極道天使  -3-



行きつけの美容院に寄ってから仕事に行くつもりで、蘭子はいつもより早く家を出た。
マンションのエントランスを出た植え込みのところに、見覚えのある男の後ろ姿を見つけて軽く驚く。
「・・・ヤス、さん?」
「あ、蘭子ちゃんおはよう」
ヤスは身体を傾けながら振り向いて、後ろ頭を掻きながらへへへと笑った。
「どうしたの、こんなところで」
「蘭子ちゃん待ってたんだ」
「あたしを?」
「しばらく、蘭子ちゃんについててやれって姐さんに頼まれたんで。蘭子ちゃんは気にしなくていいよ」
こんな見た目が物騒な男に待ち構えられていて、気にしないはずがない。
蘭子はさすがにむっとして言い返した。
「そんなの、私がいつ家を出るかわかんないでしょ」
「ああ、そう思って午後からここにいた」
「・・・ずっと?」
「ずっと。あ、でも途中でジュース買いに1回と、トイレに1回ここから離れたけど」
それにしたってずっとだ。
随分とおおっぴらなストーカーなんじゃないか。
「頼まれたって・・・あたしそんなに、信用ないのかな」
ママに心配されるのは少しは気分がよかったが、ここまでとなると逆に怪しまれている気がする。
蘭子はママや店のみんなに迷惑を掛けたくはないが、実際昔の男が組関係のことで立ち回っているのを見ると自分の立場がまずいことは理解できた。
それなら、聡いママが警戒してヤスを貼り付けさせるのもわかる。
「信用、ないよねやっぱり、あたしなんか・・・」
「そんなことないよ」
表情を暗くした蘭子に、ヤスは慌てて両手を振った。
でかい図体にのうぼうとした面構えでいがぐり頭だから、着ぐるみが動いているように見えなくもない。
「姐さんはほんとに蘭子ちゃんを心配してんだよ。大事な蘭子ちゃんにもしものことがあっちゃなんねえって、俺なんか傍にいたってクソの役にも立たないかもしんねえけどさ、頼むって姐さんは俺に言ってくれたんだ」
「ヤスさん・・・」
「姐さんは、本当に優しくて面倒見がよくて気風のいい人だ。俺なんかも頭から馬鹿にしないで、どうすればいいかちゃんと教えてくれる。姐さんを疑ったりなんか、しないでくれよ」
ヤスの必死な形相に気圧され、蘭子はぷっと吹き出した。
「やあね、別に疑ったりなんかしてないわよ」
「ああ、ごめんね。俺なるべく蘭子ちゃんの邪魔にならないようにするから」
「そうやって後を尾けてきたら邪魔」
「えーと・・・」
ヤスはきょろきょろと周囲を見回し、一番近い電信柱に駆け寄った。
そうして柱の影にそっと身体を入れてみる。
本人は隠れたつもりだが、電信柱の3倍はある彼の身体はまったく隠れていない。
「余計怪しいって」
蘭子はコロコロ笑って、手招きした。
「いいわ、じゃあ私のボディガードとして傍にいて」
「・・・いいの?」
「ええ、その代わりこれから美容院に寄ってから仕事に行くから、待合室で待っててくれる?」
「もちろん、俺はずっと蘭子ちゃんの傍にいるつもりだよ」
「途中でトイレに行くときはついてきちゃダメよ」
「もちろんだよ」

蘭子は「クラブ花藤」に勤めて3年になるが、ママの男が組の幹部だということは知っていても、個人的に組員と接触したことはなかった。
店に客として飲みに来ていても接客は古参のホステスが担当していたし、見た目に怖い人ばかりだから近寄ったこともまともに話したこともない。
端から見て、ヤスは見た目も恐ろしくごつい顔で顔も頭も傷だらけなのに、いつも下っ端扱いだった。
確かに実際こうして話をしてみると、どうにも頼りなさ感が否めない。
けれど、ただ怖いだけの人より着ぐるみに近い分だけ、ちょっと可愛らしくさえ思えた。
「俺、命に代えても蘭子ちゃんのことを守るから」
「大げさねえ」
ゆるキャラをペットにしたような気分で、蘭子はヤスを引き連れて出かけた。




