ごめん。 -1-



サニー号の朝は怒声と破壊音で始まる。

「起きろつってんだろうが、この寝腐れマリモー!」
言い終わらない内に船が揺れ、ビリビリと空気が震えた。
すでにラウンジで朝食を取っているその他大勢たちは喧しさに首を竦め、あーあと溜め息を吐いてみせる。
「毎日毎日、よく飽きもせず・・・」
「そうね」
呆れながらも経済新聞から目を離さないナミと、優雅にカップを傾けるロビン。
その奥ではものすごい勢いで朝食を平らげるルフィと、縦横無尽に伸びてくる手を叩き落として自分の分は死守するウソップ。
「また、床直さなきゃじゃねえか?」
気の毒そうにフランキーを見やるが、朝からコーラをがぶ飲みする船大工は涼しい表情だ。
「なに、心配ねえ。替えの板はたっぷり積み込んである」
「ヨホホ〜、壊れないように補強するのではなく、逆に壊れやすく作られているのですね」
ブルックの指摘にチョッパーが目を丸くした。
「なんでだ?一々直すの面倒じゃないのか?」
「それは勿論、サンジさんの足を不用意に傷めないためですヨホホ」
「そんなあ・・・」
「さすがアニキ!」
チョッパーとウソップが感涙で目を潤わせるのに、フランキーは照れ隠しかサングラスを掛け直してギターを取り出した。
「仕事人たあそういうもんさ。まずは一曲!」
ジャランと掻き鳴らす前に、表の喧騒がそのままラウンジになだれ込んできた。

「なんで一々、起こさねえと起きらんねえんだ、この脳みそ筋肉」
「なにが起こすだ。声掛けんのと蹴るのが同時じゃねえか」
「口で言って起きるタマかてめえが」
「起こす気ねえだろ、蹴る気だろ最初から」
喧々轟々と言い合いながら、競うように早足で飛び込んでくる。
「口で言ってもわからない阿呆は実力行使だ」
「むしろ最初から足しか出てねえじゃねえか、蹴り好き暴力コック」
「あんだとお?!」
サンジがポケットに手を突っ込んで蹴りの体勢に入ったのを見て、ナミが口を挟んだ。
「サンジくん、美味しいお茶のお代わりが欲しいなあ」
「はあい、ナミっすわん!」
途端に目をハートにしてくるりと反転し、踊るような軽い足取りでキッチンへと舞い戻った。
ゾロが呆れて目を剥く。
「どこまで女にだらしねえ野郎だ、みっともねえ」
最後は吐き捨てるように呟いたから、サンジの背中が反射的に跳ねた。
「あんだとお、もっぺん言ってみろ」
「何度でも言ってやる、鼻の下伸ばしてみっともねえグルグル眉毛」
「んだとお」
「うるさい!」
とうとうクリマタクトが炸裂して、ラウンジの床に巨大な瘤から煙を出した二人が仲良く這い蹲る。

