極道天使  -4-



「あとは自分で片付けるから、お仕事戻って」と香に言われ、サンジは店舗部分へと移動する。
もう客は引けてそろそろ店じまいかと思いきや、3次会らしき団体が入って店内は一頻り盛り上っていた。
慌ててスタッフに詫びを入れ、持ち場に戻る。
―――と、何がしかの気配を感じて振り向いた。

酔っ払ったサラリーマンが賑やかに飲んでいるボックス席は、ホステスの華やかさのせいか一段ときらめいて眩しく見える。
その影になるように、左端のボックス席は照明がいくつか落とされていつもより暗かったが、男が一人飲んでいた。
相手をしているのは和服姿のママで、そこはそれでしっとりとした落ち着いた空間になっている。
珍しく雅が一人で飲んでいるのか・・・と思いかけてギクリと強張る。
奥の席に凭れているのは、ゾロだった。

きゅーっと心臓が縮み上がった気がした。
恐怖とか嫌悪とか、そんなものじゃない。
意識して距離を取っていた、好きで好きで溜まらないものをいきなり目の前に突きつけられたような、完全に無防備状態で腹に強烈なパンチを食らったような。
咄嗟には抗いがたい動揺に襲われて、逆に何の反応もできず棒立ちになって固まってしまう。
――――ああ、ゾロだ。
ゾロがいる。

たった一週間、顔を合わせていなかっただけなのに、まるで心臓から直接血が溢れ出したみたいに胸が熱くなった。
ゾロが「仕事」と称して出かけ一週間も帰ってこない日だってざらにあったのに、今日までのこの時間はそれとはまったく違っていると改めて感じる。
こんなにも恋しくて苦しくて、切なさが堪らなくて。
許されるなら今すぐにでもその胸に飛び込んで逞しい背中に腕を回して抱きつきたかった。
ゾロの匂いを嗅ぎながら、その唇に噛み付いて舌でゾロを味わいたかった。

不意に獰猛な衝動に突き動かされて、どくどくと脈打つ血が下半身に集中するのがわかった。
これはまずいと慌てて視線を外し、カウンターに手を着いて前屈みのまま深く息を吐く。
指先が目に見えて震えているのが、我ながら滑稽だ。
ここはママの店で、隣にはスタッフがいて、目の前には綺麗なお姉様方がたくさんいて客のオッサンが酒を飲んでいる。
だからこんなとこで、一人で欲情してる場合じゃない!

呪文のように口の中でブツブツと己を戒める言葉を呟き、心を落ち着けた。
でもどうしても意識がそっちの方へ行き、ついちらりと目を向けてしまう。
ゾロは足を組んでソファに凭れ、ゆっくりとグラスを傾けていた。
その傍らでママは柔らかな笑みを浮かべ、視線をテーブルに留めたままなにか話している。
隣のボックス席では、スミレがちらちらと視線を投げ掛けて気にしていた。
明らかに、ゾロの側に行きたくて堪らないのだ。
けれど呼ばれなければ行けないし、勝手に押しかけたらママに叱られる。
一人でソワソワしてしまっているから、あれはあれで後で注意されるだろう。
デイジーはそんなスミレを隣で窘めつつ、まるでゾロを恐れるように背を向けている。
そんな二人の向かい側に座った蘭子は、チラチラとその様子を眺めていた。
「ロロノアの女を探れ」と頼まれている蘭子にとって、ゾロの来訪とホステス達の反応はいい観察材料なのかもしれない。
それらをすべて俯瞰できる立ち居地にいて、サンジは複雑な気分だった。

スミレちゃんでもデイジーちゃんでも、他のどの女の子達だって、もしゾロの彼女だと言われたらきっと誰だって納得できるだろう。
なんせこのお店は粒揃いの美女ばかりだし。
誰がゾロの隣に座ったって、すごく似合うし。
もしかしたらママ・・・はないと思うけど、もしママだとしてもそれはそれですごくお似合いだ。
やっぱり、ゾロの隣は美女が似合う。

