End game -8-



取り敢えずランチタイムの営業を済ませたらアンナの元に告白に行けと念を押して、二人で昼食の仕込みを始めた。
本来の目的は金儲けの筈だったのに、いつの間にか店の安定した経営努力ばかりしているサンジだ。
実際のところバイト代を請求していないから、三食宿付きの条件とはいえ結果的にタダ働き。
このままではさすがにマズイと頭の中ではわかっているけど、サンジとて今さら後には引けない。

「ランチメニューは相変わらず、ハンバーグとオムライスとスパゲッティなのか?」
今更な質問を投げると、ヨハンは戸惑いながらも頷いた。
「あんたがずっといてくれるなら変えようもあるけど、そうじゃねえんだろ?」
「そりゃそうだ」
愚問でしたと、うっすら笑い返して作業を続ける。
もしうまく行けば、明日からこの店はヨハンとアンナの店になるのだ。
彼らがやりやすいようにすればいい。



ランチタイムの看板を出すと同時に、常連客とおぼしきおっさん達がやってきた。
勝手知ったるで「俺はオムライス」だの「ハンバーグ」だの注文するのは、なかなかに微笑ましい。
とにかくランチタイムで小金稼いで、勢いでアンナちゃんに告白だーとテンションを上げていたら、昼過ぎに柄の悪い雰囲気の男達が乱暴に店の扉を開けた。
「なんだあ、こりゃあ」
椅子を蹴るようにして引き、わざと音を立てながらテーブルに着く。
「どこのガキ向けメニューだよ。酒持って来い酒!」
「つまみはねえのか」
他の客を威嚇するように声を荒げ、睥睨している。
サンジは立ち尽くしてメニューを持って行こうとはしなかったので、ヨハンが仕方なく厨房から出た。
「酒は切らしてます、メニューの中から選んでください」
いつものようにボソボソと、聴こえ難い発音で呟く。
だが怯えて声が出ないようではないから、案外肝は据わっているのだろうとサンジは傍観していた。
「あんだあ?聞こえねえぞコラ」
「酒出せっつってんだろ」
典型的な巻き舌でお約束の台詞を吐きながら、一人が隣のテーブルの客の手元を覗き込んだ。
「くだらねえもん食ってんじゃねえよ」
毛むくじゃらの腕を伸ばし、首を竦めたじいさんの前から皿を払い落とす。
派手な破壊音とともに皿が割れ、オムライスが床に飛び散った。

「ああ〜〜〜」
貧乏なじいさんにとっては、ランチタイムだけが唯一のまともな食事だ。
それを床に落とされ、じいさんは男達に抗議するより先に足元に這い蹲った。
勿体ねえと急いで両手で拾い上げ、口元に持っていこうとする。
「危ねえから・・・」
止せ、とヨハンが手を差し出して止めさせ、皿の欠片が混じったオムライスの残骸を引っ手繰るように取り上げる。
「これは、あんたらが食え」
ケチャップで汚れた拳を上げ、男達の目の前に突き出した。

おお、と店内が静かにどよめく。
おとなしそうな店主が歯向かうような態度を見せたから、荒くれ男達は俄かにいきり立った。
「ああん?なに調子付いてんだコラア」
「食え」
いきがってねめつける男に、ヨハンも引かない。
「俺が作った、美味い飯なんだ。お前らが食え」
決して声を荒げたりはしていないが、いつになく強気のヨハンに息を潜めて見守っていた客達がそうだそうだと声を上げ始めた。

「食えよ、てめえが落とした飯をよ」
「俺らが美味いと喜んで食ってる飯を、馬鹿にしやがって」
「どんだけ美味いか、食ってみろっつってんだ」
「うっせえ!」
リーダー格らしい体格の大きな男が突然立ち上がり、テーブルをひっくり返した。
とは言え、まだグラスも置いてなかったからテーブルが倒れただけで被害はない。
「なに調子に乗ってやがんだ、この貧乏人どもめ!俺らがこの島で飯食って酒飲んでやるから、てめえらもおまんま食えるんだろうが、俺らは客だぞ客!」
ヨハンの手から叩き落したオムライスを靴底で踏んで、床に擦り付けるように踵を回した。
ヨハンは男の前に立ち尽くしたまま、相変わらず怒りを露わにしない無表情でじっと顔を見返している。
「なんだその辛気臭え面は」
胸を突かれ押し退けられても、倒れずに踏ん張った。
「お前らに食わせる飯はねえ、出て行け」
おお、と常連客から明らかな歓声が上がった。
更に、いつの間にか戸口に集まっていた人垣からも声が上がる。
「そうだ、とっとと出てけ」
「俺らはここで待ってんだぞ、早く席を空けろ」
「出ーてーけ!」
「出ーてーけ!」
いつの間にか出て行けコールが響き出し、さすがに居辛くなったのか男達は憤然として席を蹴った。
「ふざけんな」
「覚えてろ!」
お決まりの捨て台詞を残し、男達は開いた椅子を蹴り倒しながら戸口から出て行った。
その後ろ姿に、客達が口々に罵声を浴びせる。