「毎日毎日、あんたらの小競り合いを止める身にもなってみなさいよ、ああもう鬱陶しい騒がしいめんどくさい!」
「ナミひゃん、ごめん〜」
「そうね、それがいいわ」
唐突にロビンの弾んだ声が飛び込んできた。
「はい?」
3人揃って振り返る。
「多分、不足しているのはお互いに対する礼儀だと思うの。ゾロもサンジ君もお互い以外のメンバーに対しては、一定の礼儀をもって接しているじゃないの」
「はあ」
なんのことかとキョトンとしているサンジに、ロビンは噛んで含めるように優しく話し掛けた。
「逆に意識してゾロに接してみたらどうかしら?例えば、今サンジ君がナミに素直に言ったように、相手が気分を害したようならごめんなさい。嬉しいと感じたらありがとう。この二つを口に出すだけで、随分と関係性は変わってくるものよ」
「・・・は?」
今度はゾロの方がぽかんと口を開ける。
「貴方もよゾロ。元々礼節は弁えているでしょう?それをサンジ君に対してのみ意識して表に出すの」
「冗談じゃねえ」
なんで俺がそんなことをと言い募る口元を、突然生えた手が塞ぐ。
「黙って人の話を聞くのも修行のうちじゃないかしら。サンジ君が気に食わない相手ならなお更、苦手意識を克服するために敢えて相手を懐柔する術も身に付けるべきでは?」
「ロビンちゃん、意味がわかんないんだけど」
戸惑うサンジにナミが飛び切りの笑顔を向けた。
「そうね、ロビンの言う通りよサンジ君!ゾロに対してだって紳士的なサンジ君って素敵v」
「紳士?こいつに?」
「あら、真のジェントルマンってそういうものじゃないかしら」
ロビンに畳み掛けられて、ふむとサンジは首を傾けた。
ゾロはロビンに床に押さえ込まれ、まだふがふがしている。
「そうだな、こんな馬鹿相手にいつまでも本気で渡り合ってちゃ馬鹿が移るな」
「でしょ?」
「さすがサンジ君、理解が早いわ。ね、ゾロ」
ようやく口元の手を外されて、ゾロは鬱陶しそうに消えていく白い腕を払った。
「うっせえな、こっちだって馬鹿の付き合いはコリゴリだ」
「あんだとお!」
「はい、ゾロ」
ナミが指揮するように両手を振ってゾロへと差し出した。
ゾロは一瞬眉間の皺を濃くしたが、意を決したように首を巡らしてサンジを正面から睨みつける。
「ごめん!」
「・・・は?!」
一瞬、二人の間の空気が凍る。

テーブルに着いたままじっと成り行きを見守っていたその他大勢を代表して、ウソップが呟いた。
「すげえ、猛獣使いみたいだ」
ともかくこれで、一応の解決がついたらしい。






「ご馳走様でした」
朝食を食べ尽し、空になった皿の前でゾロは神妙に手を合わせた。
それを横目で眺めながら、サンジはなんとも口惜しそうな表情で煙草のフィルターを噛んでいる。
「・・・おう」
それだけ言ってぷいっと横を向き、ゾロがラウンジを出て行くのを見届けてからいそいそとテーブルを片付け始める。

「ぎこちない」
「あれだな、見ようによっては『新婚さん、初めての大喧嘩から仲直り』」
「やっだフランキー。的を射すぎっ」
受けたナミがバンバン肩を叩き、ウソップも苦笑した。
「まあ、たまにはいいんじゃね?」
「この平穏がいつまで続くのかな」
所詮他人事だから、クルーにとってはゾロとサンジのよそよそしい会話は娯楽以外の何者でもない。
「丁々発止のやり取りが聞けないのは、少し寂しい気もしますヨホホ〜」
「そう言うんなら、今度からブルックが止め役引き受けてね」
「そんなこと引き受けたら、文字通り骨が折れます」
ヨホホ〜と暢気に笑いながら、それぞれラウンジを後にした。

「・・・ったく、他人事だと思って」
手早く皿を洗いながら、サンジは誰もいなくなったキッチンで一人ごちた。
「なにが礼節だよ、マリモを人間扱いすんのがそもそも間違いだってのに」
口では文句言っても、ロビンが提案したことは従わざるを得ない。
なにせ、ゾロの方がその気になっているようなのだ。
先ほどのごめんにしてもご馳走様にしても、明らかにサンジに聞かせるつもりでか、睨みつけながらもはっきりと言っている。
喧嘩を売られるのは慣れていても、ゾロから感謝や労いの言葉が掛けられると不気味を通り越して怖気さえ感じるほど居心地が悪いのだ。
「あーやだやだ、虫唾が走る」
ここのところ順調な航海が続いているから、みんなの退屈しのぎにはなるだろう。
肴にされるのは癪だが、放っとけばその内自然消滅するとサンジは気楽に考えていた。
が、しかし―――



