極道天使  -7-



「すみれちゃんが危機に陥っているから、ちょっくら助けに行って来る!」
そう宣言して突然の欠勤願いを出したサンジを、ママは当然のごとく止めた。
「いきなりどうしたの。きちんと訳をおっしゃい」
「そんな暇はないんだ。俺は急がなきゃいけないし、店ももう開店時間だろ」
「そう言う訳には行きません。どうしてもと言うならどこに行くのか私に教えなさい、私から組に知らせます」
サンジは困った顔でママの前で居住まいを正した。
鰐淵組がどんな魂胆を持っているのかはわからないが、できたら組を巻き込んだ抗争にしてしまうのは避けたい。
けれど「ロロノアの女」目当てで拉致したなら、やっぱり原因は組にあるんだろうし。
それをゾロ達が承知していないのなら、単なるホステスの揉め事で片付けられる気もするし。
でもママのところに雅が問い合わせをしたのがサンジの無事確認だったら、やっぱりゾロの方に「女を預かった」的な脅しが入ったのかもしれないし。
そしたらすみれはサンジの身代わりに攫われたってことになるし。
だったらこれは、組の問題じゃなくサンジの個人的な問題になるんじゃないだろうか。
うんそうだ、そうしよう。

「ってことで、多分俺のせいですみれちゃんは攫われたから、俺が助けに行ってきます」
「なに言ってるのか、さっぱりわかりません」
ママは毅然とした態度を崩さず、サンジに対して眦を吊り上げた。
「あなたが勝手に行動したら預かってる私の責任問題です。せめてどこに行くのかだけでもおっしゃい」
「・・・砂楼通りの鰐淵組の事務所に、怒鳴り込みに行ってきます」
観念して素直に言ったら、ママは大きく頷いた。
「わかりました」
「え?わかってくれたの?」
思わず拍子抜けして顎をカクンと落とす。
ママは艶っぽい手つきで自分の襟元を撫でると、しゃんと背を伸ばした。
「どうせ私が引き止めても止められないでしょう。ただし、此処から先は私も勝手に判断させていただきますよ」
「はい、すみませんご迷惑お掛けします」
気を付けの形から深々と礼をし、くるりと踵を返して駆け出した。
もはや一刻の猶予もならない。
すみれちゃん。
どうか無事でいて欲しいと、それだけを念じて砂楼どおりに向かってひた走る。





通常の方向感覚を持ち合わせているから、鰐淵組の事務所にはまっすぐにたどり着いた。
「バロックワークス」なんて社名を掲げ、オフィスビル街にピカピカの社屋がどんと聳えている。
下町の中古ビル3階部分を借り上げている霜月組とはえらい違いだ。

受付も楚々とした美女二人で、応対も丁寧だった。
「失礼ですが、アポイントメントはお取りですか?」
「いえ、取っていません」
自分の顔が映るくらい綺麗に磨かれたカウンターに手を置いて、サンジは受付嬢に負けじと営業スマイルを浮かべきっぱりと言い切った。
「ですが社長さんに、至急お会いしたい用件があります」
「社長・・・と申しますと・・・」
「すみません、名前もわかりません」
我ながら酷い申し出だ。
もしこれが入社試験だったら、一発で不合格だろう。
並んで座った受付嬢はお互いにそれとなく目を合わせ、戸惑いを隠せないように首を傾げた。
「恐れ入りますが、改めてアポイントメントをお取りいただけますか?」
ぐずぐずしていると不審者扱いで警備員を呼ばれてしまう。
サンジは少し上体を屈めて、笑顔のまま声を低めた。
「では社長さんにこう伝えていただけますか?・・・『ロロノアの女が来た』と」
受付嬢は頭にいっぱい疑問符を浮かべたような顔で、緩く頷きながら受話器を取った。





