ふたりのアイランド 2



【四日目】
昨夜の嵐が嘘のように、からっと晴れた青い空だ。
けれど島の樹々は無残にもあちこち折れて、飛ばされたり形が崩れたりしている。
泉の水も濁っていたが、別の場所を掘ってみれば、透明な真水が湧いて出てくれた。
本当にありがたい。
ゾロは昨夜の八つ当たりを根に持っているのか、朝からブスッとして愛想がない。
しつこい男は嫌われんだぞ。
俺の言葉にますます口元をへの字に曲げたが、やはり文句は言ってこなかった。
なんとも調子が狂う。

浜辺には流木やらゴミやらが散乱して、嵐の後に打ち上げられるのが俺たちだけじゃないことを教えてくれた。
何よりゾロが喜んだのが、酒だ。
どこかで船が難破でもしたのだろうか。
中途半端に呑み残されたワインなんかを拾っては、舌なめずりでもしそうなほど表情を崩している。
これでご機嫌も直ったんだろうな。

すっかり破壊され、屋根代わりのスーツも飛んでしまった元寝床で、貝や魚を焼いて食べた。
ゾロはちびちびと酒を飲んでいる。
「そんなもんが流れ着いて来るんなら、鍋なんかもあるといいのにな」
「裏手まで探してみりゃいいじゃねえか。結構でかい流木も流れ着いてるし」
乾かして薪にでもするつもりか、ゾロは木ばかり一塊にして集めていた。
それにロープの切れ端なんかも。

「嵐も役に立つもんだな。俺たちも運んでくれたしよ」
「まったくだ」
不気味さのあまり、俺は食事する手を止めて、まじまじとゾロの横顔を見つめた。
ゾロも、何事かと言った風に首を竦めて俺を振り返る。

「・・・お前、腹でも痛いのか?」
「はあ?」
「だってよ、あんまり素直じゃねえ?ここん来てから、ずっと」
「・・・そうか、いつもと変わんねえぞ」
いや、そうやって会話成り立つ時点で変なんだっての。
「とにかく、俺の言うことを聞くてめえが気色悪いんだよ」
ゾロはなんとなくバツの悪そうな顔をした。
そのことにイラっと来る。

「あんだてめえ、言いたいことあんならはっきり言いやがれ」
「別にねえ」
「嘘つけ、なんかてめえ・・・」
言いかけてはっとした。
そうか、と唐突に閃いた。
「てめえ、俺に気遣ってやがんな」
ゾロの目が左右に揺れた。
「なんだってんだ、らしくねえ。なんで気遣う」
「遣ってねえ」
「うっせー不自然なんだよ。俺の言うこと素直に聞いてみたり、余計な口叩かずに言いなりになってみたり・・・」
「そらしょうがねえだろ。お前のが慣れてる」
またはっきりと言われた。
それは、その通りだ。
ゾロはワインの口に慎重にコルクを詰めて傍らに置いた。
胡坐を掻いた膝に手を置いて、肩を揺らして背筋を伸ばす。

「てめえがガキの頃、えらい長い時間飲まず食わずで生き延びたことは話に聞いてる。それにいつも食に携わってて食い繋ぐことはプロだし、他にも俺が知らねえことをいっぱい知ってるじゃねえか。現に、この島に着いてから、俺はなんの心配も不安も感じなかった。だからてめえの言うことに従ってたんだ。それの何が悪い」
はっきりきっぱりとそう言われ、ふんぞり返って開き直られて、俺はなんとも反応を返せなかった。
え?
えええええ?
なんか、もしかして・・・
それって―――

「気を遣わなかったと言えば嘘になる。昨夜の嵐に、何よりも俺はてめえの反応を見てた。てめえが動揺したならと案じてた。取り越し苦労だったがな。そのことについては、すまん」
そしてあっさり、ゾロは俺に向かって頭を下げた。
もはやプチパニックだ。
待て待て待て
もっかい頭から整理。

この島に着てから心配も不安もなかったって、俺は何でも知ってるって、俺の言うことに従うって―――
かああっと、耳元が熱くなった。
ゾロは「お」と間抜けな声を出して俺のシャツを引っ張る。
「てめえ、日陰からだいぶはみ出てんぞ。真っ黒っつうより真っ赤になってんじゃねえか」
言われて慌てて木陰に飛び込んだ。
けど、これは絶対日焼けじゃねえ。
ゾロに、褒められたっつか、認められた。
いや、認められてた。

ゾロのが、俺のことを頼りになるって思ってたんだ。
サバイバルではリーダーだって認めてたんだ。
何の意地もプライドもなく、至極自然に・・・
なんか急に気恥ずかしくなって、俺はもそもそと食事を再開した。

