極道天使  -5-



「最近、蘭子の様子おかしくなあい?」
「蘭子なら、前からおかしいじゃない」
「そういうんじゃなくて」
「ひどーい」
開店前のスタッフルームでは罪のない陰口が大っぴらに交わされている。
本人の耳に入っても別に構わない、オープンな噂話だ。

「おかしいってのはダメンズ好きとかそう言うんじゃなくて、・・・ヤスさんよ」
「ヤス」の部分だけ声を潜め、撫子は鏡に視線を留めたまま丹念にグロスを塗る。
ああ〜と他のホステス達も訳知り顔で頷いた。
「思ったー、最近よく一緒にいるよね」
「って言うかー、もしかして一緒に暮らしてない?」
「えー?マジでー?」
「一昨日、美容室で一緒だったの見たよ」
姦しく飛び交う噂話を、デイジーはあっちにもこっちにも首を振りながら聞き役に徹していた。
「でも正直、ヤスさんはないでしょー」
「ないわーマジないわー」
「でも蘭子ダメンズ好きだから」
「あら、蘭子面食いよ。今までのダメンズも顔だけはみんなよかったじゃない」
「それじゃあヤスさんはダメダメってことで」
「ひっどーい」
手を叩いてケラケラ笑う撫子に、デイジーは恐る恐る尋ねた。
「私、組の皆さんってよくわかんないんだけど、ヤスさんって・・・そうなの?」
直接「ダメなの?」と聞くのは憚られて、曖昧な表現になる。
「えー私も知らないけどさあ」
「でも見てたらわかるよねー」
「わかるー、明らかに一番下っ端ー」
「いつも『ヤス!』『ヤス!』って使いっ走りさせられてるしー」
「うんと年下のシゲさんとかヒロシ君も、顎で使ってるよね」
ママの男が組幹部とは言え個人的に付き合いがいるものはいないようで、ホステス同士見たままの印象を言い合っているようだ。
―――と、そこにノックがした。
しばし間が空いてからドアが開く。
この部屋を律儀にノックしてから入るのは、一人しかいない。

「こんばんは、いいかな?」
顔を見せたのは予想通りエンジェだった。
スミレがキャーと派手に声を上げて駆け寄る。
「エンジェいらっしゃーい」
「今日の差し入れはなに?」
スミレを首に巻きつけたまま、エンジェは遠慮がちに中に入る。
その後ろから、蘭子が息せき切って駆け込んできた。
「遅れたーっと、まだ大丈夫か」
「あ、蘭子来た。途中でくしゃみしなかった?」
「え、なんで?」
「みんなで噂してたから、ダメンズ好きっぷりについて」
「えーひどいー」
開けっぴろげな会話の中で、エンジェは軽食と飲み物をテーブルの上に置く。
「わあ、綺麗」
思わずデイジーが声を上げ、ホステス達もわらわらと寄ってきた。
「可愛い」
「美味しそう」
「でもこんなの夜に食べたら、太っちゃいそう」
きゃーきゃーさんざめく声にエンジェは相好を崩した。
「大丈夫だよ、野菜メインのプチ・フールだから夜食でもOK」
「さっすがエンジェ」
「エンジェは女の子の味方よねえ」
「えー女の子ってどこにいるの?」
「ひどいー」
「ここよここ」
他愛無い会話をしながら、マニキュアに彩られた華奢な指が次々にプチ・フールを摘む。
それをエンジェはニコニコと笑顔で眺め、「それじゃあ」とあっさりスタッフ・ルームを後にした。

