極道天使  -1-



賑やかな駅前通りから、一本奥に入った裏通り。
小料理屋が軒を連ねる落ち着いた小路の一角に、「クラブ花藤」の看板がある。
客引きが声を張り上げる猥雑な店とは違い、和風美人と評判のママを筆頭に、若干平均年齢高めの落ち着いた美女揃いの店だ。
その店に最近、少し毛色の変わったバイトが入った。


「社長さんありがとう、また来てね」
「待ってるわ」
上客を表まで見送って、二人のホステスは笑顔のまま店内に戻る。
時刻は午前0時を回り、そろそろ店じまいの時間だ。
「ちょっと小腹空いちゃった」
「お部屋覗いてみる?きっとエンジェが何か置いてくれてるわ」
控え室に入ると、予想通り小さなテーブルの上に彩り豊かなオードブルが用意されていた。
「きゃーやっぱり」
「ああん可愛い、美味しそう」
ちょっとした休憩に手軽につまめるよう、一口サイズでピックに刺してある。
これなら手も唇も汚れない。
食材は野菜が中心で、夜中に食べてもヘルシーだ。
「エンジェって、本当によく気が付くいい子ね」
「しかも優しくて超イケメン。彼の仕草を見てるとうっとりしちゃう、手が長くて動きが綺麗なの」
あーん美味しいと幸せに目を細め、ほうとため息を吐いた。
それから一転して眉を曇らせ、内緒話でもするように声を潜める。
「スミレったら、本気でエンジェ口説くつもりらしいよ」
「だめよダメダメ、エンジェはみんなのエンジェルだもの。ママに言いつけちゃお」
「そうよね、ママは“大事な預かりモノ”って言ってたけど、親戚かなんかかなあ」
「だとしたらママの親戚よね、雅さんとこじゃないよね」
「それはないわ〜全然似てないわ〜」
ぷぷっと笑い合いながら、さてもう一頑張りと腹ごしらえを済ませてフロアに戻った。



「エンジェ、今日も美味しかったわ」
「ありがとう、ご馳走様」
通りすがりにさりげなく礼を言われ、エンジェはカウンターの中で小さく会釈した。
「どういたしまして、お口に合って嬉しいよ」
裏ではどの女性に対してもややオーバーアクションで答える癖のあるエンジェだが、さすがに店内では高級クラブの雰囲気を壊さないよう気を付けているのか、控え目なリアクションだ。
それがまた、エンジェをよりクールに見せている。
実際、店での姿だけ見ていれば整った顔立ちに抜群のスタイルで、いっそ近寄りがたいランクの美青年に見える。
よくよく近付いて見れば片方だけ覗く目の眉尻がくるりと巻いている珍妙な特徴があるのだが、それを差し引いても女性の興味を引くのに十分な要素を持っていた。
がしかし、ひとたび裏方に回り仲間内だけの場所になると途端、女性に対して目尻を下げ鼻の下を伸ばして傅き、甲斐甲斐しく立ち働く下僕習性があった。
そのギャップに唖然とし、落胆するものも少なくはない。
黙って立っていれば文句なしにイケメンなのにと残念に思わなくもないが、最近はそんなエンジェの素の表情が可愛いと思えるようにもなってきていた。

ママがエンジェを「クラブ花藤」に連れてきたのは一週間ほど前のことだ。
まだ20歳と言うことで酒の席も夜の雰囲気にも慣れていないとのことだったが、バーテンの真似事と言いながら酒類や食器の扱いは堂に入っていて、本職顔負けの手際のよさだった。
接客もスムーズにこなし、酔客相手でもソツがない。
しかも料理が玄人はだしで何を食べても美味い上に見た目もよかった。
加えて気遣いに富み、時間を見つけては控え室にスタッフ用のちょっとした賄いを用意しておいてくれる。
エンジェはあっという間に店の女の子たちの人気者になり、ママの大切な預かりモノとの触れ込みもあいまって、仲間内では穏便に不可侵条約が結ばれた。
みんなが愛すべき天使・エンジェには、誰も深入りしてはいけないと暗黙の了解になっている。
そもそも源氏名の“エンジェ”も、初めて店に入って来た時、暗い照明の下で混じりけのない金髪が光の輪を放っているのを見て、誰かが「エンジェルみたい」と呟いたから付いた名前だ。
本名はなんと言うのか知らないが、誰もお互いの本名を知らないのだからこの店ではなんの問題もなかった。

