極道天使  -6-



本当はここで煙草の一服でもできればもっと落ち着けもするが、さすがにこんなファンシーな店で喫煙のために席は立てまい。
そもそも、最近は街中が禁煙ムードで非常に居辛い―――と思考が逸れて、サンジは手持ち無沙汰な両手を胸の前で組んでテーブルに置いた。
親指同士をチョコチョコと擦り合わせつつ、適当な言葉を探す。
「・・・えっと、それ・・・は、雅とか、知ってんの?」
「もちろん」
サンジの動揺とは好対照に、香はあっけらかんと応えた。
「私の帰りがちょっと遅くなっただけでも大騒ぎだったもの。一晩監禁されてたから、そりゃもう大変な騒ぎで・・・」
容易に想像できて、というか多分自分の想像の範囲を軽く超えた修羅場になっただろうことまでは、予想がついた。
それだけでも背筋が凍るくらい、怖い。
「・・・そ、れは・・・大変だったんじゃあ」
「そりゃあもう」
ごくんと唾を飲み込んで、サンジは恐る恐る口を開く。
「あの・・・その、バカ野郎・・・えっと、犯人っ・・・つうか、その、クソ虫野郎は、どう・・・?」
ヤクザの幹部の娘に手を出した男の末路は、どうだったのか。
言いにくそうに口をモゴモゴさせるサンジを正面から見つめ、香は頬杖を着いてにっこりと笑った。
まったく邪気のない、まるで天使のような清らかな笑顔だ。
「・・・聞きたい?」
「・・・や、イイデス」
聞けない。
気にはなるけど、怖くて聞けない。
聞けないから余計怖い想像になってしまってどうにも居た堪れず、カップを持ち上げて口元に当てたら空だった。
「おかわり、もらおっか?」
「・・・そうだね」
香に気遣われて、なんだか立場がない。

さばさばして明るい香にそんな過去があったなんてと、まともに衝撃を受けてサンジは隠しようもないほど凹んでいた。
サンジから無理やり聞き出した訳でもないのに、悪いことを聞いちゃったと自戒の念が消えない。
それに反して湧き上がる身勝手なシンパシイに、つい甘えそうになる。
「・・・辛かったね」
「うん?」
「香ちゃん、辛かったね」
ずっとケーキ皿に落としていた視線を上げた。
香と真正面で目が合って、不躾とは思ったけれどそのまま見つめ返す。
「エンジェに、なにがわかるの?」
香はそう言った。
サンジの同情の言葉にむっときて、咄嗟に言い返した風ではない。
責めるような詰るような、そんな口調でもなかった。
ただ純粋に、ふとした疑問を口に出したように、静かで柔らかな声音だ。

「わかるよ」
だからサンジも落ち着いて応えた。
香にすべてを打ち明けたいと思った訳ではないが、少なくとも自分達を取り巻く環境の中で一番経験が近いのは香かもしれないと、そう感じたからだ。
この場の雰囲気に甘えたと、言ってしまえばそれだけだけれど。

「辛くて哀しくて情けなくて腹立たしくて、・・・怖かったね」
男女の性差があるから自分と香が同じ立場だとは、決して思わない。
けれどサンジ自身の経験を思い返せば、自然と言葉が滑り出た。

今でこそゾロのことを離れがたいほどに愛しいと思うけれど、彼との出会いは最悪だった。
サンジ自身、身も心もちょっとは傷付いた。
ただその事実を認めたくなくて、虚勢を張って半ば強がりと意地だけでゾロの傍に居続けた。
結果、ゾロの方が絆されたのだと思う。
あの時、泣き寝入りして逃げ出していたら、思い出したくもない屈辱の記憶として生涯苛まされただろう。
けれど今は違う。
あん時は酷かったなーと、軽口のついでにでも面と向かって詰れるくらい、ハードな馴れ初めの想い出と化していた。
そうしたのは自分の努力だ。
ゾロがなにか尽力した訳ではない。
結局は、俺だけで――――・・・

