こんなに長い幸福の不在 -2-




「宴だーっ!!」
穏やに波が打ち寄せる浜辺に仮設のテントを張り、夜通し騒いだ。
夢に見たオールブルーは本当に夢のような場所で、海からはたくさんの魚が獲れ、森には果物が実り、小動物も無警戒なのか罠にすぐ掛かる。
島の恵みたる食糧を存分に使い、みんな腹いっぱい食事を楽しんだ。
「いやーめでたい、オールブルーは本当にあったんだなあ」
「まさしく、夢が叶う瞬間をこの目で見てしまいました。眼球はないですが、確かに見届けましたヨホホ〜」
「夢じゃなかったんだなあ、おめでとうサンジ!」
ウソップの祝いの言葉に、サンジはもう何度目かのお礼を言って目元を擦った。
今夜だけはと早いピッチで酒を飲み、すっかり酔いが回ってグダグダだ。
けれど酔っ払って寝てしまったら目が覚めた時にすべて夢だったことになりそうで、怖くて眠れないのだと言う。
「ほんとに、ほんとに見つけたんだなあオールブルー」
「そうよ、早速バラティエに報告しないと」
「爺さん、喜ぶだろうなあ」
「あの魚の船を動かして、みんなでここに来るぞきっと」
「冗談じゃねえぞ、あんな奴らが来たら騒がしくてしょうがねえ」
サンジは泣き笑いみたいな表情になって、またぐいっと酒を呷る。
上向いた拍子にくらりと眩暈を感じたか、仰向けのまま砂の上にコテンとひっくり返った。
みんなが、その姿を見てどっと笑う。

「…すげー…降るような星空だ」
大の字に仰向いたサンジに倣い、仲間達も次々とその場で寝そべり出した。
横になって空を眺めると、目の前は一面の星空だ。
「綺麗ね、夜空に吸い込まれそう」
「波の音以外、何もしねえ場所だな」
「静かですね〜」
いつもなら一興とばかりに楽器を奏でるブルックだが、今夜ばかりはなにもせずただぽかりと空いた眼窩で空を眺めている。
この、自然豊かな孤島にあって、音楽もまた不必要だと判断したのだろう。
輝く星に吹き抜けるそよ風、そして絶え間ない波の音だけで充分だ。
「素敵なところね」
「まさに夢のような場所だ」
「サンジは、確かにこの島に辿り着いたんだなあ」

夢の場所に寝転んで、みんなで星を眺めた。
もしかしたら、一晩眠って夜が明けたら消え去ってしまうかもしれない。
そう本気で考えてしまうくらい、美しく穏やかな場所だ。
けれど周りには仲間がいて、サニー号もちゃんとあって、地熱でほのかに温かい砂の感触も確かにある。
ここにきちんと、存在している。
ああやはり、夢のようだと泣きそうな気分になって目を閉じた。
かがり火の灯りが、瞼の裏でちらちらと赤く揺らめく。
囁き交わす談笑の声もやがて眠りを誘う子守唄のように響いて、意識の底に落ちていった。





夜が明けて朝が来ても、夢は夢のまま消えることがなかった。
明け方にさっと通り雨が走り、それでみな目を覚ました。
全身ずぶ濡れになったが風邪を心配するような気候でもなく、ルフィやゾロなどは風呂に入る手間が省けたなどと喜んでナミの顰蹙を買っている。
「夢じゃなくて、よかったなあサンジ」
「…ああ」
若干二日酔いらしく、顔を顰めながらサンジは朝食の支度をしていた。
ルフィが川で浚っていた小さな貝で、味噌汁を作っている。
二日酔いに効きそうだ。
全員揃って「いただきまーす」と賑やかに唱え、食卓を囲んだ。
昨夜遅くまで飲んで騒いでいたが、いつもとなんら変わりない旺盛な食欲だ。
好きなことを喋り声を立てて笑い、あるいは料理を取られまいと必死の攻防を見せてまた笑いを誘っている。
夢の場所、オールブルーにいるという事実が仲間達をはしゃがせていたが、それだけではなかった。
仲間の一人の夢が、「叶ってしまった」という現実がここにはある。

