極道天使  -9-



閉店後、ママが蘭子達を迎えに来た。
結局、ホステスが組同士の抗争に巻き込まれた形になり、ママはお冠だ。
「素人に迷惑を掛けるなんて、こんなこと二度と御免ですよ」
「…悪かった」
小柄な身体で毅然と見上げるママの前で、雅はきっちりと頭を下げ腰を折っている。
この場所で組の最高責任者は若頭であるゾロだとは言え、若頭に頭は下げさせられない。
クラブ花藤を贔屓にしている警察OBも、政財界の重鎮からもそれとなく状況を尋ねられたらしいが、いずれも知らぬ存ぜぬで通したらしい。
花藤のママが「知らない」という出来事は、この世界では「存在しない」ことになる。

「さて、それじゃ帰りましょうか。すみれも蘭子も後できっちり話を聞かせてもらいますよ」
「はあい」
「ママ、ごめんなさい」
しおらしくついていく二人を、サンジは慌てて追いかけた。
「ママ、すみれちゃんも蘭子ちゃんもほんとに巻き込まれただけで…あと、俺も勝手な行動をしてすみません」
駆け寄るサンジを目で制し、ママはくっきりとした瞳をまるで威嚇するように更に大きくする。
「エンジェへのお説教は若に任せます。しっかり言ってやってください」
そのままギロリと音でもしそうな目力で、奥のソファに腰掛けているゾロに視線を転じた。
ゾロは苦笑しながら、軽く頷いている。
「ヤス、店まで送っていけ」
「へい」
「あ、でも俺も一緒に…」
サンジが付いていこうとするのに、その動きを遮るようにシゲが扉を開けた。
「今夜、事務所には俺らが詰めますんで」
「おう、ご苦労さん」
「みなもお疲れ」
「お疲れさんっしたー」
ママは二人を連れてさっさと車に乗ってしまった。
急に慌ただしくなった事務所の中で、サンジは行き場がなく立ち尽くす。
ママに置いて行かれては、帰る場所がない。

「若、迎えが来ましたんでどうぞ」
扉を明けて帰宅を促すシゲに、ゾロはゆっくりと立ち上がり部屋を横切った。
途方に暮れているサンジの傍まで来て、足を止める。
「なにボケっと突っ立ってんだ。帰るぞ」
「―――― …!!」

気が付けば、事務所内の誰もが動きを止めて息を潜め、さりげなくけれど集中してサンジの様子を窺っていた。
恥ずかしいとかうざいとか思いつつ、心配をかけたんだなと申し訳なくも思う。
だからサンジは、一旦俯いて下唇を突き出してからふいと顔を上げた。
「しょうがねえな」
そう嘯いて、階下に降りるゾロの後をついて行った。
事務所の扉を閉めて階段を降り切ったころ、事務所内からわっと野太い歓声が上がった。



帰りの車の中は二人とも無言だ。
運転手のヒロシも、やけにソワソワと居心地が悪そうにしながらも黙って運転しゾロのマンションへと送り届ける。
「ご苦労さん」
「お疲れさんでやす」
「お疲れー」
エントランスを抜けてエレベーターに乗っても、二人は黙ったまま。
サンジはどこを見ていいかわからず、ずっと足元を睨み付けている。
非常に居心地は悪いが、いまさらどこにも逃げられないし行くあてもない。
まさに年貢の納め時だ。

部屋に着いて鍵を開ければ、ふわりと懐かしい部屋の匂いがした。
さほど使用せず生活感のあまりない殺風景な部屋だけれど、ああ、帰って来たんだなと胸が熱くなる。
勝手に飛び出したのは自分の都合なのに。
帰るに帰れなくて、いつのまにか恋しさばかりが募っていた。
「…綺麗にしてるな」
シゲが定期的に掃除に通っているのだろう。
留守にしていたのは10日あまりとは言え、自分が出て行った時とさほど変わらない整頓された室内だ。
サンジはまっすぐキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。
予想はしていたがやはり、食材の類はなくワインとビールばかりが詰まっている。
「てめえ、俺が買い置きしてた…」
ゾロの手が頭越しに伸びて、扉がぱたりと閉められた。
見上げれば、すぐ後ろに立つゾロがじっとサンジを見下ろしている。
この目つきは…ちょっと怒ってますね、はい。

サンジはもそもそと立ち上がり、居間のソファに腰掛けた。
ゾロも、その隣に腰を下ろす。
並んで座るのも久しぶりで、なんかもうどうでもいいからこのまま抱き付きたくなった。
だがそれじゃ、ダメだろう。

「…あのー…えーと…」
「――――― …」
「ただいま」
「――――― …」
おかえりくらい言えばいいのに、ゾロはじっと睨み付けている。
サンジもむっと来て、睨み返した。
「なんだよ」
「お前、俺に腹を立ててここ出てったんだろうが」
「うん…まあ」
なにに腹立ててたかなんて、今思えばどうでもいいことだ。
「でも別に、たいしたことじゃねえし。もういい」
「よかねえ」
一緒に暮らしていてもあまりサンジに話し掛けてこないゾロが、珍しくサンジだけを見て言葉を発するから、こんな状況なのにちょっと嬉しくなってしまった。
サンジは心持ち距離を開けて座り、ゾロに向き直る。

