End game -9-



突然のプロポーズ旋風と入れ替わるように、娼館に領主が顔を見せた。
館主はどうしたものかとオドオドしながら応対に出て、後ろに従えているゾロに気付き顔を顰める。
「あんた、すっかり領主様の用心棒になったのか」
「こっちのが実入りがよさそうなんでね」
まあそんなもんだと館主は応じ、改めて揉み手で領主に向き直った。

「あの、この度はどのようなご用件で・・・」
「今さら何を言っておる、アンナちゃんだ。今日こそ迎えに来たぞ」
領主は、昨日から色々目新しい展開が起きているので上機嫌だ。
「アンナちゃんが望むなら、お試し期間と言わずこのまま婚礼を挙げてもよい。どうだろうか」
「どうだろうかと言われましても・・・」
すでに肝心のアンナはいないとも言えず、領主は冷や汗を垂らしながらただ闇雲に両手を揉みしだくばかりだ。
そこに、まだ化粧も施していない娼婦達が集まってきた。

「領主様、そこまでアンナをお望みでらっしゃるのですね」
「アンナも喜んでお受けします、とのことです」
館主の代わりに返事をして、そうそうそうとお互いに頷き合う。
「アンナも幸せですわ、領主様にここまで想っていただけるなんて」
「なんと!そうかアンナちゃんが申し出を受けてくれるのか」
娼婦達の言葉を鵜呑みにし、領主は喜びの声を上げた。
「ではすぐに連れて参れ、今日こそ祝言を挙げよう」
「待ってください、急ぎ過ぎです」
「そうそう、花嫁にはそれなりの仕度が必要なのですから」
「美しく装ってから花婿の前に出たいのが、女心ってものですわ」
口々に諭され、領主はそれもそうかと一々納得する。
「では、私はこれから館に戻って迎えの準備をするから、ロロノア殿をこちらに置いておこう。入れ違いで迎えの車を寄越すから、ロロノア殿、くれぐれも花嫁のことをよろしく」
思わぬ成り行きながら、ゾロは腕を組んだまま頷いた。
あのアンナとやらを領主の館に連れて行けばいいだけのことだ。
迎えの車が来るというなら、連れて歩く必要も無かろう。
「よし、ではわしは一旦帰るぞ。ああ、宴だ。宴の仕度だ」
弾むような足取りで車に乗り込み、とっとと立ち去ってしまった。


領主の車が坂道を下っていくのを見送りながら、館主はあーあと声に出してため息を吐く。
「どうしてくれるんだ、口先だけであんなウソを吐いて。一体どうやって誤魔化せば・・・」
ああもうお仕舞いだと頭を抱える館主に、女達は「だってねえ」と顔を見合わせている。
「アンナをご所望だったじゃないの、領主様は」
「そうよねえ、あんなに熱烈に望まれて、アンナも幸せよねえ」
含みの有る言い方に、館主ははっとして顔を上げる。
「お前達、まさか・・・」
「あーら、アンナに違いがあるってんですか?」
化粧っ気がないと案外と若い顔立ちの年増が、悪戯っぽく目を輝かせながら笑った。
「プロポーズ、受けて立とうじゃありませんか」
そう言って、さあ準備準備と手を叩きながら控え室に引っ込んだ。
おい待てお前達!と、情けない声を上げながら館主がその後に続く。
ゾロは娼館の動きには興味がないから、窓辺まで長椅子を移動させて寝転び、高台から見下ろす形で食堂の天窓に視線を落とした。
まだ日が高いから明かりは点いておらず、中の様子は外より薄暗くてよく見えない。
あれはまた、クルクル働いてやがんだろうかと思いながら、ゾロはいつしかウトウトと眠りに落ちた。


「お待ちどうさま」
女に肩を叩かれて、ゆっくりと目を開ける。
首を巡らして外を見れば、夕焼けが雲を朱に染め始めた頃だ。
「迎えの車がお待ちかねだよ」
寝る前と同じようにソワソワと落ち着かない館主を尻目に、美しく着飾った女がさあ行きましょうとばかりにゾロの腕を引いた。
小柄で栗色の髪、肩には花柄のスカーフを巻いている。
アンナだと認識して、ゾロは黙って女を迎えの車に乗せた。
どこか心配そうな表情で見送っていた女達は、そんなゾロに笑顔を見せ、華やかな歓声とともに送り出す。
「ありがとう、優しい用心棒さん」
「強いだけじゃなくて、ほんとにいい男ねえ」
「アンナ、がんばって!」
まるで戦にでも出るような威勢のいい声援と共に、車は娼館の玄関から一路、領主の館へと走り出した。



