Fantastic Night -2-


「上にいるのがホンモノのゾロってことは、やっぱり下のは・・・偽者か?」
つか、幻影じゃねえか。
あんな小さな人間がいる訳ねえだろ、いくらグランドラインでも。
首を捻りつつ、ラウンジへと早足で戻る。
と、中からボソボソと話し声が聞こえた。
もしや誰かが起きて来て、小さなゾロと鉢合わせでもしたんだろうか。
丁度いい、あのゾロについて相談しよう。

そう思いながら扉を開けて、サンジはそのまま固まってしまった。
灯りが点いたラウンジの中、テーブルの上にはさっきと同じように小さなゾロが立っていて、その向かいに男が一人座っていた。
その後ろ姿にものすごく見覚えがある。
つか、見知っているそれよりほんの一回りは大きく見えるが。

「おう」
振り返ったのは、ゾロだった。


「てめえ、誰だ?」
ぱっと見てゾロだとはわかったが、自分が知っているゾロとは若干違っている。
振り返った顔の、片方の目に大きな傷が付いていた。
その傷は瞼をまっ縦に刻んでいて、瞳は閉じられてしまっている。
もう片方の目は穏やかな光を湛えて、自分を見つめ返した。
「誰だ・・・」
サンジはもう一度、ゆっくりと尋ねた。
喉がカラカラで、巧いこと言葉にできない。
目の前にゾロが二人も居る。
さっき見張り台に居たゾロを合わせれば、三人だ。
「俺に向かって誰だって?つれねえなあ」
片目のゾロは、余裕のある笑みを浮かべてテーブルに肘を着いた。
その仕種もゾロそのものだが、どこか違和感があった。
なにより、ゾロもどきの顔から目が離せない。
「ふざけんな、こう何人もゾロがいてたまるかよ」
しかも、目の前のゾロは片目だ。
まっすぐにこちらを見つめてくる、曇りのない眼差しが一つしかない。
まるで人を射抜くような獰猛な光を帯びていて、時に優しげに眇められたサンジの大好きな瞳が、一つしかない。
「てめえ誰だよ、この野郎っ」
無性に腹が立って、サンジは座っているゾロもどきに足を振り上げた。
唸りを上げて繰り出された蹴りを、飛び退って避けるでもなく片手で受け止めた。
上半身は揺らぎもしない。
その絶対的な力の差に呆気に取られ、さらに軸足がぶれて転げかけた身体を抱き寄せられた。
「は、な・・・」
なにがなんだかわからないまま、あろうことかサンジはゾロもどきの膝の上に乗っていた。
一体なんで、こうなった?
「離せっつってんだろが」
「大人しくしろ、離したら酒くれるか?」
「ざけんなっ」
両足はがっちりと腕に抱えられ、身を捻ることもできなかった。
むしろ膝の上から転げ落ちそうで、ついゾロもどきの服を掴んでしまう。
ふわりと鼻腔を擽ったのは、ゾロの匂いだった。
どれだけ容姿が変わろうと、やはりゾロだと思わずにはいられない。

「てめ、ゾロか?」
「おう」
なんとなく、顔付きも変わっている気がする。
髪が少し伸びて、おっさん臭さがより増しになった。
なにより、自分を見つめる瞳がやけに優しげでそこが一番偽者臭い。
「嘘だ。ゾロが俺なんか膝に乗っけて平気でいられっか」
そう言うと、ゾロはははっと短く笑い声を立てた。
その表情はゾロっぽいが、やはりいつものゾロとは少し違う。
やけに余裕があるというか大人っぽいというか、ちょっとカッコいいというか・・・
「や、ありえねえし」
思わず自分の考えに自分で突っ込んでいたら、ゾロはサンジの腰に手を回すとしっかりと抱え直して首元に鼻を突っ込んだ。
「―――な?にしやがるっ」
もはやパニックだ。
まるでこれでは、抱擁してるみたいじゃね?
「暴れんなって、いつものことだろ」
「待て、待て待て待て。俺らのいつもにこういうパターンはねえっ」
「そうか俺らはあるぞ」
言いながら髪を掻き上げて額に唇を寄せてきた。
キス?
これってキス?!