つい暗い思考に落ちていたら、カチャリとカップを置く音がしてはっとした。
香がまるで観察するような目でサンジを見ている。
「あ、ごめん」
取り繕うように手元のカップを引き寄せたら、温かかった。
気付かないうちにおかわりが注がれていたらしい。
「エンジェは、優しいね」
「そんなことないよ」
ううん、と香は首を振った。
「とても優しいよ、でもそれは言葉だけとか上辺だけじゃなくて、エンジェがとても強い人だから」
「・・・香ちゃん?」
「痛みを知ってる人は強い。強いから、人にも優しくなれるんだね」
そんなことないよ、と言葉を繰り返しそうになって止めた。
サンジ自身、人から「優しい」と呼ばれることはよくある。
けれどその度に、罪悪感に似た感情が胸を過ぎった。
優しくなんてないと、自分でよくわかっているから人を騙しているみたいで気が引ける。
「私も、エンジェみたいになりたいなあ・・・」
香がそんなことを呟くから、サンジは慌てて首を振った。
「俺なんて、全然ダメだよ」
「思うのは私の勝手だよ。エンジェみたいに強くて優しい人になりたいって」
いいでしょ?と茶目っ気たっぷりに笑う香はいつもと変わらなくて、誰よりも強いのは君の方だよとサンジは胸の中で感嘆した。



喫茶店ですっかり話し込んで、そのまま二人で家まで帰る。
ヒデはコンビニからどこか別の場所に移動していたようだが、サンジと香が店を出たらどこからともなく姿を現して後ろからついてきた。
若いのに、見事なボディガードぶりだ。
日常にまでこうやって貼り付けるなんて、雅も子煩悩だなと思ってはいたが、香の話を聞いて考えを改めた。
そんな過去があったのなら、いくら護衛を貼り付けても心配で堪らないだろう。
サンジは時折ちらりと後方に視線を流しては、ヒデの様子を窺う。
もともと香の家に居候しているサンジの素性を、ヒデがどこまで知っているのかは知らない。
けれどこうして香と二人きりで喫茶店で過ごすなど、一定の線を越えた親密さを見せ付けられたら少しは不愉快に感じているだろうか。
それともこれも仕事と割り切って、サンジの存在など意に介さないだろうか。

「今日は楽しかった。またたまには外で会おうね」
「俺も楽しかったよ、またね」
「でも、今度はちゃんと割り勘だよ。ご馳走様でした」
きちんと礼をして部屋に戻る香を見送って、サンジは店舗部分に向かう。
香が家に帰り着いてしまえば、ヒデの仕事は終わりだ。
この後のプライベートタイムにはなにしてるんだろうと、つい興味を引かれてヒデを振り返る。
と、サンジを睨みつけていたヒデと目が合った。
やっぱり、サンジの存在は面白くないらしい。

「お前もお疲れさん、もう帰ったらどうだ」
サンジはポケットに手を入れて無意識に煙草を取り出した。
久しぶりの一服だと、口に咥える。
その仕草を睨みつけるような目で眺め、ヒデは無言のまま一礼するとすっと身を引いて闇に紛れるように路地の暗い方へ消えた。
「――――愛想のねえヤツ」
サンジは前髪を払いながら仰向いて、ぷかりと煙を吐いた。



早出のスタッフ達と掃除を済ませ仕込みをしていると、ホステス達が次々と出勤してきた。
やっぱりレディが現れるだけで、場が華やかになるなあと脂下がりながら挨拶を交わす。
綺麗に髪を結い上げ和服を着こなしたママが、裏から顔を出した。
「エンジェ、今日香にご馳走してくれたんですって?」
「いやあ、香ちゃんにデートしてもらったんですよ」
やっぱり会話がきちんとできている、いい親子だなと思う。
「ありがとう。いいわねえ、今度は私と付き合ってね」
「喜んで〜!」
雅に殺されるかも、と内心で思いつつ嬉しさに負けてはしゃいでしまった。
やっぱりサンジは、レディが大好きだ。

「ママ、すみれったら遅刻みたい」
撫子がスマホを片手に、美しい眉を潜めて報告に来た。
「今日は出勤のはずね」
「そうよね、連絡がつかないの」
サンジは「ん?」と首を傾げた。
「昨日は、今日来るようなこと言ってたよ」
明日のおやつはミンスパイだと言ったら、とても喜んでいたのだ。
サンジが作った差し入れを食べて以来、大好物になったらしい。
すごく楽しみと、子どものような顔で言っていたのに。
「おかしいわねえ。いい加減なところはあるけど、無断欠勤なんてしなかったのに」
そこに、店の電話が鳴った。
ママが受話器を取り、あらと表情を変える。
「お店に電話してくるなんて、珍しいわね。・・・ええ、え?エンジェ?いるわよ」
名前を呼ばれ「へ?」とママの方を向くと、ママは「ええ、ええ」とサンジに目を留めたまま相槌を打っている。
そのまま電話は切れたらしい。
なんなのよもう・・・と独り言をいいながら、受話器を置いた。
「誰からですか?」
「雅よ、貴方がいるかどうか確認したみたい」
「俺が?」
「店に直接電話ってことは、急いでたのね。私は仕事中携帯を持たないし」
いるならいいんだと、素っ気無く通話は切れたらしい。
サンジはふと胸騒ぎがして、スタッフルームに足を運んだ。



