こんなに長い幸福の不在 -4-




「耳寄りな話を聞いたんだが…」
久しぶりに賑やかな島に立ち寄り、宿の食堂で一同が集まった時ウソップが神妙な顔で切り出した。
「今から10年ほど前の話だが…ここから数キロ離れた浜に、妙な男が打ち上げられたんだと」
「なあに、遭難者?」
ナミは興味なさそうに返事した。
その遭難者が宝でも抱えていたなら話は別だろうが、そんな景気のいい話題ではないらしい。
「生きてたのか?」
「ああ、怪我もなくピンピンしてるそうだが、なんでも言ってることがおかしいんだと」
「なにか、海で怖い思いでもしたのかな?」
チョッパーが心配そうに言うのに、ウソップは首を振った。
「いや、本人はいたって元気だ。ただ、その男は1505年に海に出たって言うんだよ」
「…は?」
怪訝そうなナミの隣で、ロビンはすっと背筋を伸ばした。
「今年は1540年よ」
「おうよ。それが10年前の話でもその時点でまるっと25年、時間がズレてんだよ。しかもそいつが言ってることは確かにその当時から、25年遡った辺りのことだったんだと。その頃起きた事件とか、流行ってるものとか、あとそいつが着てた服のファッションとか」
「まさかあ、バカバカしい」
ナミは一笑に付して、グラスに入った酒を呷った。
「いくらなんでもありのグランドラインでも、時間がズレるとか…ねえ」
最後の方はやや自信がなさそうに、ロビンに視線を移しながら呟く。
「ふへえは、不思議遭難者か」
口いっぱいに肉を頬張って目を見開くルフィに、ウソップはずずいと長い鼻を寄せた。
「引っかかったのはそこじゃねえんだ」
「なんら?」
「その男が言うには、島に辿り着く前はまるでこの世の楽園みてえな島にいたってことだ」
「―――!」
仲間達の表情が、一斉に強張る。

「青い海と白い砂浜、島の中央にある森には果実が稔り、小鳥や獣がたくさんいて食うものには困らなかったという」
「…それって」
「しかも、幾つもの海流が重なる浜辺ではあらゆる海域の魚が獲れたと――――」
「オールブルー!」
チョッパーは短く叫び、ゾロは低く唸った。
「一体どこにいるの、その男」
気色ばんで身を乗り出すナミに、まあ待てとウソップは両手を挙げた。
「それだけじゃないんだ」
「なによ」
「そいつだけじゃねえんだよ。この島には、定期的にそういう奴が流れ着くんだって話だ」
「どういうこと?」
ロビンの真剣な面持ちに、ウソップは聞いてきた噂話を掻い摘んで話した。

南にある浜辺には20〜30年に一度、遭難者が打ち上げられる。
救出された者たちは揃って、過去の年代を口にしたと言う。
大抵が船乗りで、今まで夢のような島に滞在していたが、目の前に忽然と島が現れたから偵察のつもりで海を渡ったのだと。
小舟を出すまでもなく、すぐ目の前に島が現れたから泳いで来たのだ。
そう言い張る彼らの背後には、確かに島らしき影が見えた。
だが泳いで来れる距離とは思えず、それから数日で島影も消えるから、結局彼らがどこから来たのかはわからなかった。
だが、いずれも自分たちが生きていたころより数十年先の未来になっていたと言う。

「ウラシマ伝説ね」
「なにそれ」
ロビンの呟きに、仲間達が一斉に振り返った。
「昼間、この島の図書館に立ち寄ったらそんな伝説があったの。苛められていた亀を助けた漁師が、カメに連れられて夢のような国に遊びに行った。ご馳走を食べ楽しく遊んで数日を過ごしたあと、元の島に戻ったらそこは数百年が経っていた」
「数百年?!」
「その漁師の家族はもちろん、友人も知り合いも、誰一人いなくなっていたそうよ」
「そりゃそうよね、数百年も経っていたら」
ナミはぶるりと身を震わせた。
「なんだか怖いわ。知らない内に時間が経っていて、家族も知ってる人もみんな死んじゃってるなんて」
「切ないなあ。そんなの、ほんとに一人ぼっちじゃないか」
「スーパー年寄りだな」
「私…その方の気持ちわかります」
しんみりと頷くブルックに、ウソップは同情の眼差しを送る。

