極道天使  -2-



店仕舞いを終え、裏口の戸締りを確かめに来たエンジェの耳に、男女の言い争う声が聞こえた。
女の方に聞き覚えがあり、迷わず外に出る。
案の定、蘭子が誰かと揉み合っていた。
「ダメだって、もう手助けしちゃいけないって言われてるの・・・」
「そう言わないでさあ、頼むよ。このままじゃ俺、大変なことになっちまうんだよ」
男に取りすがられ、蘭子は迷うように歩みを止める。
「もう、蘭子にしか頼めないんだよ。頼む、助けてくれ!」
「・・・でも」
「俺のことなんか、他に誰も助けてなんかくれねえよ、蘭子だけが頼りなんだ」
「・・・私、必要とされてる?」
「ちょーっと待った!」
つい聞き流せなくて、エンジェは二人の間に割って入った。
「うちの女の子に絡まないでくれるかな?」
「あんだぁオラ、関係ねえもんひっこんでろよコラ」
途端、男の態度が豹変した。
さきほどまで情けない表情から打って変わって、いきなり現れた本性に蘭子はエンジェの背中に回りこんで怯えている。
「関係なくねえよ、蘭子ちゃんはうちの大事なスタッフだ」
「ああん、小僧が生意気な口利いてんじゃねえよ、オロすぞオラ」
「誰が誰をオロすって?」
気の長い方でもないエンジェも、男ににじり寄って至近距離で睨み付けた。
「上等だ、オロせるもんならオロしてみろや」
「ざけんなっ」
男が拳を繰り出したのを身軽に避けて、腹に一発蹴りを入れた。
衝撃で屈んだ男の後頭部に肘を食らわし、横倒れになったところを足で蹴り飛ばす。
「ぐおっ」
塀にしたたかに背中を打ちつけた男は、蛙が潰れたような声を上げてその場に倒れ伏した。
さらに後頭部を踏み付けようとして、蘭子に背中から取り縋られる。
「止めてエンジェ、死んじゃうっ」
「死なねえよ、この程度で」
エンジェが振り返ると、見上げる蘭子の目が怯えていた。
猫なで声で擦り寄ってきて豹変する男の粗暴さも怖いが、いつも優しくて可愛らしいエンジェが凶暴化するのも恐ろしい。
「ごめん蘭子ちゃん、怖がらせちゃったね」
でもこういうのタチ悪いから、これ以上関わらない方がいいよ。
そう言うエンジェに、蘭子は後退りしながら距離を取った。
「わかった、もう帰るね」
「あ、蘭子ちゃん一人じゃ危ない・・・」
「タクシーで帰るから、大丈夫」
エンジェの声を振り切るようにして、蘭子は急ぎ足で路地を通り抜けた。

昔から、なぜか男運が悪かった。
男らしくて頼れるタイプが好みのはずなのに、気が付けばどこか頼りなく虚勢ばかり張る男と付き合っていた。
粋がってみせる姿がいじらしく、自分の前でだけ本音を漏らすのは心を許してくれているからだ。
私がついてないと、この人はダメになる。
私だけが、この人のことを理解してあげられる。
そう思うと尽くさずにはいられなくて、気が付けば身に覚えのない借金塗れで捨てられていた。
そんな苦境を救ってくれたのは、花藤のママだ。
店の客からもよく声を掛けられるが、蘭子自身で判断せずにすべて店を通すようにと手を回してくれているらしく、いまのところ性質の悪い客には捕まっていない。
けれど今夜のように昔の男が泣きついてくると、無碍にもあしらえない優柔不断さは蘭子も自覚していた。
乱暴な男は嫌いで、暴力はとても怖い。
声を荒げたり怒鳴ったりされるだけで身体が竦んで、なんでも言うことを聞いてしまう。
甘い顔をすれば付け上がるだけだと、何度女友達に忠告されても、毅然とした態度は取れないでいた。

「蘭子ちゃん」
声を掛けられて顔を上げれば、車道でタクシーを止めたヤスが手を挙げていた。
「こっちこっち」
「あ、ありがとう」
霜月組では、年齢こそソコソコいっているものの、いつまでも下っ端扱いのヤスだ。
雅達と帰ったはずなのに、なにか忘れ物でもしたのだろうか。
「姐さんに頼まれたんだ、ちゃんと蘭子ちゃんを送ってやってくれって」
「そうなの?」
ママったら、いつの間に連絡してくれたのだろう。
訝しく思いつつ、素直にタクシーに乗り込む。
「マンションまで真っ直ぐだから、大丈夫だね」
「大丈夫よ、心配しすぎ」
「いやあ、蘭子ちゃんに限って言えば、心配しすぎた方がいいって姐さんも言ってたからさ」
ママったら、こんなに心配性だったっけ。
でも、こんな風に心配してもらえるのはなんだか嬉しいな。
「どうもありがとう」
「おやすみ」
窓の外で手を振るヤスの姿がなんだか可愛くて、蘭子は笑顔で手を振り返した。



