End game -10-



サンジは何食わぬ顔で廊下を横切り、嗅覚を頼りに厨房へとたどり着いた。
忙しく立ち働くコック達の間を縫って地下へと続くだろう階段を降り、倉庫の扉を開ける。
案の定、頻繁に立ち入るためか施錠などされていない。
柱に引っ掛けてある帳簿を勝手に拝借して、在庫を確認し始めた。

あまりに堂々とした動作だったからか、サンジの存在はしばらくの間誰にも気付かれなかった。
倉庫に物を取りに降りてきたコックが一旦はサンジの隣を通り過ぎ、出て行こうとして扉を開けたままにしようかと訊くつもりで振り返って、初めて見慣れぬ男がいることに気付く。
「お前、誰だ」
「お疲れさんです」
サンジは何食わぬ顔で会釈し、再び帳簿に目を落とした。
「この、記し付けた分だけ譲ってもらえませんかね。もちろんお代は支払いますが、酒屋からの仕入れ値通りで頼みます」
「おいおいおい、なに言ってんだ」
ついサンジの勢いに押されそうになりながら、コックは危ういところで自分を取り戻した。
「一体なんだあんた、どっから入ってきた」
「扉から」
しれっと答えるサンジの後を、別のコックがさかさかと通り過ぎる。
なにせ厨房は忙しいのだ。

「今朝市場に仕入れに行ったら軒並み買い占められてて、なんも手に入らなかったんですよ。せめて酒ぐらい分けてください。これじゃ、こっちの商売上がったりだ」
見知らぬ男にポンポン捲くし立てられて、コックは目を白黒させている。
「今日は婚約のお披露目式で、お偉いさん達が集まったパーティなんでしょ。だったら安い酒はいらないでしょうが。庶民向けのこれとかこれとか、この辺からこの辺りまで融通してください」
勝手に線を引いて見せるサンジの対応に困り果て、コックは背後を振り返って助けを求めた。
「コック長!変な奴が入り込んで、酒を分けろって言って来てます」
「叩き出せ!」
声だけ返ってきたが、そんなこと訊かないとわからないのかと「変な奴」呼ばわりされたサンジの方が呆れ顔だ。
叩き出される前にと帳簿を持ったまま、コックを置いて倉庫から出た。

「コック長、酒を売ってください」
「あんだってえ?」
さすがに領主の館のコック長らしく、少しは荒い応えが返ってきた。
手だけは忙しなく動かしながら、体格のいいコック長は太い眉を怒らせてじろりと目線だけで振り返る。
「麓の町で食堂手伝ってるんですがね、食材だけでなく酒類も買い占められちまって、こっちの商売上がったりなんですよ。せめて今夜、営業できる分だけでも分けてください」
「なんて店だって?」
「ええと、なんてったかな。ずんぐりむっくりした冴えないおっさんみてえな店長が一人でやってる店。隣が麗しい娼館ですよ」
「ヨハンの店か・・・ってえか、てめえが手伝ってる店の名前を知らねえのか」
もっともな突っ込みに、サンジは言い訳もできない。
そうか、あの店主はヨハンって名だったのか。

「とにかく、いくら領主様でも・・・つうか、領主だからこそやっちゃいけねえってもんがあるだろうが。そもそも領民の生活に心を配って守ってくのが領主だってのに、自分の都合で買い占めてそいつらの生活を立ち行かなくするってのは言語道断だ。あんた、そんな領主の下で働いてて恥ずかしくねえのか」
喋っている内に勝手に興奮してきて、ついいらぬ言葉まで発してしまった。
言い過ぎたと思いつつ、バツの悪さに口元を歪めそっぽを向いた。
コック長は片眉だけ上げて見せ、まな板の上の大魚に包丁を振り下ろす。
ダンと床にまで振動が響いたが、震え上がったのはほかのコック達だけだ。

「まあ、あんたが言うこともわからんでもない」
コック長は口を屁の字に曲げたまま、手付きだけは鮮やかに魚を捌いた。
「飯と酒さえ出しとけばなんだって飲み食いできる連中ばかり。今回は大酒のみの客人がいるってえことで酒を買占めはしたが、物には限度ってモンがあらあなあ」
「その客人って奴、俺はこれから宴会に顔出すつもりだから、なんだったら俺から話つけてもいいぜ」
サンジの提案に、即座に首を振る。
「てめえのケツくらいてめえで拭けらあ。いいぜ、好きなだけ持ってけ」
「ありがとう」
サンジは帳簿を両手で抱くようにして、頭を下げた。
「話がわかるコック長さんでよかった。どちらにしろ、俺は領主に一言言ってやんなきゃ気が済まねえから」
「好きにしろい」