ホステス達はしばらくモグモグと口を動かし、散々食べた後「あんまり食べたらなくなるじゃない」と残りにラップをかける。
飲み物で喉を潤し、百合がほーと息を吐いた。
「エンジェが来てくれてから、ほんっとに仕事が楽しみって言うか裏方にも華があるって言うか」
「いいよねー、エンジェほんとポイント高い」
「エンジェが彼氏だったらいいなあ。毎日美味しいもの食べさせてくれるし、優しいし可愛いし、言うことないわ」
「働かなくていいからずっと家にいて欲しいよね」
「スミレも、本命若頭だなんて高望みしないで早めにエンジェ押さえといた方がいいんじゃない?」
「バカね、エンジェだって高望みじゃない」
“若頭”の単語が出て、蘭子はそうっとデイジーに肩を寄せた。
「デイジーは、若頭のことどう思う?」
いきなり問われて戸惑いつつも、無難に返事する。
「正直、お話したことないしわかんない・・・見た目はカッコいいと思うけど、・・・怖くない?」
「怖いよねー」
「そうよね、素敵だけど話しかけ辛いわ」
ベテランの牡丹まで、どうにも及び腰だ。
「若頭がお店にいらしても、相手するのは必ずママでしょ。私達なんて近づけてもくれやしない」
「でもそこがまた、いいのよねえ。影があるって言うかミステリアスって言うか」
「正直、若頭の横に座ったらなに話していいかわかんないかも」
「私は横顔見つめてるだけでもいいわ〜」
大げさに身をくねらせてウットリとするスミレに、蘭子はうーんと首を傾げた。
「・・・やっぱり、このお店には若頭の“女”とか、いないのね」
「蘭子、こないだからなに嗅ぎ回ってるのあんた」
「別にー、ただ興味あるだけで・・・」
ヤスがボディガードを買って出てくれているお陰か、いまのところあの男は蘭子の前に姿を現していない。
いい加減な男の頼みごとなど忘れてもいいだろうし、願いを叶えてやる義理もないのだが、つい頼まれると嫌と言えない性分だ。
自分でわかることなら把握しておこうと、無意識に考えてしまっている。
「じゃあさ、若頭の“女”は私ってことにしておいてよ」
スミレが軽い声で言った。
えー?と周りからブーイングが漏れる。
「なにそれ、強引で身勝手な自己申告」
「いいじゃなーい。望みは口にすると叶うのよ」
「わかったー、じゃあ若頭の女・・・いえ、彼女はスミレね」
「やった〜」
いい加減なスミレの進言に、蘭子は乗っかることにした。



周囲に気を配って注意深く観察してみると、案外とヤバ気なものに取り囲まれているものだ。
サンジは暢気にそう実感していた。
キャンパスでは世間話に紛れて「痩せる薬」の話題はいくらでも拾えた。
サンジが名前を知ってる程度の知り合いが仲立ちしているらしく、ちょっとした小遣い稼ぎだと嘯いていると聞いた。
大学でこんなだったら、もっと未熟な高校生達はどんなだろうか。
俄かに心配になって、サンジは買い物帰りにそれとなく香が通う塾のある区画に足を向けた。

案の定と言うか、塾の向かい側にある店の窓際にヒデが一人で座っていた。
ジュース一杯でああしてずっと、香が出てくるまで粘っているのだろう。
ヒデは年が若いし行動にも不自然さがないので、学生が茶店で暇つぶししているようにしか見えない。
実際、とても組の手下とは見えなかった。
事務所で彼の姿を見たこともないし、完璧に香専属のボディガードなのだろうか。
サンジがこうして雅の家で世話になることもなければ、ヒデの存在も知らなかっただろう。
―――あいつは、なんなんだろう。
休みがあるわけでもなく、役目があるわけでもない。
ただああしてずっと、一人の女の子の側についている。
サンジと年は変わらないはずだ。
友人と遊ぶとか、バイトするとか仕事するとか、なにがしか忙しく動き回る年齢だろうに、まるで彼の中心には香しかいないようにただ影のごとく黙って付き従っている。
あれも仕事の一環なのなら、給料っていくらくらいなんだろう。

