ごめん。 -3-


いかにサンジに邪険に扱われようとゾロの成果は消しようもなく、食卓は豪勢なホンマモンカジキ料理で埋め尽くされた。
仲間たちは歓声を上げ、サンジの生誕を祝い歌い踊りつつ、豪快に舌鼓を打つ。
「う、まーーい!」
「脂が乗ってて、実に美味ですヨホホ〜。私、ベルト緩めないとお腹苦しくなっちゃうかも」
「色んな味付けしてあるから、いくらでも食べられるわね」
「誕生日様々ね」
口々に褒めそやしつつ、みな箸を持つ手が止まらない。
のんびりと杯を傾けているゾロの前にも、美々しく盛り付けられた皿が並んだ。
「なーんか、ゾロの皿のがちょっと多くねえか?」
ルフィは屈託なく指摘して、びよんと腕を伸ばす。
それを足で叩き落とし、行儀よく食べろと本日の主役は一喝した。
「量はみんな一緒だ、足らなかったらお代わりあるからまず自分のから食え!」
おおそうかと大きく頷き、ルフィはまず自分の皿を空にすることに専念しだした。
「まったくもう、今日はサンジ君の誕生日なんだからゆっくり食べさせてあげなさいよ」
呆れつつ、ナミはグラスを片手にそっと隣のロビンへと顔を寄せる。
「・・・とは言いつつ、明らかにゾロのお皿山盛りよね」
「しかも、私達のとは少し味付けも違うようね。彼が好むものばかりだわ」
小声で答えながら、ロビンはくすりと笑いを漏らす。
「サンジ君なりのお礼のつもりなのかしら」
「口で言った方が安いのに、ほんとにへそ曲がりなんだから」
みんなの食べっぷりを満足そうに眺めていたサンジが、ん?とこちらを振り向く。
「どうしたのナミさん、おかわり?」
「いいえ、とっても美味しいなあって言ってたの」
「今日はゆっくりしてね、サンジ君」
ナミとロビンに微笑まれ、ぼかあシアワセだーと雄叫びを上げながらサンジは勢いよく杯を呷った。




ピッチが早かったらしい。
いつの間にかソファに横になって、ウトウトとまどろんでいた。
笑い声に誘われて瞳を開くと、後片付けに励む仲間達の背中が見えた。
皿を洗う者と濯ぐ者、布巾で拭く者と片づける者が、それぞれ楽しげに立ち働いている。
狭い場所を無闇に動き回るものだから、あっちでぶつかりこっちで踏み付け、悲鳴やら文句やら笑い声やらが交差して実に賑やかだ。
ナミとロビンの美しい曲線を描く後ろ姿を夢見心地で眺めながら、サンジはほうと溜め息を吐いた。

―――ああ、幸せだな
眠りから目覚めたら、優しい仲間達が傍にいてくれる。
みんな楽しそうに笑いながら、じゃれ合いながらサンジの仕事を片付けてくれていて、その光景を少し離れた場所からぼんやりと眺めていられる状況自体が珍しくて。
あの輪の中に戻りたいような、もう少しこのまま眺めていたいような、幸せな迷いの中でしばしたゆたう。

「あら、目が覚めた?」
しなやかな腕をいくつも生やし戸棚に皿を仕舞い終えたロビンが、ふと振り返り目を細めた。
「もう、みんなが騒ぐから起こしちゃったじゃない」
「水飲むか?」
ウソップにコップを手渡され、頭だけ擡げて喉を潤す。
「まだ酔いが残ってんな」
「寝起きの髪がポワポワしてて、可愛いですねえ」
好き放題言われてもなんとも心地良くて、しまりのない顔でへらりと笑い返した。
「ありがとうなあ」
呟きが小さすぎたか、ウソップのどんぐり眼がん?と覗き込んだ。
「みんなありがとうな。すげえ楽しい誕生日だった」
「ししし、よかったな」
「どういたしまして」
いつの間にかサンジを取り囲むようにして、愛しい仲間達が笑っている。
ルフィにナミ、ウソップとチョッパーとフランキーとブルックと――――
「あれ?」
サンジは寝転がったまま目をぱちくりとして、視線を巡らした。
ひいふうみい・・・
一人、足りない。

