Fortuna
-4-





内戦続きで混乱状況にあったノースからは、身寄りのない子ども達が続々と排出されていた。
『サンジ』もその内の一人で、自分が置かれていた状況は、少なくともサンジよりはよく理解していたらしい。




「売られるのはわかっていたから、せめて条件の良い所って、思ってたんだよな」
簡単に片付けられた部屋で、ぺしゃんこの枕を背に当てて、『サンジ』は身体を起こしていた。
サンジのシャツを肩に羽織っている。

「売られた先はイーストの娼館だったけど、労働環境は悪くなかった。結構大きな店だったし、格上で出入りする客達も上流だ。俺は飲み込みも早かったから、すぐに上客がついた」
店の方も安売りをしなかったから、高級男娼のコースに乗れたのだと言う。
「行く行くはいいパトロン捉まえて、身請けしてもらってさ・・・そう思ってたんだけど―――」

仕事に慣れた頃に、『サンジ』は恋に堕ちてしまった。
相手はやはり娼館で働いている年上の娘で、同じ境遇を慰め合う内に懇ろになってしまった。
「商売道具同士が通じるなんて、ご法度もいいとこだ。けど俺は気持ちを止めることができなかった」
一緒に逃げようと涙ながらに訴えてくる娘に突き動かされて、『サンジ』も逃げる決心をした。
この娘となら、どんな場所でも生きていけると、そう思った。
幼い、直向な恋だった。
けれど―――

「彼女は一人で逃げてしまったんだ」


『サンジ』が追っ手に捕らえられている間に、娘は他の男と逃げた。
最初から『サンジ』を囮に使うつもりだったらしい。
一人引き戻された『サンジ』は、きつい仕置きを受けた上、他の店に売り飛ばされた。
そこから先は、まさに地獄―――

「逃げた娘の、この先の稼ぎ分まで借金を上乗せされたんだ。毎日毎日、限界まで客を取らされて、
 身体壊して、薬漬けにされて―――」
使いものにならないと放り出された時、まだ20歳にもなっていなかった。

「それからは、食うためだけに生きてきた。この年になったって、何もできることなんてありゃしねえ・・・力もねえし、智恵もねえし、芸もねえし、よ。身体だけだ」
資本になる身体だって、もはやボロボロの状態だ。
すぐに街に立つことすら難しくなってしまった。
それでも、何人かの情けに縋ってここまで生き延びてきたが、いよいよ死臭が漂うようになってからは誰も寄り付かなくなったという。

「もうダメだって、わかってんのに・・・案外、人間ってしぶてえよなあ」
そう言って笑う『サンジ』の歯は不自然に解け崩れて、末期の老人のようだ。
サンジは言葉を失って、ただ黙って首を振り続けるしかできなかった。
『サンジ』の顔を見るのも辛い。


語り終えて、『サンジ』は精根尽き果てたようにベッドに横たわった。
そのまま目を閉じれば、息が絶えてしまいそうだ。

「もう暗くなるだろ?帰った方がいい」
心配はいらないだろうけどと、おかしそうに笑いながら『サンジ』は気遣ってくれる。
「俺らの心配より、あんただろ?」
サンジはベッドに縋るようにして、暗くなった部屋を見渡した。
「あのよ、俺一旦宿に戻ってからなんか食えるもの持ってくるよ。スープくらい、飲めるだろ?」
『サンジ』は力なく首を振る。
「・・・何もいらない。もう何も食べなくていいんだ」
「けどよ、それじゃ・・・」
死んじまう、と先を続けられない。
どう足掻いても、目の前のこの男は近い内に死ぬのだ。
悪戯に生を引き伸ばして、一体誰が喜ぶと言うのか。

「いいんだ、ありがとう」
サンジを拒絶するかのように、薄い瞼を閉じた。
「思わないことでサンジに会えた。嬉しかった、ありがとう」
薄闇に浮かぶ横顔は、死人にしか見えない。
まさに幽霊と会話しているかのようで、サンジはぞくりと身震いした。