「もう俺が怒ってないっつってんだから、いいだろ?」
「お前は怒ってなくても、俺が怒ってる」
あ、やっぱり怒ってた。
「えーと、俺が勝手なことしたから?」
「そうだ」
「家出するーっつって出かけたのに、ママんとこで世話になってたし」
「それはいい。そう手配したのは俺だ」
「え?そうなの」
なんだ、なにもかもゾロの掌の上か。
そう思ったら、俄かに腹が立ってくる。
「お前みてぇなの、一人でふらふらさせたらろくなことにならねえからな、せめて目の届く範囲に置いとかねえといけねえ」
「あんだよ、信用ねえなあ」
「信用なんかあるか、てめえに」
あんまりな言われようだ。

「なんだよ、俺だってなるべくゾロに迷惑かけないようにって思ってただけじゃねえか」
「なにが迷惑だ、大体てめえは俺に何も言わねえでコソコソ動きやがって。ホステスにおかしな男が近付いてることも、何一つ雅にさえ言わなかったじゃねえか」
「俺がなんか言うと、お前嫌がるだろっ」
思わず言い返してしまう。
「組のこととか、妙な動きとか。俺が気が付いたことお前に言うと、余計なことすんなって怒るじゃねえか。それに俺が知ってることなんてお前はとっくにお見通しだし、俺なんてなんの役にも立たねえし」
「役に立とうと思うな、お前は組のもんじゃねえ。第一お前は堅気だろうが」
「てめえの“女”呼ばわりされてて、堅気もクソもあるか!」
サンジはとうとう切れて、ゾロのシャツを鷲掴んだ。
「俺に手え出しといて、こうして一緒に暮らしててなんでヤクザだの堅気だのって線引きたがるんだよ。俺を手元に置いとくんなら、組の仕事とかも任せればいいじゃねえか。俺なんてなんの足しにもならないだろうけど、けどちょっとは話とかもしてくれてもいいじゃねえか。いつも俺にはなんにも話さないで、部屋の中に囲って、外出る時はボディガード付けて。大事に飾っとくだけで、組のみんなに何かしたくても俺にはなんもできないでみんな俺に遠慮して…」
言ってる間に混乱してきて、自分が何を言ってるのかも分からなくなってきた。
「俺だけのけ者で、それでいて俺の暮らしは、てめえとのこの暮らしは組の金で、シゲ達の力で成り立ってんじゃねえか。俺、お前と組に養われてんの。囲われてんの、守られてるだけなの、こんなんは嫌だ」
「それで、出てったのか」
「それとこれとは話が違う、馬鹿!」
話のついでに不満が爆発しただけで、本題はそこじゃない。

「お前が怒ってるって、俺が勝手に行動するからだろ?てめえの下で大人しくしてねえからだろ」
ゾロの片方しかない瞳がすうと眇められた。
冷淡な無表情に怒りの色が加わり、これだけで震えあがりそうなほどに恐ろしい形相になる。
「ああそうだ、このチョロチョロと余計なことばかりする跳ねっ返りが!クラブで働きながら女どもに鼻の下伸ばしてヘラヘラしやがって…挙句が、勝手に飛び出して一人で鰐淵組に乗り込むたあ、どういう了見だ!」
「だって、お前を通したら組同士の抗争になっちまうじゃねえか!」
「もう抗争だったんだよ!」
「巻き込まれたすみれちゃんが心配で、いても立ってもいられなかったんだよ!」
鼻突き合わせて至近距離で怒鳴り合う。
「ママが連絡してくれなきゃどうなってたと思うんだ、この阿呆!」
ゾロはサンジの襟首を掴んで、苛立たしげに揺さぶった。
サンジも負けじと、ゾロの首元にしがみつく。
「電話に出たてめえがバロックワークスの社長室にいるって聞いて、どんだけ肝が冷えたか…」
「悪かったよ、てめえに迷惑かけたって…」
「そんなこと言ってんじゃねえっ!」
ぐいっと肩を押され、殴られると思って目を閉じた。
が、いつまでたっても顔に衝撃は訪れない。
恐る恐る目を開けたら、随分と近い場所にゾロの顔があった。
その表情は怒りと言うよりなんだかとても情けなさそうで、心なしか眉尻が垂れている。
「…お前は、ほんっとに…」
その顔があまりにも悲壮感に溢れていたので、サンジはじっと見つめてから瞬きした。

「…ゾロ、ごめん」
掴んでいた襟を握り直し、自分から身体を寄せる。
「心配、したんだよな。俺のこと」
「・・・・・・」
「ごめん…心配かけて、ごめんなさい」
襟首を掴んでいたゾロの手が外され、サンジの背中に回る。
大きな掌で軽く押されて、仰向いたサンジにゾロは荒々しく噛み付いた。






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