「また来てるの、ギンさん」
「前は女の子並べて賑やかに騒いでたのにね、でもこうして一人で静かに飲んでる方が素敵よ」
クリーク組のギンは店の常連で、以前はボックス席でホステスをはべらせ子分達が馬鹿騒ぎするのを眺めながら静かに酒を飲むタイプだった。
だが最近はカウンターの一番端の席に陣取り、一人で閉店までゆっくり酒を飲むのが常になっている。
ギンの視線は飽くことなくエンジェに向けられていた。
特に話しかけることも、興味を引こうとするそぶりを見せない。
エンジェが適当につまみを作ってギンの前に出すと、薄く笑って手を伸ばしている。
端から見れば完璧にエンジェ目当ての長居客だが、エンジェ本人は「おとなしい常連さん」程度にしか認識がないようだ。
エンジェは女性の機微には敏感だが、男性からの目線の意図には素で気付かない。

「ギンさん可哀想」
「そう?あれはあれでなんだか幸せそうよ」
「気のせいかしら、ギンさんだけじゃなく最近カウンターに座るお客さん多くない?」
「あー私も思ってた、ちょっと私たちも頑張らないと」

きゃっとボックス席から短い悲鳴が上がった。
「あーごめんねごめんね、濡れちゃったねえびしょ濡れだねえ」
軽い口調で男が詫び、美女がビショビショ〜とか寒い駄洒落を連発している。
したたかに酔っ払った男を抱え、サラリーマンのグループが立ち上がった。
「すみません、そろそろ」
「あらあ、もっとゆっくりして行ってくれたらいいのに〜」
「そう?じゃあ遠慮なく・・・」
「あーもういいからいいから」
「すみませんほんとに」
幹事が会計をしているうちに、酔っ払いは女の子に手を引かれて表に出た。
そのままわざと足をもつれさせて、寄りかかる。
「んもう、酔いすぎですよ」
「えへへーごめんねごめんねー」
壁に押し付けられホステスはあからさまに嫌そうな顔をしているのに、酒臭い息を吐きながら酔っ払いは顔を寄せた。
「お詫びにこれ、クリーニング代」
「…ちょっ」
紙幣を襟元に押し入れようとして、背後から手首を掴まれる。
「うあっ、た、たたた・・・」
「お客さーん、大丈夫ですかぁ」
いつの間に出てきていたのか、長身のエンジェが酔客を頭から覗き込むようにして見下ろしている。
いかにも気遣うように片手を掴んでいるが、どうした訳か客はものすごく痛がって膝から力が抜けていた。
「った、いたった、たたた…」
「はい、いまお連れさん来ますからねー」
そこに部下達が千鳥足で出てきた。
「どうもすみません、部長―酔い過ぎですよー」
「いった、手がいったいっての」
「大丈夫ですよー、ほら、なんともない」
エンジェがぱっと手を離し、労わるように酔客の腕を撫でた。
痛みがウソのようにすっと引いて、酔客は狐に抓まれたような顔をしている。
「どーもすみません」
「どうぞお気を付けて」
「チューさん、またねー」
「またねーデイジーちゃーん」
なにがなにだかわからぬまま、酔客は部下に連れられ上機嫌で立ち去って行った。

客達の影が路地から消えるまで頭を下げていたホステスは、ほっと息を吐いて顔を上げる。
「エンジェありがとう、助かった〜」
べったべた触るんだもんと口元を尖らせ、大きく襟ぐりの空いた胸元を整える。
「どういたしまして、デイジーちゃんもお疲れ様」
かっこよくて優しくて、料理上手な上に腕っぷしも強いなんて、これで惚れなきゃ女じゃないわ。
夜の世界では百戦錬磨のデイジーでさえくらりとくるくらい魅力的なのに、エンジェははにかむように笑うとあくまで紳士的にエスコートして店の中に戻ってしまう。
エンジェは、不用意にホステスの身体に触れたりもしない。