「ゾロは見張りしてんぞ」
「サンジをここまで運んで、じゃあなって行っちまったもんな」
あんの、クソ馬鹿毬藻!
せっかく、せっかく人が素直に礼の言葉を述べたと言うのに!!
ソファにひっくり返ったままきーと歯噛みしているサンジを面白そうに見下ろしてから、ナミはさてと手を叩いた。
「キッチンも片付いたし、みんな休みましょうか」
「おう、お疲れ様」
「サンジ君、ここで眠る?」
ロビンに尋ねられ、サンジは曖昧に頷いた。
「もうちょっと休んでいくよ、ありがとうロビンちゃん」
「じゃあおやすみな」
「おやすみー」
「おやすみなさい」



仲間達が去ってしまって、キッチンは途端にしんと静まり返ってしまった。
けれど宴の名残の、匂いや温かさはまだ漂っている。
幸せの余韻に浸りながら、サンジはソファで寝転んだまま指を組んだ。
このまま眠りに就くのも悪くはない。
けれど、こんな素晴らしい一日を過ごせた礼を全員に伝えられなかったのは心残りだ。
ぶっちゃけ、ゾロにだけ何も言えてない。
せっかくみんなに素直にありがとうと言えたのに、なんでそんな時に限ってあいつだけいないんだ。
ここにいたなら、どさくさに紛れてでも少しは感謝の意を伝えられただろうに。
「あの野郎、きっと見張りに乗じて酒ばっかり食らってやがるな」
見張台で海を眺めながら、思う存分ラッパ飲みしている姿が脳裏に浮かんだら、どんどん腹が立ってきた。
せっかくの誕生日に水を差しやがって、このままじゃ気分悪くて寝るに寝れないじゃないか!
やや一方的過ぎる怒りを抱いて、サンジはがばりとソファから起き上がった。
まだふらつく足でキッチンに戻り、ゾロのために炊いておいたご飯釜の蓋を開ける。
誰もこの釜の存在に気付かなかったのか、すっかり蒸されて冷めて硬くなってしまっていたけれど、なんとかなるだろう。
「酒だけ飲むと、身体に悪いんだっての」
一人で悪態を吐きながら、サンジはせっせと夜食の準備を始めた。



「寝腐れ腹巻、起きてるかー」
片手にバスケット頭の上にトレイを乗せて、器用に見張り台まで昇ったサンジがひょいと顔を覗かせた。
夜行性のマリモは少し驚いたように目を瞠って、こちらを見ている。
「何しに来た?」
あんまりな台詞だが、嫌味や牽制ではなく素で驚いた物言いだったから癪には障らない。
「夜食に決まってんだろ。つか、俺が寝てる間にみんなちゃんと食ったのか?」
「甘いもんやら、勝手に出してきて食ってたぞ」
「んで、てめえは酒ばっかりかっくらってたと」
ゾロの周囲に転がる空き瓶を見て、サンジは大仰に溜め息を吐いた。
けれど目に見えて不機嫌ではない。
「しょうがねえ、冷やご飯が余ってたから処分しろ」
言いながら、手早く膳を整えた。
バスケットにどんだけ詰め込まれてたんだとゾロが不思議に思うほど多くのものが取り出され、熱い茶まで供される。
「お茶漬け、食うか」
「もちろん」
セットされたのは二人分。
どうやらサンジもここで一緒に食べるつもりらしい。
「お前も、早々に酔い潰れてちゃんと食ってないんだろ」
「おうよ、腹減ったなーとか思ったけど、一人キッチンでお茶漬け啜るのも・・・どうもなあ」
「お相伴に預かります」
やけに丁寧な口調で、ゾロは行儀よく手を合わせた。
「ありがてえ、美味そうだ」
「美味いに決まってんだろ」
ふいっと横を向いて、サンジはゾロの隣に座った。
早速ご飯の上にあれこれ具を乗せて、嬉しげに熱い茶を注いでいるゾロを横目で盗み見る。

そう言えば、ゾロは前からこんな感じだった。
別にロビンやナミにあれこれ言われなくても、夜食を差し入れれば嬉しそうに箸を付けたし、さり気なく感謝の言葉も口にしていた。
体裁を取り繕ったり無駄に照れたりかっこつけたりしないゾロは、いつだって素顔のままで。
それだけで充分わかりやすかったはずなのに、妙に構えて言葉に表すようになってから、こっちが逆に勘繰ってしまっていただろうか。
ゾロにとってはなんでもないことなのに。
たかが言葉一つに振り回される自分が、馬鹿みたいだ。