ゾロは名残惜しそうにワインの瓶をくるりとひっくり返して、葉陰に仕舞っている。
また後で飲む気なんだろう。
そんな仕種もなにやら可愛げに見えて、俺自身酷く戸惑った。
胸の中がぽわぽわとしてる。
俺が頼りになるなんて当たり前のことなのに、ゾロに言われるのがこんなに嬉しいだなんて・・・
俺って、ほんとこいつを意識してたんだなあ。

タメ年の、名の知れた海賊狩り。
賞金もついて腕も確かで、どこか一歩先を行かれてた気がしてた。
だから余計、その言葉に浮かれちまってる自分がいる。
いかんいかん。
当たり前のことなんだ。
喜ぶな、俺。








【五日目】
晴れ時々通り雨の穏やかな一日だ。
ゾロは流木を集めてなにやらせっせと作っている。
こんなときウソップがいればもっと形になる何かができるんだろうが、端から見ててもさっぱりわからない。

「てめえ、見張りもしねえで何してやがんだ。」
「筏だ」
「はあ?」
「い・か・だ」
こいつ、馬鹿か?
「このただっ広い海に、そんな切れ端で漕ぎ出そうってのか?」
「ああ」
「馬鹿か?」
「ああ」
「・・・マリモちゃん・・・水分不足?」
「まあな」
相手にしてくれない。

俺はなんか情けなくなってゾロの横に膝を着いた。
「あのなあ、結わえてあるロープも、カビ生えててボロボロじゃねえか。こんなモンで大海原漕ぎ出そうなんて・・・海を舐めんのも大概にしろよ」
「じゃあ、なにか?」
ゾロは手を止めて俺を振り返った。
久しぶりに見る、力の強い睨み付けるような目だ。
「てめえ、何日も何ヶ月も、ここで来るかどうかわからない助けを待てってのか?嵐が来て、モノが流れ着くのはわかった。だが届くばかりだ。誰も来やしねえ」
「・・・だからって海へ出てどうする。木っ端微塵で藻屑になんのがオチだろうがよ!」
俺は怒鳴り返した。
「てめえは藻類だから藻屑でも大丈夫だろうが、俺はゴメンだね。これだから素人は困る。遭難した時はじっとして体力温存してんのが一番早道だ」
「そうしてじっと待って、次の船が通りかかんのが何年先でもか?」
ゾロが噛み付くように反論して来た。
「水もある食い物もある、どっちかってえと楽園みてえなこの島で、老いぼれるまで待ってるつもりか。は!気の長い話だ」
「極論ばっか言うな」
「だが、誰かが来る保障はねえ」
ゾロらしくない悲観論に絶句しながら、俺は何とか言葉を繋いだ。

「ナミさんを信用できねえか。あの人は世界一の航海士だ。俺らが波に飲まれた地点から、この島までの航路も絶対計算してくれる。風向き、潮の流れ、俺らにはわからねえ何もかもをナミさんはちゃんと把握してんだ。信じて待て」
ゾロは、俺に従うと昨夜言ったばかりだ。
だから俺はあくまで強気で出る。

ゾロは苦虫でも噛み潰したように顔を歪めて、低く唸った。
「俺あ、てめえほど気が長くねえんだよ」
カッとして、気が付いたら簡易鍋で頭を殴りつけていた。
硬い実がぱっかりと割れてしまった。
ああ、また作り直さないと・・・

「不安なのは、てめえだけじゃねんだよ!行きたきゃ一人で行け阿呆!!」
バラバラになった鍋を砂浜に叩き付けて、俺は大股で森の中に入って行った。









別になんの目的もある訳じゃなかったが、これ以上ゾロの顔を見てると情けなくて何を言い出すか自分でもわからなかったからだ。

ゾロが、俺と比較して言ったのはわかっていた。
そこでなんとなく線を引かれた気がして、何よりゾロがそんな弱音を吐くことも腹立たしかった。
あいつはもっとふてぶてしくて無神経で、風が来たって嵐が来たって寝くたれて過ごす単細胞馬鹿じゃねえとダメなのに―――

滾々と湧き出る泉を眺めながら、俺は膝を抱えてぼんやりと日が暮れるのを待った。





落ち着いて見れば、こんだけ俺が腹を立てるほどのことじゃねえ。
ゾロは馬鹿だし、思ってたより小心者で、浅はかなんだ。
なに幻滅してんだ、俺。
頼りになる俺としては、ここでもうちょい冷静になって、きちんと阿呆のすることを宥めなければ。

なんとなくそう思って、俺は手近な実を幾つか摘んで砂浜へと戻った。
大量に収穫して来たぞなんて口実は作れそうにないが、別に俺が気にすることじゃねえ。



浜辺に帰ってみれば、ゾロは盛大に焚き火をたいて、ずっと海を眺めていた。
筏は、諦めたようだ。

「おいおい。んなに勢いよく燃やすんなら、さっさと言えよ」
俺が不機嫌さ丸出しの低い声で話しかけると、ゾロは振り返りもしないで「ふん」とだけ応える。
「燻製とか、作ったりしてえなあ〜。あ、今度鍋作ったら出汁もとるぞ。」
ゾロは振り返り、頭を掻いた。
夕暮れの赤い光より、炎に照らされた赤黒く見える。