「なにか、気がかりなことでもあるのかい?」
ふと、目の前で声を掛けられサンジはグラスを磨く手を止めた。
いつも黙って飲むギンの口から発せられたのだと遅まきながら気付き、ああいやと言葉を濁してグラスを置く。
「ちょっと、ぼうっと考え事しちゃって」
「らしくないね、さっきから同じグラスを拭いてるぜ」
冷静な指摘に、あちゃーと下を向いた。
週の半ばなせいか、客の入りはそう多くない。
てんてこまいになるほど忙しくないから、逆にいろいろと余計なことを考えてしまう。
「お代わりは?」
「そうだな。たまには違うもんが飲みてえから、あんたが選んでくれよ」
こっちに振られたか・・・とサンジはしばし考えて、ジンを手に取った。
ジンベースで、オリジナルの辛口を作ってみよう。

ギンが所属するクリーク組とは、特に敵対関係にないと聞いている。
花藤のママは雅の女とはいえ、霜月組の傘下とも言いがたい。
この界隈はオープンスペースで、一般会社員の歓送迎会利用から裏社会の関係者やイースト署の署員達もご贔屓さんだ。
万が一店内で顔を合わせたとしても、お互い見てみぬふりをするのが暗黙の了解になっている。
「エンジェは、バイトなんだろ?」
「ええ、昼間は大学に行ってます」
「就活とか、大変なんじゃないか」
「ええ、まあ」
今夜は珍しくよく喋るなと思いつつ、悪い気はしなくてギンの前にそっとカクテルを置いた。
ギンは静かに口に持って行って、すっと一口飲む。
「ああ、美味い」
「そうですか?よかった」
ほっとして笑うと、ギンは眩しそうに目を瞬かせグラスを置いた。
「俺みたいな立場のモンが言うことじゃねえかもしれねえが、あんた、あんまりこの店に長居するもんじゃねえぜ」
「え?」
「ここが組内だとは言わねえが、この店のママは霜月組ってえヤクザの幹部のコレだぜ」
小指を立てて知ってるか?と問われ、素直に頷く。
「今はどうにも、霜月組はキナくせえ。係わり合いにならない内に、さっさととんずらした方がいい
「・・・なにか、悪いことが起こってんすか?」
もしかして、蘭子の周りをうろつく男も関わっているのだろうか。
ギンはカクテルグラスを引き寄せ、サンジを睨むように眼光を鋭くした。
「聞かねえ方がいいぜ、あんたは関わるな」
「・・・知りたいです」
サンジはカウンターに手を着いて、心持ち上体を低くした。
ギンに顔を近付けるようにしてまっすぐに顔を見つめ、小さく囁く。
その真摯な表情に絆されたか、ギンはふんと小さく息を吐いた。
「この辺で霜月組にコナかける奴はそういねえんだが、どうにも鰐淵組は凝りねえみてえでな。また、縄張りをチョコチョコ荒らしてるって話だ」
「鰐淵組・・・」
「ガキ相手に商売してるってえ、霜月組が一番嫌う手だあな」
ギンが言うことは漠然としていてよくわからない。
けれど有益な情報なら、ゾロに伝えたかった。
が、サンジが今頃知りえる情報なら、ゾロはきっととっくに知っている。
それどころか、サンジが組のことに首を突っ込むのをゾロはよしとしなかった。
“仕事”のことで心配しても余計な世話だと突っぱねられ、時には怒鳴られる。

いつまでもサンジを一般人として留め置き、線を引いて置きたがるゾロの態度はサンジを悲しい気持ちにさせた。
いつだって蚊帳の外で、守られているばかりだ。
水臭いにもほどがある。
何の役にも立てないまでも、自分を信用して時には利用するぐらいして欲しい。
一度堪忍袋の緒が切れて泣きながら食って掛かったら、そのまま抱き寄せられ壁に押し付けられた。
器用に下半身だけ脱がされてあちこち弄り回された挙句、立ったまま――――

「・・・エンジェ」
「え?」
はっとして我に返った。
ギンがどこかどす黒い顔色で目を伏せている。
「あんたいま、やらしいこと考えてただろ」
「・・・は?あ、え?や・・・」
―――考えてた訳じゃないけど、思い出してはいました。
薄暗い照明の下でも、かああっと耳まで赤くなる様はよく見て取れた。
「あんたやっぱ、早いとここの店辞めた方がいい」
何も言い返せず、サンジは再び黙ってグラスを磨き始めた。



蘭子にコナかけてきている男は鰐淵組と関係がないのか?
ギンの情報と繋がるとすると、ロロノアの女のことを聞き出そうとするのは不自然だ。
鰐淵組は、サンジがゾロの“女”だということを知っているはず。