「俺が社長のクロコダイルだ」
頑丈なデスクに革張りのソファ、背後は一面ガラス張りの窓で高層階からの眺めが素晴らしい。
こんな、絵に描いたような高級感溢れる社長室にあって、クロコダイル社長はあまりにあまりなルックスだった。
黒髪を後ろに撫でつけ、これでもかというほどにテカるポマード。
太い葉巻を咥えギロリと睨む瞳は三白眼。
いかつい顔に険しい表情かつ、顔を真横に縦断するようにくっきりと傷跡が刻まれている。
一目見て、ゾロとは種類が違うが明らかに「ヤバい人」だとわかりすぎる。

「人相悪りぃ・・・」
「ああ?」
ギロリと凄まれ、サンジは口を閉じた。
「いや、その初めまして」
一応畏まって一礼するサンジを、クロコダイルは着席したまま睥睨する。
「“ロロノアの女”とやらが、この俺になんの用だ」
「人を探してんですよ、クラブ花藤のホステス、すみれちゃん」
「ああ?」
広い額にくっきりと皺を寄せ、クロコダイルは目を眇めた。
これだけで並の男ならその場で竦み上がり、すぐにでもこの場から逃げ出すだろう。
だがサンジはポケットに手を突っ込んで、正面から睨み返した。
「心当たりがねえとは言わせねえぜ」
「生憎だが、まったく心当たりがねえ」
クロコダイルは葉巻を噛みながら、子どもに聞かせるようにゆっくりと話した。
「クラブ花藤ってのも、すみれってのも俺の馴染みじゃあねえよ。いったいどこでなに齧って来やがった」
「すみれちゃんが“ロロノアの女”だって聞き出したヤツが、『鰐淵組に頼まれた』つったんだ」
「誰だあ、そいつは」
「俺が知るかよ」
野郎になんて興味ねえと続ければ、クロコダイルは声に出してため息を吐いた。

「それじゃあなにか、てめえはどこの誰ともわからねえヤツからの情報で、この俺を誘拐犯呼ばわりして会社にまで乗り込んだと、そういうことか?」
「そうだ、なんだあんた頭いいな」
あっけらかんと言い放つサンジを、クロコダイルは黙って観察した。
ド外れた阿呆か単純馬鹿か、それとも並外れた度胸を持つ策士か。

「お前、俺が誰かわかってんのか?」
「バロックワークスの社長さんだろ、名前はここに来るまで知らなかったけど。それは表の顔で、本職は鰐淵組の組長」
「それは裏の顔だ、本職は社長職だよ」
クロコダイルは悪びれることなく、テーブルに肘を着いてサンジを見返した。

「鰐淵組ってえと、ちょくちょく霜月組と小競り合いしてるじゃね?俺、間接的にだけどあんたんとこの手下に殴られたこともあるし。だから、あんたとは初対面だけど俺のこと、知ってんだろ」
“ロロノアの女”と名乗りながら男が現れたことに驚かないのは、そういうことだ。
「なんのことかあ知らねえが、霜月の若頭がちょいとばかし毛色の違う猫を飼い出したってのは噂で聞いてる」
「そりゃどうも」
サンジは懐に手を入れた。
社長室との続き間があるらしい扉の向こうで、少しだけ気配が動く。
護衛の者達が、クロコダイルの指示を待って様子を見ているのだろう。
それに気付かないふりをして煙草を取り出し、火を点けた。
軽く吹かしてから、いま気付いたように目を細める。

「失礼、ここ禁煙じゃねえよなあ」
クロコダイルは葉巻をくゆらしたたまま、顎を上げて答える。
「人違いだとわかったんなら、お引取り願おうか。こう見えてうちも結構忙しくてね、特に今夜は大切な予定が入っている」
「そうも行かねえんだよ、こっちだってはいそうですかって手ぶらで帰る訳にゃぁいかねえ。大事な大事なすみれちゃんの無事が掛かってんだ」
「だからそれは誰だ、てめえの情婦か」
「そんな・・・すみれちゃんが俺の・・・だなんて・・・」
なにを想像したか、サンジはタバコを指で挟んだままデヘヘと鼻の下を伸ばした。
「だったらいいなーと思うけど、残念ながら職場の同僚だよ。俺いま花藤でバイトしてんの」
「知るか」
サンジは真剣な顔で、クロコダイルに迫るようにテーブルに手を着く。