「あら雅さん、こんばんは」
最後までフロアに残っていた客は、霜月組の構成員だった。
本部長である雅の女がクラブ花藤のママで、この店も霜月組の傘下に入っている。
時折客に交じって店で酒を飲み、この界隈の見回りなどもしていた。
「よう、相変わらずはち切れてんな」
「違うでしょ、それ言うならはち切れそうなボディでしょ」
シゲの軽口に軽くこぶしを掲げて抗議し、デイジーはボックス席に座った。
「どうだ、変わりないか?」
雅は薄暗い店内でもサングラスを外さず、指に煙草を挟んだままグラスを傾けた。
カラリとグラスの中で氷が軽い音を立てる。
大人の男の渋い雰囲気に、デイジーはエンジェとはまた違ったときめきを感じてきゅうんとなった。
「はい、特に変わったことは…」
ドキドキしながら、視線が自然とエンジェの方を追いかける。
エンジェはボックス席に興味はないようで、まっすぐカウンターの中に戻った。
組員達も、新しいバイトに気付かないのかそれとも雅からなにか聞いているのか、さして気にする風でもない。
「あの、新しく入ったバイトの子がすっごくいいんですよ」
ママが「大事な預かりもの」と言うのなら、雅も承知の上だろう。
そう思って、多少おもねる気持ちもあって切り出した。
「私たちはエンジェって呼んでるんですけど、すっごくお料理が美味くてよく気が付いて優しいんです。それに、とっても強いの」
「へー」
「新しいバイト、入ったんだー」
相槌を打つ組員達の様子が、どことなくおかしかった。
いつもは強面で、意識していないと自然と視線がギラギラする目つきなのに今は茫洋としている。
台詞も棒読みで、どこか曖昧だ。
「なんで“エンジェ”って名前なんだ?」
雅に穏やかに尋ねられ、緊張しながら答え。
「あ、あの…誰かが、エンジェルみたいって言って、それから」
「エンジェ、ル」
「天使です。綺麗な金髪だしとっても優しいし」
水割りを飲んでいたシゲが吹きそうになるのを堪えて、一人で噎せた。
末席に控えたヤスは、蕩けそうな目でカウンター内にいるエンジェを見つめている。
「まあ…見てくれはそうかもなあ」
「違うんですか?」
「…いや、知らんよ」
雅らしくない、奥歯に物が挟まったような口調でグラスを傾けた。
「なんにせよ、変わったことがなきゃいいんだ」
「あ、そうだ」
スミレが頓狂な声を上げ、内緒話をするように隣に座るヒロシに顔を寄せる。
「蘭子が最近、また性質の悪い男に引っかかってるみたいで…」
「そんなん、いつものことじゃねえか」
「放っとけ。程度の悪い野郎に引っ掻かんのは、その程度のアマってこった」
おしぼりで口を拭いて吐き捨てるように呟いたシゲの腹を、隣に座った哲が肘で突つく。
「あんまり女の悪口言うと、姐さんにどやされっぞ」
「おっと、やべえやべえ」
慌てて首を竦めるシゲが珍しくて、デイジーはきょとんとした。
姐さんって、ママのことかしら。
確かにママは仕事に関してとても厳しいけど、大きな声を出したりヒステリックな物言いはしないのに。
組の人相手だと、ママも怒鳴ったりするのかなあ。
なんとなく想像できなくて、再び首を捻る。

「若頭、お忙しいんですか?最近ご無沙汰―」
スミレが甘えた声でねだると、ボックス席がぴしりと凍りついた。
いきなり降って湧いた言い知れぬ緊張感に、さすがのスミレも失言したかと顔を強張らせている。
「…あ、あの」
慌ててなにか言い足そうとするスミレの言葉を遮るように、雅がやんわりと口を開いた。
「いま、若頭は忙しくてな」
「そうそう、ちょっと仕事が立て込んでて」
「忙しくてしっかり飯食ってないせいか、ちょっと機嫌悪いんっすよね」
「身体が資本だから、元気でいて貰わないといけないんだが」
「しんどそうですよね」
「俺、若頭が心配っす」
口々に言い合う姿を不審がるデイジーとは違い、スミレはそうなんですかあと大仰に頷いて見せる。
「スミレも心配してるって、伝えといてくださいね」
「わかったわかった」
組の若頭は、まだ年齢も若いのに落ち着いていて組の長に立つ風格も持ち合わせていた。
顔に大きな傷を負っているがそれを差し引いても端正な顔立ちで体格もよく、ホステス達にも絶大な人気を集めている。
だが、デイジーは苦手だった。
確かにカッコいいし素敵だと思うけれど、隙がなさ過ぎて正直怖い。
若頭が店に来ると緊張して上手く接客できない。
無意識に滲み出る威圧感のせいか客の引けも早いし、若頭自身そのことを自覚しているのか滅多に店に顔を出さなかった。
その点、雅は気配を消すのが上手く、大人しい客の一人として紛れることができる。
やはり年の功だろうか。

最後の客が帰って、一斉に店仕舞いを始めた。
組員達もゾロゾロと店を後にする。
ヤスは名残惜しそうにカウンターを振り返ってから、慌ててシゲ達の後を着いていく。
黙々と後片付けをするエンジェは、結局組の誰とも目を合わせなかったことにデイジーは気付いていた。



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