思考が沈んだお陰で、下半身の熱も治まった。
そのままイジイジと客の注文を受けてアイスピックで氷を削っていたら、ゾロが席を立ってトイレに向かった。
カウンター前を通り過ぎる間際、チラリとサンジに視線を送った。
それに気付いて無視するつもりが、つい目線を上げて合わせてしまう。

――――来い。

言ったよ。
いま目で言ったよコイツ。

こうなるとわかってたのに。
だから目を合わせちゃいけなかったのに。
わかってたのについつい、見てしまった。
見たら気付いてしまう。
ゾロが来いっつった。
トイレ来いって。
ヤバイ、マジやばい。
どうしよう、行ったら絶対ヤルこと一つだ。

つか、もうすでにサンジの身体はどうしようもなく疼いている。
慣らしも濡れもなんもしなくても、挿れちゃってハイOKなくらい疼いてる。
この場でイソイソとバックル外しながらトイレに駆け込みたいほど欲情している。
ヤバイやばいヤバイ、どうしよう。

心中で動揺しつつ、手は的確に動いて素早く注文の品を作り差し出してしまった。
勝手に身体が動いて、それじゃあとばかりに踵を返しトイレに向かってしまう。
バカバカバカバカ俺の馬鹿!
脳内でいくら罵倒したって、動きは止まらない。

綺麗に掃除された男性用のトイレ、個室は2つあるがどちらも空いていた。
小用を済ませたゾロが、ジッパーを上げながら振り返る。
対してサンジは、どうしていいかわからずモジモジしながら後ろ手に扉を閉めた。

「・・・元気そうだな」
「う、ん」
世間話から入って驚いた。
てっきり、有無を言わさず個室に連れ込まれると思ったのに。
「いつまでここに居る気だ?」
ゾロが、Hするつもりではなく話をするために呼んだのだと遅まきながら気付いて、サンジは勝手に火照る頬を意識しながら応えた。
「もう、ちょっと」
「なんか用事があんのか」
「・・・あ、うん」
用事ならある。
蘭子ちゃんに昔の男が付きまとって動きがおかしいし、ロロノアの女探しなんて物騒な話になってるし。
だったら自分だって、この店で同行を探る必要があるんじゃないかな。
「ロロノア」の名前が出たら、平常心でいられないんだから。

「用事が済んだら、戻って来んのか」
こくりと頷きかけて、動きを止めた。
なんか変だ。
これではまるで、ゾロがサンジの顔色を窺ってるみたいな聞き方じゃないか。
早く帰ってきて欲しいのに。
いつ帰って来るんだと、ゾロから折れてご機嫌伺いしてるみたいじゃないか。

サンジはおずおずと顔を上げて、ゾロを見た。
久しぶりに見たゾロは、片目を酷い傷が覆っているのに相変わらずいい男だった
輪郭がすっきりとして顔立ちが整って目元は涼しくて。
表情がないから冷徹に見えるけれど、笑ったらすごく印象が変わる顔なのだ。
それを知ってるのに、いまのゾロはむっつりとしてまるで怒っているみたいに無愛想だ。
けど、これが普段のゾロだとサンジは知ってる。
怒ってないって、サンジはわかってる。

「ごめん」
つるりと、詫びの言葉が唇から零れた。
喧嘩しても八つ当たりしても、なかなか自分から素直に言えない台詞なのに。
ゾロの顔を見ていたら自然に飛び出てしまった。
「ごめん、もうちょっと・・・考えさせてくれ」
「なに考えること、あんだ」
いろいろ・・・と言いかけたら、ゾロの手がサンジの頭に乗った。
わしゃわしゃと乱暴に髪を撫でられ、でかい掌が地肌を掴んで軽く引き寄せる。
「こんな小さくて軽い頭で考えたって、ろくなことねえだろ」
酷い言い様なのに、サンジはじわっと胸が熱くなって目尻が濡れてしまった。

ああゾロだ。
ゾロの熱と力強さが、地肌から直接伝わる。
自分から胸に飛び込んで、シャツを掴むようにして顔を上げキスをした。
ゾロも、噛み付くように口付けを返してくれる。
しばらく無言でお互いの唇を貪り合い、濡れた音を立てて名残惜しげに離れた。
もう身体の芯が疼いて仕方がない。
全身が発火したように熱いし、立っているのも辛くてサンジはトイレの扉に凭れた。

