冬麗 -2-


「やっぱり最初は目を疑ったね、コピーかと思った」
「私、画面がブレてるのかと思ったわ」
お義兄さんお義姉さん方の物言いがおかしくて、サンジは終始笑っていた。
その様子を面白がりながら、ちょい悪親父風ゾロが膝詰めで寄って来てしきりに酒を勧める。
「いい飲みっぷりだなあ、こっちも酒が美味えよ」
「叔父貴、もうその辺で」
こいつはあんまり強くねえんだと傍らに抱えるようにしてサンジの身体を引かせると、途端ブーイングが沸いた。
「ずるいわ、私だってサンちゃんと飲みたいわよ」
「酔い潰れても大丈夫よね〜今夜は一緒に年越しするんだもの」
すっかりサンジが気に入ったゾロ姉は、奪い返すみたいにサンジの首に腕を回してホールドした。
さすがゾロ姉、力が半端なく強い。

「後で座敷覗いてみるといいよ、すごいから」
ゾロ姉の横暴を詫びつつ、人の良さそうな旦那さんがそっと囁いてくる。
「由緒正しい家だからか、ずらーっとご先祖様の写真が額縁で飾られているの。それはもう圧巻」
「すごいわよ」
ゾロ兄の奥さん方がケタケタと陽気に笑う。
なにが圧巻なのかが容易に想像できて、サンジも釣られて腹を抱えた。
「今夜は2人座敷で寝てもらおうと思ってるけど、笑い過ぎて眠れないかも」
「いーや寝させない。サンちゃん、今夜はとことん飲もう!」
「姉貴・・・」




「そろそろ年越し蕎麦にする?」
割烹着を着たお母さんが立ち上がった。
途端、サンジも跳ねるようにその場で背筋を正す。
「あ、お手伝いします」
「あら、無理しなくていいのよ」
宥めるゾロ姉の手をするりと交わし立ち上がりはしたが、すぐに足元がふらついた。
「お前は足に来るから」
腰を上げようとするゾロを手で制し、赤い顔をしたまま首を振る。
「ちょっと飲み過ぎたし、酔い覚まし」
「サンちゃんが行くなら、私も行こうっと」
次兄の奥さんに支えられるようにして広い台所に向かえば、お母さんとお義姉さんがせっせと蕎麦を茹でていた。
その場を取り仕切っているのは長兄のようだ。
「この人、蕎麦打ちが趣味なのよ」
誇らしげに言う奥さんの隣で、中年ゾロは強面の顔をほんの少し柔らかく崩した。
「なに、素人の道楽だ」
その渋い表情に、思わずどきりと胸が鳴る。
―――か、かっこいい・・・
ゾロが年取ったらこうなるんだよなと、ついチラチラと見てしまった。
それを言うならロマンスグレーの伯父さんもかなりクル。
俺ってもしかして、老け好き・・・?

なにせ外見が似ているだけでなく、醸し出す雰囲気と言うか気配が似ているのだ。
ゾロより落ち着いている分、なんともいえない大人の魅力があって。
さらに当然のように声まで一緒。

「なに見蕩れてるの」
義姉さんに囁かれ、その場で飛び上がらんばかりに驚いた。
「でも気持ちわかるわあ、私なんかゾロ君にどきっとしたりすもの。若い頃思い出して」
「自分の旦那や息子にはときめかないのにね」
「でも伯父様渋いわよ」
「おんなじ顔に惚れちゃった者同士、仲良くしましょう」
きゃっきゃとはしゃぐお義姉さん方と一緒に蕎麦を運びながら、サンジは冷や汗を掻いていた。
怖くてきちんと確かめてはいないが、ゾロは一体自分のことをなんと称して連れ帰ったのだろう。
同居人?それとも―――

「はい、これでおしまい。後はセルフサービスよ」
最後の皿をゾロ姉に手渡すと、お母さんはサンジに熱いお茶の入った湯飲みを渡した。
「まあゆっくりお掛けになって、随分赤い顔してますよ」
「すみません」
ふらつきながら、そのままぺたりと正座した。
板の間は冷えているが、酔いが回った身体には心地いい。
お母さんも座敷には戻らず、そのまま同じように湯飲みを手にしてサンジの隣に座った。
「サンジさんにはいつも栄養があって美味しいものを食べさせていただいているんですってね、ありがとうございます」
改めて頭を下げられ、サンジは湯飲みを持ったまま、いいええと慌てて頭を下げた。
「とても腕のいいコックさんで、お店も大変繁盛されているとか」
「いや、それこそゾロ・・・さんのお陰です」
ゾロのお母さんの前で呼び捨てにすることは憚られる。
「本当は農業が本業なのに店を手伝ってくれて、ものすごく助かってます」
「あんな子でも少しはお役に立てるといいんですけど」
いえそんな・・・と謙遜しつつも、なんと言葉を続けて言いかわからない。
ゾロのお母さんだと思うだけで妙に緊張してしまう。

