冬麗 -1-


ホームに降り立つと、潮の匂いがした。
海が近いのだという。

駅からバスに乗ってゾロの実家に向かう途中、新興住宅地を通り抜けた。
「昔はここいら、寂れた商店街と空き地があったんだけどな」
綺麗に整地された住宅街は、同じような形の一軒家が軒を連ねている。
あれが俺の母校と、高台にある校舎を指差した。
小学生のゾロを思い描いて、思わず微笑んでしまう。

20分ほどで停留所に降り、そこから歩いた。
この辺りは古い地区なのか年季の入った家屋が多い。
初めて来た街なのに、どこか懐かしさを感じさせる家並みが続いている。
広い壁伝いに歩いて角を曲がると、門の前で掃き掃除をしている女性がいた。
白い割烹着を着て、頭に手拭いを巻いている。

「ただいま」
ゾロの声に顔を上げ、ふわりと柔らかく笑みを返す。
色の白い、おっとりとした柔和な顔付きの人だ。
「おかえり」
それから手拭いを取り、サンジに向かって丁寧にお辞儀をした。
「ゾロの母でございます」
「は、はじめまして」
ピキンと筋張ったみたいに背中が伸びて、慌てて腰を折る。
ゾロの家に行くのだから家族に会うことには充分覚悟ができていたはずなのに、こうして実際に顔を合わせると思っていた以上にアガってしまった。
カーッと頭に血が昇って、心臓が無駄にバクバク鳴る。
「シモツキで一緒に・・・させていただいてます、サンジです」
何させていただいてんだコラ。
己に突っ込むと余計に心拍数が上がって頬が熱くなった。
落ち着け!落ち着け俺!

「遠いところよく来てくださったねえ、寒かったでしょう。入って休んで」
玄関から賑やかな子どもの声が聞こえて来る。
「みんなもう帰ってんだな」
「あんたらが最後よ」
門を潜る前に、男の子が元気に飛び出してきた。
その顔を見て思わず立ち止まるサンジの横を駆け抜けようとして、ゾロの母に肩を掴まれ転び掛けた。
なかなか豪快な引き止め方だ。
「たっくん、表掃いてくれる?」
「公園行きたいのに」
「もう遅いし、今日は公園に誰もいないわよ。みんなおうちのお手伝い」
「ちえっ」
「ガラス拭きは終わったの?」
「マー君がやった」
そこへ、たっくんの名前らしきものを呼びながら、女性が玄関から出てきた。
その顔を見てまたしても、サンジの動きが止まってしまった。

「たかしー!あ、母さんが捕まえてくれたの?」
「表の掃き掃除お願いしたわ」
「ありがと、あら」
門の外に佇むゾロとサンジを見つけ、華やかな笑顔を浮かべる。
「おかえりゾロ。初めましてサンジさん」
「あ、はい、初めまして」
またしてもブンと勢いよく腰を折って深々と挨拶した。
多分きっと、この人がゾロのお姉さんなんだ。
だけど、しかし―――

「これが温泉の世話になった姉貴だ」
「その節は、どうもありがとうございました」
「いえいえご丁寧に」
長く伸ばしたストレートの髪を後ろで軽く結わえたエプロン姿のお姉さんは、スッピンに近くても実に華やかな美人だった。
口調はサバサバとして非常に男らしい。
がしかし―――

「ほとんど掃除も終わったけど、ちょっとバタついてるから勘弁ね」
「おう」
ゆっくりしてってねと笑顔で見送るお姉さんをそれ以上ジロジロ見る訳にも行かず、サンジは俯いたまま腹筋に力をこめた。
そうか、お姉さんの子どもだから、たっくん・・・たかし君も―――

「あーゾロ兄ちゃんだ!」
「ゾロ兄ちゃんおかえりっ」
「おう」
兄弟が多いから甥や姪も多いと言っていた。
なるほど、保育所か小学校さながらの数の子どもが部屋からドヤドヤと走り出てきて―――
「・・・ひぐっ」
慌てて口元を引き締めたら鼻から変な音が漏れた。
それを誤魔化すために片手で鼻と口を覆い、肩を震わせながら呼吸を整える。

「お前ら大きくなったなあ」
「お兄ちゃん、おっさんになった」
「おっさんだー」
「おっちゃんだー」
「このお兄ちゃん誰?」
「外人さんだー」
「ああ、兄ちゃんの連れ合いだ」
「連れ合いー?」
子ども相手にストレートな説明だったが、サンジはもはやそれどころではなかった。
足元に6人もの子ども達がまとわり付いてくる。
男の子も女の子も、大きいのも小ちゃいのも。
そのどれもが、みんな―――

「おう、おかえり」
鴨居に手を掛けて、上背のある男性が顔を出した。
「ただいま」
兄貴だと囁くゾロの声がなくともサンジにはわかった。
口元を手で押さえたまま、真っ赤な顔でコクコクと頷くしかできない。
「おかえんなさいー」
「ゾロにいだ」
今度は中・高校生くらいの子ども達がゾロのお兄さんの背後から首だけ出してくる。
「ふぎっ」
押さえていたのに、とうとう鼻から何か噴き出した。
慌てて俯き身を折って息を整えようにも、そのまま膝を着いてしまいそうだ。

