遠雷 -5-


「あー楽しかった」
千鳥足でご満悦なサンジの後ろを、ゾロは呆れながらついてきた。
祭りも引けた真夜中の田舎道。
空に光る三日月はさほど明るくもなく、ゾロが照らす懐中電灯の明かりだけが頼りだ。

「驚いたぞ。まさかお前まで踊ってるなんてな」
「あの場で踊らずしてどうすんだ。つか、踊ってない方が珍しかったじゃねえかよ」
なぜかあの曲がかかると、村人全員がトランス状態となり総踊りになる現象はゾロも知っていた。
だからこそ、公民館の中で飲んでいてよかったとも思うのだが。
「なんだあの曲、耳について離れねえや」
「あんだけ踊ってりゃあな」
結局、BGM担当も調子に乗ったのか最後まであの曲を掛け続けた。
踊り疲れヘロヘロになったところですかさずビンゴ大会。
サンジは景品に洗剤が当たって、ますますの上機嫌だ。
「旨いもん食べて楽しく踊って洗剤まで貰っちゃって、至れり尽くせりだな。祭りってサイコー」
「こんな祭りでここまで楽しんでもらえりゃ、主催者側も本望だろう」
「こんな祭りってなんだー」
失敬な!とよろけながら振り返り、額をぶつけてくる。
酔っ払いは勢いがすべてだ。
「痛えな、俺んとこの祭りはもっとでかかったから」
赤くなった額を擦るゾロに、サンジはん〜と胡乱気な視線を寄越した。
「お前んとこの祭り〜?」
「おう、実家の祭りだ。区に別れてそれぞれ神輿も出てな、結構壮大だぞ。屋台の数も比較にならねえ」
「でも、ああやって踊らねえだろ」
ゾロはぐっと詰まった。
「その祭りで、ビンゴ当たるか?洗剤貰えるか?」
「まあ、でかい山車を見て歩く程度で、ビンゴとかはねえな」
ゾロの返事がどんどん尻すぼみになる。
「だろ〜?だったらいいじゃねえか、今夜の祭り俺的にサイコー。面白かった!」
きっぱりと言い切られ、ゾロは呆気に取られながらも破顔する。
「そうか、ならよかった」
ゾロの笑顔に一瞬見蕩れて、それからサンジは不貞腐れたように横を向いて煙草を咥えた。
「・・・別に、お前んとこの祭りだって覗いてやったって、いいぞ」
何故そこで尊大なのか。
敢えて触れずにゾロはぐりぐりとサンジの髪を掻き混ぜた。
「おおう、いつか連れてってやる」
どうやら二人とも、いい感じに酔っ払っているらしい。


「それにしてもたしぎちゃん、いつの間に帰っちゃったのかなあ」
蛇行するサンジの足元を照らしながら、ゾロが気のない返事をする。
「ありゃあ夜に弱いからな。10時には布団に入る女だ」
きっぱり言い切られて、サンジの方が動揺した。
「なんで、んなこと知ってんだよ!」
「ああ?俺らは研修生仲間だから、2年間同じ屋根の下で暮らしてたんだ。家族みてえなもんだよ」
てめえは家族とか思ってても、たしぎちゃんは違うんだよ。
喉まで出掛かった言葉を、ぐっと飲み込む。
部外者の自分が口を出していい話じゃない。
「ちえっ」
サンジは拗ねた仕草で両手をポケットに突っ込み、足元の石を蹴った。
一体どこの小学生かと、ゾロはしみじみ胸の中で突っ込む。





家に帰り着いてそのままの勢いで布団になだれ込みたいのをぐっと堪え、とにかくシャワーで汗を流す。
さっぱりして出てくれば、ゾロが甲斐甲斐しく蚊帳を吊って布団を敷いておいてくれた。
結局ずっと、一組の布団に二人で寝ている。
でもまあ、慣れたし別にいいか。
月に1回くらいのペースでの泊まりに慣れたもクソもないのだが、酔いが回ったサンジの頭はそれ以上頓着せずさっさと布団の上に寝転がってしまった。
「タオルケット腹に巻いておけ」
「ぐう」
返事の代わりにわざとらしく寝息を立てる。
ゾロはくすりと笑い声を残して、風呂場に消えてしまった。

豆電球ひとつ点いた、暗い古びた部屋。
天井の木目に雨漏りの痕が染み付いている。
こんな部屋で一人で寝っ転がる日が来るとは思ってもいなかったが、不思議と気持ち悪いとも思わない。
寧ろ何故だか妙にリラックスして、家で寝るより熟睡できる。
耳を澄ませば、風呂場からゾロがシャワーする水音が聞こえてきた。
こんな風に、誰かが共に暮らす息吹を感じることで安堵するのだろうか。
いつか、たしぎもこの家でゾロの息吹を感じながら眠る夜が来るのだろうか。
そう考えると胸がどきりと大きくなって、サンジはタオルケットを肩まで引き上げ身体を包み込んだ。



