遠雷 -3-


昼寝から目覚める瞬間は何故か、皆同じようなタイミングで覚醒する。
人の身じろぎの気配を感じるのか睡眠リズムが同じなのかは定かではないが、なんだか不思議な感じだ。

少し湿った風に頬を撫でられて、サンジはゆっくりと瞼を開けた。
目の端で今日吊ったばかりの風鈴が、短冊を揺らしている。
顔を傾けると、畳にくっつけた方の頬が一瞬張り付いた。
やべ、ヨダレ?
弾かれるように顔を上げると、畳は湿っていない。
なんとか口の中だけで留まったかと、ほっとして手の甲を当てじゅるっと啜る。
目の前で眠っていたたしぎも、目を閉じたまま無意識に口元を拭っていた。
その奥でもぞもぞしているコビーは、見事にヨダレを垂れている。
スモーカーの山のような体躯がのっそりと起き上がった。
両腕を天井に突き出すようにして、豪快に伸びをする。
「ああ、よく寝た」
本当だ。
本当に、よく眠った。

柱時計を見れば、まだ3時前だ。
たっぷり小1時間と言うところだろうか。
それほど長い間眠っていたわけではないのに、何故か寝覚めは爽快で気分がいい。
「あーここ涼しいっすね」
ヘルメッポが顔を畳にくっつけたまま、まだゴロゴロと寝転んでいる。
ゾロにいたっては、大の字になったまま眠り続け起きる気配がない。

なんとなく、不思議と懐かしい感じがした。
今日初めて会ったばかりの人間と、同じ部屋でこうして正体もなく眠りこけていただなんて。
サンジは中学校以降、複数の他人と一緒に眠った経験がない。
それはいつも痛みと共に胸の奥に封印された苦い思い出でもあるが、今は何故だか穏やかに思い出される。

「寝覚めにスイカ食うか」
スモーカーがそう呟き、勝手に冷蔵庫からスイカを取り出してきた。
改めてみるとでかいスイカだ。
しかもまん丸でなく楕円形で、お尻の辺りは白茶けた黄色だ。
「これ、本生りでしょ」
たしぎが眼鏡を外して目を擦っている。
眼鏡を掛けたまま眠ったせいで、鼻の横に眼鏡枠の痕がついてしまっているのがまた可愛い。
「もとなりって?」
サンジはたしぎに見とれつつ、素朴な疑問を口にした。
「一番最初に成ったスイカだ。形が歪で皮が分厚いんで売り物にはならんが、保存が利くし甘みも強い」
スモーカーが縁側に新聞紙を敷きそっと置いたので、なんとなくゾロを覗く全員が輪になってスイカの周りに集まった。

「んじゃ行くぞ」
何が行くのか。
訳もわからないまま見つめていたら、スモーカーが右手を振り上げた。
「せいっ」
掛け声と共に、すっぱりと綺麗にスイカが二つに割れる。
「え?」
ヘルメッポやコビーはやんやの喝采だ。
「すっげえ赤い、美味そう」
「あー汁が垂れてますよ、勿体ない」
その後も、スモーカーは半分に割れた大きなスイカを鷲?みにして、豪快にバリバリと割っていく。
「そら食え」
お世辞にも綺麗と言い難いスイカの欠片を(とは言え大きい)押し付けられ、サンジはためらいつつ受け取った。
「塩持って来ないと」
「そんなもんいるか」
「がぶっと行きましょう、がぶっと」
たしぎにまでハッパを掛けられ、サンジは流れ落ちる汁でシャツを汚さないように縁側から身を乗り出して、両手でスイカを掲げ持った。
ほかの皆も同じように縁側に身を乗り出す。
「いただきまーす」

がぶり。

瑞々しい果肉に齧り付き、溢れ出る果汁を啜る。
しばし誰もが無言で、赤い海の中に顔を埋めていた。
庭先から、忙しげな虫の鳴き声が聞こえる。
それすらも、どこか遠くで絶え間なく流れる川のせせらぎのように心地よい。

「うめえ〜」
「よく冷えてますね」
「やっぱ本生りは甘いわ」
ひとしきり喉を潤した後、息を吐きながら口々に話し出す。
本当に、なんて甘くて美味いんだろう。
綺麗に切り分けた訳じゃなく、むしろ部分的に砕けて果肉もゴツゴツしているので、まるでスイカじゃないみたいだ。
なのに美味い。
じわじわ降り注ぐ蝉時雨も吹き抜ける生ぬるい風も、全部吹き払ってしまうほど爽やかで滲み込むような甘み。
「やっぱ夏はこれだよな」
サンジも濡れた顎を拭って頷きかけ、はたと顔を上げた。
「やっべ、ゾロ忘れてた」
気が付けば、あんなに大きかったスイカが残り少ない。