「ぞ、ぞぞぞぞ・・・」
「おう」
「違う、ちがーう・・・ありえねえっ!そもそも俺らって誰だ」
「俺とてめえだろ」
ゾロは腰と背中に腕を回して、逃れようと上半身を反らせるサンジを真正面から見つめた。
柔らかく笑んだ瞳は眩しそうに眇められ、サンジが知らない表情を浮かべている。
まるで愛してでもいるような、そんな貌を―――

「う、そ・・・」
これは自分に都合のいい幻影だ、何かの間違いだとココロの中で警鐘を鳴らしつつ、サンジはおずおずと突っぱねていた手の力を緩めた。
ゾロの胸に当てた両手に視線を落とす。
やっぱりゾロに抱かれている。
膝の上に乗せられて、腰と背中を支えられて。
ゾロが自分を抱き締めている。
「嘘、だ」
「嘘じゃねえよ」
もう一度、ゾロがサンジの額に唇を押し付けた。
吐息が鼻先を擽る。
ゾロの、匂いがする。
「嘘だ、だってゾロが・・・」
ゾロは、サンジの気持ちなんて知らない。
寄ると触ると喧嘩ばかりで、口うるさい鬱陶しい奴だとしか思われていない。
そんなゾロが、こんな風に優しく自分を抱き締めるだなんて、こんな日が来る筈がない。
「嘘じゃねえよ」
ゾロの大きな掌がサンジの頬を挟んで、そっと唇が寄せられた。
助けを求めるように視線を流せば、テーブルに置かれたままのお猪口の中で小さなゾロはぐうぐうと居眠りを始めている。

やっぱりこれは夢だ。
こんなにたくさんのゾロがいる筈がない。
なにより、ゾロが自分にこんなことする訳がない。
俺が、ゾロを求めたりしたから。
玉砕覚悟と言い訳しながら、自分の気持ちをゾロに押し付けようとしたからこんな夢を見たんだ。
俺の中だけの、哀しい自己満足の世界―――

逞しい片目ゾロの腕が、サンジの身体を包み込んだ。
唇に息が掛かる。
そのまま触れそうになって、サンジは慌てて両手を突っぱねゾロを押しやった。
けれど、びくともしない。
「ダメだ」
サンジは喘ぐように言い、硬く目を瞑り首を振る。
「ゾロだけど、ゾロじゃない」
いつ失うかわからないから、想いだけでも伝えたかった。
ただの自己満足だとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
こんな風に自ら作った幻影に慰められるほど落ちぶれたつもりはなかったのに。



「なにしてやがんだアホコック」
背後から、ゾロの声がする。
あれはホンモノのゾロだ。
サンジが好きなゾロだ。
小さくて可愛くもないけれど、渋くて優しくもないけれど。
サンジが好きな、失いたくゾロの声だ。

「とっとと起きねえと、眉毛が巻きすぎるぞ」
余計なお世話だ。
「ナミの生着換え」
なんだと!
「ロビンがパンツ振ってる」
んな訳あるかー!
「飯はまだか、腹減った」
うるせえなあ。
「とっとと起きろ」

ゾロの手が頬に触れる。
大きくて温かい。
愛しげに撫でる仕種が、ガラでもないと笑えて来て・・・
なのに、上手く笑えない。

「目を覚ませ、クソコック―――」
月よりも眩しい光が、サンジの身体を引き上げた。






「あ」
一瞬わからなかったが、いくつかの医療器具を目にしてここが医務室だと悟る。
正確には、医務室のベッドの上。
傍らに立つ点滴のパックを遮るように、顔を近付けて間近で覗き込んでいるのはゾロだった。
小さくも片目でもない、いつものゾロだ。