「暑くねえのか」
布団の上でほぼ蓑虫状態になっているサンジを見つけ、ゾロはタオルで髪を拭いながら呆れた声を出した。
ぐうぐう寝息は聞こえているが、狸寝入りなのは丸わかりだ。
無理に起こす気にもなれず、洗面所の窓や座敷の窓も全開にして風を通りやすくしてやる。
ついでに扇風機も弱で回して、タオルケットの端から覗いている金髪がそよぐ程度に向けてやった。
午後にひと雨降ったせいか、夜風は意外と涼しい。
豆電球一つの明かりでも充分に周囲が見渡せ、庭から届く虫の音が耳に心地よかった。

冷蔵庫から新たなビールを取り出し、サンジの蓑虫もどきを肴に一人で一杯やる。
ぷはーっとわざとらしく息を吐いて、旨えと独り言を呟いても、タオルケットの中身はぴくりともしなかった。
―――なーんか、拗ねてやがるな
祭りから帰って来る道すがらも、なんとなく様子がおかしかった。
たしぎと二人で放ったかしていたのがいけなかったか。
随分と仲良くしていたようにも思ったのだが。
サンジは気付いていなかったが、祭りの途中でたしぎがへろへろに酔っ払いながらも上機嫌でゾロに手を振り家に帰ったのも知っている。
楽しい夜だったのには間違いがないだろうに、何故だかゾロに対してだけ意固地になっているようだ。

タオルケットの上下からそれぞれ覗いている金髪と白い素足に触れて、子どもをあやすように撫で回したい衝動に駆られ、危うく踏み止まった。
客観的に見て、そういう行動はちといかんだろう。
あまりに子ども扱いしすぎてもサンジに失礼だし、さりとて違う意味でのスキンシップに縺れ込まないとも限らない。
―――いやいやいやいや
ゾロは脳内に浮かんだ後者の行為に関して、心中で駄目だしした。
―――何考えてんだ、酔っ払ってるのか俺は
若い頃は酔いに任せて適当な状況に雪崩込んだこともままあったが、今はどちらかといえば淡白な生活だ。
特にこの地に移り住んできてからは、毎日適度に身体を動かし汗を流すせいか、さほど切羽詰った状況にもなったことがない。
男女入り乱れて雑魚寝しようが、酔いに任せてしなだれかかられようが、あまり異性を意識することなくやり過ごすようになってしまった。
20代後半で既に枯れてしまったかと、我ながら危惧する側面もあったけれど、今の状況を鑑みればまだまだいけると妙な自信もついてくる。
とは言え、目の前に横たわっているのは金髪美人には間違いなくともれっきとした同性で。
ゾロに不足はないといえ、一応相手の意向も確認しておかなければおいそれと先に進むわけにも行くまい。
そうそう、確認できる事項でもないのだが。
―――俺らしくもねえんだが・・・
慎重にならざるをえない、それほど大切な相手だとも自覚している。

ゾロは缶ビールを空けると、そのままサンジが眠る布団の横にごろりと転がった。
振動が伝わったのか、サンジがもぞもぞと顔を上げ薄く眇めた瞳でじろりと横睨みしてくる。
ゾロが「?」といった風に寝転がったまま眼を合わせば、視線を逸らせるように目を閉じてずりずり身体をずらし布団に一人分のスペースを空けた。
遠慮なくそこに転がり込んで、電気から伸ばした長い紐を引き豆電球も消してしまう。
「おやすみ」
「・・・おやすみ」

確認は、明日に持ち越そうかと考えながら、ゾロの方が先に眠りに落ちた。







翌日はなんの予定もないから、ゆっくり眠っていようと心に決めていたはずなのに、正確すぎる体内時計がいつもの起床時間きっかりにサンジを起こしてくれた。
目が覚めてから首筋がむさむさするのに気付き、タオルケットをがばりと払い除けて「あち―」と呟く。
拍子に隣で眠るゾロの腹にパンチを食らわす形となったが、相手は知らん顔で寝ているからなかったことにしよう。
「朝から、あちい?」
パタパタ掌で仰ぎながら、身体を起こした。
開けっ放しの庭先から、朝の風が流れ込んでくる。
実に爽やかで涼しい。
「あれ?あんまり暑くねえ」
湿っていた肌もすぐにさらりと乾いて、なんでかなと体育座りのまま傍らに視線を落とした。
ぐうぐう眠っているゾロに触れてもいないのに、その熱を肌で感じるほどに周囲の空気が暑いことに気付いた。
「・・・子ども体温かよ」
夏の日が暑いんじゃない、ゾロが熱いんだ。


あんまりいい天気だから、寝ているのが勿体なくなった。
ゾロをそのままにして、そろりと寝床から抜け出てトイレに向かう。
扉を開ける前に一歩下がって、腕だけ伸ばしてドアを開けた。
以前何も考えずにドアを開けて上から虫が落ちてきたことがあったから、その用心だ。
何事にも学習能力はついてくる。
幸い何も落ちてこないから、安心して用を足し顔を洗った。
洗濯機を回しながら朝食の準備に取り掛かる。
シーツや枕カバーも洗いたいから、ゾロが起きたらもう一度洗濯機を回そう。
なんてことを考えながら、しばらく台所で腕を揮う。