「帰るぞ」
ぶっきらぼうな声と共に、ゾロの手が背中に添えられる。
まるで放射しているかのような明らかな熱を感じて、強張っていた背筋から不意に力が抜けた。
「―――でも」
「心配ない。お前が心配することでもない」
冷たい言葉とは裏腹に、サンジの傍らにいるゾロの存在は温かだ。
そのことが余計、サンジを哀しい気分にさせた。

「じゃあ、な」
殆ど暗闇に包まれた部屋の中で、『サンジ』からの応えはなかった。
けれどかすかな息遣いが聞こえる。
まだ事切れていないと、そう窺う自分のさもしさが嫌になる。







来たときとは打って変わって、静かに部屋を出た。
扉を閉めることにも躊躇して、つい振り返ってしまう。
「大丈夫なわけ、ねえ・・・」
呟いてドアノブを握り締めるのに、ゾロがそれを遮るように手首を掴んだ。

「戻ってどうする?」
冷静な声音に、サンジは苛々と首を振った。
「どうもできるわけがねえ。俺にはなんもできねえよ。わかってる、けどよ・・・・」
―――また、あんな奴が来るかもしれねえじゃねえか。
サンジの考えを察して、ゾロは皮肉な笑みを浮べた。
「それで?てめえはここで一晩中、見張っててやるとでも言うのか?」
「うっせえよ!」
サンジはゾロの手を弾いてその場で地団太を踏んだ。
シャレでなく、床が抜けそうに揺れる。
「てめえのせいだ馬鹿野郎!余計なことしやがって!てめえが、てめえがこんなことに首突っ込まなけりゃ、こんな想いしなくて済んだんだ!」
吐き出してしまってから、慌てて口元を押さえた。

ゾロに投げつけた言葉より、取り返しがつかないのは扉越しに聞こえたであろう『サンジ』への嘆き。
死の間際にいきなり訪れた過去の『自分』を、『サンジ』はどんな気持ちで迎え入れたのだろう。

「あいつもう、死ぬのに・・・」
どうしようもなくなって、身体も動かなくて金もなくて、支えてくれる人すらいなくて、ただ汚物に塗れて死んでいくだけなのに―――
突然、目の前に自分に似た男が現れた。
身体も丈夫で仲間もいる、真っ当な(少なくとも自分よりは)生き方をしてきた『サンジ』

「どうして・・・」
この期に及んで、自分が置かれた境遇を嘆くだろうか。
サンジの存在を妬み、恨むだろうか。
羨むだろうか。
成り代わりたいと、願うだろうか。

「けどオレは、代わってやりてえなんて・・・思わねえよっ・・・」
口の中だけで呟いた本音。
扉越しにでも決して聞かせられない『サンジ』への正直な気持ち。


俯いて顔を覆ったサンジの肩を、ゾロは強引に掴んで押した。
「帰るぞ」
ただ立っていても自然に足が歩むほどの、力強さ。
サンジが抵抗して踏ん張ったとしても、きっと問答無用で引っ張られるだろう。
この有無を言わせぬ強引さが、今のサンジには救いだった。

『サンジ』の側に、いてやりたい。
けれどゾロが、無理やり連れて帰ろうとするから―――

それは、ただの言い訳だ。
それがわかっていて、サンジは形ばかりの抵抗を続けながらゾロに引き摺られるようにして階段を下りる。

卑怯だ。
卑怯なのは、俺だ。






















帰り道に軽く食事を済ませて、早々に宿に戻った。
あの部屋よりは数倍清潔で快適な室内で、サンジは先にシャワーを浴びた。
身体中に『サンジ』の部屋の臭いが染みついているようだ。
汚濁と腐蝕と、悲しみと絶望と、この世のすべての災厄が集約されてしまったような、陰鬱な部屋だった。
あの場所で、『サンジ』は最期の時を迎える。

何度目かの溜め息をついて、サンジはシャワーを止めた。
立ち昇る湯煙の中で、風呂場は石鹸の匂いに満ちている。
それでもサンジは、あの死臭を忘れる事ができない。




風呂から上がれば、ゾロは相変わらず靴を履いたままベッドに横たわって、酒を呷っていた。
白いシーツに泥がついているのを見咎めて、サンジは不機嫌を露わにする。
「部屋の中でくらいスリッパに替えろ。つか、風呂入れ」
ゾロは反論せずに酒瓶をサイドテーブルに置いて、身体を起こした。
意味ありげにサンジを見ているが、黙って風呂場へと向かう。

