こんなに長い幸福の不在 -7-




「オールブルーにお前を一人残し、俺達は近くの島に移動した。そうして、予定より早く戻ってみればお前は島ごと消えていた」
サンジの手を握ったまま訥々と話すゾロの説明は、拙く言葉足らずではあったがそれが余計に真実味を帯びていた。
サンジにとってほんの数時間前の出来事は、ゾロにとって22年前に当たるのだ。
しかもそれはゾロだけに留まらず、この世界のすべて―――
それどころか船長以下、ナミもウソップもチョッパーも…ついさっき一時的に別れただけのはずの仲間達全員が22年分年を取っている。
変わっていないのは、自分だけだった。

「―――――・・・」
サンジは二の句も継げず、放心状態でベッドにへたり込んだ。
俄かには信じがたい。
目の前に22年分年を食ったゾロがいることもまだちゃんと受け入れられないのに、世の中全体がそうだなんて言われたって実感が湧かない。
いろんなことが頭をぐるぐると巡るようでいて、実際には真っ白なままだ。

そもそも、このゾロもどきの言葉を信じていいものか。
確かに、さっきのシャワーの施設は確かにみたこともないもので。
けれどこの島自体がすごく発展した島なのかもしれない。
だって、海も空も街の景色も、さほど変わってなかったじゃないか。
だからこのゾロも、実は偽物で。
賞金首の自分を捕えようと海軍辺りが張った罠で?
でも、そんな手間がかかるようなことするはずがないし。
罠だったらとっくに自分は捕まってるし。
なにより、このゾロはまさしく「ゾロ」だと、なぜかわかるし。
なんで――――

サンジは、呆然としたままゾロの顔を見つめた。
ゾロも、視線を逸らせることなく真っ直ぐにサンジの瞳を見つめている。
ずっと握られている手の温もりが、これが現実だとサンジに控えめに伝えていた。
このゾロも、この事実も、サンジがここにいることも全部。

「…22年?」
「そうだ」
喉の奥が絡んで、軽く咳をした。
それから息を吸い込んで、言葉を紡ぐ。
「お前、いくつだよ」
「もうすぐ、44歳になる」
眩暈がしそうだ。
ついさっき、帰ってきたら誕生祝だと言って別れたところだ。
ゾロの、22歳の誕生日。
自分ができる限りの精一杯で華々しく祝ってやって、そうして笑顔で別れるつもりだった。
夢を叶えて、オールブルーで一人生きる決意をしたから。
船を降りて、ゾロへの想いは封印したまま彼らの船出を見送るつもりでいたから。
なのに―――――

「お前、もうそんなに年、食っちまったのかよ!」
一気に湧き上がった感情に押され、サンジは悲痛な叫びを上げた。
喉に詰まって掠れた声が、余計に気持ちを昂ぶらせ震えさえくる。
「なんで?なんで、んなことになってんだよ。22年?もう22年も経ったって、お前、大剣豪になったの」
「ああ」
「ルフィは?ルフィは海賊王になったのかよ」
「ああ」
「ナミさんは?世界の海を渡って海図を描いたのか」
「ああ」
「ウソップは、あいつ勇敢な海の戦士になったのか?」
「ああ」
「チョッパーはっ…」
そこまで言って、サンジは口元を手で覆った。
あああああと声にならない嗚咽を噛み締め、身を折って俯く。
「なんで?なんで、俺だけっ…」
「コック」
「お前、お前が大剣豪に…なる時に、なんで俺はっ」

なんで俺はいない。
この世界に、なぜ俺だけ取り残された。
ゾロが大剣豪になって、ルフィが海賊王になって、みんなが夢を叶えて。
船を降りると決めた時から、その瞬間に立ち会えないことは覚悟していた。
けれどせめて、その知らせを聞いて遠くからでも祝いたかった。
喜びを分かち合いたかった。

なのに、それらはすべてもう過去のことなのだ。
サンジがいない世界で、すべては終わった。
ゾロは頂点に登り詰め、ルフィは海を支配した。
すべて、終わったのだ。

「な…んで」
苦しげに息を継いで喘ぐサンジを、ゾロはただじっと見つめている。
片方の掌はずっと握られたまま、決して離しはしない。


サンジはしばらくシーツにうつ伏して、ずっと肩を揺らしていた。
声を立てず息さえ飲み込んで、抑え続けた慟哭をゾロはただじっと見守っている。
どれほどの時間そうしていたのか、サンジはふうと大きく息を吐いて身体の力を抜いた。
そうして、ごしごしとシーツに顔を擦り付ける。
散らばった金髪がその動きに合わせて左右し、まるで子どもが眠くてむずがっているような仕種だ。
そのままゆるゆると顔を上げたサンジは、目も鼻も赤かった。
シーツも濡れてクシャクシャになっていて、それを隠すように上から座り直した。