準備が一段落してから、洗濯竿を拭くために庭に下りる。
まだ日差しがきつくはないものの、日陰になっている部分とそうでない部分の土の色がくっきり違っているのが面白い。
「随分伸びたな」
独り言を言いながら、花壇とも畑ともつかない場所にしゃがみ込んだ。
小石が敷き詰めてある辺りの草を戯れに引き抜く。
前のときと同じようにたやすく抜けて面白い。
なんとなく軽い気持ちでひょいひょい抜いていたが、畑に続く乾いた土から生えた雑草が丈も高く生い茂っているのが気になった。
ゾロは田圃や菜園の方に熱心で、庭のことにまで手が回らないのだろう。
ひょろりと伸びる葉の先は青々としているが、根っこの方は茶色に枯れていかにも水不足ですと訴えているような立ち姿だ。
サンジはその根元を指先でしっかりと掴んで真上に引っ張ってみた。
思いの外簡単に、根元からずっぽり抜ける。
「あれ?」
もっと根強くて茎が切れるかと思ったのに。
調子に乗って周りの草も引き抜いてみた。
葉の先の方を持つと千切れるが、根元をがっちり掴んで抜けば周囲の土ごとごそりと抜けて気持ちよかった。
しかも枝葉を広げて生い茂っているから、根元から抜けるだけで随分と草むらがさっぱりする。
こりゃあいいと、サンジは俄然張り切ってその場で次々と草を抜いて行った。

途中で気がついたのは、前に草取りをしたときよりも虫の数などが極端に少ないことだった。
というか、アリ以外殆どいない。
やはり虫もこの暑さで、外出を控えているのだろうか。
そんなことを考えつつ、邪魔者がいないので作業が捗る。
抜いた草を一箇所に固めておくからすぐに山のようになり、それに比例して庭はどんどん綺麗になっていった。
これは面白い、というか止められない。
物干し場から花壇、庭木の周りとさくさく綺麗にしていくうちに時間の感覚がなくなっていたらしい。
縁側からゾロに声を掛けられて初めて、サンジは我に返った。

「精が出るな」
デジャヴュ?っつうか、前にもあったなこのパターン。
「おはよう」
「おはよう」
顔も洗ってさっぱりしたゾロが、肩にタオルを掛けて笑っている。
「すげえ綺麗になったな、ありがとう」
礼を言われて、却って慌ててしまった。
別にそんなつもりじゃなかったのだ。
「いや、つい夢中になっちゃって・・・」
言いながら立ち上がりかけて、うっと腰を屈める。
「こ、腰痛え・・・」
「ずっと同じ姿勢でしゃがんでたからだ、ゆっくり動け」
言われて、物干しのスチールに手を掛けてへっぴり腰のまま立ち上がった。
なんだか身体中が強張ってて、動くとバキバキ言うようだ。
「今、何時だ?」
「9時前」
うわあ、1時間半やっちゃってましたか。
「そんなに長いことやってるつもり、なかったのに」
呆然と呟くサンジに、ゾロが冷たい麦茶を汲んできてくれる。
「まあ、つい夢中になっちまうのはわかるぜ。しかもやってる間ってなんにも考えてねえだろ」
「ああ」
確かに、ほとんど無心と言ってもいいほど何も考えなかった。
ただ目の前にある草を、いかに根っこまで効率よくむしるか。
それだけに集中していた。
「やべー、俺嵌まるかも」
「草むしりにか、ほどほどにしとかないと熱射病になるぞ」
いつの間に準備したのか、ゾロは濡れタオルをサンジの首元にそっと押し当てた。
「わ、冷てっ・・・」
びっくりしつつ、その気持ちよさにすぐにとろんと目を細める。
「首筋真っ赤だ。朝とは言えもう日差しはきついんだから、帽子くらい被って外に出ろ」
サンジは肌が白いから、どうしたって日焼けがきつくなる。
火ぶくれになるとやばいと、ゾロは甲斐甲斐しく冷却スプレーなども持ってきた。

「色んなもんが、ちゃんと揃ってんだな」
「俺が使う訳じゃないが、仲間と作業するときは必需品だな」
すっかりゾロに手当てをしてもらって、我ながら何をしているんだとちょっと反省などしたりした。
でも、こうして甘えるのも悪くない。
つか、ちょっと楽しいし嬉しい。
これは一体どうしたものか。

「飯にしようぜ」
ゾロに首筋を冷やしてもらいながら、一人で何事か考え込んでいるサンジを促す。
「おう、そうするか」
肩を抱くゾロを振り返り、その近さにぎょっとしたように眼を瞠ってから、サンジは慌てて立ち上がった。
「もう仕込みしてあんだ、すぐできる」
きびすを返し台所に向かうサンジの顔まで赤かったのも、きっと日焼けのせいだろう。



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