こんなに長い幸福の不在 -5-




夢の島、オールブルーで仲間と別れた。
数日間だけの、短い別れだ。
この穏やかな気候が続けば、ゾロの誕生日までにはみんなは戻ってくる。
そうわかっているのに、水平線に船影が消えてしまったら途端に寂しくなった。

耳に届くのは規則正しいさざ波の音だけ。
笑い声も怒鳴り声も、人の気配すらない。
サンジはゆったりと煙草を吹かし、ポケットに手を突っ込んで踵を返した。
こんもりと繁る森を横目に眺めながら、砂浜を歩く。
こうしてのんびりと島を周回しても、きっと二時間後には元の場所に戻っているだろう。
夢の海を湛えた島は、想像よりずっと小さくて静かだ。
幻の場所なのだから人がいるとは思っていなかった。
けれど実際に見つけてみると美しすぎて恐ろしささえ感じる。
そして何より、あまりに孤独だ。

夢が叶ったらその場所に留まり、船を降りると漠然と思い描いていたが、俄かに現実のものとして突き付けられた。
はたして俺はこの場所で、一人で暮らして行けるだろうか。
考える時間だけはたっぷりとあるから、つい思考だけが深まって行ってしまう。
「…ダメだな、やっぱり潤いが足らねえ」
声に出して呟いてみても、誰もつっこでくれなくて虚しさだけが込み上げた。
「んっナミっすわん!ロビンっちゅわん!!帰ってきてーっ!!」
島には高い山もないから、木霊さえ戻らなかった。
虚しすぎる。
「あああダメだ、こんなことじゃダメだー!」
サンジは両手で髪を掻き混ぜて、肩で息をした。
独りになった途端こんなことじゃ、本当にダメだ。
自分は夢を手に入れたのだから。
オールブルーを見つけたのだから、こんなところで孤独に心折れたりしてる場合じゃない。

「本気で、俺はこれからここで生きて行くんだからな」
誰も聞いていないのに、声に出して決意する。
落ち着いて周囲を見渡せば、確かに人はいないが透き通った浜辺はすぐ足元にまで魚が泳いでいるし、カニだって歩いている。
森に入れば小さな動物がチョロチョロしてるし、梢には小鳥が囀りそれなりに賑やかなものだ。
「寂しくなんか、ねえや」
荒れ果てた岩場で、飢え乾きながら過ごしたあの日々を思えば、ここはまさに天国だ。
それに、サンジには大切な仲間がいる。
たとえ道を分かとうとも、ここで別れることになっても、サンジの胸にはいつだって彼らが住んでいるのだ。
もう、一緒に居られないとしても。

ツキンと、痛みを伴って胸を過ぎるのは緑頭だった。
愛しいナミでも麗しいロビンでもなく、なんだってあんなむさ苦しい、ムカつくだけの寝くたれた穀潰しなのだろう。
どれだけ内心で悪態を吐いても、最初に脳裏に浮かぶのはゾロだ。
「…あいつも夢、叶えるんだよな」
呟いて、短くなった煙草を携帯灰皿に押し潰した。
このまま別れてしまえば、ゾロが大剣豪の座を掴みとる場所に居合わせることができない。
自分の夢が叶ったら、仲間の夢などもういいのか。
そう詰られることなどないと思うが、真っ先に夢を叶えた身としては寂しかった。
ルフィが海賊王になる時も、ナミが海図を完成させる時も、その場に自分は居合わせないのか。
仲間を選ぶなら、この島から立ち去らなくてはならない。
場所さえわかっているのだから、またいつでも戻って来れるだろうか。
オールブルーを失ってしまわないか。

いざ選択という立場に立って、俄かに足が震えてきた。
どちらを選んでも満足できず、喪失感が拭えない。
仲間と夢と、両方大事だ。
気持ちで割り切っても心が慕う、抑えがたい感情だって隠れている。
夢を貫き通してここに住んだら、仲間とは離れ離れだ。
誰かのために料理を作ることもないし、ルフィの胃袋を満たすために大量に調理することも、夜中の盗み食いを咎めることもつまみ食いを蹴り飛ばすこともない。
誰かと喧嘩したり冗談言ったり笑い合ったり、することはないのだ。

「…ダメだ」
いつの間にか砂浜に手を着いて跪き、どんよりと落ち込んでいた。
思考がどんどん、際限なく暗くなっていく。
サンジは頭を振って、気持ちを切り替えることにした。
まだ本当にこの島に残ると決めた訳ではないし、一時は別れてもまた立ち寄ってくれるだろうし。
フランキーがちょっとした小屋を建ててくれたら、ここから数日で渡れる島に宣伝すれば客だって来るだろう。
それを足掛かりにして、バラティエ・オールブルー店立ち上げは夢じゃないじゃないか。
そうなるためには、まずこの島のことをよく知らなきゃいけない。
そして、せっかくの豊富な魚達を活かす料理を考えなければ。
「そうだ、そうしよう」
誰も聞いてくれるもののない孤独な島で、声に出して話すことは虚しいばかりだけれど、だからと言って無言でいてもつまらない。
サンジは誰に話すでもなく独り言を続けた。
「さし当たって、クソマリモの誕生祝のメニューを考えるか」
皆で摂った朝食までは自分が調理したことのある魚ばかりを選んで使ったが、これからは見たこともない食材にもチャレンジしたい。
そのための試行錯誤を考えれば、仲間が帰ってくる数日間では足らないくらいだ。
「うっし、そうと決まれば材料集めだ」