「こっちこそふぜけんなってんだ」
「おうよ、俺らの店に二度と顔見せんなよう!」
ヨハンは汚れた拳を握り締めてずっと戸口を睨み付けていたが、男達の姿が見えなくなってからほっと肩の力を抜いた。
振り向くと、オムライスをめちゃくちゃにされたじいさんはカウンターに場所を移して、ちゃっかり新しいオムライスを頬張っている。
男達を見送っている間にさっさと掃除を済ませたのか、店内はいつの間にか片付いていた。
更に新しい客のための料理も準備されていて、箒を手にしたサンジがゴミをまとめて袋に入れている。
「ちょっくらこのゴミ捨ててくっから、店頼むな」
お待ちのお客さん、どうぞ〜と奥から声を掛け手招きし、勝手口から出る。
再び動き始めた客の流れに押されるように、ヨハンは手を洗い自分の持ち場に戻った。

鼻唄交じりでゴミを捨てた後、ポケットに両手を突っ込んだまま軽く駆け足する。
数m走れば、先ほどの男達の集団に追い付いた。
街角で顔を突き合わせて、どうやって店に嫌がらせするか相談しているであろう男達の輪に加わるように、無防備に近付く。
「なんだてめえ」
馴れ馴れしくやってきたサンジを訝しそうに睨み付け、男達の一人が「あ、」と声を上げた。
「てめえ、さっきの店にいやがった・・・」
サンジは煙草を咥えたまま、にやんと笑った。



「ただいまー、悪いな」
ほんの数分店を開けてしまったが、ヨハンは「どこまでゴミを出しに行ってんだ」なんて嫌味を言う男ではない。
サンジが戻ったことを確認して頷き返し、相変わらずせっせと手を動かしている。
「はいお待ち、次のお客さんどうぞ〜」
何事もなかったように、店は活気を取り戻した。






嵐のようなランチタイムが過ぎて、打って変わって静かになった店内をサンジは駆けずり回るようにして掃除している。
「さっさと片付けて、アンナちゃん迎えにいかなきゃな」
張り切るサンジを余所に、ヨハンは店の売り上げを勘定しながらも浮かない顔だ。
「・・・本当に、行くのか」
「あたぼうよ。お前、なに今更怖気付いてやがんだよ。さっきの野郎共への威勢はどうした」
こっちこそどうしたと問いたいヨハンだ。
男たちが店で暴れそうな雰囲気の時は知らん顔していて、女が絡む時だけやたらと強気に人を唆してくる。
単に調子がいいだけの男なのか、何かよからぬ企みでも秘めているのか―――
ヨハンが内心で警戒していることも気付かないで、サンジは見違えるほど綺麗になった店内を満足そうに眺め渡し、さて、と箒を置いた。
「俺は夕食の仕込みをしてっから、お前行って来いよ」
「俺だけがか?」
動揺するヨハンの背中を、勢いよく叩く。
「なにビビってんだっての、お前が行かなくてどうするよ。つか、俺がついてったら意味ねえじゃん。アンナちゃんが俺に惚れたら責任持てねえぞ」
どこまでも調子のいい男だ。
「どっちにしろ、今夜の分の酒がねえんだから領主には俺から話をつけてやる。お前はともかく、アンナちゃんの了解を得ることだけに全力を注げ。いいな」
なんとも頼もしい台詞だが、どうしてこんなにまで親身になってくれるのかが、ヨハンにはわからない。
「あんた・・・なに考えてんだ?」
「ああ?俺はいつでもレディの幸せのことしか考えてねえよ。あんたがアンナちゃんを幸せにできねえってんなら、最初から協力したりなんかしねえ」
逆に言えば、ヨハンなら幸せにできるとサンジが太鼓判を押してくれていると言うことか。
「なんで、俺が・・・」
「お前、美味い飯作るじゃねえか。俺の胸をあったかくしてくれたような飯をさ。男は一に根性・二に甲斐性、けど一番大事なのは愛情だ」
がんばれ、ともう一度軽く背中を叩かれる。
ヨハンは前を向いて背筋を伸ばし、よし、と一言呟いて真っ直ぐ裏手の娼館へと向かった。



