こんなに長い幸福の不在 -9-




色々なことが立て続けにあり過ぎて精神的にも疲れたのか、二度寝して目が覚めたらもう昼近くだった。
傍らにあったはずの温もりは消え、枕に頬を擦り付けるようにして首を巡らせばちょうどゾロが部屋に入ってくるところだった。
手には、大きな紙袋をいくつも提げている。
「お、起きたか」
まさか、自分がゾロより後に目覚めると思いもせず、この展開にもなんだかなあと唸らざるを得ない。
あれか、年寄りになると朝も早いのか。
サンジが失礼なことを脳内で考えているなど露知らず、ゾロは手にした紙袋をポンとベッドに投げた。
「着替えだ」
「はあ?」
驚いて起き上がり、腰を貫く鈍い痛みにうっと俯いた。
「痛えのか?傷は付いてねえはずだが」
「見たのかよ!つか、うっせえよ!」
ゾロにあらぬ場所を心配された気恥ずかしさに、うがっと怒鳴り返してから紙袋を引き寄せた。
中に入っているのは、黒いスーツ一式と青いストライプのシャツ。
下着まである。
「どうしたんだ、これ」
まさか、ゾロが買って来たとか?
午前中から紳士服店にいそいそと出かけたのかと、想像するだけで眩暈がする。
「誰かが用意してくれた、サイズが合わなきゃ交換してくれるらしいぞ」
「なんだよそら」
よくわからないが、身一つでいたサンジにとってはありがたい話だ。
ダルい身体を起こして軽くシャワーを浴び、早速着替えた。
身体の外も中もどろぐちゃになってる恐れがあったが、確認すると思いのほかさっぱりとして綺麗だった。
なんでかな…と深く考えると怖い結論に行く付くので、止める。

「すげ、ピッタリだ」
ズボンは少し丈が短いけれど、まあ許容範囲だろう。
ベルトでウェストを調節してシャツだけ羽織って風呂場から出れば、ゾロはすっと瞳を眇めた。
「ああ、いいな」
「こりゃ動きやすいや」
サンジは、自分が着ていたスーツよりもっと柔軟性に富んだ、着心地のいい服を確かめるように両手を上げ下げして足を上げた。
まだちょっと腰にクるけれど、ズボンの可動域が広いから開脚も楽にできる。
そんな風にして動くサンジを、ゾロが何とも言えない目で見つめていることに気付いていた。
ゾロにとっては、まさに22年ぶりに目にするサンジの姿なのだろう。
感慨深そうな表情は、サンジをより一層複雑な気分にさせた。
そんな風に懐かしまれても困るし、サンジはサンジで、やはり戸惑うことばかりなのだ。
だから、気付かないふりをして別に置かれた紙袋を手に取った。
「これとか、なんだ?」
「全部お前のだ」
開けてみれば靴や着替えなど日用品が入っていた。
なにより、煙草が嬉しい。
「俺の好きな銘柄、まだあったんだな」
サンジは早速ベッドに座って一服し、長い足を組んで窓辺に立つゾロを見上げた。
「なんでこんなに、俺にぴったりなの揃ってるんだ。一体誰が買ってくれたって?」
「街の連中だ、こいつの服や靴一式用意してくれっつった。あと、煙草は俺が覚えてた」
「なんでそんなに、親切なんだよ」
サンジの素朴な疑問に、ゾロは要領を得ないまま訥々と説明する。

曰く、大剣豪になったゾロは手配書と共にその顔も広く知られるようになったが、行く先々でなんらかのトラブルに巻き込まれても持ち前の運の良さで切り抜け、しかも結果的に滞在先の窮地を救う展開になることがよくあるのだという。
そのため、いつのまにか「ロロノア・ゾロ」の存在は守護神的なものとなり、どこに顔を出しても歓迎されるようになったらしい。
「よくわからんが、俺が言ったことをなんでも聞いてくれるんだ。どこに行っても」
「へー…そりゃすげえねえ」
サンジは棒読みで感心して見せたが、内心では呆れていた。
前から運だけはいい奴だと思っていたが、22年経った立派なおっさんの今でも、やはり天然のまま傍若無人に生きているらしい。
本人に計算がないから祭り上げられても慢心しないし、感謝もしなければ見返りも求めない。
けれど結局は人を安心させ、時に救う。
なんだよ、福の神かよ。
福々しい神様になったゾロを思い浮かべ、サンジはぷふふと吹き出した。
「なんだ?」
首を傾げたゾロになんでもないと返し、サンジは灰皿に吸殻を押し潰した。
「さてっと、腹減っただろ。飯、作るか?」
「おう」
待ってましたとばかりに、ゾロが目を輝かせた。
そんな子どものような反応は、少なくともついこないだまで共に過ごしていたゾロでは見られなかったものだ。
22年の歳月は・・・いや、積もり積もったサンジへの思慕はゾロをこんな風に変えてしまった。