つい思考が逸れたら、ヒデがついと顔を上げた。
どうやら塾が終わったらしいとその仕種で気付いて振り返る。
サンジより先に香の方が、姿を見つけたらしい。
「エンジェ、どうしたの?」
店の通り名を口にして、香は「あ」と口元に手を翳して首を竦めた。
ちょっとした動作が、とても素直で可愛らしい。
「いやちょっとね、そこまで来たから・・・」
言い訳するようにしどろもどろになっていると、香は人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。
「丁度よかった、お腹空いちゃったからケーキでも食べない?」
「え、うん」
「私、行きたいお店あるの。エンジェならきっと違和感ないと思う」
そう言って香に連れてこられた先は、確かに客を選びそうな店だった。
実に乙女チックでファンシーで、白とピンクとフリルに彩られたキュートなパティスリーだ。
サンジはそんな内装にも臆することなく、むしろお客さんも店のスタッフも可愛い子ちゃんばっかりだなあと目を細めて堂々と店に入った。

香と向かい合わせに座ってから「あ」と後ろを振り返る。
「・・・ヒデ、いいの?」
遅まきながら気付いたが、ヒデは道路を挟んだ向かい側のコンビニで立ち読みのふりをして立っていた。
今度はあそこから見張る気らしい。
「いいのよ。別に四六時中一緒にいる訳じゃないから」
香はヒデの放置に慣れているようで、ケーキプレートの写真を熱心に眺めている。
「私これにしよう、エンジェはどれにする」
「ああ、じゃあ俺はこれで」
さすがにママの娘と感心したくなるくらい、香は聡明で快活だ。
判断も早いし、まだ高校生なのにすでに姉御肌を感じ取れる。
それでも、目の前にケーキが来た時はさすがに女の子らしく頬を紅潮させて顔を綻ばせた。
「んー、やっぱり息抜きには甘いものが一番。エンジェのケーキももちろん美味しいけど」
「ありがと。でもこうして可愛いお店で可愛い子と一緒に食べるのは、また格別だね」
サンジも一口口にして、ふーと鼻から息を吐く。
甘すぎない滑らかなクリームは、薫り高い紅茶とよく合う。

「毎日ほんと勉強大変だね」
「でも、エンジェも受験の時はこうだったんでしょ?」
「俺はまあ、ほら、それなりに・・・」
無理なく入れそうなレベルの私立を選んだから、歯切れも悪い。
「香ちゃんの第一志望、聞いていいかな?」
「私はグラ大の医学部」
「―――――っ!!!」
思わず、紅茶を噴き出しそうになった。
グランドライン大学と言えば、公立の名門校ではないか。
しかも・・・
「医学部う?!」
「そうよ。私、医者になりたいの」
あっけらかんと答える香に、気負いない。
「・・・か、香ちゃんって、頭いいんだー・・・」
「ありがと」
へーそうかー医学部なんだーへー・・・としばらく口の中でぶつぶつ呟いてから、サンジはテーブルに肘を着いて肩を落とした。
「そっかーやっぱ香ちゃん、しっかりしてるなあ」
「なあに改めて」
「だってさ、将来お医者さんになるってちゃんと目標定めてるじゃん。その年で偉いよ」
「あら、将来の目標なんて中学の時から大体みんな定めさせられてたわよ」
「そりゃあそうかもしれないけどさあ・・・」
昔を思い返して、サンジはそっとため息を吐く。
確かに、サンジだって将来の夢ってのは何度も書き直していったっけ。
サッカー選手から保父さん、カリスマ美容師に一流レストランのシェフ―――
けれど今は・・・
「就活の目処さえ、ついてねえのにさ」
「エンジェ、お料理の腕があるじゃない。料理人にならないの?」
「料理の道に進むんなら、大学じゃなくて専門学校に行っとくべきだったよ」
高校の進路選択で考えもしたけれど、現実的じゃないと判断されて無難な大学に進んだ。
あの頃は、自分の意思もなかった。
「今からでも、間に合うんじゃない?」
香は頬杖を着いて、やけに大人っぽい仕草でサンジを見つめた。
その大きな瞳には、将来の夢とか希望とかがいっぱい詰まっているんだろう。
ほんの数年早く生まれただけのサンジでも眩しいくらい、曇りのない輝きについ目を瞬かせる。
「俺あダメだね、いくつになっても自分で何にも決められなくて、ふらふらして・・・」
「元気出してよ、いざとなったらこのまま花藤に就職したらいいじゃない。エンジェ目当てのお客さん、もういっぱい付いてるんだし」
女子高生に慰められて、夜の世界に誘われてどうする。

