End game -7-



領主の館に出向いたら、娼館のように好き放題酒を食らって、たまに来る客を軽く撫でていればいいだろうとのゾロのもくろみは、見事に外れた。
気が多く惚れっぽい領主はゾロの剣の腕にも惚れ込んだらしく、館に着くやいなや夜警の兵士を集めてその場で手合わせを見たいと言い出した。
給金は弾むとの声にゾロも少しは働くべきかと考えを改め、兵士達が怪我を負わない程度に軽く剣を交えた。
すると夜中にも関わらずどこからか人が集まり、次は俺もいや私がと手合わせを願い出る者が増えに増えて、ほとんどド素人に近い兵士達の相手をする羽目になった。
この程度では腕鳴らしにもなりはしないと、それでもゾロは不満だ。

まるで子どものように目を輝かせて手合わせに見入っていた領主は、途中でことんと糸が切れでもしたように言葉少なになり、もう眠いから寝るとほざきながらまだ手合わせを続けているゾロ達を置いてさっさと寝室に戻ってしまった。
いい年をしてなんともガキ臭い、身勝手なおっさんだ。
心中で舌打ちしながら、ゾロはそれよりもと自分と剣を交える兵士達へと意識を向けた。
一つの島の警備兵にしては、どれもこれも弱くて頼りなさ過ぎる。
この島には海軍が常駐している場所はないようだし、領主の兵がこんな体たらくでは、いざという時、島どころか領主一人すら守り抜くことはできないだろう。

ゾロはちょうど100本目の手合わせで相手の剣を軽く奪い取り、もうこれで仕舞いだと宣言した。
もはや時刻は明け方になっていた。





日が昇り始めてから宛がわれた客室に落ち着き、軽く仮眠を取った。
このまま夜まで寝て過ごすつもりだったが、午後に本格的に兵士を指導して欲しいと隊長らしき人物から依頼を受けていて、その約束を反故にはできない。
これこそが金儲けかと、ゾロにしては殊勝な心持ちで昼前には起きた。

「おはよう、昨夜は見事だったな」
よく眠ったらしい領主は上機嫌で、ゾロにとっては遅い朝食の席を用意してくれていた。
テーブルの上には多種多様なご馳走が所狭しと並べられ、酒瓶も山のように積んである。
「特別な客人だからと、今日は市場の野菜や酒屋の酒をすべて買い占めて来たのだ。存分に味わうとよいぞ」
貧乏たらしい島だと思ったが、あるところにはあるもんだなと他人事のように思い、ゾロは遠慮なく箸を付ける。
「なにか好みの料理や女子など、望むものがあれば遠慮なしに言うがよい。やはり人生には美味い飯と美しい女子が必需品だ」
ふん、とゾロは旺盛な食欲を示しながら、鼻で笑った。
「美味い飯は毎日食ってる。女はうるせえだけだ」
「なんと味気ない男よ」
「そん代わり、今日は午後から兵士達の指導をしてくれと頼まれてる」
「聞いておる」
領主は慇懃に頷いた。
「美しい剣技を見られ、尚且つ我が兵士達の腕が上がるなら、まさに一石二鳥というものだ。勿論、給金は弾むぞよ。ただし、夕方には切り上げて欲しい」
「なんだ?」
領主はこほんと咳払いして、心なしか頬を染めた。
いい年をしたおっさんが小さな瞳をキラキラさせたりして、傍から見ると実に不気味な表情だ。
「夕方の、店がまだ開かぬ内に昨夜の娼館に行きたいのだ。今日こそ、アンナちゃんを我が館に迎え入れたい」
「ああ・・・」
そう言えばそんなのがいたなと思いつつ、ゾロはもう頭の中でアンナの顔形を思い出すことができなかった。
確か小柄で栗色の髪をして、花柄のスカーフを巻いていたっけか。
ゾロの中の認識は、その程度だ。
「天下のロロノア・ゾロに強化された我が兵士に守られながら、念願の運命の花嫁を迎え入れるのじゃ。まさに我が人生の一大事。善は急げで、そなたがこの島にいる間にすべてを終わらせてしまいたい」
身元がばれていたかと今更気付きつつ、海軍に通報する気はなさそうだからと気にしないことにした。
領主の運命だろうが人生だろうが知ったことではないが、明日にはこの島を離れる身なのだから、事はさっさと済ませるに限る。
あの、アンナとかいう娘はこの領主の誘いを迷惑がっていたんじゃないかと、チラリと思い出しもしたが、金儲けに関係することではないから意識の外に追いやった。