「別に諦めた訳じゃねえが、もう少してめえに付き合ってやる」
「あんだそりゃあ」
俺は呆れて息をついた。
「まあ、俺もここの暮らしが何年も続いたら考えてやらないでもねえぜ。マリモ藻屑作戦」
「ほんとに気の長い野郎だ」
「減らず口叩いてないで、しっかり見張りしろよ。見逃してたらシャレになんねえからな」
やはりゾロは素直に頷いて、また海を眺めた。









【六日目】
少し風は強いが、快晴。

ぽつりぽつりと、俺たちは色んな話をするようになった。
大体はガキの頃の話だ。
ゾロは猫を追いかけて縁の下に潜り込んだとか、女の子のままごとに付き合わされて泥団子をほんとに
食ったとか。
俺は物心ついた時から船の上だったからカエルは食用しか知らなかったとか、犬や猫も実は未だに触ったことがないんだとか、そんなとりとめもないことばかりだ。

多少話は前後するけど、大抵幼い頃のことばかりで。
なんとなく、二人とも話を小出しにしているのはわかっていた。
こうしてお互いに会話するのが、この先いつまで続くのか検討もつかないからだ。
話のネタがなくなって、お互いだんまりで気まずくなるのも嫌なんだろう。
他愛無いことで、話題を引き伸ばしている。

こんな風に、どうしようもない状況で同じような思惑で、ゾロとコミュニケーションを図ることになるとは、想像だにしていなかった。
最後に二人だけしか生き残らなくてもうっかり死闘を繰り広げちまうだろう相性の悪さだったのに、今は何故だか誰よりも近しく感じる。


「お前って、案外普通だったんだなあ」
つい口をついて出た言葉に、それでもゾロは怒らずに笑みを返した。
「なんだそりゃ」
「だってよう、いっつも我が道を行くって感じで、誰が何してようと気にするタイプじゃなかったじゃねえか」
「今でもそうだぜ」
「・・・そうか?」

二人並んで砂浜に腰を下ろして、降るような星を眺めながら言葉を交わす。
はっきり言って相当寒い図だけど、誰が見てるわけでもない。
「こうして、どうでもいいことてめえと話せるなんてって思っただけだ」
「ああ、俺もだ」
「だから、その素直さが不気味なんだよ」
「なんだお前、失敬だな」
いきなりルフィの真似をしたから噴き出した。
素直な上に案外お茶目だ。
身体を揺らした拍子に肩がぶつかる。
剥き出しの腕は日に焼けて、余計に筋肉が盛り上がって見える。
しかも妙に暖かい。

「てめえ、鼻の頭の皮が剥けてっぞ」
ささくれた指先で、ちょんと鼻を突かれた。
かーっと顔に血が昇る。
絶句した俺から目を逸らして、ゾロはまた何も映さない黒い水平線に向かって意識を逸らしてしまったようだ。








【七日目】
夜明けから雨が降り出した。
葉を叩く雨音をBGMに、繁みで囲んだ簡易の塒で二人身体を寄せ合って海を眺めた。
飛沫がかかる腕や爪先を、ゾロの手が撫でる。
庇うように水滴を払って、冷えた肌を包み込んだ。

・・・なんか、やっぱり気遣われてる気がする。
体勢的に見て、どうもゾロに抱かれている感じなのだ。
肩から腕を回して、ゾロの腹の辺りに俺の腰があって。
まあ、狭い場所だから仕方ないんだけど。
この状況でも「気色悪い」と振り払う気がしない、俺の気持ちの方が問題だろう。

ゾロの昔語りは、まだ5歳くらいだ。
いくつもいくつも、しょうもない思い出が出てくる。
人間って案外色々と覚えてるもんだな。
そういう俺も、初めて捌いた魚の内臓の位置から、丁寧に解説してるんだけどもよ。


日に灼けて赤く染まった手の甲に、ゾロが掌を乗せた。
火照ってるのはゾロなのか俺なのかわからない。
これからどれだけ長い間、こいつとこうして過ごすんだろう。

早く迎えに来て欲しいのに。
来て欲しいはずなのに。
俺もゾロも、海を眺めてはいなかった。
二人とも重ねた掌をじっと見てて―――
それから俺はおずおずと自分の手を動かした。

ゾロの手の中で円を描くようにして、ひっくり返す。
掌同士が触れ合った。
親指の間に親指を、そうして順番に指を絡めて、俺はゾロと手を繋いだ。
女の子とだってこんなにしっかり繋いだことないだろうに。
しっかりと、ぎゅっと握り締めて。
俺とゾロは黙って手を繋いだまま、二人して海へと視線を移す。
そうして、昼だか夜だか時間の流れすらよくわからない沈黙の時を、存外居心地よくすごしてしまった。



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