「まさしくその通りで、この島には昔からある現象らしい。そんで、そういう浦島状態の人間は島で保護されて一か所で暮らしてるんだそうだ。それも、何人も」
「何人も」
「年代は違えど、数十年に一度は遭難者がいる」
「その人達に、会えるの?」
いつの間にか食卓を囲んでウソップに詰め寄っている仲間の顔を見渡し、ウソップはうんと頷いた。



「俺が生まれたのは、1420年だよ」
そう言ってほほ笑む男の顔は、50歳そこそこだった。
よく日に焼けた肌と逞しい身体つき。
サウスの漁師だった彼は、この街でも漁をして暮らしている。
「隣のじいさんは1475年生まれっつってたな。俺より50以上若いのに、えらい年寄りだ」
「お互いに生まれ年を聞いて、古い生まれの方がなんか偉い気になるよな」
「ともかく、この街に着いた時は随分便利な世の中になっててなあ、びっくりした」
「おうよ、楽園から夢の街に来たかと思った」
「けど、俺にとってはほんの数時間のことだから、本当に狐にでも抓まれたような気分でよ」
「港に残してきた女が、とっくの昔に死んじまってたのは辛かったなあ」
海賊だったという男は、船長の女を寝取った罪で樽に入れて流され、あの島に流れ着いたのだと言う。
楽園のようだと島の中を探検し、果物や魚を食べて一息吐いたら目の前に突如島が現れた。
規模が大きく人もいるようだったので泳いで渡った。
そうしたら、今から10年前のこの浜辺だったという訳だ。
「俺なんか、先に島に渡った仲間は50年前に死んだと聞かされたぜ」
楽園から舟を漕ぎ出して偵察に行った仲間が、帰ってこない。
仕方がないと自分は泳いで渡ったらこの街に着いた。
先にこんな男が来なかったかと尋ねたら、確かにそのような男はいたがそれは80年ほど前のことで、その男はそれから30年後の、今から50年ほど前に死んだという。
「もう驚れえたのなんのって。だってあいつとは幼馴染で、ずっと一緒にいたんだ。それがまさか、50年も前に先に死んじまうことになるなんて思わなかったな」

島人が呼ぶところの「ウラシマ」達の証言と記録は、きちんと残されていた。
ただ、人数が少ないのと出現回数がまばらなことで統計までは取れない。
ナミ達は各自手分けして調査に出て、持ち帰った情報を元にラウンジに集まった。
ロビンがそれらをまとめ、一つの結論を出す。
「この島の近くにオールブルーだと思われる楽園のような島が現れるのは、今から10年後ね」
「10年後?」
「そりゃまた、なんて先の話だ・・・」
「過去の歴史を遡って見ると、大抵20〜30年の間隔で出現しているの。最後の記録は10年前、早ければ10年後。遅くとも20年後よ」
「気が遠くなるな」
ふーと深く息を吐くフランキーの隣で、ブルックがカチカチ骨を鳴らす。
「首を長―くして、待つしかないですかねえ。私の首、伸びないんですが」
「どうする、ルフィ」
首が伸びる男・ルフィに全員の視線が集まる。
判断を任された船長は、腕を組んでう〜んと首を傾げた。
「そうだな。ともかくこれから10年はサンジに会えないんだろ?だったら、その間冒険行こうぜ!」
「――――・・・」
やっぱり・・・と思わないでもない、決断の速さだ。
「あれこれ待ってたってしょうがねえんだろ、ともかく10年後にまたこの島に来たらいいじゃねえか」
「…そうね、それしか方法はないわね」
「10年経ったら、ここにも島が現れるかも・・・って、可能性が見つかっただけマシだな」
「じゃあ、10年後にまたこの島に」
「おう!」
「10年後に絶対、サンジに会おうぜ!」
仲間達でそう誓い合い、サニー号は再び大海原に漕ぎ出した。



それぞれの夢を追って旅を続ける間にも、オールブルーの研究は怠らなかった。
特にロビンとフランキーは熱心に、海底捜査も絡めて調査を続けている。
ロビンの仮説を、フランキーの技術が裏付けていく形だ。
そこでいくつかわかったことがある。
ウラシマ伝説が残る島の海流は、海上と海底ではちがっているということ。
また、その海流はサウス、ノース、ウエスト、イーストそれぞれから流れていること。
フランキーが製造したミニ潜水艦で調査したところ、そんな現象が頻繁に現れる場所は他にもあって、サニー号は島に寄港するたびに海底を調査し、独自の海底図も作っていった。
結果、海底で合流している海流を辿ればサンジと別れた島の海域に出られるという仮説にたどり着いた。
それを元に、フランキーは船ごと格納して深海にまで潜ることができる潜水艦を製造することになる。