ゾロの、なんでも理解しているかのような態度は正直気に食わないが、そのことで喧嘩するほど今のサンジには気力がなかった。
まるで毒気にでも中てられたようで、無闇に落ち込んで自己嫌悪ばかりが湧いてくる。

―――本当に、自分にできることはなにもないのか
それを真正面から考えることを、避けているのだ。
逃げているのだ。
自覚があるから、尚のことそれが辛かった。


「ええい、クソ!」
あの場所を立ち去ってから、ろくに声を出していなかったことにも気付く。
ウダウダと考えるのは性に合わない。
「クソ野郎!畜生め、馬鹿野郎め!」
声に出して叫べば、少し気持ちが楽なった。

何もできないから落ち込むんじゃなくて、何ができるか考えればいいのだ。
会わなければ、気付かなければ、知らなければなんて、後から思ったって何の進展にもなりゃしない。
会ってしまったのだ。
気付いてしまったのだ。
知ってしまったのだ。
『サンジ』のことを。

だったら、正面から受け止めなければならない。
『サンジ』の存在を。
なかったことになんか、できない。






「なにやってんだ?」
風呂から上がってきたゾロは、サンジがなにやら荷物をまとめているのを目にして、不機嫌そうに顔を顰めた。
何か言われるだろうと予測していたから、サンジも努めて冷静に返事をする。
「俺よ、あいつんとこ行こうと思って」
「・・・・・・」
馬鹿かとか、アホかとか。
何か言われると思ったが、返って来たのはこれ見よがしなほど大きな溜め息だ。
乱暴にベッドに腰を下ろしたゾロは、じろりとサンジを睨みつける。

「・・・わかってるよ。俺はアホです間抜けです、単純です」
腕を組んだゾロの胸は、湯上りのせいか怒りのせいか、いつもより火照って傷跡が赤黒く浮いて見えた。
「けど、こんなモヤモヤした状態でいつまでもいられねえんだよ。なんもできねえけど、それでもできることはあるだろ。だったらそれをするまでだ。余計なお節介だけどよ。えーえわかってますとも、あいつがそんなこと望んでねえことも。鬱陶しいだけだってことも。誰だって面白くねえよな。死に掛けてしんどい時に、自分によく似た元気な野郎がピンピンして目の前に現れたらよ、きっとつまんねえよ腹立つよ。同情されたら悔しくて、てめえが死んじまえ!とか思うよな、きっと」
自分で言って、なんか情けなくなってきた。
やっぱり止めようかなんて、後悔に似た気持ちがほんのちょっと湧いてくる。

「それでもな、こういうのって縁だと思うんだ。この街で出会ったのも、この島に寄ったのも。だから、やっぱり俺はこのまま見過ごすなんて、できない」
自己満足だ。
それは充分わかってる。
わかっててそれをやるのだ。
非道なのは、自分だ。

一気に言ってしまって、それだけでほうと気が抜けてしまった感のサンジを前に、ゾロもなにやら肩を落とした。
決意したサンジより、ゾロの方が途方に暮れて見える。

「側にいてやって、どうすんだ」
「どうもしねえよ、チョッパー呼んだりとかも、しねえ」
チョッパーに声を掛ければ、彼はきっとすぐに飛んで来るだろう。
食事の摂れない彼の為に点滴を打って、投薬をして部屋の中を清潔にして、できる限りの手を尽くすだろう。
それで、彼の寿命はほんの僅か、延びるかもしれない。

だが、それだけだ。
死に逝くことに変わりはない。
ずっと側についていて、面倒を見てやることはできないのだ。
それをする義理もない。
彼がそんな情けを受ける、謂れもない。

「お前の気が済むように、すればいい」
サンジが理由を口にする前に、ゾロはすべてを悟ったようにそう呟いた。
心の中を代弁されたようで、サンジは聊かむっとする。
むっとはしたが、少しゾロを見直したのも事実だ。





next