「すみれちゃんは、俺と間違えられたんだ。相手が“ロロノアの女”を拉致るために彼女を浚ったってんだったら、俺が助けに行かなきゃならねえだろ」
「せいぜい頑張れ、俺には関係ねえ」
「関係ねえことねえよ」
静かに、けれど毅然としてクロコダイルを睨みつける。
「少なくとも『鰐淵組に頼まれた』ってえ証言が出てんだ。おたくの名前が出た時点で、まったくの無関係って訳ねえだろうが」
「そこまで言うなら、証拠を出してもらおうか」
クロコダイルも静かに返したが、ドスが効いて低い声音だ。
腹の底にビリビリ来るくらい、迫力がある。

「てめえがどこの馬の骨ともわからねえ男から聞いた情報ってのでうちを疑うんなら、家捜しでもなんでもしてそのすみれとやらを見つければいい。だがなあ、見つからなかったらただじゃあおかねえぜ」
クロコダイルは葉巻を指で挟み、サンジの顔に向かってふうと煙を吹きかけた。
サンジは鼻の頭に皺を寄せ、口を尖らせて顔を顰める。
「こともあろうに俺に誘拐の濡れ衣を着せたんだ。霜月の親父さんにも責任とってもらわなきゃなあ」
「組は関係ねえだろうが、俺が個人的にここに来ただけだ」
言い返すサンジを、クロコダイルはせせら笑った。
「てめえさっき、『鰐淵組』の名が出たから無関係じゃねえっつったよな」
クロコダイルの顔に酷薄そうな笑みが広がった。
「だったらてめえも“ロロノアの女”と名乗った以上は、霜月組の若頭と無縁じゃなくなってんだよ。てめえの行動は霜月の動きだと見做される。わかってんだろうな」

サンジはしばしクロコダイルと睨み合い、ふっと目を逸らした。
「あくまで俺の個人的判断で起こした行動だけど、組に迷惑掛けるつもりはねえんだ」
言いながら、懐をまさぐってスマホを取り出した。
煙草にライター、組の連絡用に預かっている携帯も出してテーブルの上に置く。
スマホも携帯もチカチカと点滅して、何度か連絡が入っているのがわかった。
「俺の単独行動だからよ、持ちもんは全部あんたに預けるよ。俺はただ、すみれちゃんを無事助け出したいだけだ」
デスクの上にあるガラスの灰皿に勝手に煙草をもみ消して、サンジは降参するように軽く両手を挙げた。

クロコダイルは不意に手を伸ばし、サンジの腕を掴んで引き倒した。
「――――っ!!」
頑丈なテーブルの上に仰向けに転がされる。
書類が乾いた音を立てながら床に落ち、ペン立てが倒れた。
「ここは、仕事する場所じゃねえの?」
無抵抗に寝そべりながら、サンジは下から見上げるようにクロコダイルをねめつける。
「裏の仕事もここでするこたあるんだよ、性悪猫の身体検査とかなあ」
「表の仕事の邪魔をするのは、不本意だな」
サンジは自らシャツのボタンを外し、片肌を脱いで見せた。
黒壇の机に、色の白さが映える。
「心配しなくても、俺は丸腰だから―――」
それでも緊張しているのか、言葉に合わせて筋肉がついてはいるが薄い腹がぺこりと凹んだ。
クロコダイルの皮手袋をした手が、そこに触れる。
その感触の硬さと冷たさに、サンジは片方だけ見える目を見開いた。
「・・・あんた」
「なにを、考えてやがる?」
探るような目で見詰め合い、サンジの方が先に微笑んでゆっくりと身体を起こした。

「お互い、悪い話じゃねえと思うぜ」
妖艶とも取れる笑みを浮かべたサンジの顔の横で、スマホが再び震えながら着信を告げた。




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