なにもかも一緒なのだ、ここの領主は。
酒も女も、元から自分のものだと勘違いして人の都合も関係なしに気まぐれに手を出し引っ掻き回す。
そんなんじゃ領主どころか男としても失格だと、サンジはますます説教熱が高まった。
「じゃあ、荷車かなんか貸してもらえるかな。とっとと持ってって代金貰って来るから。あ、運搬費は差し引くからな」
ちゃっかりしたサンジの提案に、コック長はいかつい顔を緩めた。
「あんたが持ってく必要はない、うちで人を使って届けさせよう。運搬費まで引かれちゃたまらん」
憎まれ口を装いながらも、細かい心遣いをサンジはありがたく受け取った。
「じゃあ、店主・・・ええと、ヨハンだっけか?には、なんもかもうまく行ったと伝えておいてくれるかな」
「うまく行ったのか?」
「今からそうするんだ」
じゃあなと言い終えて、サンジは今度は宴会場を目指して厨房を飛び出した。



    *****



「アンナちゃん、ようやく来たか〜!」
ゾロとアンナはまっすぐ大広間に通された。
諸手を挙げて歓迎する領主の前で、アンナはゾロの背後に隠れるような素振りをした。
すでに花嫁の気分なのか、頭の上からすっぽりと白いレースを被っている。
裾から覗いた唇は赤く彩られ、あどけなさが残る少女が随分と大人びて見えた。
「ささ、こちらにおいで。我が一族に紹介しよう」
立食形式で歓談している“客人”達は、いずれも領主と似通った顔立ちばかりで、いかにも血の繋がりを感じさせる。
とは言え、お披露目パーティであるなら今日の主役だろうアンナに、誰も特別に関心を寄せたりしない。
それだけ、こう言った“お披露目”が過去に何度も繰り返されてきたということだ。

ゾロはとっとと酒でも飲もうとテーブルに向かって歩き出したが、なぜかアンナが背中に引っ付いてきた。
領主の手から逃れるように顔を伏せ、ひらりと身をかわしている。
「これアンナちゃん、こちらへおいで」
ゾロを中心に二人に回り込まれる形になって、やれやれと足を止める。
「なにやってんだ、あんたら」
「ロロノア殿こそ、もはや役目は終えられたのだからあちらで休まれるがいい」
そうしたいのは山々だが、アンナが背中に引っ付いている。
「ならこれ剥がせ」
くるりと背中を向けたら、アンナはゾロのシャツにしがみついた。
「領主様、アンナには思いを寄せた方がおります!」
顔を背けたままの大胆な告白に、領主は驚いて手を止める。
「なにを言うか、私の申し出を嬉しいと言ってたのではないのか」
顔を覗き込む為に一歩踏み出した領主から逃げて、アンナはゾロの腕に縋った。
「勿論、領主様のお気持ちはとても嬉しいです。でも、私には他に好きな人が・・・」
「一体どこの誰か、名前を言ってみよ」
ゾロを挟んで時計回りにクルクルと回り出したのを、親戚達はおかしげに眺めていた。
やはり、紹介云々より単なる宴会程度にしか思っていないらしい。

「到底叶わぬ思いです、ですがやはり忘れられません。領主様のように立派でもお金持ちでもないのに」
「そのような者、なぜお前を幸せになどできようか。わしがいい、わしにしておけ」
「でも、領主様は恋多きお方。私のことなんて、すぐに飽きて捨てられてしまうのだわ」
「なにを言う、そんなことはないぞ」
周りをクルクル回られて、ゾロは突っ立ったままウンザリとした。
早く酒が飲みたい。

「やっぱり私なんか、領主様にふさわしくなんかないんです、庶民のあの人の方がきっと私を幸せにしてくれる」
「そんなことはないぞ、このわしが必ずアンナちゃんを幸せにしてあげるから」
「本当に?」
アンナがぴたりと足を止めた。
領主もなぜか踏み止まって、微妙な位置でお互い顔を見合わせる。
ただし、白いベールでアンナの顔は見えない。
「もちろんだとも、一生大切にするぞ」
「その言葉、信じていいのですね?」
アンナの手が、躊躇いがちに領主の太っ腹に触れた。
その白い甲に手のひらを重ね、領主は力づけるようにしっかりと握る。
相変わらず間に挟まれた状態のゾロは、立ったまま寝そうになっていた。

