極道天使  -8-



―――ロロノアの女は預かった。返して欲しければ今夜、23時にウィスキーピーク第3倉庫に来い。

指示には「一人で」と書いてなかった。
そのため、雅は若手を3人連れて指定された時間の通りウィスキーピークに現れた。

造船場の外れにある古い倉庫はただっ広く、潮の匂いと波の音に包まれて静まり返っている。
だが錆び付いたシャッターは半ばまで上げられ、中の暗闇からは複数の人間の得は気配がした。
「…匂うな」
雅がクンと、鼻をヒクつかせた。
「ヴァニラ臭っすね、最近ガキの間で流行ってんのは、甘ったるいモンが多いっすよ」
強面の若い衆は首をコキコキ鳴らしながら、雅の先導をするように大股で近寄ると半開きのシャッターをぐいっと引き上げた。
「おらっ!姐さんを返してもらいに来たぜゴルアっ」
中からざわめく声が聞こえる。
その騒ぎに迎えられるように、雅たちは暗い倉庫の中に消えた。

――――と…
それを確認して、倉庫を取り囲んでいた覆面パトカーから次々と刑事たちが下りてくる。
「タレこみは本当だったんだな、しかしまさか霜月組が…」
「疑問は後だ、まず現場を押さえるぞ」
一斉に投光器を照射して、倉庫全体を明るく照らし出す。
「警察だ、おとなしくしろ!」
鰐淵組と黒猫組、そこに霜月組が絡むとなれば一世一代の大捕り物だ。
刑事たちは緊張してその場に踏み込んだ。

照明に照らし出された倉庫の中は、一瞬ここがどこかわからなくなるような光景だった。
古い木箱やアンカーロープが隅に放置され、怪しげな粉の袋も積まれている。
倉庫の真ん中にはどんと丸テーブルが設えられ、ぐるりを取り囲むように男たちが座っていた。
テーブルの中央には色とりどりのケーキ類が並び、甘い匂いと淹れたてのコーヒーの香りが混ざり合って、まるでどこかのカフェのような空気だ。
「…なんだてめえら」
「騒がしいな」
乱入してきた刑事達を胡乱気に振り返ったのは、確かに鰐淵組組長のクロコダイルと、霜月組相談役の雅だった。
それぞれに配下らしい男達がついているが、そのどれもが口いっぱいにケーキを頬張ってもぐもぐと咀嚼している。

「…な…にをしてい、る?」
「そりゃあこっちのセリフだ。てめえら、なんの用だ」
クロコダイルに低い声で言い返され、刑事達は目を白黒とさせた。
「いや…今夜、ここででかい取り引きがある…と――――」
「取り引きか、まあ間違いじゃねえな」
雅は落ち着いた声で笑った。
「国産の小麦粉を安値で融通してくれるってえから、どんなもんか皆で審議してるところだ。指定農家産で貴重なんだぞ」
「ふざけるなっ!」
刑事は気色ばんで銃を構え直し、じりじりと近付いた。
脇から若い刑事達が飛び出して、積まれた麻袋の中の粉を確認する。
「…これ、間違いなく小麦粉ですっ」
「なんだとお」
「カリカリしてんじゃねえよ、てめえらもちったあ甘いモンでも食って落ち着け」
クロコダイルは悪人面に不似合いな笑みを浮かべて、たっぷりの生クリームで可愛らしくデコレーションされたカップケーキを刑事達に向かって差し出した。