「そう思って、この部屋はキッチン付を選んだんだ」
「用意周到だなぁおい」
「冷蔵庫に、食材も入ってる」
「いつの間に?!ってか、要領よ過ぎねえ?」
やっぱりこいつ偽物か?と恐々としながらも、サンジは冷蔵庫の中を点検し、それからキッチンに立った。
そうして、しばらく動作を止めてじっと水回りを眺める。
「どうした?」
料理するサンジの姿を見たいのか、ゾロは懐手をしながらソワソワと後ろを歩いていた。
だからそういう、可愛い動作は止めろ。
サンジはふっと溜め息を吐き、観念したとばかりにゾロを振り返った。
「…それで、コンロってのはどれだ」



ゾロに台所の使い方を聞くと言う屈辱を乗り越え、サンジはなんとか料理を振る舞うことができた。
頬袋を膨らませ、勢いよくがっつくゾロはやはりサンジの記憶の中の彼とほぼ同じだ。
けれど、やはりどこか違う。
箸の上げ下ろし、咀嚼する口元も時折チラリと視線を送る目つきも、やけに落ち着いていてどこか色めいている。
ぶっちゃけ、セクシーだ。
――――くそう、なんなんだこいつ。
以前から憎からず思ってはいたが、到底想いが通じる相手だとは思わなかったしそんな気もなかった。
それが怒涛の勢いで身体を繋げ、うっかり思いの丈をぶつけて至極満足したはずなのに。
こうして差し向かいで食事をしているだけでも仕種の一つ一つにドキドキして落ち着かない。
わかっているのかわざとなのかゾロの方も思わせぶりな目線を送ってくるから、認めるのが癪で腹が立つやら恥ずかしいやら痒いやらで、居た堪れなかった。
「お代わり」
「さっきのでもう終わりだっつっただろうが」
これでしまいだぞとよそって渡したのに、もうボケ始まったのか。
再び失礼な考えをめぐらしたサンジを、ゾロは顎に手を当ててじっと見つめた。
「いや、お代わりはてめえだ」
「は?」
ゾロはすっと席を立つと、着席したままのサンジの腕を取って再びベッドへと向かった。
「待て、待て待てまて、なに言ってんだ昼間っからっ」
「昼間っから可愛い顔して見てくんじゃねえよ、こちとらもう我慢の限界だ」
「お前飯食ってただけだろうが、ってかか、かかかか可愛いってなんだよ!」
ポーンとベッドの上に投げ出され、せっかく着たシャツを引きちぎられる勢いで掴まれた。
「待て、待てって、服が破れる!!」
「なら脱げ」
「偉そうに命令すんな!またあんなの、絶対無理だぞ。いくら俺が丈夫でもヤバいって…」
自分でも何言ってるんだかわからないが、なにか叫ばないとまた流されそうだ。
ゾロはふんと鼻から息を吐き、威嚇するように声を低めた。
「嫌だっつうなら入れねえ。だが舐めさせろ、触らせろ、とことん弄らせろ」
「なんでっ…」
あまりにもストレートすぎる物言いに、サンジは赤面しながらシャツの襟元を掴んだ。
「俺はてめえに惚れてんだって、身体にわからせてやる。年食った俺に慣れろとは言わねえ、だがてめえの前にいるのは今の俺だ。この俺しかいねえ、だから俺に触れられることにだけは早く慣れろ」
「――――・・・」
無茶苦茶だ。
横暴すぎるゾロの要求は、けれどその瞳があまりに真剣で少し物悲しい色をしていたから、詰ることはできなかった。
サンジが戸惑っているのと同じように、きっとゾロも苛立っている。
けれどそれはどちらも、お互いを想うが故のことだから。
「わかってるよ、こんちきしょう」
口だけで悪態を吐いて、けれどサンジは素直にシャツを脱いで素肌でゾロを抱きしめた。
きっとお互いの胸を締める空虚感は消えることはないだろうけど、これからの二人の積み重ねで少しずつでも埋めていくことはできるだろう。