「とは言え、大丈夫かな」
散々ハッパをかけたとは言え、サンジにはうまく行く自信はなかった。
昨日アンナが出前を取りに来た時、二人はいい雰囲気だな〜と思った程度のことだ。
ヨハンはどう贔屓目に見てもいい男とは言えないし、体格は大きいがずんぐりむっくりとしてお世辞にもスマートととは言いがたい。
男から見てなかなかいい男ではあるが、女性から見たらモテない部類に入るだろう。
アンナに見る目がなければ、元から叶う筈のないカップルだったかもしれない。
「ん〜〜〜」
威勢よく送り出しておきながら、サンジはなんとなくソワソワして落ち着かなかった。
できたらうまく言って欲しい。
いきなりプロポーズだなんて急で無茶過ぎるが、せめてちょっとした感触と言うか約束程度でも取り付けられたら万々歳だ。
それを理由に、スケベ領主の申し出を断るか、もしくは引き伸ばすことはできるかもしれないし―――

なんてことを考えていたら、勝手口のドアが開いた。
お?と煙草を咥えたまま振り返る。
片方だけ覗いている瞳が、大きく見開かれた。

「おま・・・」
ぽかんと開けた口から煙草が落ちないように歯を噛み締め直して、サンジはにっこりと笑顔になった。
「やったな!」
「・・・はい」
照れたように頭を掻いているヨハンの後ろに、薔薇色に頬を染めたアンナが恥ずかしげに立っていた。





「なんと、いきなりのプロポーズかよ」
そうじゃないかと危惧していたら、その通りだったらしい。
ヨハンは黙ったまま凄い勢いで娼館のドアを叩き、応対に出た館主にいきなり「アンナさんを俺にください」と怒鳴った。
驚いた館主より先に、起き抜けで寝ぼけ眼の姉さん達がワラワラと降りてきて、アンナを焚き付けヨハンに引き合わせた。
そこで改めてヨハンはアンナにプロポーズし、アンナもその場で承諾した。

「別に、二人付き合ってた訳じゃねえんだろ?なのになんでいきなりプロポーズ?しかもアンナちゃんそんなの受けちゃって」
「あんたが言ったんだろうが」
「俺はそこまで言ってない」
言い合う二人の前で、アンナはサンジが出してくれたケーキを前に、恥ずかしそうに首を竦めた。
「私も、夢を見ているようでした。まさか、私なんかに・・・」
「いやいや、俺から見たらこいつなんかに、だよ」
散々な言われようだが、幸せなヨハンは微妙に頬が緩んだままだ。
「スケベ領主の魔の手から逃れるためには、一番いいかもしれねえけどな」
サンジがそう言うと、アンナは表情を曇らせて眉を下げた。
「そのことを考えると、安易にお引き受けすべきではなかったと思います。お店の方にもヨハンさんにも、ご迷惑が掛かる」
「それは・・・俺がちゃんとするから」
渋る館主を説得してくれたのは、娼婦達だった。
可愛がってくれた彼女達に迷惑を掛けることを心配し、自分だけが幸せではいられないと俯きながら話す。
「まあ、領主に関しちゃ俺も一言言いたいことあるし、直接館に行って話つけて来ようとは思ってんだ」
サンジがなんでもないことのように言うと、アンナはびっくりして顔を上げた。
「あなたが?いえ、でも・・・領主様は決して乱暴な方ではありませんが、お話でどうこうできることでもないと思うのですが・・・」
「話がつかなきゃ、実力行使で?」
テーブルに手を組んで小首を傾げてみせるサンジを、ヨハンもアンナも訝しげな表情で見やる。
一体どんな実力行使ができるのか、外見だけではさっぱりわからない。

「まあ、今夜からもうアンナちゃんはここに引っ越して来たらいい。今夜の営業も早速二人で頑張ろうよ。俺はその間に酒だけ確保して、話しつけてくっからよ」
まずは腹ごしらえとばかりに、サンジはケーキのお代わりを切り分けた。



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