ちょうどその頃、クリークカンパニー直営のカジノバーに大勢の男達が乗り込んでいた。
その先頭に立つ男を見て、客達は恐れと好奇心を交えながら密かに息を飲む。
「ロロノアだ、クリークに会わせて貰おうか」
「…恐れ入りますお客様、その、お約束はお持ちで?」
黒服が蒼褪めながら対応するのに、ゾロはふと口端を歪める。
「外道と約定を交わすつもりはねえよ、とっとと通せ」
ひく低めた声の響きに震え上がり黒服同士で目配せをし合うのに、背後にいた金髪の男が突然椅子を蹴り上げた。
重厚な椅子が面白いほど垂直に弾け飛び、真上にあるシャンデリアを派手に直撃して落下した。
客から悲鳴が上がり、ついで水を打ったように店内が静かになる。
「こちとら気が長い方じゃねえんだよ、とっととすみれちゃん出しやがれ!」
まだ若くしなやかな外見にそぐわぬ迫力で恫喝し、率先してカウンターの向こうへと飛び込む。
「この野郎!」
「待て、てめえっ」
「ざけんなゴルアッ」
途端に大混乱となった店内から客達が慌てて逃げ出し、その流れに逆らうようにサンジは身軽に奥の事務所へと飛び込んだ。

「なんだてめえらっ」
表では上品な服装の黒服達が固めていたが、事務所に入ってしまえば物騒な雰囲気のチンピラ達がわらわらと群れ出てきた。
それを間髪入れずに蹴り飛ばして先に進む。
サンジの勢いに押されたチンピラが懐から銃を取り出せば、背後に控えたゾロが手にした木刀ですかさず打ち据えた。

「何事だ」
蜂の巣でも突いたような騒ぎの中、巨漢のクリークがソファから身を乗り出してはっとした。
「霜月の…なぜてめえがここにっ」
「ああ、てめえが呼んだんだろ?なあ」
ゾロはにやりと笑って、サンジに襲い掛かるチンピラを木刀で薙ぎ倒した。
「俺の女を預かってるってよ」
「…クソっ」
後ずさるクリークを守るように、若頭のパールが飛び出した。
「てめえらやっちまえ!こいつら生きて帰っ…」
「遅えっ」
皆まで言い切る前に、サンジの膝蹴りが顔面に炸裂した。
血反吐を吐いてもんどり打つパールの背を踏み超えて、先に進む。
「すみれちゃ〜ん!すみれちゃ〜〜ん!!」
ゾロはパールにとどめを刺して、やれやれとその後を追った。

「すみれちゃんっ」
手当たり次第にドアを蹴破り、中から飛び出してきたチンピラどもを蹴り飛ばしていく。
うち一部屋はベッドルームで、裸の男女が抱き合っていた。
「…わっ!お取込み中すみません!」
サンジは真っ赤になって慌てて壊れたドアを閉め直し、ん?と気付いて再び蹴り破いた。
「すみれちゃん?!」
「いや〜んエンジェ」
すみれは胸元にシーツを巻いて、上機嫌で白い両腕を伸ばした。
「エンジェが助けに来てくれるなんて、すみれ感激!」
「…え?すみれちゃん大丈夫?って、え?」
すみれと並んでベッドに座っているのは、上半身裸のギンだ。
「こりゃ早かったな」
「え?え?ええ?」
驚きに目をぱちくりさせているサンジの背後に、ゾロが現れた。
途端、すみれは先ほどとはまた違った声で「きゃー」と叫ぶ。
「いやん、若頭まで恥ずかしいっ」
「おめえは身支度してろ」
騒ぐすみれにシーツを被せ、ギンはベッドから降りてサンジに歩み寄った。
ギンに押されるようにして、サンジはひとまず部屋の外に出る。

「ギンさん?どういうことですか」
ギンは、店の常連とはいえクリーク一味の幹部だと知ってはいた。
だからこの場にいてもおかしくないのだが、この余裕とすみれとの関係性が見えない。
「説明はあとでゆっくりでいいだろう、すみれのこと頼みます」
後のセリフはゾロに向かって告げられた。
了解するように頷くと、ゾロはギンの鳩尾に一発決めてその場で昏倒させた。
「…どういうこと?」
足元にくずおれたギンを見下ろしている間に、扉が開く。
「お・待・た・せ〜」
服を着て化粧までし直したすみれが、恥ずかしそうに中から出てきた。