「勝手にしろ」
ゾロはそう言い、サンジを残してトイレから先に出てしまった。
けれどその台詞に突き放した響きはなくて、そのことが余計サンジの身体を熱くさせる。
「・・・勝手にするよ、クソ野郎」
小さく悪態を吐いても一旦火が点いた身体は治めようがなく、サンジはそのまま一人で個室に入った。




やや時間がかかった後、どうにも拭いきれない居た堪れなさを誤魔化すように丁寧にトイレを掃除してから出てきた。
幸いなことに客達は引けていて、ゾロの姿もすでにない。
後片付けに追われるスタッフの動きに紛れ、サンジはいかにも「トイレ掃除終わりました」的な雰囲気を前面に押し出してゴミを集める。
スタッフルームからスミレが食器を運びに出てくる間際、開いた扉の向こうから話し声が聞こえた。
「ロロノアさんの?私は聞いたことないなあ」
「えーだから私だって」
スミレが慌てて踵を返し、会話に割り込んだ。
「スミレちゃんには聞いてないわよ」
「そうよ、願望言っても無意味よ」
「願望じゃないもの、希望だもの」
「一緒よ、ややこしくなるから黙ってて」
「あんたエンジェ狙いじゃなかったの?」
背後からひょいと覗いたサンジの姿に気付いたか、スミレはトーンを上げてまたくるいと身体の向きを変えた。
「やーだあ、勿論エンジェが1番よ」
「え?嬉しいなあ、ってかなんの話?」
「エンジェはみんなのエンジェルって話」
デイジーが誤魔化すようにまとめて、さあ解散とばかりにみな忙しげに動き始める。
下げられた食器を持ってカウンターに戻ると、蘭子が後ろから付いて来ていた。

「どうしたの、蘭子ちゃん」
振り返ってこっそり尋ねれば、蘭子は少し躊躇ってから口を開いた。
「・・・今日、霜月組の若頭さんがお店にいらしてたの、知ってる?」
「・・・あ、ああ」
知らない、とシラを切る必要もないので曖昧に頷いた。
「あの人の、その、恋人って言うか愛人って言うか、そういう人このお店にいるのかなあ」

―――それを俺に聞くか?
蘭子より勤務年数が短いどころか、ほんの1週間前から働き始めたサンジに聞くことじゃないだろう。
そう突っ込みたいが、自分は雅かママの身内と思われているなら、そのツテで尋ねてきたのかもしれない。
そう思って、サンジは内緒ごとのように声を潜めた。
「若頭さんって人が誰かはわかるけど、そういうのは俺、わかんないなあ」
「そう、よね。ごめんね変なこと聞いて」
サンジに向かって拝むような仕種をして、蘭子は離れて行き掛けた。
それをつい、反射的に呼び止める。
「蘭子ちゃん」
「なあに?」
「あの、もし、その若頭さんの彼女ってのがわかったら・・・俺にも教えてくれる?」
「なんで?」
蘭子が小首を傾げて聞き返す。
そりゃまあ、そうだろう。
「えー・・・あっと、その、単なる好奇心」
あの強面の男の恋人は誰かなんて、大抵気になるもんだろう。
蘭子はふうんとゆっくりと顎を上下させた。
「そうよね、うんわかった。もし誰かわかったらこっそりエンジェにも教えてあげる」
「ありがと」
じゃあねバイバイと手を振って、蘭子はスタッフルームに帰っていった。

―――蘭子ちゃん、ほんとに根が良いと言うかお人好しと言うか素直って言うか扱い安いって言うか・・・
「大丈夫かな」
他人事ながら、ものすごく心配だ。。
頼まれたからってあんなにあちこち聞き回ったり、サンジみたいな新人にまで尋ねたり。
あまりに行動が浅すぎてヒヤヒヤする。

今日もマンションに戻るまで、ちゃんとヤスがついていく手はずになっているはずだが、サンジの心配は色んな意味で募ってしまった。







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