「…ねえ、サンジ君」
ひとしきり食事を終えて会話も途絶え、ふと静かになった瞬間にナミが言葉を滑り込ませた。
「これから、どうするの?」
すうっと、仲間達が息を飲むのが分かった。
誰もが気には掛けていたけれど直接聞けなかったことを、直球で尋ねるのはやはりナミらしい。
「うん」
サンジも、躊躇いながらも微笑んで頷き返す。
「…いますぐどうってのは無理かもしんねえけど、俺はここに留まりたいな」
「そうね」
折角見つけたんですものね、と同意するナミの声は沈んでいた。
「もちろん、今すぐにじゃないよね。だってここ、とても素敵な島だけれど本当に人っ子一人、いないんだもの」
「いくらオールブルーでも、無人島に一人じゃダメだろ」
「そうだぞ、なんせサンジは女がいないと死んでしまう病なんだから」
チョッパーが大真面目に言って、みんなどっと笑った。
その場の空気が、少し和らぐ。
「でも、じゃあどうするんだ?」
ウソップの問いに、サンジもう〜んと首を捻った。
「この辺、どんな位置づけになるんだろ」
「ここからだと、多分五日以内に目的の島に着くわ。それに海流を見てると必ずしも一方通行じゃなくて、多分諸島の端っこに位置付けられてるんじゃないかしら」
「と言うことは、メインの島から戻ってくることも可能?」
ロビンの問いに、ナミはうんと頷く。
「この島に誰も住んでいないのも、もしかしたら近くの大きな島を拠点にしてるからじゃないかと思うの。だから、その島に腰を落ち着けて今後を考えるのも一つの方法だと思うわ」
「それいいな、どっちにしろ情報は必要だろ」
「自然が豊かなので食料の供給は心配ないとしても、日用品が必要ですヨホホ〜」
フランキーが無駄に大袈裟なポーズを取って、みなの注目を引いた。
「話が出たついでで悪いが、実は燃料が心許ねえっ!」
ビシッと音でも立ちそうなほど綺麗にポーズを決めて、堂々と胸を張る。
「威張っていうことじゃないでしょ」
「だったら、次の島で補給して戻ってくればどうかしら」
「サンジがここに残るってんなら、必要な道具も揃えた方がいい」
そうだそうだと頷き合うのに、サンジは両手を膝の上に乗せてどこか居心地悪そうにモゾモゾとしている。
「どうした、サンジ」
「…いや〜〜〜なんか、全然実感湧かねえっつうか、まだ夢みてるみてえでこう、ふわふわしちまって」
サンジの反応ももっともだと、ウソップは長い鼻を揺らして頷いた。
「そりゃそうだろうよ、思いもかけずいきなり夢が叶ったんだ。サンジの場合、自分たちが努力すれば叶うとか、そういう類の夢じゃなかったから余計に現実感が伴わないんだよな」
大剣豪になるとか勇敢な海の戦士になるとか、あるいは世界中の地図を描くということは、本人が努力さえすれば叶わない夢でもない。
けれど、ロビンやサンジの夢はある程度の幸運や機会が巡ってこなければ叶う保証はどこにもなかった。
それが、いきなりポンと目の前に現れたのだ。
狐に抓まれたような気分になるのも、無理のない話だろう。