『いい加減にしなさいよゾロ、いつまで待たせるつもり?』
聞き覚えのある声に、サンジははっとして飛び起きた。
うっかり二度目の行為に溺れ、気が付けば外の景色は夕暮れを迎えていた。
声の主がわからず、ベッドに座ったままきょろきょろと辺りを見渡す。
うつ伏せに寝ていたゾロが、手を伸ばして長衣の裾を捲った。
取り出したのは、小さくて細長い機械だ。
「あんだ」
ゾロが、それを耳に掛けて触手みたいなものを口元まで引っ張り出した。
どうやら、ナメクジみたいに柔らかく形状を変えるらしい。
『サンジ君見つかったって言ったくせに、全然帰ってこないって何事よ。こっちは待ってるのよ』
「ナミさん?!」
サンジは驚いて声を上げた。
ゾロが、ナメクジの頭辺りにあるダイヤルをくるりと回す。
すると、ナメクジは顔らしき部分をサンジに向けた。
『サンジ君?ほんとにサンジ君なのね!』
「ナミさん…」
声だけで、胸がいっぱいになった。
サンジにとってはつい昨日、別れたばかりの愛しいナミだが、もう22年も経っているはずだ。
『サンジ君、早く会いたいわ。悪いけどゾロを引っ張って、シシリオ港の3番出口に来てちょうだい。サニー号が停泊してるから』
「わかった、俺も会いたいよ。今すぐ行くよ」
サンジは布団を蹴散らして、まだ寝くたれるゾロをベッドから蹴り落とし服を着た。
洗面所で身嗜みを整え、しぶしぶ身支度を整えたゾロを引っ張って宿を出る。
「あ、宿の会計はどうすんだ」
「いらねえ、いつもタダだ」
こともなげに言うゾロに、サンジはああそうですかと頓着しないことにした。
大剣豪さまはいいご身分になったものだ。



22年経っても方向音痴は相変わらずのようで、土地勘がないはずのサンジの方が先に立ってシシリオ港を目指した。
途中、ゾロがサンジの手を繋ごうとしたから蹴り飛ばしてなんとか阻止する。
それだけ、少しでも離れると不安なのかと思うと憐れみさえ感じてしまうが、いくらなんでも街中を男同士でお手々繋いで闊歩する勇気はない。
その代り、サンジが先に立ってゾロが付いてくる形で歩いた。
これなら迷わないし、一石二鳥だ。

3番出口には、懐かしいサニー号の姿があった。
まったく変わってないなと感激しつつ、今から22年後の仲間に会うのかと思うと若干緊張する。
ルフィはナミは、ウソップ達はみんな元気なんだろうか。
少し歩みが遅くなったサンジの背中に、ゾロの手がそっと添えられた。
勇気づけられたみたいでむっとして横を向いたら、サニー号からなにかが飛んでくるのが目の端に映った。
「――――ふぁっ?!」
それがなにかわかって身構え、ゾロと一緒にグルグル巻きにされて宙を舞う。
「サーンジー!」
「ルフィ!」
サンジは逆さに放り投げられながらも、笑顔で叫んだ。
ルフィは相変わらず赤い上着に麦藁帽子だ。
雰囲気は全然変わってない。
そりゃあちょっとは顔付きがおっさんになった気もするが、屈託のない笑顔はまったく変わっていなかった。

空中でゾロに抱えられて、なにすんだと手足を突っぱねながら甲板に降り立つと、仲間達がわっと駆け寄ってきた。
その中でも、ナミとロビンの姿をいち早く見つけサンジはめろり〜んと身をくねらせた。
「んナミっすわん、ロビンっちゅわん!相変わらずお美しー!!」
確かに、22年の時が経ったにもかかわらず、ナミもロビンも美しかった。
年相応に落ち着いた雰囲気を保ちつつ、妖艶さも加わって魅力は倍増している。
「サンジ君、相変わらずね」
ナミは目尻に涙を浮かべ、指先ですいっと拭ってから笑顔になった。
「お帰りなさい、サンジ君」

以前のナミだったら。
恐らくは、もう少し若かったら。
ナミ達にとっては長く留守をしていた、心配を掛けたサンジに対して怒っただろう。
怒って責めて、詰ってから泣いて歓迎してくれただろう。
けれど、そんな行為をするほどもうナミは子どもではないのだ。
サンジより遥かに長い年月を経た、大人になった。
「サンジ、無事に会えて嬉しいわ」
「ロビンちゃんも、心配かけてごめんね」
女性陣に比べ、こちらはまだまだガキ臭さが残るウソップ達はサンジにガン無視されているにも関わらず飛び掛かってきた。
「サンジー、本当に全然かわってねえな」
「うああああ、ザンジ!無事でよがっだ、ザンジー」
もみくちゃにされるのに、野郎はいらねえと足を振り上げて蹴散らす。
だが大人になったウソップ達は、カラカラと笑うばかりだ。
並んで立つと、ルフィもウソップもサンジよりはるかに背が高くなっていた。
チョッパーは「声変わりしなかったのか?」と思わないでもない声だが、見た目はそれなりにゴツくなっている。
フランキーは老けてもなおファンキーだし、ブルックはなにも変化が見られない。
その他、見知らぬ顔がたくさんあって、みな興味津々といった風にサンジの再会を眺めていた。
その視線に少し気圧されつつ、サンジはルフィの前に立って変わらぬ瞳を見上げた。
「船長、ただいま」
「おかえり、俺らはずっと待ってたぞ」
ルフィはそう言うと、麦藁帽子を押さえて片手を空に突き上げた。
「ようし、宴だ――――――っ!!」





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