Fortuna
-2-





黒いスーツに身を包んだ、金髪碧眼の男。
名を、サンジと言う。

サンジがその男の存在に気付いたのは、島に上陸して間なしのことだった。












「ようサンジじゃねえか!驚いた、元気になったのか?」

魚市場のでかいオッサンに名指しされて、サンジはきょとんとした顔で振り向いた。
今朝着いたばかりのこの島に、知り合いなんていたっけか?
オッサンは混雑した人ごみの中を、巨体で縫うようにして近付き「お?」と口を丸くすぼめた。
「ああ、悪い悪い。人違いだ」
ガッハッハと照れたように笑ってサンジの背中を軽く叩くと、すぐに踵を返して人ごみの中に紛れてしまった。
「・・・なんだったんだ?」
綺麗なレディにならいくらだって人違いされたいけど、あんなむさ苦しいオッサンじゃケチがついたようにしか思えない。
サンジは不満そうに口を尖らして、ケホッと噎せた。
軽く叩かれただけなのに、背中がジンジン痺れている。



「おやサンジ、大丈夫かい?」
今度声を掛けて来たのは、道端で花を売ってる老婆だった。
涙に濡れた目をしょぼしょぼさせて、腰を曲げた姿勢からじっとサンジを見上げている。
「あれまあ、違う人だね。あんまり似てたから・・・」
そういうと、老婆はもう興味をなくしたように横を向いて、噴水の近くで歓声を上げている子ども達に目を細めている。



ただの人違いが2度目ともなると、サンジはなんとなくソワソワと落ち着かない気分になった。
声を掛けるまでもないが、自分を「サンジ」だと思って見ている人間が、他にもいるんじゃないだろうか。
確かにサンジだから間違いはないが、どうやらこの島には自分に良く似た「サンジ」がいるらしい。
この世には似た人間が3人いるとか言う話を聴いたこともあるが、あまり気分のよいものではないなと、下見もそこそこに宿に帰った。

夕食をとるために適当な酒場へ足を向けたが、その店に入った途端向けられた視線が一様の反応を見せたことにも閉口した。
なんと言うか、店の中のほぼ全員がはっと目を瞠り、次には値踏みするようにじろじろと見てやがて興味を失くしたように視線を外す。
つまり、誰もがサンジを「サンジ」だと思い、よく見たら「別人だ」と判断したということだ。
サンジはカウンターに腰掛けて、同じような反応を示していたマスターに話しかけた。

「この店の名物みてえなの、ないかな」
「ああ。名物とまではいかないけど、お勧めがあるよ」
「んじゃそれと、あんまり強くない地酒を」
ポケットから煙草を取り出すと、マスターがすかさず燐寸を擦って火を点けてくれた。
瞬く灯りの中で、マスターの瞳はどこか懐かしそうに眇められる。

「なに、あんたも俺に似た奴、知ってんの?」
そう話しかければ、一拍置いてマスターは頷いた。
「よく見れば別人なのにな。似てるんだ、雰囲気とか背格好とか・・・」
「ふうん」
サンジは興味なさそうに見せかけながら、煙草を咥えてゆっくりと店内を見渡した。

背を向けた客達も、ちらちらとこちらに意識を向けているのがわかる。
自分に似た男はよほどの有名人なのか。
やたらと大丈夫かとか気遣われていたが、具合でも悪いのだろうか。
関わりのないことだと思いつつも、やはり少し気になるものだ。
特に名前が同じと言うのは、ただの偶然とは思えない。
現に今も、カウンターの端の方で男二人が顔を寄せ合って「サンジが」なんて囁き合っている。

マスター自身、人違いだと言っているくせにチラチラとサンジを気にしているようだ。
あながち人違いでもないかもしれないぜ。
なんせ俺の名前も「サンジ」だからな。
とは、言いたいが言えない。
仮にもお尋ね者の身だ。
自ら名乗り出るなんて愚行はするはずもなく、できればこんな形でだって目立ちたくないところが本音というもの。



「いらっしゃい」
マスターは顔を上げて余所行きの声を出した。
なんとなくつられるように振り返り、条件反射的に顔を顰める。
扉を開けて顔を出したのは仲間の剣士だった。
上陸初日に街中に留まっているなど、珍しい。