「・・・あ?」
なにごとかと尋ねようとしても、うまく声が出ない。
「ずっと寝くたれてやがって」
そりゃあ俺の台詞だろう。
万年寝太郎はゾロの方だ。
「そんなへらへらしたナリしてっから、爆薬ごときでふっ飛ばされんだ。もっと肉付けろ」
「・・・んだ、と」
「海にぷかーっと浮いた日にゃ、相当間抜けだったぞ」
怒ったように目を怒らせていたゾロが、ふと表情を和らげる。
「浮いてこなきゃ、見付けられなかった」
どこかしんみりとした口調に、これももしかして偽者かとサンジは危ぶんだ。
さっきから小さいのとか片目とか、随分と優しげなゾロとか出てきて調子が狂う。

「いま、チョッパーを呼んでくる」
「まっ・・・」
立ち上がりかけたゾロを、ようやく搾り出した声で止める。
腰を浮かしたまま、なんだと振り返った。
「いま・・・いつだ?」
「あ?」
「日にち・・・」
ゾロは首を巡らして、壁に掛けられたカレンダーの印を見た。
「11月、13日か」
「・・・えっ」
目が覚めた時よりびっくりして、思わず身体を起こしかけて激痛に呻く。
「寝てろ」
「や、ま・・・13日って」
「お前、3日間寝っぱなしだったからな」
うそーと無意識に頭に手を当てて、その腕が管だらけなのに気付いた。
もしかして、相当重症だったのだろうか。
「お前、誕生日は」
「はあ?」
ゾロは素っ頓狂な声を上げ、大げさなほど目を剥いて見せた。
「っざけんな、それどころじゃねえだろうがっ」
小さく吐き捨て、不機嫌そうにそっぽを向く。
そっか、それどころじゃなかったんだ、そっか・・・
「せっかくの、誕生日だったのに・・・」
がしっと頭を掴まれた。
そのまま握り潰されそうな勢いだったけれど、予想に反してその手の動きは優しく柔らかい。
くしゃくしゃと髪を掻き回され、地肌を指で擦られた。
「それどころじゃねえっつってんだろ、このアヒル頭」
なんでアヒル?
「いいか、てめえのその軽いオツムについてる耳で、よっく聞きやがれ」
耳について語るのに、なぜ頭の話から入る。
「てめえみてえなアホはいつ海の藻屑になるかわかんねえから、今言っとく」
藻屑になんならゾロだろう。
いや、元々藻か。

「好きだ、惚れてる、勝手に死ぬな」
「―――・・・」



これは夢の続きだろうか。
目の前で、赤黒い顔で口をへの字に曲げているのは、ホンモノだろうか。

まじまじと見つめるサンジの顔を、ゾロはきっと睨み返した。
「黙ってねえで、なんか言え」
ギリギリと奥歯を噛み締める音がこちらにまで伝わってくる。
きっと心臓はバクバク鳴って、掌はじっとりと汗ばんでいるんだろう。
俺と同じように。
俺と―――

「俺、も」


サンジの答えにゾロは一瞬目を見張り、すぐに不適な笑みを浮かべた。
やっぱりなという風に、したり顔だ。
非常にムカつくが、一度口に出した言葉はもう消せやしない。
「誕生日、だから」
言い訳するように、サンジの方から言葉を繋ぐ。
「なんか、プレゼントしたかったから・・・」
だからリップサービスだと、今さら誤魔化しようのないことを呟いて取り繕っても後の祭りだ。

「―――もう、貰った」
余裕で笑んでいた筈のゾロの顔が、くしゃりと歪んだ。
優しく頬に添えられた掌が、熱を帯びて押し当てられる。
「てめえが還ってきた、それだけで充分だ」

誕生日おめでとうと、サンジが告げるより早く
ゾロは身体を屈めて、そっとその唇を塞いでしまった。



END


back