「末っ子だったせいか昔からなんでも一人で決めてしまう子で、仕事を辞めたのも今のところに移り住んだのも、全部後から聞かされたのよ」
「はあ」
ゾロらしい。
「農業で生活するなんて聞いて、うちの人もさすがに呆れてたわ」
その当時を思い出したのか、柔和な顔付きのままコロコロと笑う。
顔かたちはまったく違うのに、なんとなく隣のおばちゃんを思い出した。
「それでも、まああの子だから大丈夫だろうってずっと放ったらかしでね。その代わり、あっちもずっと音沙汰なしだったのよ。お盆は忙しいって言うし、お正月もろくに顔を見せないで」
切れ長の目をわざと吊り上げて見せる、その表情が少しゾロのそれに似ていた。
「それが今年は帰るからって連絡が来て、しかも大切な人を一緒に連れて帰るって言って、それはもうこちらは大騒ぎ」
「―――あ」
サンジは居た堪れない気持ちになって、俯いた。
ゾロは、家族にそんな紹介の仕方をしたのか。
大切な人・・・同性なのに。
男なのに。
「それからすぐに、『男だけどな』と付け足して」
「えええええ」
思わず顔を上げられず、湯飲みを握り締めた。
「そ、そんなことを・・・」
「あの子は昔から肝心なことを言わない子だったけど、今回は違ったわ。一番大事なことだと思ったんじゃないかしら」
男の人だけど大切な人。
最初にきちんとそう言って、サンジが顔を見せた時に家族が取り乱さないように。
「それで、家族は元より兄弟みんなに最初にお知らせしておいたから大丈夫よ」
「・・・は、ありがとうございます」
色々とお気遣い頂いて―――

「あの・・・」
サンジは湯飲みに顔を突っ込んで湯気で顔を洗うようにしながら、そっと視線を上げた。
「その、大丈夫・・・だったんでしょうか?」
ゾロの大切な人が、男で。
「あの子がそう言うんならいいんでしょうって、それが結論。大人なのだし、親がとやかく言うことではないしね」
子どもを心配する親心と、信頼する絆。
どちらも兼ね備えながら泰然自若と受け止めるのは、やはりお母さんの大きな愛があるからだ。
「なにしろうちは家族が多いし、親戚も多いから一々細かいことは気に留めてられないの。あ、サンジさんのことは些細なことじゃないのよ。男の人だってことが些細なこと」
うちはいいんだけど、と少女のように小首を傾けて俯いたサンジの顔を覗き込んだ。

「サンジさんの親御さんは?」
「うちは、早くに亡くしまして」
ゾロは、家族に自分のことを話していないのだろうか。
「ずっと祖父と一緒に暮らしてきました。今は一人で都内に住んでます」
「まあ、お一人で?お寂しいんじゃないかしら」
「レストランをやってますんでスタッフもいますし、まだまだ現役で元気です。今年は故郷のフランスに帰ってますし」
そうですかと目を細め、湯飲みを置いた。
「一度、きちんとご挨拶にお伺いしたいと思ってますの」
「え・・・い、や・・・あの」
そんな大層なと辞退するべきか、断るのは失礼に当たるのか。
「うちの愚息が大切なお孫さんのお世話になっているんですもの、親の勤めです」
きっぱりと言い切られ、有無を言わさぬ威厳にははーと平伏しそうになった。



「お母さん、サンジさん。お蕎麦が伸びてしまいますよ」
お義姉さんが呼びに来た。
二人揃って「はい」と返事し、顔を見合わせて笑う。
「少し酔いが覚めたようですね」
「はい、ありがとうございます」
空の湯飲みをシンクに置いて、お母さんに付き従うようにその後を追った。
ふと前を行く歩みを止めて、振り返る。
「サンジさん」
「はい」
「うちの子を、選んでくださってありがとう」
両手を膝に置いてゆっくりと頭を垂れた。
少し白髪交じりだが綺麗に結い上げられた髪が目の前に下がって、サンジは慌てて礼をする。
「俺の方こそ、ありがとうございます」
ゾロを生んでくれて、育ててくれて―――
「・・・ありがとう、ございます」
胸が詰まって、うまく言葉にできない。

ゾロによく似た子供達がパタパタと迎えに来て、サンジの腕を取った。
「早く食べようよ、もうすぐ除夜の鐘が鳴っちゃうよ」
「一緒に鐘撞きに行こう」
サンジは鼻を啜ると俯いて前髪で顔を隠したまま「うん」と大きく頷いた。
「除夜の鐘撞くの、初めてだ」
なにもかも、初めてづくしだ。
こんなにも賑やかな年の瀬も、優しいお母さんと一緒に蕎麦を食べるのも。

戻ってきたサンジの顔を見て、ゾロは心配そうに眉を顰めたが何も言わなかった。
それに微笑み返して、そっと寄り添うように腰掛ける。
「大丈夫か?」
「ああ、酔いは覚めたけどまだ夢みたいだ」

襖を取り除かれた大広間は暖房が効いていて暖かい。
隅に据えられた2台のテレビではそれぞれに見たい番組を映して、多くの親戚達が思い思いに過ごしていた。
車座になって話に興じる酔っ払い、テレビの前で笑い転げる子ども達、蕎麦のお代わりに忙しいお義姉さん方に、花札に夢中なおっさん達。
その3分の2は同じ顔だと気付いて、また笑の発作が起こりそうになった。
「似ておるのは姿形だけではないぞ」
何も言わないのにサンジの胸中を察したか、小柄なゾロ爺さんが悪戯っぽく話し掛けてきた。
「わがロロノア家は代々、面食いじゃ」
「ああ」
「おお」
サンジのみならず、その場に居合わせた者が一斉になるほどという顔になった。
ただ一人、ゾロ姉だけが不満そうにポツリと呟く。
「あたしは違うわよ」
途端、広間は爆笑の渦となった。
朗らかな笑い声の合間を縫うように、遠くから除夜の鐘の音が響いてくる。




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