「ここにいる皆の者の前で約束する。わしはアンナちゃんを幸せにすると」
「・・・嬉しい」
ゾロとベールを間に挟みながら、両者はしっとりと見つめ合い手を握る。
「そうと決まれば、そのような鬱陶しいベールは外して貧乏くさい布も取るがいい」
アンナが肩に羽織ったままの花柄のスカーフを、領主は太い指でそそくさと取り去った。
その下から豊満な膨らみと深い谷間が現れる。
この時点で、ゾロは初めて「ん?」と首を傾げた。
アンナとか言う小娘は、実にささやかな胸をしていた記憶があったのだが・・・
「このような白い肌には、金糸銀糸で刺繍した絹の方が似合う」
言いながらベールを上げ、領主はその場で固まった。
「あ、あああああアンナちゃん?」
「はい」
落ち着き払って答えるアンナの顔は、別人だった。
ゾロは間近で見下ろし、これは5万ベリーぼったくりの年増女じゃないかと思い当たる。
女はゾロに目配せして、そっと囁いた。
「どうもありがとう、顔だけじゃなく気配りも男前ね」
ゾロとしたら気配りしたつもりは毛頭ないから、ああともウンとも言わずこっそりと返した」
「身代わりで、ここまで出張ってきたのか?」
「そうよ、昨夜のお客さんが今夜もって予約入れて来たのを蹴ってまでわざわざ来たんだもの。元を取らなきゃ」
5万ベリーでぼったくりかと思いきや連泊を望んだとは、実は相当凄腕らしい。

「アンナちゃんじゃぞ?わしが望んだのはアンナちゃんじゃ」
プチパニックに陥った領主が、子どものように声を上げる。
「私の本名はアンナですの、領主様はさすがによくご存知で」
源氏名は何か知らないが、本名がアンナらしき女は余裕でにっこり微笑んだ。
「こんな私の幸せを約束してくださるなんて、領主様はなんてお心の広い方」
「待て、わしは知らんぞ!わしがプロポーズしたのはアンナちゃんじゃあ」
領主が悲痛な叫びを上げたのと、なにやら騒々しい一団が乗り込んできたのはほぼ同時だった。



「どーもー!ヌメヌメ団でーす」
「この度はご婚約、おめでとうございまーす!」
突然現れた闖入者が引き連れた見慣れぬ動物に、そこここから悲鳴が上がる。
「きゃあ」
「かわいい!」
ねずみ系が苦手な婦人は飛び退り、可愛いもの系に目がない婦人は飛びつかん勢いで身を乗り出した。
「なんじゃと?」
アンナに抱き付かれたまま、領主は目を白黒させている。
「ヌメヌメ団です!」
「ご婚約をお祝いして、この可愛いヌメヌメの芸をお披露目しまーす」
いかつい顔に似合わず朗らかな声を出し、ヌメヌメ団は愛くるしい顔としなやかな体を持つ小動物を自分の腕や背中にクルクルと這わせ出した。
あらまあ可愛いと、アンナは領主に抱きついたまま歓声を上げる。
「ほら見て領主様、なんて可愛いの」
「ああいや、まあそうじゃのう」
すぐに気を逸らされる領主の腕に、アンナは豊満な胸を押し付けた。
「アンナ、もっと近くで見たい〜」
「ああこれ、そんなに引っ張るでない」
クルクルと纏わり着いていた2人が離れ、ゾロはようやく一息吐いてテーブルのワイン瓶を手に取ることができた。

「ヌメちゃんが逆立ちしますー!」
珍しい物好きは血筋なのか、領主を筆頭に親戚連中が物見高に集まってきている。
俄仕立てのヌメヌメ団は実に堂々と、ヌメートリアの芸を披露して見せた。
8割がた農家のおかみさんの手柄なのだが、演じる側は有頂天だ。
今まで数知れぬほど町を荒らしてきた自分たちが、こんなにキラキラした瞳と笑顔で注目されるなんてことは初めてだった。
破壊衝動から来るものとはまったく質の違う興奮が、団員?達の脳内で一気に高まり、快感を弾けさせている。
「ヌメちゃん、ここで1回転ー!」
大広間はたちまち、やんややんやの喝采と歓声に包まれた。