グランドラインを駆け巡り、一繋ぎの秘宝を追って、強大な敵と戦い、綿密な探求を続けるサニー号にとって、10年などあっという間だった。



10年経ったらあの島が現れるという保証はどこにもない。
けれど、オールブルーが近付いてこなくとも、こちらから辿り着くことはもはや不可能ではなかった。
ロビンの研究とフランキーの技術と、ナミ達の試行錯誤が不可能を可能に変える。
もし、この島で再びサンジと会えなくとも、その時はこちらから会いに行ってやると言う気概を元に麦藁の一味は10年ぶりに島に帰って来た。

「いよいよね」
「ええ」
オールブルーでサンジと別れてから、すでに22年の歳月が経過していた。
ルフィは海賊王となり、麦藁の一味はさらに人数が増え、複数の艦隊を抱えた大所帯だ。
ロビンとフランキーは船を下りていたが、10年後の約束のために再び合流していた。
ウソップの妻・カヤは医師となり、チョッパーと共に医療に携わっている。
「今のところ、20年前に『ウラシマ』が現れて以降、まだ事例はないそうよ」
「じゃあこれからね、もうすぐサンジ君に会えるのね」
少女のように目を輝かせるナミは、相変わらず抜群のプロポーションで若々しい。
けれどしっとりと落ち着いた、大人の女になった。
微笑むロビンも、年を経てなお衰えることのない美貌だ。
「ただし、今すぐなのか10年先なのかはわからないわ」
「取りあえず1年待ってみましょうよ。それでも出現しなかったら、こちらから行きましょう」
仮説を実証する気満々なフランキーは、1年も待たずに今にも出発したそうだった。
「アウッ!万能型潜水艦ユニコーンFiveは、いつでも発進できるぜ」
「うひょ〜頼もしい!」
麦藁帽子を押さえてしししと笑うルフィは、ひょいと首を伸ばして周囲を見渡した。
「ところでゾロ、どうした?」
「昨日街に着いたみたいだけど、一体どこほっつき歩いてることやら…」
「何年経っても、ファンタジスタは治らないんだなあ」
「俺が、ダメに効く薬をなかなか開発できないからだ」
悄然と項垂れて見せるチョッパーに、みんなはまた声を立てて笑った。


話しのネタにされているとも知らず、ゾロはサクサクと森の中を歩いていた。
10年ぶりの島だが、どの街に寄ってもさして覚えておらず、見るモノすべてが目新しいゾロにとって“土地勘”という単語は無きに等しい。
適当にぐるりを歩いていればそのうちサニー号に出くわすだろうと、一山越えて森の中を彷徨っていた。

10年経てば、またサンジに会える。
そんな保障はどこにもないが、ただ漫然とグランドラインを旅しているよりも、この島で待っていた方が再会できる公算は高い。
待つのが嫌なら、会いに行けばいい。
そう断言できるほどに、オールブルー探索の成果は上がっている。
ロビンの探求心やフランキーたちの協力がなかったらとてもたどり着けなかった結果だ。
自分が何の役にも立たなかったことを自覚しつつも、仲間達にはただ感謝していた。

大剣豪になり、多くの海を渡り長い年月を経ても、コックに会いたいと言う気持ちは薄れなかった。
それよりも年を経るごとに、想いが募る。
あれが最後だったとしたら、何としてでも自分の気持ちは告げるべきだった。
失うことを想定して、最初から歩み寄りもしなかった自分が馬鹿だ。
今だから、そう思える。

鬱蒼と茂る林の下で、羊歯に覆われた湿地を踏みしめながら前へと進む。
繁みを掻き分けると、目の前に砂浜が広がった。
いつの間にか、海に出たらしい。
凪いだ海は穏やかな波が打ち寄せ、白い模様を残しては引いていく。
ゾロは浜辺に沿って歩き、切り立った岩がいくつも重なる場所を上った。
高いところから海を見下ろせば、水平線が靄でも立ち込めたように薄らいでいて、黒い島影が見える。
もしやと片目を凝らすと、日差しを受けてキラキラと輝くものが近付いてきた。
それが、金色の髪をした男だと気付く前に、ゾロは駆け出していた。





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