「蘭子ちゃん、ちゃんとタクシーに乗ったか?そうか」
携帯で話すエンジェの背後で、男はノロノロと起き上がり腹を抱えたながら悪態を吐いて逃げていった。
覚えてろとか何とか喚いていたが、エンジェは聞いてもいない。
そもそも、野郎のことなんてどうでもいいからさっさと記憶から消去した。
「ヤスもお疲れさん、おやすみ」
携帯を切ってくるりと踵を返すと、ちょうどママが顔を出したところだった。
「エンジェもお疲れ様。明日も学校でしょ?」
「講義は昼前からだから、大丈夫です」
戸締りを終えて店舗部分の一階をぐるりと見回る。
「もうお休みなさい、はいこれ今日の分」
封筒を差し出され、エンジェは押し頂くように受け取った。
「いつもすみません、住み込みで置いてもらってるのに」
「うちは女所帯だから貴方がいてくれると用心になるわ。それに食事の支度も全部任せちゃってね、助かってるけど・・・そう長くいていいところではないのよ」
「―――・・・」
「貴方がいつでもここを出て行けるよう、お給料を日当で払ってるのもそういうこと。どちらに帰るかは自分で決めればいいけど、ほかの新しい場所に移るって言うんなら許しません」
藤子ママは、美しい顔に笑みを湛えたままきっぱりと言った。
「貴方は大切な預かり物。でも、拗ねてごねていればいつか向こうが折れて迎えに来てくれるなんて、甘い考えを持っているなら捨ててしまいなさいね」
ここは、そういう世界じゃないのよ。
「・・・はい」
あっさりと厳しい言葉を受けて、エンジェはうな垂れて頷いた。

「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
自分にあてがわれた部屋に戻るべく、静かに階段に向かう。
ママが言うことはもっともで反論の余地もないが、エンジェはなかなか踏ん切りがつかなかった。
「ママに、叱られたの?」
ふわりとシャンプーの匂いがして、雅とママの娘である香が顔を出した。
「香ちゃん、まだ起きてたの」
「もう寝るよ。エンジェも元気出して、ママってなんでもはっきり言うけど、正論過ぎてきついのよね」
「すごくありがたいと思ってるよ、ありがとう」
それじゃあおやすみと、足音を忍ばせながら階段を上がった。

家出と言いながら、雅の目の届く範囲にいつまでも居候させてもらっている訳にもいかない。
ゾロの元に戻るか、すっぱりとこの世界と縁を切って実家に帰るか。
どちらかを選べと言われれば迷いなくゾロを選ぶのに、どうしても素直になれないサンジだった。




大学からの帰り道、久しぶりにコンパでもないかと友人に尋ねたら驚かれた。
「どういう風の吹き回しだよ。ここ1年ほど、付き合いめっちゃ悪かったじゃねえか」
「あーまあ、状況の変化?」
今日は店も定休日だし、たまの休みはママと香ちゃんを親子水入らずで過ごさせてやりたい。
そう思って、夕飯だけは作り置きして出かけてきた。

ゾロの元にいたときは、予定の見えないゾロに合わせて、いつ帰ってきてもいいように毎日じっと部屋で待っていた。
それこそコンパにも行かず友人とも付き合わず、大学と部屋との往復だけの日々。
それが苦痛だとは思わないが、虚しくない訳でもない。
「枯れてたんだよねー俺」
「その割にゃあ、うきうきした顔してたじゃねえか。女子会で話題になってたぞ」
「え?なんてなんて?」
「サンジ君、最近綺麗になったわねーって」
なんかがっくりと、アスファルトに膝を着きたくなった。
そんなん言われても嬉しくない。
「俺はこんな、引きこもり人生を取り戻すべくだなあ」
「あー悪いけど一人でやって、俺ら就活で忙しいの」
友人たちにつれなくあしらわれ、サンジは一人校内に取り残された。

そう言えば、そろそろ就職活動に励んでも遅くない時期だった。
自分の将来のこともなにも考えず、ただ漫然とその日暮らしを続けていることに、いまさら気付く。
「・・・将来、か」
将来どころか、明日の自分の身の振り方すら見えていない。

当てもないまま街をぶらついていたら、見覚えのある女性が喫茶店から出てくるのに気付いた。
誰だっけと頭の中で記憶を辿り、はっとする。
いつもとメイクが違うからわからなかったが、蘭子だ。
蘭子はどこかおどおどとした仕草で周囲を見回し、背後から近づいてきた男にびくりと肩を竦ませ振り向いた。
「・・・あいつ!」
夕べの男が、性懲りもなく蘭子を呼び出したのだろうか。
根が優しくてはっきりとモノが言えない蘭子は、どうしても悪い男に付けいれられる。
ここは自分が守らないとと早足で近付いたが、二人はサンジから離れるように寄り添って路地に入った。
まるで後を尾けるような形になる。

「なあ、ほんとに知らないのか?」
「知らないわよ、聞いたこともない」
小声でこそこそと話すのに、壁に反響してか風向きのせいか、サンジにもよく聞こえた。
「間違いないんだって、花藤にロロノアの女がいるって情報は」
「だって、若頭は店の子に手を出すような人じゃないわ」
「そんなの建前だろ。ロロノアだってまだ若い男だ、影でなにやってっかわかったもんじゃねえ」
男の言い草にムカッと来たが、飛び出さずに様子を窺う。
「とにかく私は知らないの、あんたの役には立てない」
「なあ、頼むよこの通りだ!」
男はがばっとその場に跪き、地面に両手を着け頭を下げた。
「お前しか頼れないんだ、頼む、俺を助けると思って・・・」
「・・・!」
「ロロノアの女ってのが誰かわかれば、それだけでいいんだ。頼むよ」
「・・・わかんないかも、知れないじゃない」
「女同士だろ?見てりゃわかんだろうが」
「わかんないもの、私には全然!」
これ以上しつこくするようならと、サンジが影で身構えると男はさっと立ち上がった。
「頼む、また連絡する」
「困るわ」
「頼りになるのはお前だけなんだ」
似たような言葉を繰り返し吐きながら、男はその場を立ち去っていった。
蘭子は途方にくれたようにその場で両手を揉みし抱き、肩を落として大通りへと戻っていく。
一部始終を見守っていたサンジも、ほうと詰めていた息を吐いた。

さて、どうしたものか。




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