「とにかくまあ、すみれちゃんが無事でよかったよ」
カジノバーを壊滅状態に陥らせ、霜月組は悠々と事務所に戻った。
表立って暴れてはいないし、当時店にいた客や従業員から通報なども入らなかったらしい。
お互い叩けば埃の出る身だからか、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
周囲の店も騒ぎには気づいていても、自分に火の粉が降りかからない以上無駄に騒ぎ立てることはない。

久しぶりに事務所を訪れれば、ヤスが留守番をしていた。
なぜか蘭子も一緒だ。
「あれ?なんで蘭子ちゃんがここにいるの」
「あの、なんでエンジェが皆さんと…いらっしゃるの?」
店の方はと聞けば、ヤスが事務所の留守番をしなければならないからと蘭子を連れてきたのだという。
「蘭子ちゃんから目を離すなと、姐さんに言いつけられてますんで」
ヤスの言葉に、サンジはああ〜と額に手を当てる。
「まあ、確かに蘭子ちゃんのボディガードにお前を付けたけどな。あのな、もう必要ねえわ」
そこまで言って、ヤスの肩に手を置きにこっと微笑む。
「よく頑張ったなありがとう、お疲れさん」
「はい!」
サンジに褒められて、ヤスは子どものように顔を輝かせた。
その二人を交互に見詰めて、蘭子は目を丸くしている。
「え、あのどういうこと?エンジェが私に、ヤスさんを付けたの?」
「そうだよ」
ヤスはどこか得意げに振り返った。
「姐さんはそりゃあ優しくて、頼もしいんだ」
「…え?え?」
まだ頭がついてこれない蘭子に、サンジがどこか申し訳なさそうな顔で振り返る。
「ごめんね蘭子ちゃん、俺が“ロロノアの女”なんだ」
その隣に立つゾロは、とぼけたような顔で顎の下をポリポリと掻いた。





ウィスキーピークの第3倉庫で、今夜鰐淵組と黒猫組との薬物取引がある。
そう警察にたれ込みをしたのは、信頼のおける情報屋だ。
鰐淵組と黒猫組、双方の動きを見守りながら信憑性があると判断して踏み込んだ。
ところが、実際に蓋を開けてみればまさかの、鰐淵組と霜月組との夜のお茶会だった。
思わせぶりに積み上げられた粉類はすべて本物の小麦粉で、倉庫の中にはケーキとコーヒーなどのお茶類しかなく、狐に抓まれたような顔の刑事達は文字通りお茶を濁して帰って行った。
ガセネタに踊らされた責任問題は、こちらの知ったことではない。

「クロコダイルが甘党だと、よくわかったな」
夜のお茶会解散時に手土産として持たされた焼き菓子を事務所で広げ、雅はやれやれとばかりに酒を呷った。
甘いものは嫌いではないが、あそこまで取り揃えられているとさすがに胸が悪くなってくる。
連れて行った若い衆は全員、甘いもの好きばかりを選んだ。
彼らにしてみれば、天国のような空間だったのだろう。
「社長室にスパイダーズカフェのチョコボンボンがあったしよ、同じ白い粉なら小麦粉の方がいいじゃん」
サンジはこともなげにそう言って、留守番組のヤスと蘭子、それにすみれに、改めてデコレートしたケーキをサーブしてやる。
三人は子どものようにはしゃいだ声を上げて、真夜中のスイーツを楽しんだ。