「どうした?」
茶碗の縁に口を付けたまま動きを止めてしまったサンジを、横から覗き込むように頭を下げている。
そんなゾロはすでに2杯目のお茶漬けに入っていて。
「お前も食わないと、お代わり分がなくなるぞ」
そんなことまで言ってくるから、おかしいやら腹立たしいやらで、サンジはやけくそみたいに箸を動かした。
冷えたご飯に少し冷めた濃い目のお茶がよく沁みて、我ながら実に美味い。
「美味いだろう?」
まるで自分の手柄みたいに誇らしげな顔で聞くゾロの、左の頬に飯粒がついているのに気付いて噴き出した。
「だから、美味いに決まってんだろ」
ケタケタと笑いながら、手を伸ばしてその飯粒を指に取る。
そうしてしまってからはたと気づいた。
人差し指に乗った飯粒。
これを一体どうしたら・・・

半笑いのまま固まったサンジの視線の先に気付き、ゾロはその手を取った。
引き寄せてためらいなくぱくりと、指についた飯粒だけを食べる。
唇が指に触れて、握った手首が掌の中で強張るのに気付いた。
視線を上げれば、酔った時より尚赤いサンジの顔が目に飛び込んでくる。
それに釣られるように、ゾロの顔にも一気に血が昇った。

―――なんだこの状況は
握り締めた手を離すタイミングを逸してしまい、二人固まったまま見つめ合う。
「・・・いてえよ」
ほんの僅か視線を逸らし、サンジが手を引いた。
目元まで朱に染めて少し瞼を伏せる仕種に、ゾロの中でなにかのスイッチが入った。
痛いと言われた手首を握り直して、再び引き寄せる。
身体ごと倒れこんで来たサンジの顔を覗き込むように身を屈め、その唇に己の唇をそっと重ねた。
柔らかな感触と、やや酒臭い吐息。
唇越しに息を呑んだサンジの戸惑いを遮るように、背中にもう片方の手を回してしっかりと抱き留める。
口付けたまま反応を窺えば、サンジは眉を寄せたまま目を閉じていた。
それを了解と受け取って、少し首を傾け深く唇を合わせる。
舌で唇を探ると、びくりと頤を震わせてサンジが身を引いた。
その拍子にキスが解かれて、近過ぎる距離に顔を寄せたまま二人押し黙る。

上気した頬のまま悔しげに唇を噛むサンジに、ゾロは反射的に口を開いた。
「ごめ・・・」
「謝んなっ」
強く拒否してから、そんな自分にはっとしたように顔を上げる。
「あ・・・」
戸惑うサンジの手首をまだ握り締めていたことに気付いて、ゾロは汗ばんだ手を外した。
けれどサンジは逃げない。
赤くなった手首を擦ろうともせず、向かい合わせのまま固まっている。
ゾロはこくんと唾を飲み込んで、その場で座り直し膝をついた。
「じゃあ、いただきます」
改めて正面から抱き寄せれば、一歩身を引いたサンジが膝を突き上げた。
「じゃあってなんだーっ」
ドカンと派手な破壊音がして、サニー号が大きく揺れた。






「結局、元に戻っちゃったのね」
つまんなーいと、ナミはどこまでも他人事だ。
甲板では、ゾロとサンジの怒鳴り合いが続いている。
今日は風が強いからか、風向きによっては聞こえたり聞こえなかったりするが、とにかく喧嘩のネタは尽きないらしい。
「よく飽きもしないで毎日喧嘩できるなあ」
「まあ、これが本来の姿だと思えば微笑ましいですヨホホ〜」
「次の島で板のストック補充しとくかな」
やれやれと首を竦めつつ、二人放置の方向で仲間達はラウンジでゲームでもしようかと歩いていく。

「だから、起こすなら一言起きろくらい言え!いきなり蹴るな!」
「声掛けたくらいで起きるタマじゃねえだろうが、時間のムダだ!」
「なら俺も何も言わねえで実力行使に出るぞ」
「バカヤロウ、それじゃ犯罪じゃねえかこのケダモノ」
「じゃあ、月が綺麗ですねとでも言やあいいのか」
「それは言葉の暴力だー!」

聞き耳を立てていたロビンがぷっと吹き出した。
「すっかり元通りって訳じゃないのね」
「え?なあに、何か言った?」
風に煽られる髪を押さえながら、ナミが振り返る。
「ううん、なんでも」
ロビンは柔らかな笑みを浮かべ、ラウンジに向かう仲間達を追った。

甲板での二人だけの口喧嘩は、いつの間にか止んでいた。



END



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