 *****



「なんか慌しいな、入用かい?」
領主の館の裏門に立つ警備兵に、サンジはそれとなく話し掛けた。
とは言え綺麗に整備された裏庭を一人で突っ切って歩いてきたのだから、とても通りすがりには見せ掛けられない。
怪しいもんじゃないですよ〜と笑顔を浮かべながら近付くも、どう見ても島民でないのはモロわかりで明らかに不審人物だ。
「一体なんの用だ?」
体格のいい警備兵が二人、サンジの前に立ちはだかるように並んだ。
サンジは慌ててポケットに突っ込んでいた両手を出し、万歳するように手のひらを翳す。
「俺は見ての通り料理人だ。旅の途中なんだがちょっと働きたくてね。この屋敷の下働きでもいいから、なんかさせてくれないかな〜と思ってよ」
どこが見ての通りなのか、警備兵達は笑いながらあしらうようにぞんざいに手を振る。
「料理人は間に合ってるよ」
「そう言わずによ、俺は腕に自身があるからな。なんでも昨日から、この館に客人が来てるそうじゃねえか。俺が腕を揮ってその客人に美味い飯を食わせてやるよ」
「よく知ってるな」
じろりと睨む警備兵の隣で、もう一人が「あんだけ市場を買占めりゃ、知れるよ」とフォローを入れた。
「なんにせよ、客人は普段美味いものを食い慣れてるそうだ。わざわざあんたが腕を揮うこともない」
「なんだとお?」
これにはカチンと来た。
普段から美味いものを食い慣れているたあ、どんだけお大尽なんだ。
「上等だ、俺が作るもんとどっちが美味いか勝負してやる!」
いきり立つサンジに、警備兵はまあまあと子どもを宥めるように腕を振った。
「料理人も勝負師も間に合ってるよ。今日はめでたい宴の日だ。とっとと帰ってくれ」
それで、はいそうですかと引き下がるつもりはない。
普段美味いものを食い慣れているという客人のために買い占められた酒こそが、今晩必要なのだ。
「そう言わず、なんか仕事ねえのかよう。俺だって、稼ぎがねえまま帰れねえよ」
子どもあしらいされたのをいいことに、甘えるように呟いてみせる。
この島の住民は、総じて欲がなく人がいい。
警備兵も無闇に追い返すのは気が咎めたのか、一緒になって考え始めた。

「そうさなあ、領主様は目新しいものが好きだから、なんか珍しいものでも持ってくるとか」
「婚約のお祝いに、か?」
「ああ、もしかすると結婚のお祝いになるかもしれんが」
サンジはそこで「ん?」と首を傾げた。
「ところで、今日本当に領主様は婚約だか結婚だかするのか?」
「ああ、そのつもりでもう館中、上を下への大騒ぎだ」
あれ〜?と内心で首を傾げる。
ヨハンのプロポーズが成功してアンナはもう娼館にいない筈なのに、領主は誰と結婚する気なのだろう。
「まあいいや」
男のことはどうでもいいサンジは、さっさと気持ちを切り替えた。
「じゃあ、お祝いになんかできないかな」
「領主様は目新しいもの好きだからな、なにか珍しいものでも見せるのは一興かもしれない」
珍しいものって、リンゴの皮の早剥きとかじゃ無理だよな。
真剣に考えていて、ピンと来た。
「領主様は新しいもの好きで、変わった生き物をこの島に持ち込んだんだって?」
「生きもの?」
「なんつったっけか、ヌメ・・・ヌメヌメ?まあ、名前によらずちょっと可愛い生き物が、田舎の方にウジャウジャいたぜ」
「そんなことあったっけか?」
警備兵同士が顔を見合わせ、一人が「ああ」と声を上げた。
「そういやあ、10年位前にそういうこともあったかな。ネズミやモグラを獲るだかなんだかで、他所の島から動物を持ち込んだってえ話だったが、すっかり忘れてるだろ」
「そんなのが増えてんのか?初耳だな」
こんなに小さな島なのに、街と農村部とではあまり交流がなされてないらしい。
「もしかして領主様も、忘れてんのかな」
「かもしれんな。夢中になってもすぐにほかの事に目移りするし、同じものを見ても初めて見たような顔で喜ぶ事があるから」
―――馬鹿なのか?
うっかり飛び出しかけた言葉を危うく飲み込む。
「じゃあ、ヌメヌメ見たら珍しがるかな」
「だろうな、少なくとも俺は見たことがない」
「俺も」
決まりだと、サンジは手を打った。
「んじゃ、ちょっと連れて来る」
「ああまあ、気を付けて行けよ」
どこまでも人がいい警備兵に大きく手を振り、サンジは街へと続く坂道を駆け出した。



