれば全力で祝わなければならない。
がしかし、自分に何ができるだろうか。

「サンジ、運ぶの手伝うよ」
跳ねる毛玉みたいなチョッパーがぐんと大きくなって、サンジが山のように抱えていた洗濯物を受け取った。
「おう、ありがとうなチョッパー」
あんな風に小さなことからコツコツと“お手伝い”を積み重ねていけば、自然に礼の言葉も貰えると言うものだろう。
ゾロとて、例えば風呂でチョッパーの手が届かないところを丹念に洗ってやるとか、そういう世話は嫌いじゃないからやってできないこともないだろうが、サンジを風呂で隈なく洗ってやったところで素直に礼を言ってもらえるとは思えない。
寧ろ関係悪化が懸念されるところか。

「おおう!」
馬鹿な考えに耽っていたら、甲板から歓声が上がった。
何事かと身体を起こせば、ルフィが船べりから落ちんばかりに下を覗き込んで、ブンブン腕を振っている。
「すげえ魚」
「魚群だ、この船にもソナーつけようぜ」
「もしや、大物のお魚ちゃんがいらっしゃるんじゃないでしょうか」
早速釣竿を持って走ってきたウソップの前に、キラキラと波しぶきが輝いた。
「すっげー!」
海面から躍り出て中空を横切ったのは、巨大なホンマモンカジキだ。
鰭を閃かせながら海面に飛び込み、水柱と共に大きな波が船を揺らす。
「すげーうまそー」
「あれ取れ!釣れ!」
「無理っ」
「ご馳走よう」
「銛も備え付けるか」
「どんどん漁船化してきますヨホホ」
ぱしゃんと水面で跳ねた光を目で追って、ゾロは立ち上がり腰につけた刀を外した。
とんと甲板を蹴り、そのまま海へとダイブする。
「ちょっ、ゾロ?!」
ナミが慌てて手を伸ばしたが、ゾロの姿はすぐに海中へと消えてしまった。
「えー飛び込んだ!?」
「やたっ、ゾロの狩りだ」
無邪気に喜ぶルフィの隣で、ナミは心持ち青褪めて船べりへ駆け寄った。
「ここ海流がすごく早いのよ、流されないかしら」
「大丈夫だろ、ゾロだし」
「今まで何度も、サンジに海へ蹴り落とされてるじゃねえか」
能天気な仲間達を見ながら、ロビンは思案気に顎に手を当てた。
「でも、ゾロは魚を追って海に飛び込んだでしょう。ということは、魚を追って泳いでしまうんじゃないかしら」
「ホンマモンカジキは時速150キロだぜ」
「あの方向音痴が、時速150キロで船から離れたら・・・」
しんと、一瞬甲板が静まり返る。
ゾロが海で溺れ死ぬとは誰も思わないが、この大海原で迷子になることは必至だ。
本人が意図しなくても、これが今生の別れになる可能性も少なくはない。
「・・・ゾロ」
「ちっ」
俄かに慌て始めたウソップの横を、サンジが舌打ちしながらすり抜けた。
船べりに手を掛けたところで、反対方向から大きな水柱が立つ。
一斉に振り向けば、白い泡を立てながら海面が盛り上がり、巨大なホンマモンカジキがぷかりと浮いてきた。
鰭に掴まって、ゾロは犬のように頭を振りながら飛沫を飛ばしている。

「ゾロ!」
「おう」
「あんたまた、剣士の癖に殴ったわね」
安堵と共に笑いが巻き起こって、甲板を支配していた緊張感が一気に解けた。
フランキーが下ろしてくれたロープを魚に巻きつけて、全員で引き上げる。


「すげえなあ」
「大漁だ、これで今夜のおかずはバッチリじゃね」
はしゃぐ仲間達を眺めながら、ゾロはずぶ濡れのまま甲板に戻りシャツを脱いだ。
その場で搾ろうとしたら、後頭部にいきなり蹴りが入る。
「このクソボケマリモ!んなとこで搾ったらビショ濡れになるだろうがっ」
「なにすんだっ」
さすがに頭に来て振り返れば、何故かサンジは凶悪な目つきで睨み付けて来た。
「搾るんなら海に搾れ、いつまでも濡れたままぼさっと突っ立ってんじゃねえよ、とっとと身体洗って着替えて来い」
頭ごなしに怒鳴られて、反論もできないうちにサンジはとっとと走り去ってしまった。
「血抜きすっから、こっち持って来い!」
忙しげに立ち働く姿は随分と遠いところまで移動してしまっていて、ゾロは濡れたシャツを握ったままぽかんと立ち尽くしている。
「・・・なんだありゃ」
側に立つナミも、不審そうに首を傾けた。
「いつもなら、『よくやったマリモ』くらいは言うのにね」
なんとなく腑に落ちないまま、それでもゾロは言われたとおり海に向かってシャツを搾り、そのシャツで身体を拭った。




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