「失礼、ちょっといい」
ノックもそこそこにドアを開けると、身支度に忙しいホステス達が振り返る。
「蘭子ちゃん…ちょっと」
「あたし?」
付け睫毛を瞬かせる蘭子にちょちょいと手招きすれば、外に出てきてくれた。
「忙しいとこごめんね、ちょっと変なこと聞くけど」
「なあに?」
「蘭子ちゃん前、昔の男に付きまとわれてたじゃない?」
「ああ、あの時はごめんねえ。ありがとう」
「んーまあそれはいいんだけど、あの男…あれからなんか、連絡とかあった?」
蘭子はきょろきょろと辺りを窺うように見渡してから、そっとサンジに顔を寄せた。
「ママに心配掛けちゃってるから、内緒よ」
あれ?ママの耳にも入ってたのかなと疑問に思いつつ、サンジはうんうんと頷いた。
「実はね、しつこく付きまとわれるかと思ってたら、あれきり顔出さないの」
「そうか、それならよかった」
ボディーガードにヤスを付けた甲斐があったか。
ほっとしたサンジに、でもねと蘭子は続けた。
「昨日電話があったのよ、携帯に」
「…なんで着拒しとかないの?!」
「えー、だってなんか悪いと思って…」
なんでそこで遠慮するか。
「そしたら、あの霜月組の若頭さんの彼女?誰かわからないかってしつこく聞いてきて」
サンジは、嫌な予感がした。
「わかないよね?知らないよね蘭子ちゃん」
「ええ、知らないけどそれでも誰か一人くらい〜って言われたから…」
待て、待てよおい。
「お店のすみれって子が、ロロノアさんの彼女になりたいなって言ってたって言ったら…切れた」
はい、アウトー!


サンジは額に手を当ててその場で蹲った。
沈痛な面持ちに、蘭子は心配して一緒にしゃがむ。
「どうしたのエンジェ、気分悪いの?」
「や、ちょっと眩暈しただけで」
「控室で休む?」
「そうじゃなくて…」
サンジは疲労を隠せない表情で顔を上げた。
「蘭子ちゃん、確証もないのにいい加減なことを胡散臭い男に言っちゃダメだよ」
「ごめんなさい、でも本人の希望を伝えたまでなんだけど」
「ちょっとでも脈があるから、自分で彼女候補って言ったって思われるだろ」
「あーそれだと望みないなあ。すみれが一方的に熱を上げてるだけだもんね」
こんなところで呑気にしゃがんで、すみれの恋模様を案じている場合ではない。
「もしかして、すみれがお店に来ないの私のせいかしら?」
遅まきながら事態の大きさに気づき、蘭子は蒼褪めた。
「そうじゃない…と言い切れないけど、確かめるために携帯借りていいかな?」
蘭子に断りを入れ、夕べ着信があった男のもとへリダイヤルする。
てっきり音信不通になっているかと思いきや、相手は普通に出た。
『…蘭子か?』
「あの、あの、私…」
サンジに促されながら、蘭子はたどたどしく話しかけた。
『夕べはありがとうな、お蔭で助かった。命繋がったぜ』
「もう、そんなに危ないことには首を突っ込まないでちょうだい」
うっかり世間話が始まりそうだったから、目の前でジェスチャーして先を促す。
「それより、あなたにロロノアさんの…女のことを聞いてきた人って、誰なの?」
『ああ…俺ちょっとヤバいことんなって』
「ええ」
『んで、情報くれたら助けてくれるってえから、お前に甘えたんだ』
「そうなの」
――――そうじゃなくて!
しんみりした蘭子を前に、サンジはブロックサインを繰り返す。
「えっと、それでそのことを聞いた人は、誰?」
『ヤバい系の人だよ。聞かねえ方がいいぞ』
「私が教えたんだから、あなただって教えてくれてもいいじゃない」
『鰐淵組って知ってるか?』
サンジは蘭子の横にぴったりとくっ付いて、耳を澄ました。
『砂楼通りに事務所構えてるヤクザもんだ、そいつらから探り入れて来いって言われた』
――――クソワニ野郎!
サンジがギリッと奥歯をかみしめているうちに、蘭子の通話が切れてしまった。
「…やだ、切れちゃった」
「なんだって?」
「ヤバいことには首突っ込むなって、なあに一人で勝手にしゃべって切っちゃうなんて」
失礼ねと憤慨する蘭子を置いて、サンジは怒りに燃えてすっくと立ち上がった。






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