「よお」
ゾロはサンジを見つけると、当たり前みたいに大股で近寄って隣の席に腰を下ろした。
サンジはほんの少し腰を浮かして、小さ椅子の端に尻を乗せる。
「なんでてめえが来るんだよ。つか、なにずうずうしく人の隣陣取ってんだ」
「なんだ。なんか都合でも悪いのか」
「おおよ、都合悪すぎらあ。俺の隣に座るのはレディだって相場が決まってんだろ」
「・・・また妄想入ってんな」
ゾロは構わず、マスターに酒を頼んだ。

「食うもんはお前が頼めよ」
「なんで俺に丸投げすんだよ。つか、その皿は俺の頼んだもんだぞ」
サンジの抗議も聞き流し、ゾロは勝手に食べ始めた。
何を言っても無駄だと悟ったか、サンジは舌打ちしながらマスターに追加注文をする。
「こいつに酒のつまみになるようなもんと、あとここって白米使った料理とかあるか?」
「米か。うちはないねえ」
「ああ、じゃあいいや。海獣の肉使ったもんあったらそれ頼む」
「あいよ」
勝手知ったると言った感じで注文するサンジに、マスターも気軽に応えた。
気心知れた仲間同士と認識されたのだろう。
それもなんだか癪だよなと、サンジは一人ごちてグラスを空ける。


「ああ畜生、久しぶりの陸で街だってのに、なんでまた筋肉ダルマが側にいるんだよ。大体上陸してすぐ迷子ってのがお前の定石だろうが」
「さっきまで船で寝てたんだよ。そしたら船番のロビンに追い出されて、仕方ねえから真っ直ぐ歩いて突き当たりの店に入っただけだ」
「ああ〜〜〜〜ロビンちゃん、聡明すぎる〜〜〜〜〜」
サンジは両手で自分の身体を抱いて身体をクネクネさせた。
「まあこれで、今夜は野宿せずに済みそうだな」
「何結論付けてんだよ。つかなんだ?また俺んとこ来る気かよ」
「一人で一部屋なんて、ナミに言わせれば不経済だろうが」

上陸して「はい解散」となると、出港の日までゾロが迷子になるのはほとんど必然だった。
それをどこでどう知恵をつけたか知らないが、最近は上陸してから街で顔を合わせた仲間の側に張り付くと言う手段を持って人並みの陸での過ごし方を身につけている。
少しは学習能力というものを持ち合わせてきたらしい。
結果的にはスムーズな出港に結び付いて仲間として大歓迎と言いたいところだが、実際のところ少々複雑なサンジだった。



同じ船に乗り合わせて以来、何かとそりの合わない喧嘩仲間もしくは天敵と位置付けられたゾロだったが、二人きりで過ごす時間は案外平穏で心地良かったりすることに、遅まきながら気付いた。
差しで飲む分には、一緒にいて面白い男だ。
割と聞き上手で、サンジが語る言葉に穏やかに耳を傾けてくれることに、最初は驚いた。
茶々を入れたりからかったりは、仲間を前にした時だけなのか。
それを言い出せばサンジも同じ傾向にあって、こと船の中では一々ゾロに楯突いたり喧嘩を吹っ掛けたりもしたものだ。
だが、いざ陸で二人きりとなると案外と馬が合う。
そのことに、サンジ自身が戸惑ってもいる。
まるで仕事とプライベートを分けてでもいるかのようではないか。
仲間に見せる自分と、ゾロだけに見せる自分と。
そこに違いがあることが、サンジには不本意であり認めがたい部分だ。
その辺りの屈託がゾロにはなさそうなのが、また癪に障る。



「ううう〜俺もたまにはお姉さまと甘く芳しい一夜を過ごしたいようう」
「言ってろ」
知らぬ素振りで大ジョッキを傾けるゾロの背後で、また扉が開く音がした。
「いらっしゃい」
すでに一杯引っ掛けてきたのか、上機嫌の男達がどやどやと中に入ってくる。
何気なく振り向いて、サンジは本能的に首を竦めた。

「おいおいおい、サンジじゃねえか!」
案の定と言うべきか、一人の男が大声を出して立ち止まった。
「てっきりくたばったってえ思ってたのに、なんでえ元気そうじゃねえか」
「おお、ほんとだサンジだ」
「その様子じゃ、また世話になれっかな」
「止しとけ止しとけ、病気うつされんのがオチだぜ」
男達はそうせせら笑い、振り向かず耳を欹てていたゾロの肩をポンと叩いた。
「兄さんも見かけねえ面だな。安物買うと後で泣き見ることになるぜえ」


―――ぶちっ!