「おお、盛り上がってんなあ」
タバコを咥え「ここ禁煙?」と壁際に立つ人に尋ねながら、サンジが広間に顔を出した。
すかさず見付けたヌメヌメ団員が、子どものように大きく手を振る。
「団長!ここですー」
「大好評ですよう!」
何事かと衆目を浴びて、サンジは火が点いていないタバコを噛みながら中央まで進み出た。
「どうも、ヌメヌメ団の団長です」
「まあ、貴方が団長さん?」
「可愛いわね、これなんて動物なの?」
女性に声を掛けられると途端に相好を崩した。
「ええとですね、ヌメヌメですね」
「だからヌルヌル団か」
「いや、ヌメヌメです」
「いいねえ、ヌチョヌチョ団」
「ちょっとずつ離れてってますが・・・」

そこに、腕に掴まった女に引きずられるようにして領主が歩み寄った。
「今回はまた、珍しいものを見せてもらったな」
「領主様ですか、今宵はおめでとうございます」
まずは挨拶と、サンジは畏まって礼をした。
「婚約者様も、実にお美しい」
恭しく傅くサンジに、領主はあからさまに顔を顰めて見せた。
「生憎だがこの女は違う。わしが求めたアンナちゃんは一体どこだ」
―――ああ、替え玉になったのか。
サンジは状況を把握するため、黙って成り行きを見守っている。
「だから、私がアンナですってば」
「いいや違う。わしのアンナちゃんはもっと若くて可愛くてピチピチしておった」
これにはサンジの方がカチンと来た。
確かにアンナは若くて可愛くてピチピチしているけれど、目の前の女性だって色っぽい美人でむちむちしてるじゃないか。
この贅沢者!

「ああら、私じゃダメなんですかあ?」
「ダメに決まっておる。汚らわしい娼婦になど、食指も動かぬわ」
領主の言葉に、女の顔が一瞬だけ翳った。
それを見逃さず、思わず蹴りが繰り出しそうになるのをサンジは危うく堪える。
やっぱりこの領主、許すまじ。
蹴る前に何か一言と口を開きかけたサンジより先に、女性は領主の前にずずいと踏み出した。
「そんなこと仰って、ほんとはご存知ないんじゃないんですの?」
汚らわしいと厭いながらも、妖艶な笑みに視線が引き寄せられる。
「なにをじゃ」
「大人の女のことを、ですよ。例えば、あたしの・・・」
こんなとこ、とか―――
耳元でギリギリ聞こえるかくらいのささやきと共に、豊満な胸が領主の腕に押し当てられた。
うぬぬと唸る領主の隣で、サンジもふぐぐと鼻を鳴らす。

「知りたいと、思いません?」
「・・・・・・」
気位の高い領主といえども、所詮は脂が乗り切った中年男。
しかも多分、今まで気まぐれに素人女にばかり手を出してきただけで、大人の駆け引き的遊びには足を踏み入れてないと見た。
それをすばやく読み取って、アンナは堂々と誘いをかける。
「いっそあたしの全部を知ってしまってから、断ってくださいな」
ね、お・ね・が・い、と朱に濡れた唇を領主の耳朶に軽く押し当てる。
領主と一緒になって、サンジもその場でプルプル震えた。

「うぬう、ならばそうしようかのう」
「そうですよ、それがいいです」
「ヌメヌメもそう言ってます」
サンジはヌメートリアの愛らしい顔を目線にまで引き上げて、うんうんと頷かせた。
「そうか、グチョグチョもそう言っておるのなら仕方ない」
「ヌメヌメです」
それじゃあと二人連れ立って、そそくさと広間を後にする。
集まった親戚たちは諌めるでも咎めるでもなく、むしろ面白そうに成り行きを見ているだけだ。
「いいのかね、あんないい加減なもんで」
そそのかしておきながら無責任に呟くサンジに、大成功ですぜと意味も解らずヌメヌメ団が盛り上がっている。


「おい、メロメロ団長」
「ヌメヌメだっての!」
条件反射で言い返してから振り向き、サンジはぎょっと目を丸くした。
「おまっ、なにしてんだこんなとこで!」
「それはこっちの台詞だ」
酒瓶を抱えたゾロが、含み笑いをしながらそこに立っていた。




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