「みんなが次の島に行ってる間、俺、ここに残ってていいかなあ」
「もちろん、必要なものは私たちが適当に見繕って買ってくるわ」
ナミが、ぽんと両手を合わせる。
「そうだ、もしかしたらちょうどゾロの誕生日くらいに戻ってくることになるんじゃないかしら」
「あら、そう?」
「時間が掛かれば島に着いた頃に11日を迎えるけど、もし早く行って帰って来れたらこの島で誕生祝できるわよ」
「オールブルーで誕生会か」
「そりゃあいい」
ゾロは自分の誕生日なんてすっかり失念していたから、勝手に仲間内で盛り上がる話についていけなかった。
フランキーが豪快に笑う。
「なんなら燃料補給して戻ってきても俺らもしばらくここに滞在してたらいいんだぞ、急ぐ旅でもねえし。なあ、船長」
「おうよ、俺だってサンジの夢をきちんと見届けたい」
当然だと腕を組むルフィに、サンジはへらりと相好を崩す。
「ありがとうキャプテン。みんな、ありがとう」
また湿っぽい雰囲気になって、ナミは「いやあねえ」と音を立ててウソップの背中を叩いた。
なんで俺だよ!と突っ込む声に、笑い声が重なって響く。
仲間の夢が叶うこと、イコール「別れ」を意味しているのだと、みな気付いていて言葉にできない。
はしゃぐナミ達を横目に、ゾロはコーヒーカップを手にしたまま青く澄み渡る空を見つめていた。
ここで恐らく、サンジとは別れることになるだろう。
夢の実現を目指すなら、いつか必ず来る日だった。
それがほんの少し、想定より早かっただけで。
――――めでてえことじゃねえか。
声に出して呟くこともできず、ゾロは冷めたコーヒーを飲み下した。



「じゃあ、ちょっくら行ってくるなサンジ」
燃料補給は早い方がいいと、朝食の後サンジだけを残して船に乗り込んだ。
往復で最長十日と判断して、サンジに必要な道具はすべて置いておく。
島までの行き帰りはコックなしでの航海になるが、これもサンジが去った時のための予行練習だとルフィは言い切った。
「心配しなくても、当番で飯作るから」
「あんたが一番心配なのよ」
ちょっと大きな島に向かって、すぐにまた帰ってくるだけだ。
けれど、いずれサンジは船を降りてこの島に留まると思うと、仲間を失う事実がひたひたと皆の胸に迫ってきた。
ルフィが次の島で、いいコックを探すと言い出したのも原因にある。
「だってよ、サンジの夢はオールブルーを見つけることだろ。だったら、俺らは夢の邪魔をしちゃいけねえんだ」
誰よりもサンジの料理を愛し、恐らくはサンジ自身にも惚れ込んでいるルフィが真っ先に手を離したのだ。
他の誰が、異論を唱えられると言うのか。
「今すぐに、じゃないんだからね。とにかく、燃料補給したら戻ってくるから」
「まだ、この島のことすべてがわかっている訳ではないから、くれぐれも気を付けてね」
心配するナミとロビンにメロリ〜ンと身悶えを返して、他の男達にはクールに手を振って見せた。

「いいから、とりあえず島行って来い。俺はここで待ってる」
「おう、ちょっくら行ってくらあ」
「サンジも気を付けてなー」
「帰ったら、ゾロの誕生祝いするぞー」
島に留まって、出航していくサニー号を見送るのはサンジにとって初めての経験だ。
何とも言えぬ寂しさに胸を締め付けられながらも、あくまで余裕の笑顔を見せて大きく手を振る。
「ん、ナミっすわんっ、ロビンっちゅわん元気で〜〜〜」
クネクネしながら砂浜で見送る姿を見て、ゾロは「けっ」と毒づいた。
「ったく、いつまでもデレデレしやがって」
いつものように悪態を吐いて別れた。
どうせすぐにまた、この島に戻ってくる。
今はセンチな気分になっているが、大きな街で少し気持ちを入れ替えてきちんと笑って別れられるように努力しよう。
お互いの道は、もう枝分かれしてしまったのだ。
距離を置いて離れてしまえば、きっとこの気持ちもいつか薄れていく。
「次の島まで、どんくらいだって」
「風がいい方向に吹いてるわ。案外と早く着きそう」
ナミはもう、前を向いて進路を取っている。
フィギュアヘッドの上で、ルフィも振り返りもせず水平線を見つめていた。
俺達はただ、前へと進むだけだ。