―――いや、待てよ。
サンジは手を止めて、黒いカウンターをじっと見つめた。
サンジが知らないだけで、ほんとにこの店にゾロの彼女はいるのかもしれない。
自分だけが“女”のつもりでいたけど、ほんとはそこら中に女がいて、しかもここのが本命だったりなんかして。
―――誰だろう。
ママと蘭子は除外としても、デイジーちゃんもスミレちゃんもほかの誰だとしてもみんな美女ぞろいだからお似合いだと思う。
むしろ、男のサンジが隣にいるよりよほどしっくり来るだろう。
―――えー、マジで?やっぱり?
ギンが立ち去った後のカウンターを無闇に拭きながら、サンジはひとしきりえーとかあーとか呻いていた。

「エンジェ」
「ふわ、はははい」
可愛らしい声に呼びかけられ、慌てて振り返る。
香がそっと人差し指を立てて奥から覗いていた。
サンジは慌ててママがいるボックス席を振り返る。
接客中で気付いていないようだ。
「お店覗いちゃ、ママに怒られるよ」
「ごめんなさい、ちょっと甘いもの食べたくて」
時刻は深夜に近く、客もほとんど引けていた。
いまカウンターを離れても大丈夫だろう。

もう一人のバーテンに声を掛け、サンジは母屋に戻った。
「簡単なものでいいなら作るよ」
「ごめんね、なにかあればと冷蔵庫開けたけどなんにもないんだもの」
「明日、ちゃんと買ってくるよ」
店のデザート用に保存されていたりんごのコンポートと餃子の皮で、即席のアップルパイを作る。
温かい紅茶も入れれば、香は無邪気に喜んだ。
「ありがと、夜中に食べちゃ太っちゃうけど」
「香ちゃんはもっとふっくらした方がいいよ。それに、頭使うと甘いもの欲しくなるだろ」
受験勉強真っ最中の香は、毎晩寝る間も惜しんでがんばっている。
パリパリと小気味よい音を立てて即席パイを食べる香を眺めていて、サンジはふと思い出した。

「香ちゃんの学校とか、優等生ばっかりだからその・・・物騒な話とか、ないよね」
ガキを相手に商売とか、もしかして現役高校生狙いかなあとか危ぶんだのだ。
香は口をもぐもぐさせながら、大きな瞳をくるりと上の方で彷徨わせた。
「んーうちのガッコでは、私は知らないけど・・・」
「けど?」
「S女とか、なんかやばいもの流行ってる」
「なに」
思わず声を潜めて顔を寄せると、香も神妙な顔付きで視線を合わせた。
「痩せるクスリ」
「・・・やばい」
「よねー」
ああああ、それはやばいっつうか一番ダメだ。
そういうの、ゾロはもちろん誰よりも組長が毛嫌いするタイプの商売だ。
それが自分の縄張り内で行われたりしたら下手すりゃ全面戦争・・・つうか、ぶっちゃけ鰐淵組は潰される。
別によその組の心配をする義理はないけれど、せっかく均衡を保って平穏な世界を形作っているのに、それを壊されちゃたまらない。

「香ちゃんはくれぐれも、その・・・」
「だーいじょうぶよ、あたしを誰だと思ってるの」
ケラケラと豪快に笑う香に、サンジはそれもそうかと思った。
まさに釈迦に説法・・・って言うのかこれ。
「香ちゃんにはヒデがついてるしね」
そう言うと、香の表情が微妙に変化した。
なんというか、困ったような顔だ。
「ん?ヒデと喧嘩でもした?」
「なに言ってるの、するわけないじゃん」
ヒデは組の三下と呼ぶにはあまりに若く、おそらくは香と同年代くらいだろう。
常に香の傍にいて、影に日向に寄り添っている。
サンジは随分と若いボディガードに驚いたが、立場上雅が心配するのもわかるから、これくらいは必要なのだと思った。
蘭子にヤスを付けさせたのも、ヒデの存在を思い出したからだ。

最初は、ヒデは香のボーイフレンドなのかと思っていたが、それにしては二人の距離は少し開いていた。
なんだかお互いよそよそしい。
それでいて、ヒデが香を見る目は好意と青臭い熱情とが入り混じっていて、少なくともヒデは香のことが好きなんだなとすぐにわかった。
ただ、香はヒデと目を合わせようとはしない。
いくら父親の計らいとはいえ、年の近い男に(しかも男の側は好意を寄せている)四六時中張り付かれたら、反発心だって起こるかもしれない。
「まあ、ヒデがいるなら安心・・・だよね?」
なぜか最後は疑問系になったが、香は紅茶のカップを持ち上げて、薄く笑った。
「まあね」
その返事に、翳りはなかった。





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