「香ちゃんは本当にまっすぐ育ってるなあ。さすがはママの娘と言うか、雅がしっかりしてるって言うか」
つい気を許して雅を呼び捨てにしてしまったが、香も特に気に留めなかった。
「そうでもないよ。私も色々あったから」
「色々って・・・」
苦笑して顔を上げる。
女子高生が人生を語ってどうする。
「でも、まじめに学校行って勉強して、医学部目指すなんてすごいじゃないか。素直にまっすぐ育ったんだよ」
「そう思う?」
フォークを持った手を止めて、香はサンジを見つめた。
先ほどと変わらぬ笑顔だが、瞳の輝きが少し違う。
「・・・香ちゃんも、グレてた時期があった・・・とか?」
「そりゃそうよ」
音を立てずにフォークを置いて、香は紅茶のカップを持った。

「言っちゃあなんだけど、父親はヤクザで母親は夜の女よ。子ども心にも、うちは普通とは違うなあって気付いてた」
「・・・香ちゃん」
「運動会でも授業参観でも、ママしか来ないし。来てくれても、なんか違うのよね。もちろん、着物着たり髪を結ったりしてなくて、普通の目立たないワンピースとかで来てくれるんだけど、でもやっぱりなんだか違ってた」
それは仕方ないかもしれない。
目鼻立ちのくっきりした美人顔だし、所作は美しいし、どうしても玄人っぽい雰囲気は隠しきれないだろう。
ママがいくら普通の格好をしてお母さん方と一緒に教室の後ろに並んだとしても、やはり目立ってしまうに違いない。
「中学ん時にクラスメイトと揉めてさあ、一時期学校行かなかったり。結構ママにも心配かけたわ」
「・・・そう、か」
そんな時期は、誰にだってあるかもしれない。
サンジはあまり物事に頓着せず、友人達とも浅く広く付き合っているから人生の挫折経験はないけれど、香のような聡明な少女は多感な時期もあっただろう。
それにやっぱり、女の子の世界はそれなりに厳しい。

「それで、ちょっと家から離れた高校行ったのよね。ここなら誰も私のこと知ってる人間いないから、心機一転って。でもどこでどう繋がってるのか、1年のときにパパのことバレちゃって」
「・・・え」
「でもまあ、もう高校生だし。あからさまにからかわれたり避けられたりするようなことなかったけど」
カップを両手に持って、照れたように笑う。
その笑顔が、サンジにはなぜか泣き出す手前みたいな表情に見えた。
「私だって普通の家に生まれたかっただなんて、どうにもならない駄々捏ねるほど子どもじゃなかったし、表面上は仲良くしてたのよみんなと。けど、よくない輩に目を付けられて」
サンジはなんだかどきどきして、うまく相槌すら打てない。
「夜遊びしてたら、柄の悪い先輩に部屋に連れ込まれて―――」
「か、かかか香ちゃんっ」
サンジは一人で慌ててて、テーブルに手を着いた。
指先がスプーンに触れて、カチャンと音を立てる。
驚いて手を離したら、今度は肘がティーポットに当たってしまった。
倒れかけたティーポットを香が手を伸ばして押さえ、笑いかける。
「エンジェが慌ててどうするの」
「え、あ、いや、や、あの・・・」
もう、どういう顔をして話しを聞いていいかわからず、サンジは落ち着きなくお絞りでテーブルを拭いた。
「エンジェってほんと、可愛い」
3つも年下の少女にそう言われ、サンジはどぎまぎしながら手を止めて、冷めた紅茶を口に含む。
ゆっくりと飲み下せば、少し落ち着いた。




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