目的の島には三日もかからずに着いた。
この調子なら、ゾロの誕生日までにオールブルーに戻れるわねと、ナミは上機嫌だ。
「街はそこそこ大きいし、なにより物価が安いわ。お得お得」
ログが溜まるのに二日を要するだけだ。
このままオールブルーまで引き返しても、書き換えされる心配はなさそうだ。
「やっぱり諸島の一つみたいね、いくつか無人島があるんですって」
島の地図を入手して、宿で夕食を採りながら話し合った。
確かにいくつか小島が描かれているが、どれがオールブルーなのか今一つはっきりしない。
「座標で見るとこの当たりなんだけど、この地図あんまり正確じゃなさそう」
「案外と、地元の人の方が自分たちの地域に疎いこともあるものよ」
「そこが豊かな島だってのが当たり前で、他の国から夢の島みたいに言われてるって、知らないかもしれねえなあ」
ちなみに、街の人に「オールブルー」のことを尋ねてみると、ほとんど誰も知らなかった。
絵本で聞いたことがある、と答えた人が数人いた程度だ。
「おとぎ話も、地域によって有名どころとそうでないところがあるってことだ」
「この話聞いたらサンジ君、がっかりしちゃうかも」
「いやいや、まずは自分の夢が叶ったことが素晴らしいんだって。だってあそこ、サンジじゃなくても嬉しくなるくらいすげえとこだったじゃねえか」
「そうですヨホホ〜。ああ、またあの島に帰りたいです」
「いいとこだったよなあ。これからサンジはあの島に、レストランを作るんだな」
チョッパーは瞳をキラキラさせて、ミルクの入ったコップを両手で挟んだ。
「たくさんの種類の魚をあそこで料理して、みんなに食べさせるんだ」
「もちろん、私達が最初の常連客よ。もう場所さえわかればこっちのもの」
「海賊王のご贔屓店か」
「男ばかりじゃ、食べさせてもらえないかもね」
将来できるサンジの店のために、材料にもこだわった方がいいとフランキーは地元の工務店で見積もりも貰って来たらしい。
時間が許せば、自分がレストランを建てる気でいるのだろう。

「燃料もたっぷり補給した」
「サンジの仮住まいの建築は、俺に任せとけ」
「さしあたっての日用品は、これでいいわね」
「諸島の地図も、ばっちりよ」
さてこれで準備はできたとばかりに、ログが溜まって早々に街を出る。
行きに三日かかった航路だが、帰りも同じくらいの日数で戻れそうだ。

「ちょうど、あんたの誕生日はオールブルーで迎えられそうね」
甲板で素振りをしていたゾロに、ナミが声を掛けた。
ぶんぶんと錘を振りながら、ゾロはふんと面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「どうせあのヒヨコ頭は、久しぶりに会えるお前らにデレデレするだけだろ」
「あら嫉妬?」
軽口に見せかけてどこか含みを持たせる言い方に、ゾロはじろりと視線だけ寄越した。
「…ちゃんと、お別れ言わないの?」
「なんのことだ」
不機嫌そうなゾロに怯まず、ナミは真剣な面持ちで近付いた。
「船を降りたら、もう仲間として一緒にいられることはないのよ」
「――――・・・」
「あんた達って根本的にソリが合わないと言うか、本当に喧嘩ばかりだったけど、でもすごく気が合ってるなあって思うこともあったわ」
男同士っていいなあって、思うこともたまにはあった。
「だから、ただの喧嘩仲間で終わるのは勿体無いかなって、そう思っただけ」
「余計な世話だ」
「そうね」
ナミはあっさり引き下がると、料理当番だった〜と声に出して言いながらキッチンに戻っていった。

結局、街で新しいコックを探すことはなかった。
誰もが、まだサンジとの別れを現実のものとして受け入れられないのだろう。
けれど、オールブルーに戻りゾロの誕生祝をして、サンジが永住する準備を終え再び船を出航させたら、仲間達は今度こそ振り返らずに前だけ向いてまっすぐに進む。
ゾロも当然そうするつもりだったのだから、今さらナミの言葉に心を揺さぶられたりなんかしない。
「…喧嘩仲間で、上等だ」
それ以上を望まないと、そう決めたのだから。


夢にまで見たオールブルー。
その地に残ったサンジを訪ね、一路船を走らせた麦わらの一味だったが、もう一度その島に辿り着くことはなかった。
確かにあったはずの島は、忽然と消えていた。



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