―――とは言え、一人でヌメヌメ持って行っても間が持たないか。
走りながら考えたが、そもそも館の中に忍び込めればそれでいいんであって、本気で芸をしなきゃならんことはないだろうと思い直した。
面倒ごとを避けろとのナミの厳命に従おうとするあまり、目的を見失いがちだ。
アンナのために、ヨハンの店に酒を届けられればそれでよかったのだ。
ヌメヌメはあくまでその手段に過ぎない。
一匹程度持って行っても、珍しい見世物にはならないだろう。
農家には5匹くらい飼われていたし、あれを全部持っていったらそこそこ驚かれるんじゃないだろうか。
結構きちんと躾けられていたし、すばしっこいからちょっと広いところで走らせでもしたら、結構見ものになる。
がしかし、一人でするには限界ってモンが・・・

街並みを横目に見ながら農村地帯へと真っ直ぐ走っていたら、目の端に見知った人影を認めた。
「丁度いいや」
足を止め、勢いでUターンして人影の中に突っ込む。
「おい、お前ら」
「ひいいっ!」
いきなり飛び込んできたサンジにほぼ条件反射的に飛び上がったのは、昼間にボコボコにされた荒くれ者共だ。
昼飯を食いはぐれた上教育的指導も受けたので、大の大人が肩を落としてションボリ項垂れているところだった。
「もう勘弁してくれよう」
「俺らが悪かった!」
潔く平伏する男達に、サンジはまあまあと一緒になってしゃがみこむ。
「俺とタダ飯食いにいかねえか、ちと手を貸してくれよ」
「飯?」
勢い顔を上げると、男達の腹がグウと鳴る。
「可愛い動物を連れて、一緒に領主の館に行こうぜ。悪い話じゃねえだろ?」
容赦なく強烈な蹴りを入れてきた時と寸分変わらぬ、無邪気とも言える笑みで語り掛けて来るサンジに、男達は怯えたまま頷いた。





「お待たせ!」
警備兵が交代していないのを確認して、馴れ馴れしく駆け寄った。
腕に抱いたヌメートリアを「ほれ」と警備兵の目線にまで抱え上げる。
「ああ、ほんとに持ってきたのか」
「へえ、これがヌメヌメか。可愛いな」
人慣れしたヌメートリアは、警備兵が無遠慮に覗き込んでもつぶらな瞳でじっと見上げ、怯える様子もなかった。
「1匹だけじゃつまんないから、あと5匹連れてきた」
「そっちは」
サンジの後ろには、それぞれ1匹ずつヌメートリアを抱いた人相の悪い男達が愛想笑いを浮かべている。
「こいつらはヌメヌメ団だ。ヌメヌメを上手に操れる」
本当は農家のおかみさんを連れてきたかったが、この忙しいのにそんなとこ行ってられないよとすげなく断られた。
その代わり、ヌメートリアを躾ける時に使ったビスケットを分けてくれた。
これをチラつかせれば、なんでも言うことを聞くらしい。
「ヌメちゃんの扱いは、俺らもうバッチリです」
「任せてくだせえ」
おかみさんに俄仕立てで仕込まれて、男達はすっかりヌメートリアの扱いに自信を持った。
すでに、自分達が島を荒らそうとしていたならず者であったことも記憶の彼方だ。
「時間がねえから、さっさと通してくれ」
「ああまあ、そういうことなら」
「後で俺らも見に行くな」
ちゃっかり裏門を通り抜けたサンジに続き、ヌメヌメ団も屋敷の中に入る。



「俺は厨房覗いてくっから、お前ら適当に芸しててくれ」
「ええ?!兄貴は一緒に来てくれないんすか」
「俺らで一体、どうすれば!」
放り出されてうろたえる男達に、サンジはしっかりしろと喝を入れた。
「今日は領主様が可愛い花嫁ちゃんを迎える大事な日だ。ヌメヌメの愛らしい姿を精一杯見せ付けて、心の底からお祝いしてさしあげろ。そうしたらきっと、豪勢な飯にあり付けるぞ」
「そんなあ」
「お前らの腕次第だろうが。大丈夫、きっとうまくやれる。俺がそう見込んだんだからな」
今まで腕力にモノを言わせて我を通してきた者達ばかりだ。
自分の腕次第と言われても、どうしていいかはわからない。
「可愛いヌメヌメでみんなを喜ばせてやればいいんだよ。大丈夫だ、おかみさんがしていた通りにすれば、必ずできる。俺はお前らを信じてる」
サンジの言葉が、男達にはぐっときた。
こんな俺達を信頼して、場を任せようとしてくれているのか。
「・・・なんとか、頑張ってみます」
「みんなに喜んで貰えるよう、ヌメヌメを立派に見せてやります」
「その意気だ、期待してんぜ!」
サンジはリーダー格のごつい男の肩を軽く叩いて、じゃあなと手を振りながら走り去った。
「兄貴も頑張って!」
「また後でなー」
お互いに当初の目的を見失いながらも使命感に燃えて、自分達の持ち場へと急いだ。





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