寝る場所はテントがあるし、簡易のコンロも調理設備も揃っている。
ウソップが燃焼性の高い樹脂を含んだ木を見つけてくれたから、燃料も充分だ。
ここで自活できる準備を、今からしておかなければ。
「…そして、本当にこれでいいと思ったら、ちゃんとお別れしよう」
大好きなナミさんとも、ロビンちゃんとも。
気のいい仲間達ともしばしの別れだ。
ルフィはきっと、放っておいても海賊王になる。
そしてゾロも――――
「…ゾロ」
声に出して呼んで、誰もいないのに戸惑って口を閉じた。
なぜか、ゾロのことを思い出すと同時に湧き上がる気持ちは、罪悪感に似ている。
あんなにも相性の悪い、喧嘩ばかりする相手なのに本当は嫌いじゃない。
嫌いじゃないどころじゃないほど、嫌じゃない。
誰も聞いている者などいないのだから、一人の時くらい正直に想いを吐露してもいいはずなのに、どうしても意地を張って口にすることはできなかった。

けれど、その分心を込めてあいつの誕生を祝ってやろう。
どうせすぐに、別々の道を歩むのだ。
多分あいつは、俺のことなんかすぐに忘れてしまうだろう。
強さだけを追い求めて、人のことなんて頓着しない性質だから。
俺だって、本当なら野郎のことなんてかけらも記憶に残したくなんかないのに。
多分きっと、あいつのことは一生忘れられない。
せめて伝えられない気持ちの分まで、あいつに美味いものを食わせてやろう。
そうして、この恋を終わらせよう。

うし、と一人呟いてサンジは掌に付いた砂を払って立ち上がった。
そうと決めれば、行動あるのみだ。
魚や果実、獲れるものを手当たりしだいに獲って調理してやる。
俺のことを忘れても、この味だけは忘れられないってくらい超絶美味い飯を、作ってやるぜ。
そう決意して靴を脱ぎ、海パン一枚になった。
さてどこの海を漁ろうかと浜辺をぐるりと回っていたら、見覚えのない島を見つけた。

「…は?」
さっき、散歩で一回りした時にはなかった島だ。
一体いつの間にこんなに接近していたのかと、首を捻らざるを得ないほど近い場所に島がある。
しかも遠目にも丘の上まで立ち並ぶ家々が見えて、随分と規模が大きそうな街があった。
「マジかよ」
目を瞬かせ、まじまじとその光景に見入った。
島まではほんのわずかな距離だ。
サンジなら、多分楽に泳いで渡れる。
「ヤバいな、こんな近くに出現する島とか調べといた方がいいのか?」
本来ならうかつな行動はしない方がいいだろうが、なにせ今は一人だから誰かと手分けして調べるなんてできない。
第一、その島は本当に近い場所にあった。
ちょっと泳いで見て来るのは、十分可能だ。

遠目に見ても、さほど怪しげな雰囲気はない。
どこにでもありそうな、ちょっと賑やかな雰囲気だ。
サニー号が旅立って僅か数時間で早くも人恋しい気分になっていたサンジは、ともかく調査だとばかりに海に入った。
オールブルーに近い場所に島があるなら、そっちを拠点にした方がいいだろう。
島民と話が付けば、ボートを貸してもらえるかもしれない。
しばらくこっちの街で働いて、オールブルー出店の足掛かりを作ってもいい。

色々と算段しながら海に入り、のびやかに泳いだ。
海水温は冷たすぎず、興奮で火照った肌に心地よいくらいだ。
穏やかな波を掻き、街はぐんぐんと近付いてくる。
思っていた以上に近い距離で、海底に足が着いた。
人っ子一人いない浜辺は広く、切り立った岩場も見える。

サンジは裸足で砂利を踏みながら、オールブルーとの距離を測るために振り返った。
「―――――!」
思わず、驚愕に息を飲む。
ついさっき自分が泳ぎ出たはずの島が、霞んで見えないほど遠くにあった。
いくらなんでも、遠すぎる。
「…ウソだろっ」
折角手に入れた夢が、オールブルーが離れてしまう。

サンジは焦って水を掻き、島に戻ろうとした。
が、後ろから誰かに肘を掴まれ強く引かれた。
思わぬことに海水を飲みながら、振り向きざまに蹴り付けた。
海中だからか威力は弱いが、腹の辺りに命中したはずだ。
なのに、腕を掴む手は緩まない。
「…誰、だ!」
自分が振り上げた手が海面を叩き、撒き上がった水飛沫で相手の顔が見えない。
上背のある男だと言うのはわかったが、顔を確認するより先に抱き上げられた。
「…はあ?」
あろうことか、その男はずぶ濡れの自分をその胸に抱きしめた。
分厚い胸板と盛り上がった筋肉、背中に回された腕の太さが明らかに「野郎」だと告げている。
しかも、相当強い。
「なにすんだ、離せ!」
見知らぬ島に泳ぎ着いて、すぐに男に抱きしめられるとは思いもしなかった。
こんなことをしている場合ではない、早くオールブルーに戻らないとあの島が消えてしまう。
「離せクソ野郎!」
「コック!」
耳のすぐ傍で、聞き覚えのある声が響いてぎょっとした。
驚きに動きを止め、目を見開きながら視線を上げる。
美女の巨乳もかくやと思えるほど盛り上がった胸肉の上に、どこかで見たことがあるような顔があった。
髪色が緑で、眼光鋭いが開いているのは片目だけだ。
左目を覆う傷以外にも、いくつか細かい傷がたくさん付いている。
サンジの顔に押し付けられた胸にも深く刻まれた斜めの傷跡を見つけ、サンジは息を飲んだ。

「…お、まえ…誰だ」
掠れた声に応えるように、男はサンジを見つめたまま頷き返す。
「コック、会いたかった」
知っているはずの声は、初めて聴いた言葉とともにサンジの耳に届いた。





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