庭に向かって申し訳程度に濡れた両手の滴を払い、座敷に取って返してまだ寝くたれているゾロの肩口辺りを軽く蹴り飛ばした。
「起きろ」
軽くやったつもりだが、予想外の勢いでゾロの身体が横になったままゴロンと転がる。
「いて」
タンスの角に頭をぶつけ、目を閉じたまま声を上げた。
なんだか前にも見たことがあるような光景だ。

「すげえな」
「やるなあ」
妙な部分で感心してニヤニヤしているヘルメッポの前で、ゾロは顎を畳にべったりつけたまま胡乱気に片目を開いた。
「あ?」
まだ寝惚けているらしい。
「ゾロ、スイカ。お前の分無くなっちまうぞ」
残っていた大きな欠片を持って行ってやろうとして、滴が垂れるのに気付きまた縁側へと引き返す。
ゾロはもそもそと膝で歩いて、サンジの肩越しに肘に顎を乗せた。
首を伸ばし両手で捧げ持っているスイカに顔を突っ込みワシャワシャと食べ始める。
「う、わ」
スイカごとゾロの頭が落ちないように、サンジは腕に力を入れて支えた。
汁気が惜しみなく庭先に垂れる。

「犬?」
たしぎが呆れたように呟いた一言を誰も聞き逃さず、一斉に噴き出した。
「ゾロ、おっ前どこのわんこだ」
「すでにケダモノの域だな」
「サンジさんが困ってますよ」
ゾロは鼻先に赤い果肉をくっ付けたまま顔を上げ、口端をぺろりと舐めた。
「目え、覚めた」
「・・・よかったな」
手ずから餌をやったような感覚で、サンジは両手を掲げたまま呆然としている。
粗方食べ尽されたスイカの残骸に目をやり、ゾロは滴がついた顎で庭先を指し示した。
「あの柿の木の根元に皮捨てていいぞ」
「はい」
コビーが最年少らしい気遣いで皮を掻き集め、突っ掛けを履いて庭先へと出た。
「そんなとこに生ゴミ捨てて、蝿とか寄ってこねえ?」
「養分になるし腐るのが早え。田舎の土の分解能力を舐めんなよ」
濡れタオルをたしぎに渡し、雑巾で縁側を拭く。
一枚のタオルをみんなで回して、さっぱりと顔と手を拭うと改めてそれぞれ伸びをした。

「どっかで雨でも降ってっかな。風が涼しい」
「そうですね、いいお湿りです」
打ち水みたいなもんだろうか。
コビーが軒下から首を伸ばして、東の空を眺めた。
「どうやらひと雨来そうですね」
「早めに帰るか、邪魔したな」
「ご馳走様でした」
スモーカーはこれから仕事で、ヘルメッポ達は帰省だ。
「たしぎちゃん、ゆっくりしていったらいいのに」
名残惜しげにそう言えば、今度はたしぎはむっとせずい殊勝に頭を下げた。
「ありがとうございます。私も明日には帰省するので、その準備とかしないと。お昼、ほんとに美味しかったです。ご馳走様でした」
「またいつでも食べに来てね」
「サンジさんも、いつでもここにいらしてくださいね」
そう返されて、あははと後ろ頭を掻く。
「俺、今度サンジさんが遊びに来るタイミングで飯食いに来ます」
ヘルメッポの厚かましい進言に、コビーがコラコラと腕を引っ張った。
この二人は同年代で年下なのだろう。
上下関係がはっきりしているのか体育会系なのか、たしぎやスモーカー、それに自分たちに敬語を使うのもそのためだ。

「じゃあな」
何故か当主であるゾロにではなくサンジに向かって挨拶すると、来たときと同じようにドヤドヤと足音を立てて帰っていく。

玄関で2台の車が走り去っていくのを見送ってから、サンジは腰に手を当ててあーあと声を出した。
懐から煙草を取り出し、一服する。
なんとなく、たしぎの前では吸うのを遠慮していたのだ。
「いきなり騒がしくして悪かったな」
ゾロが突っ掛けを履いて表に出てきた。
「いんや、楽しかったぜ。みんな全部食べてくれたし、野菜の在庫がすんげえ減った・・・って」
はっと気付いて、煙草を咥えたまま振り返る。
「あの野菜、食べても良かったのか?」
「今更かよ」
ゾロは苦笑しながらサンジの横を通り過ぎ、用水路にかがんだ。
「お前ならなんとかしてくれるかもしれねえって、適当に積んどいたんだ。お陰で美味い飯が食えた」
「そっか」
ほっとして、ゾロが川戸から引き上げた網を見る。
「ビール、そんなとこに冷やしてたのか」
豪快に水を滴らせる網の中に、ビール冠が詰め込まれていた。
「本当はこっちにスイカを漬けておきたかったんだがな、ちょっとの差で溝に入らなかったんだ。お陰で冷蔵庫が空になったからこれを移せるだろ」
確かに、あのスイカはでかすぎたから田ぷんと漬けるには無理がある幅だ。
「スイカ・・・あんな風に食べるのは初めてだ。美味かったなあ。小汚いおっさんの手で割られたのに」
「スモーカーはスイカを砕かないから、割と綺麗に切れてただろ」
「けどおっさんはおっさんだ」
ビールが引き上げられ、少し濁った用水路を上から覗き込む。
小魚の影が慌てるようにすいーと横切った。
「でも美味かった。あんな美味いスイカ、初めて食った」
「そりゃよかった」