「美味かった、ありがとう」
昼食の後もしっかりと目を合わせてそう宣言され、サンジはレードルを持ったまま固まってしまった。
どうリアクションしていいかわからない。
ゾロのからかいや悪態には頭で考える前に足が勝手に反応していたからいくらでも対処できたが、こんなむず痒い台詞を面と向かって吐かれてはプチパニックだ。
「・・・・・・」
サンジは酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせてから、何も言わずにふいっと背を向けた。
「サンジ君」
咎めるようなナミの声にだけ、くるりんと振り返って身体を撓らせる。
「はあいナミさん、貴方のサンジでっす!」
「そうじゃないでしょ、ゾロが今ありがとうって言ったでしょ」
「・・・はい」
「それに対してサンジ君は?」
ロビンにもおっとりと促され、サンジは視線を逸らせながら渋々といった風に口を開いた。
「どういたしまして」
「なんで私達に言うの、あっちでしょ」
「勘弁してくれよ、ナミさあん」
よよと泣き崩れるサンジを置いて、ゾロはさっさと午後の鍛錬に向かってしまった。
残るメンバーがサンジを責めるようなじと目で見ている。
気まずい、なんか凄く気まずい。



「調子狂うんだよなあ」
おやつを作りながら誰にともなくボヤくと、バイオリンで静かなメロディを奏でていたブルックがヨホホ〜と囁くように笑う。
「サンジさんにとってゾロさんは、かけがえのない喧嘩仲間なのですね」
「いや、別にそういうんじゃねえし」
「でも遠慮なく喧嘩できる相手がいるというのは、楽しいものです」
ブルックが言うとそうかもな、と素直に納得できてしまう不思議な雰囲気がある。
共に語り笑い時には喧嘩する相手もなく50年の日々を無為に過ごして来た過去を思えば、サンジの当座の悩みなど露ほどの重みもない。

「まあ、たいしたことじゃねえけどよ。ちょいと気色悪くて落ち着かねえだけさ」
「そうかもしれませんね。でも温かい言葉というのはいいものでしょう」
「ナミさんやロビンちゃんだったら、何度だって聞きたいけどよう」
途端に脳内妄想が湧いて出たか、一人でニヤニヤクネクネしながらデザートを盛り付け頭の上にまで皿を乗せて器用にターンしてみせる。
「ブルックはこれ適当に食っとけ、まずはレディファーストだ。ナミっすわんロビンちゃん、おやつですよ〜」
目をハートにしてハリケーンのごとく飛び出していったサンジを見送り、ブルックはありがたく手を合わせた。
「皆さんと同じく、サンジさんが作るおやつに目がないんですよ私。あ、目ないんですけど」


「あら、ありがとサンジ君」
「可愛くて美味しそうね」
デッキチェアに寝そべって読書に勤しんでいるナミ達に恭しく傅いて、シアワセーと叫びながらキッチンへ舞い戻る。
今度は大量に盛り付けられた男用のおやつをトレイごと抱え、芝生の上にでんと置いた。
「待ってましたー!」
呼ばずとも匂いで勝手に飛んでくるルフィ達を足で適当に薙ぎ払い、またキッチンに戻る。
ゾロ用に別に取り分けられた皿を持ってまたいそいそと出て行くのを、ブルックは紅茶カップを傾けながら黙って見守っていた。

「マリモン、休憩だ」
サンジの声に振っていたダンベルを置き、ゾロはタオルで汗を拭った。
「干からびたマリモには水やりしねえとな」
そう言って特製ジュースを樽の上にどんと置き、その横におやつを乗せた皿を置こうとした。
すっとゾロの両手が差し出される。
サンジが意図する前に手渡す格好になり、え?と顔を上げたら正面で微笑むゾロと目が合ってしまった。
「いつもありがとうな」
「・・・・・・」
たっぷり30秒固まってから、どええ?と派手なリアクションで飛び退る。
「な、なななな何事だ、蒸発し過ぎて脳みその皺伸びたのか?!」
「なに。感謝してるだけだ」
ゾロは涼しい顔でそう言うと、きちんと手を合わせいただきますと唱えてからジュースを飲んだ。
「ああ、美味い」
ひいいいいいいいい
「うるせえクソ腹巻、脳みそ筋肉の癖に生意気なんだよ!」
声の限りに怒鳴って両手で耳を覆い、半分泣きべそみたいに顔を真っ赤してその場から逃げ出した。
それを芝生のクルー達が遠目に眺めながら見送る。

「・・・なんで、サンジのがダメージでかいんだ?」
「言われる方がきついんでしょ」
「可愛いわねえ」
「逆のパターンはねえのか」
「だってあれこれしてやってるのサンジだけだもん」
「ああ」
「なるほど」



next