「…悪い」
「いや」
握られっぱなしで痺れた掌を、サンジは軽く振った。
「離せ」
「いやだ」
子どもか!と突っ込みたくなるほど、ゾロの答えは聞き訳がない。
「もうどこにも行かねえから、離せ」
「いやだ」
「―――――・・・」
サンジは一旦肩を怒らせてから、ふうと身体の力を抜く。
「離せ、おっさん」
「・・・」
不服そうに、ゾロは口元をへの字に曲げる。
けれど、繋いだ手をどうしても離そうとしない。
「なんだよ、22年って。そんだけ年食っていいおっさんなのに、なんだよその態度」
サンジは行き場のない怒りをぶつけるように、ゾロを詰り始めた。
「大体野郎の手を握って気持ち悪いんだっての、てめえそういうキャラじゃなかっただろうが。俺たちは、単なる喧嘩仲間で…仲間つったって、たまたま船に乗り合わせただけの、それだけの関係だったじゃねえか」
「違う」
即答された。
この素早さが、またムカつく。
「違わねえよ、なんだてめえ22年の間に勝手に脳内で妄想が暴走したか?俺らはこんな、お手々繋いで慰めるような仲良しじゃなかっただろ」
「ああ」
「寄ると触ると喧嘩ばっかで、蹴り合い殴り合いしてたじゃねえか」
「ああ」
「お前、俺のこと嫌いだったろ」
「いいや、好きだ」
ああまた、そんなド直球――――
サンジは両手で自分の顔を覆った。
自然と、繋いだままのゾロの手もついてくるがもう構ってなんかいられない。
興奮で上気した頬に、ゾロのごつごつしたでかい手の甲が触れて、余計に熱が上がるようだ。

「俺は、俺はお前なんか嫌いだ」
「・・・」
「お前なんか、偉そうだし俺様だし寝てばかりだし迷子だし。なにやっててもムカつくし、人のことバカにするし腹立つことばっかりで、本当に…」
本当に――――
「嫌いだって…」
最後の方は尻すぼみになってしまった。
そんなサンジを励ますように、ゾロは空いた方の手を肩に回して抱き寄せる。
今まで握りしめていた手もようやく外したが、今度はその手で背中を抱かれた。
「お前、俺の話聞いてる?」
「ああ」
嫌いだ嫌いだと連呼したのがバカみたいに、ゾロはとても満ち足りた表情でサンジを眺めていた。
そんな目で見られたら、もう何も言えなくなってしまう。

「22年だ」
ゾロが口を開いた。
「・・・」
「22年…どんだけ長かったか、お前にわかるか?」
そんなこと言われても、ピンと来ない。
サンジにとっては、ほんの数時間前の話で。
「てめえが島ごと消えて、どんだけ手を尽くしても見つけられなくて。その間にも、俺らの航海は進んでいた。お前が夢を果たしたから、もうここで別れだって俺も皆もわかっちゃあいたが、やはりあまりに唐突で心残りばかりだった」
ゾロは、愛しげに眼を閉じてサンジの身体の温もりを確かめるかのように肩に顎を乗せる。
「てめえはきっと、オールブルーで元気にやってる。そう思って、そう思おうとして俺は俺の道を生きた。迷いがなかったとも、未練がなかったとも言わねえ。なにかってえと思い出すのはてめえのことばかりだ。それから新しいコックが増えて、仲間も増えて。てめえと過ごした2年間…それだって、クマに飛ばされて離れてたから実際半年ほどしか一緒にいなかった。それなのに、てめえのことはずっと忘れられなかった」
「ゾロ…」
強く抱きしめられたまま、サンジはドキドキしながらゾロの言葉に耳を傾けた。
まさかこんな風に、ゾロの口から感情が迸るようなセリフを聞く日が来るとは、思いもしなかった。
まるで何もかもが、夢のようだ。
「なにかってえとてめえを思い出し、思い出しちゃあ会いたくなった。いっそてめえがおっ死んでたなら、きっとここまで心に残らなかっただろう。生きてるか死んでるのか、どこにいるのかわからねえまま俺の気持ちもずっと宙ぶらりんのままで」
ゾロが話す度に、声の響きが顎を介して伝わって来る。
でかい身体のくせに背を丸めて、必死になってサンジを抱きしめる姿はまるで取り縋る子どものようだ。
「オールブルーで俺の誕生祝を終えたなら、てめえには気持ちを伝えず別れようと決めていた。お互いに道が違うって、わかってたからだ。けど、実際に別れてみたらずっとてめえが消えてくれねえ。鬱陶しくて忘れてえのに、いっそ俺の中で斬り捨てちまいたかったのに、できなかった。てめえはずっと、てめえのままで俺の中にいた」
――――会いたかった。
ずっとずっと、好きだった。
声にならない呟きを全身で受け止めて、サンジは感極まってゾロの身体を抱きしめ返した。

自分だけが思い詰めていた訳じゃなかった。
自分だけが勝手に別れを決意していた訳でもなかった。
ゾロもまた迷って戸惑って、悩んで。
何も言わないまま別れるつもりでいたのに、いきなり断ち切られた関係が帰ってお互いの存在を強く結びつけてしまった。

「ゾロ…」
「コック、てめえが欲しい。俺ぁもう我慢しねえと決めた」
「…そんなこと、勝手に決め…」
抗議しようとして、声が震えていることに今さらながら気付いた。
見つめるゾロの顔がぼやけて見える。
自分が涙を流しているのだと、自覚する前に唇を吸われた。
先ほどの情熱的な口付けを上回るほど激しく、喰らい尽くされる勢いで舌を絡めてくる。
サンジは一瞬だけ抵抗して見せたが、すぐに力を抜いてそのままベッドに押し倒された。




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