ゾロの耳には何かが切れる音が聞こえた気がしたが、それより可笑しさに耐え切れず吹き出してしまった。
ほぼ時を同じくして、サンジが何やら喚きながら椅子を蹴って立ち上がる。
「ざけんなてめえら!オロされてえかあっ」
悪鬼の如き形相で、近くにあったテーブルにコンカッセをかました。
木でできたテーブルと椅子がまるで砂像のように一瞬で粉砕されるのを目の前にして、男達は呆然と目を瞠る。
一気に酔いが覚めたようだ。

「てめえらのそのぶっ細工な面についてんのは飾りかビー玉か!よっく目えひん剥いて見やがれ!俺のどこがくたばり損ないの病気持ちだあ?!」
細い身体を翻して啖呵を切るサンジをそれこそ穴の空くほどジロジロと見つめて、男達はああと気の抜けた声を出した。
「こいつは違えぜ、サンジじゃねえ・・・」
「あーこりゃあ悪いことした。人違いだ」
「悪かったなあ」
かつてテーブルだったものの木屑を前に、へらへらと愛想笑いを浮べた。

「サンジはそんな、変な眉毛してねえもんなあ」
ぶっはと、ゾロがまた盛大に吹いた。
「・・・こンの、クソ野郎共〜〜〜〜〜〜」
怒り心頭で振り上げた足に、素早く鞘を当てる。
「騒ぎを起こすな、ナミの厳命だろ」
「・・・くっ」
サンジは口惜しげに顔を歪めて、それでも大人しく腰を下ろした。











「いや〜ほんっとに悪かった。申し訳ない」
元々陽気な酔っ払い達は、店への詫びも兼ねてじゃんじゃん酒を注文してくれた。
ゾロはすでにホクホク顔だが、サンジは未だ怒りが収まらない。
「冗談じゃねえや。俺みてえな色男がこの世に2人もいてたまるかってんだ」
ボヤきながらぐいっと勢いよくジョッキを空けて、乱暴にテーブルに返す。
「そんなに似てるのか?」
お代わりのジョッキを差し出すマスターに、これ以上は控えるようにジェスチャーを送りながらゾロが口を挟んだ。
「そうさな。よく見ると違うんだが、パッと見がすげえ似てる」
「その金髪だろ、髪型も、色が白いとことかもなー」
「身体つきも似てるよな。黒いスーツがあいつのユニフォームだったしよ」
「金髪のたちんぼは目立つだろうが」
うひゃひゃと下品な笑い声が立ったが、サンジの殺気に気付いてすぐに止んだ。

「しかしまあ、あれだ」
リーダー格の男が取り成すようにサンジのジョッキに酒を注ぎ足す。
「グランドライン広しと言えども、似た奴は3人いるってえ言うじゃねえか。そんなこともあらあな」
サンジがよろめきながらジョッキを持ち上げようとして、横からゾロが掻っ攫った。
「あんたの兄弟とかじゃねえのか?生き別れとかよう」
「生き別れも何も知るもんか」
ゾロの足元をゲシゲシ蹴りつけながら、サンジは呂律の回らぬ口で悪態をつく。
「いいやそれはねえだろ。だって、顔が似てねえもんよ」
他の男が口を挟む。
「眉毛巻いてねえもんなあ」
「そうそう、サンジはもっと別嬪だ」
またガッハッハと割れるような笑い声が響き、サンジは再びいきり立った。













「おかしな話もあるもんだ」
いい感じに悪酔いしたサンジをベッドに転がして、ゾロはさっさとシャワーを浴びた。
乱暴に髪を拭い、冷蔵からワインを取り出してまた飲んでいる。
「・・・てめえ、人の部屋のもんを・・・」
横たわったまま息絶え絶えのサンジに、冷たい水を汲んでやった。
「折半するだろ、ケチケチすんな」
「・・・また一緒かよ・・・」
ゾロに差し出されたコップを受け取って、サンジは落胆のような安堵のような、曖昧な溜息をついた。


