Fantastic Night -1-


今夜ほど時計の針の動きが気になる夜はないと、サンジは苛立ちを隠せないまま煙草を噛んだ。
ゆっくりと進んでいるように見えて、ちょっと目を離すとすぐに何分も経っていて。
もはや今日の終わりまで1時間を切ってしまった。
間もなく、明日が来る。
「えいクソ」
モジモジ待つだけは性に合わないと、サンジは火を点けないままでいた煙草を咥え直し、甲板に出た。
夜風に当たって少しは頭を冷やすといい。

墨で塗り潰したような真っ黒な空には煌々と月だけが照り、凪いだ水面は青白く輝いている。
目が慣れてきても星は見えず、月以外の空はすべて雲にでも覆われているのかと、手を翳して仰ぎ見た。
静寂に包まれた夜の闇の中で、ぱしゃんと水音が響く。
と同時に青い魚が空に跳ね、甲板に飛び落ちた。
「お」
芝生の上でピチピチと飛び跳ね、まるでサンジを招くように尾を振っている。
「飛んで火に入るなんとやら、か?」
仲間達で食べるには大きさが足らないが、新鮮な刺身としてなら夜食にお誂え向きだろう。
サンジは飛び跳ねる魚を掴んで、キッチンへと戻っていった。



今日は11月10日。
そして当然ながら、明日は11月11日。
別になんてことない日付だが、一応麦わらクルーでは個々に重要視される記念日、ゾロの誕生日だ。
明日はゾロの誕生日だから宴会だー!と船長が騒がずとも、皆暗黙の了解の内で。
プレゼントの用意だとか余興の練習だとか、それぞれに浮かれ気分で準備を進めている。
職業柄調理担当なサンジは、仲間達のいつもの誕生会とほぼ同じように、できる範囲で少しでも華やかな料理をと心を砕いた。
いくら相手がソリの合わない喧嘩相手であろうとも、だからと言って手を抜いたりなんかしない。
それがプロの料理人の矜持って奴だ。
いくら相手が密かに想いを寄せる相手であっても、特別扱いなんてしない。
それがプロの料理人の矜持って奴だ。
つまりぶっちゃけ、サンジはゾロに惚れていた。

あくまで一方的にサンジのみが意識しているだけで、ゾロにはなんの関係もない感情だった筈だった。
顔を見るとドキリとしたり、声を聞くと耳を澄ませてしまったり、無意識に目で追ったり姿が見えなければ心配したり。
その程度のささやかで無害な一方通行の恋心。
サンジ自身、この想いは黙って墓場まで持っていくつもりでいたし、ゾロ本人は元より誰にも気持ちを明かす気などなかった。
がしかし。
先日、通りすがりの海賊船と一戦交えた際にうっかりと海に落ちてしまった。
広い広いグランドラインの大海原で、一度はぐれたらもう二度と会うことはできないかもしれない。
そんな現実感がひしひしと胸に迫って、サンジはやおら決意してしまったのだ。
―――ゾロに、好きだって言っちまおう。



心の中でときめきだけを飼っていた頃は、気持ちがフワフワと浮き立って楽しかった。
けれど一緒の時間を過ごし、ゾロのすごいところも嫌なところも、もどかしいほど刹那的な考え方にも触れて行くうち、ドキドキよりもハラハラの方が増えて終いにはイライラに変わってきた。
正直、ゾロを見ているのがしんどい。
傍にいるのも辛いのに、気になって仕方がないし目も離せない。
こんなにも自分の心を捉えるゾロが憎らしく、野郎一人の言動にいちいち気持ちを乱されて一喜一憂する自分が心底みじめだ。
いっそ離れてしまった方がどれだけ楽か、嫌いに慣れた方がどれだけお互いのためか。
わかっているのにどうにもならない。
ままならぬ気持ちばかりが先に立ち、感情が付いて行けないサンジは心底疲れ果てていた。

もう、ゾロに全部告げてしまって、引導を渡してもらおう。
好きだと伝えたら、多分十中八九は「気持ち悪い」と顔を顰めるだろうし、後は信じないか笑い飛ばされるか軽蔑されるかのどれかだ。
いずれにしたって玉砕しかないとわかっているから、敢えて当たって砕けに行く。
そうでもしないと多分、この気持ちは消えてなくならないだろう。
砕けて散っても、断ち切れない想いだけは未練たらしく残ってしまうかもしれない。
けれどそれでいい、諦めが付くなら。