「しかし、まさか黒幕がクリークだったとはなあ」
「もともとは鰐淵組と黒猫組の取引現場に俺たちをぶつけて、警察にたれ込んで一網打尽にさせようって寸法だったんだろ。卑怯なこと考えやがって」
「百計のクロも、形無しだな」
女を人質に取ったと言って霜月組を取引現場に誘き寄せ、目障りな三つの組織を一斉に潰す魂胆だったらしい。
ただクリーク組にとっての誤算は、「ロロノアの女」が誰かわからなかったことだ。
「けど、なんでギンさんが?」
サンジの疑問に、すみれが答えた。
「ごめーん、彼あたしの男ー」
「えええ?」
現場に踏み込んでいながら、サンジは大仰な声を出した。
「お店の常連さんでさあ、ちょっと前からいい感じになっちゃってたのよねえ」
ふふふと微笑む顔は、お店で見せる妖艶さとはまたちょっと違った感じで可愛らしい。
「…それじゃあ」
「蘭子があんまり『ロロノアさんの彼女って誰?』って聞き回るからあ、私ってことにしといたらいいかなあって、彼があ」
「だからなんで、ギンさんが?」
ギンはクリーク組の幹部だ。
自分の女に嘘をつかせるような真似をしたら、クリーク組の不利になるだろう。

「元々、いまの組に愛想尽かしてたのよねえ。どうせなら盛大に計画が失敗するようにって一枚噛んだみたいよ。彼はエンジェが若頭のコレだって知ってたみたいだし」
「なんで?」
最大の疑問はそこだ。
まさか、裏の世界ではゾロとサンジの関係はつまびらかになっちゃっているのだろうか。
それにしては、クリーク組がサンジのことを知らなかったのと辻褄が合わない。
「花藤に最近、霜月の若頭のコレが勤めだしたってのは結構噂になってたみたい。でもそれが誰かはわからなかったのよねえ。女の子って結構出入り頻繁じゃない?まあ、花藤はあんまり引き抜きとかすぐ辞めるとか浮ついたとこないけどさあ、バイトの子とか結構いるし」
それは、確かにそうだ。
ホステスにだけ限ったなら、みなサンジより以前から働いている子たちばかりで。
「彼はエンジェと話してて、ぴんと来たそうよ。もしかしてエンジェがそうかなって」
「マジで?」
「ほんとに?私いまでも信じられない」
驚きに目を丸くする蘭子の隣で、サンジも同じようにうんうんと頷いている。
「エンジェがそうだとすると辻褄も合うし、だったらクリーク組の勘違いも利用できるって思ったみたい。だから私が“ロロノアの女”ってことにして、自分で拉致して人質に取ってたのよね」
そして実際の取引現場に警察を突入させたはずが、夜のお茶会で終わってしまったと。

「…じゃあまあ、誰も被害には遭ってないんだね」
最大の心配ごとだったすみれは、ケロっとしているし終わりよければすべてよしだ。
「でも、ギンさんとすみれちゃんがデキてるって、よくクリーク組にバレなかったね」
2人の仲が誰かにバレていたら、この計画はおじゃんだ。
「そうよう、もともと彼ってちょっと秘密主義だし〜。私のことも誰にも言ってなかったみたい。だから攫われた当初とか、レイプごっことかしちゃって刺激的だった〜」
とろりと目元を潤ませるすみれの表情があまりにも色っぽくて、サンジは目のやり場に困る。
「彼がそうやって私に手を出してくれたから、他の奴らは私に手出ししてこなかったのよね。だから安全安心な監禁生活だったわ」
「…そ、れは、よかったね…」
サンジは耳まで赤くして、目を逸らした。
自分のことだと割と平気でいられるのに、他の女の子の話はなんだってこう、刺激的なのだろう。

「被害云々っていうなら、強いて言えばクリーク組でしょ。鰐淵組には全部計画バレちゃったし、どさくさに紛れて陥れられるとこだった黒猫組に至ってはもうカンカンよ。クロの復讐ってえげつないらしいわよ〜」
他人事みたいに言って、すみれは大きく口を開け好物のミンスパイに齧り付いた。
「ん〜〜〜美味し〜い」
「それじゃあギンさん、大丈夫かな」
「彼は大丈夫よ、いつでもトンズラする用意はできてるし。その頃にはクリーク組のが大変なことになってるでしょ」
いざというとき、女性の方が肝が据わっているのかもしれないな。
サンジは何事もなかったように和やかにケーキを頬張るすみれと蘭子を眺め、頼もしさを感じていた。






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