「それで、本当に心当たりはないのか?」
行儀悪く寝そべりながら飲もうとするから、口端から零れた水がシーツに丸い染みを作っていく。
サンジは口元を拭い、乱暴に空のコップをつき返した。
「心当たりもクソもあるかってんだよ。ったく、けったクソ悪い」
自分に似た人物の存在というものが、そもそも気持ちのいいものではない。
それが男娼ともなるとサンジが怒るのも無理からぬ話だが、それにしても偶然が過ぎる。
「名前が一緒、とはな」

酔っ払いとの盛り上がりに乗じて名前まで一緒だぜ、とは口走らなかった。
しかしここまで人物像が重なると、見過ごせない気もしてくる。
「本当に、心当たりはないんだな」
「しつけー・・・」
不機嫌をそのままにゴロンと転がったサンジは、「あ」と小さく呟いて顔を上げた。
「・・・いや、まさか・・・な」
うっかり声を出した迂闊さを恥じるように、首を竦める。
その仕種を見逃さず、ゾロは軽く睨み付けた。

「・・・心当たりが、あるんじゃねえか」
「・・・いや〜」
う〜んと緩慢に首を傾げて、サンジはシーツに突っ伏した。
「言われてみればよう、遠い昔に・・・似たようなことがあった・・・気が、すんだよなー」
「昔?」
「ガキん時だ、ガキ―――」

突っ伏したまま寝入りそうなサンジの首根っこを、ゾロは乱暴に掴んで引き起こした。
「話の途中だ。寝んなコラ」
「う〜・・・寝てねえよ」
ガシガシと髪を掻き混ぜながら、サンジはむっくりと起き上がった。
「ええとあれだ。俺がまだ市場にいた時」
「市場?」
「んー、人買いの」
なんでもないことのようにさらっと口にされた単語に、ゾロの方がぎょっとする。

「あ?なんだって」
「人買いだよ。ガキとか売買すっだろ、それ」
「お前、売られてたのか」
「んーかもなー」
アルコールのせいで今ひとつ頭が回っていないのか、サンジの反応は愚鈍で暢気だ。
「あんまりガキん時のこと覚えてねえし、物心ついた時はもうそこにいたからな。ともかく、そっからオービット号に買われて働き始めたんだもんよ。職業斡旋所?」
「ガキだろうが」
ゾロが、苦虫でも噛み潰したかのような顔をしている。
「ん〜。でもあれがコックになる切っ掛けになったんだから、ラッキー。んでな・・・」
ふいーっと倒れかけたのを、ゾロの片手が支えた。
サンジは気にせずそのままぺたりと凭れ掛かる。

「そん時、よく俺と似た奴がいたんだよ。俺より1コくらい上だったかな。名前は、覚えてねーや」
その頃を思い出してか、サンジの表情が余計ガキ臭くなる。
「そういえば、しょっちゅう間違われてたな〜。おいサンジって。俺のがチョコマカして呼びやすかったせいか、そいつはやたらと俺に間違われてた。俺がそいつの名前で呼ばれたことなかったもん。だからかな、覚えてねえや」
思い出そうとして目を閉じると、そのままかくりと顎が下がった。
「ん・・・そうだ、よく似てた。髪も目も背格好もさ。でも顔は違ったぜ。そいつ、すんげー綺麗だった」
ふわふわと、夢の中を彷徨うようにサンジは穏やかに微笑みながら目を閉じている。
「まるで、教会に描かれてる天使みてえに綺麗だった。目がパッチリして睫毛が長くて、鼻がこうすうっと通っててよ・・・俺の名を呼んで、振り向いたそいつの顔を見てみんな『違った』って言うんだ。間違えたって。顔見りゃわかるって・・・」
くすくすと、悪戯っ子のように笑い出す。
「ああ、おんなじだな。あん時とおんなじ―――」

そのまま寝入ってしまいそうな横顔に、ゾロがそっと顔を近付ける。
「そいつに、会いたいか?」
「・・・んー、そうだな―――」
むにゃ、とサンジが唇を動かした。

「こんの偽者をー・・・ボコボコにー・・・オロして、やりてー・・・」
「そうか」


それきり、サンジは安らかな眠りに就いてしまった。





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