「わかるわあ」
しみじみとした口調で同情してくれたのは、お兄さんの奥さんと思しき美人。
「私も初めてこの家に招待されたとき、唖然としたもの」
「特に盆・正月って壮観ですよね。さすがにもう見慣れたけど」
「わかる、わかるよ」
サンジを励ますように肩に手を掛けてくれたおっさんは、多分お姉さんの旦那さんだろう。
うっかり引っかかってしまったお堅い公務員。
まさに見てくれからしてドンピシャな、いかにも誠実そうな人だ。
お兄さんの奥さんの隣で頷いているのも、多分兄弟のお嫁さんだろう。
なんて言うかもう、一目で分かる。
つか消去法?

「玄関に固まって、なにしとるんじゃあ」
しわがれた声と共に奥から現れた古老の姿を見て、サンジはその場にくずおれてしまった。
「ぶはははははははははは」
失礼だとわかっているのに、もう止まらない。





「今年もみな息災で、なによりなにより」
呵呵と笑う大年寄りが上座に陣取り、座敷を開け放してずらりと親類一同が顔を揃えている。
大掃除も一段落し、おせちも作り終え正月準備は整ったとして全員が座敷に集った。
この後紅白歌合戦が控えているから挨拶は短めにと、暗黙の了解だ。
初めてのお客さんだからと上座に連れられそうになったサンジは、なんとか固辞して末席に着いた。
ゾロの背中にほとんど隠れるようにして身体をちぢ込ませている。
まだこの面子にきちんと対峙することはできない。
つか、腹筋が痛い。

ゾロの家は、お祖父さんにご両親、兄夫婦と子どもが3人の大所帯だ。
そこに更に次兄夫婦と子どもが2人、姉夫婦と子どもが3人に伯父夫婦2組に従兄弟が数名と、ただでさえ多い家族数が倍以上に増えている。
そのどれもこれもが・・・いや、正確に言うとゾロの血縁者だけがあまりにも似通っていた。
なんと言うか生き写し。
老いも若きも男も女もそっくり過ぎる。

老いて尚矍鑠としたお祖父さんは、好々爺然としておりながら何故だかゾロの面影をそのままに留めていた。
小ちゃいのに、皺くちゃなのに。
その右隣に座す伯父さんはもう、ゾロが年取ったらこうなるだろうなと思わずにはいられないシブすぎるロマンスグレー。
その隣に座す叔父さんは年の割りに長髪+ジーンズとえらく若作りだ。
やんちゃなちょい悪オヤジを地で行ってるのに、やっぱりゾロ。
反対側に座るお父さんもゾロがそのまま老けたようなおっさんで、更にその隣のお兄さんは中年のゾロ。
次兄もやっぱりゾロ。
お姉さんも、今は綺麗にメイクしてとても華やかな美女なのにゾロの面影がある。
さらに高校生ゾロと中学生ゾロ、それに小学生ゾロがぞろぞろ。
幼稚園ゾロと赤ちゃんゾロも加わって、そこら中が文字通りゾロだらけだった。
これでどうして、平気な顔していられようか。

これだけ多くの人が一つの場所に集まっていて、血族とそうではないのとが一目見ただけでわかるのがまたおかしい。
お母さんは、恐らくゾロの家族の中で一人だけ顔立ちが違う。
お兄さん家族も、奥さんだけが違う。
お姉さん家族は旦那さんだけが違う。
なんてわかり易く単純な遺伝子―――


「今年はゾロが、サンジさんを連れて帰って来た。シモツキ村というところで一緒に暮らしておるらしい。みな、よろしゅうしてやってくれ」
温かい紹介の言葉に恐縮して、サンジはその場で顔を伏せたまま手を着いて深々とお辞儀をした。
下手に顔を上げたらまた発作に見舞われる。
「サンジです、よろしくお願いします」
「こちらこそ、ゾロがお世話になっております」
男の恋人を連れて帰って来たとあっては、どれだけ理解が深い家庭であろうとも相当肩身の狭い思いをするだろうと覚悟して来たのに、それ以前の問題が存在していた。
親戚一同の顔をまずまともに見られないなんて。
挨拶するより先に噴き出してしまうだなんて。
お祖父さんの顔を一目見るなり盛大に笑い出すと言うとんでもない無礼をしでかしたのに、今でも反省するどころかまだこの状況に慣れていない。
つか、緊張している暇もない。

畏まって俯いたまま肩先だけプルプル震わせていたら、乾杯の音頭になった。
震える手でグラスを掲げ、唇だけ動かして唱和した。
もう・・・限界―――
「来年も幸多い年でありますように、かんぱーい!」
目を閉じたまま、勢いよくグラスを飲み干した。



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