悲愴な決意の元、折角だからとゾロの誕生日を機に思い切って告白しちゃおうと一大決心したのが昨日。
そして今日、いよいよ当たって砕ける瞬間がすでにカウントダウンを始めていた。
誰よりも先にゾロに「誕生日おめでとう」と言って、華々しく散るのだ。




冷蔵庫の中にはゾロのための夜食がすでに用意されていた。
後はこれを持って見張り台を登るだけだったから、時間を持て余していたのだ。
飛び込んできた魚を捌いてもう一品増やせば、なかなか豪勢な夜食になる。

サンジはいつの間にか緊張で冷たくなった指先を擦って、軽やかに包丁を操った。
魚の腹に刃を差し込むと、カチンと金音がする。
「―――?腹に何か入ってたか」
すっと包丁を引けば、魚の中から光の筋が現れ真横に流れた。
「へ?」
ぱかりと、腹を割いて出てきたのは小さな緑だ。
いや、緑の髪をした小さな男だ。
ものすごく見覚えのある、小さな小さな・・・男?

「ぷはっ」
男は血に塗れた顔を拭うと「間違えた」と呟きながら刀を仕舞った。
腰に挿したのは三本刀。
元は白シャツに腹巻姿だったろうに、魚の血と内臓とに塗れて見るも汚い色に染まってしまっている。
って言うか、これって・・・
「マリモ?」
「誰がマリモだ」
小さな声で言い返す目の前の珍妙な生き物は、ゾロそっくりだった。
「えーえーえーなにこれ!・・・つか、なにこれ?!」
俄かには信じられず、サンジは両手で髪を掻き混ぜながらまな板の上を凝視していた。
どっからみても小さいゾロが、横柄そうに腕を組んでサンジを見上げている。
「エロ眉毛、なにごちゃごちゃ騒いでやがる」
「エ・・・って、えー?ってえー?!」
「うるさい」
邪険なところも、ゾロそっくりだ。
「うっそ、俺ちょっとヤバい?なんかまずい薬でもやったか?つか幻覚?」
サンジが中空を睨みながらブツブツと呟いている間に、小さなゾロは勝手にシンク下に飛び降りて溜まった水でバシャバシャやっていた。
と、振り仰いで怒鳴る。
「いいから水出せ、生臭くて仕方ねえ」
「え、あ、ああ」
思わず、言われたままに水道の蛇口を捻った。
勢いよく水が流れ落ちて、真下にいたゾロが・・・いや、ゾロもどきが水圧で転んでいる。
「おい、大丈夫か」
「なんともねえ、これも修行だ」
「いや、水道の水で修行とか・・・」
突っ込みたくてもとにかく相手が小さすぎて、しかもどこから見てもゾロにしか見えなくて、サンジは目を白黒させながら乱暴に身体を洗う様を見守るしかできない。
どうしよう、これって夢かな。
あんまりゾロのことばかり考えていたから、こんな幻覚まで見えてしまうようになったってのか。
つか、病気か?

「ぷはっ」
身体を洗い終えたらしいゾロもどきが、犬のように頭を振って流れ落ちる水から退こうとした。
が、緩く傾斜のついたシンク内はつるつる滑る。
中々前に進めないゾロもどきを見かね、サンジはタオルを手に取ってそのままその身体を包み込んで持ち上げた。
「ちゃんと拭かねえと」
風邪を引く・・・と言いかけて、いや幻影に風邪もクソもねえだろうとか心中で突っ込む。
けれど、サンジの手の中の重みと温もりは、確かにこれが実在していると信じさせるにふさわしい現実だった。
「ああ、さっぱりした」
大きなタオルで顔を拭い、ゾロもどきはそのままタオルの山の上に腰掛けた。
歩く仕種も座る所作も、すべてゾロそっくりだ。
本当に、ゾロがこのまま小さくなったような違和感のなさ。
「お前、一体なにものなんだ?」
「あ?今さらなに言ってやがる」
ゾロもどきは、ゾロだったらそうするだろうとしか思えないような表情でサンジを見上げ、小馬鹿にしたように笑った。
「寝言は寝て言え、エロコック」
「俺のこと、知ってんのかよ」
思わず息を詰めれば、ゾロもどきはやれやれと言った風に首を振った。
「俺はロロノア・ゾロだ。てめえだってわかってんだろ」
「え、やーだって・・・や、それはねえだろ」
小さなゾロ相手に話している自分が、なんだか滑稽に思えた。
でも確かに、目の前には小さなゾロがいる。
「なんでもいいから、酒くれ。身体が冷えちまった」
「酒って・・・」
こんなに小さいのに、どうやって飲む気だ。
サンジはきょろきょろと辺りを見回し、戸棚からお猪口を取り出した。
少しぬるめに温めた酒をなみなみと注ぎ、ゾロの前に置いてやる。
お猪口とは言え、ゾロから見たらかなり大きなサイズの酒だ。
どうする気だろう。