衝動的に俯いたサンジの頭を撫でたくなって、ゾロは危ういところで留まった。
そんな真似したら、またあの凶悪な蹴りが繰り出されるだろう。
あれは結構痛いのだ。

「雨が降る前に、買い物に行くか」
「おう」
サンジは顔を上げ、ゾロを振り返ってにかりと笑う。
咥えた煙草はあまり吸っていないのか、短くならないまま紫煙を漂わせていた。




「うわー降って来た、やばい、サイアク!」
ひと雨来るぞ来るぞと言っていたら、案の定暗雲が流れてきて、さーっとまるで庭に水でも撒くような雨が降り注いだ。
「窓閉めろ、濡れる」
「嫌だ」
なんせ今は軽トラの中なのだ。
エアコンの効かない、臭くて狭い軽トラの中なのに、雨が降ってきたからって締め切ったらそれこそ地獄。
「このクソ暑いのに窓閉めたら、俺は死ぬ!」
「ちょっとの間だ、すぐに止む」
運転席側の窓はきっちり閉められている。
サンジも渋々ハンドルを回し始めたが、やはり上の部分はちょっとだけ開けておいた。
それでも一気に湿気と熱気が立ち込めて、むっさ〜となる。
「ぐあああああ、暑い〜〜〜〜」
「大げさな奴だな、すぐに町に着くだろうが」
「あ、でも買い物しても荷台が濡れるだろ。どうする」
「帰る頃には止むさ」
「そんなもんか?」
言っている間に、雨足が強くなってきた。
農道の轍に水が溜まり、バンバン弾けるような水飛沫が立っている。
「ゲ、ゲリラ豪雨?」
「夕立なんざこんなもんだ。すぐに晴れないと祭りも大変だしな」
「祭り?」
そう言えば、川向こうのおっさんも祭りがあるとか何とか言っていたっけ。
「今夜なのか?」
「そうだ、今頃準備の真っ最中だろうが、一時中断だな」
それは気の毒にと曇った空を見上げる。
心なしか、西の方の空は明るい。
「お前は祭りの手伝いに行かなくていいのか?」
「基本的に、夏祭りは地元民だけでやってる。盆と言えば帰省するのが普通だからな、出身が違うものは巻き込むなって気遣いもあるみたいだ」
「なるほど、でも遊びに行ってもいいだろう?」
「そりゃ勿論喜ぶだろうが・・・行きたいのか?」
ゾロが、怪訝そうな顔をした。
「当たり前だろ、祭りだぞ」
「お前、祭り男か?」
「自慢じゃないが、俺は祭りってものに行ったことがない」
どーんと胸を張るように言い切ったから、ゾロはぽかんと口を開けた。

なんだこいつは。
今どき祭りに行ったことがないなんて、どんだけ箱入り・・・と言うか、こいつが得意とするはずの女とのデートとかそう言うのはカウントなしか?

突っ込みたい部分は幾つかあったが、ゾロは「そうか」と軽く流した。
「確か今夜7時半くらいからだったと思うから、なら一緒に行くか」
「おう!」
子どもみたいに嬉しそうに頷くサンジに、釘を刺す。
「言っておくが、祭りといってもテレビでするような賑やかなもんじゃねえぞ。場所は公民館の前の広場だし、屋台は青年団の自前だし、盆踊りの輪なんてほとんど輪っかにもならねえし」
「いいよ、夏祭りってもんを見てみたいだけだ。単なる野次馬だとでも思ってくれ」
そんなことを言いながら、「ウキウキ」しているのが手に取るようにわかって、ゾロは苦笑した。
話しているうちに目的のスーパーに着いて、駐車場へと車を停める。

「あれ?」
ドアを開けて濡れたアスファルトに降り立って初めて、雨が止んでいることに気付いた。
「もう雨止んだな、よかったな」
見上げれば、さっきまでの暗雲はどこへ行ったのか。
少し黄味がかった薄水色の空に、白い雲の筋がたなびいていた。
吹き抜ける風はぐっと涼しい。
「祭り日和になりそうだ」
「ああ」
取り出しかけた煙草をポケットに仕舞って、代わりに持参したマイバッグを準備する。
「7時30分からってえと、夕食は早めの方がいいか?」
「張り切ってるな」
「あたぼうよ、まずひとっ風呂浴びてから飯くって―――」
「今夜のメニューは?」
「夏野菜カレー」
「いいな」

あちこちにできた水溜りを避けつつ歩き、ゾロと他愛無い話をする。
こうしていると、ああシモツキに帰ってきたんだなと改めて実感できた。
そう、多分サンジにとってゾロのいる場所は、いつの間にか“帰る場所”になってしまっているということ。


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