サンジが固唾を呑んで見守っていると、ゾロはうむと満足そうに頷いてお猪口に口を付けた。
一息でお猪口の中の酒嵩がグンと減る。
「・・・ふ、わ」
ドクン、ドクンと二口で、空になった。
「ああ、あったまる」
「おま・・・どんだけ」
容量的には、この一杯でゾロの身体のサイズと同じくらいじゃないのか。
「こんなもんじゃ足らねえ、コップでくれ」
「ふざけんな!」
サンジは混乱しつつも、取り敢えず怒鳴った。
「大体、なにちっこくなってんだよ。しかも魚の腹から出てくるとか、どんだけ非常識なんだ。てめえ今日は不寝番だろうが!」
なにやってんだと頭ごなしに叱れば、ゾロは不服そうに顔を上げた。
「俺が不寝番だと?んなこと知ったこっちゃねえよ、それより酒寄越せ」
「うっせえ馬鹿野郎。大体酒ばっかり飲むなっていつも言ってんだろうがっ」
サンジは切れながら、先ほど調理し損ねた魚の切り身をさらに細かく薄く切って、小さな皿に醤油を垂らしゾロの前に置いてやった。
それからもう一度、お猪口にも並々と酒を注ぐ。
ゾロはいつもと同じように、この時だけは神妙な顔付きで両手を合わせて自分の顔より大きい切り身を醤油に浸けて齧り付き、酒の中に顔を突っ込んだ。
豪快な食べっぷりだ。
「お前、ほんとにクソ剣士か?つか、じゃあ見張りは誰がやってんだよ」
この期に及んで見張りの心配しかしていないのは自分でもどうかと思うが、とにかくもう混乱中なのだ。
冷蔵庫の中に作り終えてある夜食も、一世一代の大告白も、一体どうしたらいいんだろう。

「見張りはちゃんといるだろうが、てめえ見て来たらいい」
「え、あ」
サンジはあっちこっちと首をめぐらせて落ち着きなく辺りを見回し、時計の針が11時40分を差していることに気付いた。
もうすぐ12時を迎えてしまう。
誕生日おめでとうって言う相手は、このちっこいゾロなんだろうか。
それとも―――

「仕方ねえ、ちゃんと見張りしてっかどうか見てくる」
「おう、行って来い」
サンジが綺麗に捌いた刺身を食い尽くし、ゾロは骨と皮だけになった魚の残骸に齧り付いていた。
酒だけをお猪口に注いで、サンジは夜食を持ってラウンジを出る。
思いもかけない展開でまるでキツネに抓まれたようで、まるで現実感がなかった。
夢の中をふわふわと歩いているような感覚だ。




見張り台に登れば、いつものようにゾロが寝ていた。
よかった平常通りだ。
と言うか、ちゃんと普通のゾロだ。
サンジと同じくらいの大きさで、緑頭で腹巻してて腰に三本刀を差して壁に凭れて居眠ってる、いつものゾロだ。
心底ほっとして、それからサンジは改めて足を振り上げた。
「見張りが寝るんじゃ、ねえっ」
ドコンと踵が減り込んだのは床で、ゾロはいつものように寸でのところで寝返りを打ち、避けていた。
ふわあと暢気に欠伸をしながら伸びをする。
「なんだ、飯か」
「お前今日は見張りだっつってんだろうが、なに寝てやがんだよ」
怒鳴りつけつつ、サンジはせっせと夜食を並べた。
今夜のために張り込んだ酒も、さり気なく置く。
「ん」
ゾロはまだ寝惚け眼で胡坐を掻きつつ、丁寧に手を合わせ軽く頭を垂れた。
先ほどのちびゾロと同じ仕種だ。
サンジが時計を確認すると、11時50分。
12時まであと10分ある。

「あのよ、ちょっと、後からまたくっから」
いつもは夜食を置いてとっとと退散するのだから、今日のこの言い方はおかしいだろうと自分でも思うけれど、サンジは言い訳するようにゾロに手刀を切って見張り台から降りた。
何も言わずもぐもぐと夜食を頬張るゾロが、視界の隅でちゃんと頷いたような気がした。



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