************



「売り切れ?」
サンジは市場で頑丈そうなおばちゃんの前に立ち、ガボンと顎が外れそうなほど口を開けた。
「売り切れって、なんもねえってこと?」
「そうさ、すまないねえ」
ちっともすまなさそうに思えない仏頂面で、おばちゃんはテントを片付けながら謝った。
「今日は領主様の館に客人がいらっしゃるとかで、食材全部買い切っていっちまったよ」
「そんな・・・」
そこに、商店街に入っていたヨハンが戻ってきた。
いつもの陰気臭い影が更に濃くなったように、眉尻が下がっている。
「酒屋の酒が、売り切れたらしい」
「・・・は?」
「在庫もなんも、ねえんだと」
「それも、領主か?」
「また花嫁迎える気でいるんじゃないかねえ」
市場のおばちゃんの声に、サンジが凄い勢いで振り向いた。
「花嫁だって?アンナちゃんか?!」
「ああ、あんたよく知ってるねえ」
おばちゃんはサンジの剣幕に気圧されながら、ジロジロと見上げた。
いかつい顔立ちだが、愛想がない訳ではないらしい。
「アンナだかは知らないけど、丘の上の娼館で働いてる子だよ。ちょっと前からご執心だったからその内誘いがあるとはみんな思ってたさ。なあに、3日間程度のお祭り騒ぎでお仕舞いさ。結婚式の前祝とか言って飲んで騒いで、3日後には娘も戻されてまた何事もなかったように収まるだろう。なんせ領主様は惚れっぽくて飽きっぽいんだ」
「なんて奴だ!」
怒りのあまり、目の前が赤く染まる。
火の点いていないタバコを噛んで、真っ赤な顔でギリギリ歯を噛み締めるサンジに、この子は娘の身内かなんかかい?と横を向いてヨハンに尋ねた。
ヨハンは首を傾げながら、黙って首を振る。
事情は知らないけれど、どうも女のことになると見境なく熱くなる男らしいということは、わかってきた。

「ともかく食材がねえとうちの店だってやってられねんだよ。なんだよ島の領主のクセして、島民の生活立ち行かなくしてどうすんだ。大体島民がこんな貧乏たらしい生活してんのに、なに買占めして贅沢三昧してやがんだよ」
「貧乏たらしくて、悪かったね」
「いやレディ、レディのことじゃねえよ。このおっさんらのことだよ」
すかさず詫びるサンジに、ヨハンも周囲の男達も腹を立てるより苦笑いだ。
「まあまあ、確かに領主様はあんまり物事を考えるタイプじゃねえけど、悪い人じゃないんだよ」
「そうそう、ちょっと目新しいモノに飛びついてすぐに飽きるってだけの話さ。根は悪い人じゃない」
「子どもみたいなんだよなあ。身勝手で無茶ばかりするけど、どこか憎めねえんだ」
いつの間にか集まってきた島民達が、口々に領主を庇う。
なるほど、ろくでなしのクセに人望だけはあるらしい。
ますますサンジの癪に触って、むきーっと肩を怒らせた。
「根は悪くないとか、闇雲にレディに手え出す時点で大罪人だ。しかも食料買い占めるとかありえねえ。食とレディは人生の必需品なのに!」
熱く語るサンジの肩を叩いて、ヨハンはそろそろ・・・と声を潜める。
「ないものは仕方がない。少し町を離れて、農家に直接買い付けに行こう」
「ああ、ツテがあんのか?」
サンジはころっと表情を変えて、それを早く言えと長い足でヨハンを小突きながら急きたてるように歩き出した。
町の人々はなんだか面白い子だねと、二人の後ろ姿を見送っている。





「婚姻話が持ち上がるとは島の食料がなくなったりするから、うちもある程度つなぎを持ってるんだ」
「領主の気まぐれに振り回されんのは、大変だな」
サンジは乱暴な物言いながら深く同情し、それにしてもと繁々とヨハンを眺めた。
「なんであんたはそんなに落ち着いてんだよ。店も大事だけど、今晩にでもアンナちゃんは領主の毒牙に掛かっちまうんじゃねえのか?こんなとこで油売ってる場合じゃねエだろ」
「油は売ってない。寧ろ食料の買出しに来ている」
「言葉のあやだ。つか、そんな生真面目な面してる場合か!」
サンジは我がことのように身悶えて、地団太踏んで悔しがっている。
「惚れた女がどうしようもねえ野郎のお手つきになんだぞ、男として命を掛けてでも阻止しようとか思わねえのかよ!そんなんじゃアンナちゃんも浮かばれねえよ」
「いや、アンナがどう思ってるかはわからないし・・・」
「なにグチグチ言ってやがんだ、まず第一に大事なのはてめえの気持ちだろうが」
サンジはのどかな農道の真ん中で立ち止まり、ビシっとヨハンを指差した。
「てめえがどうなんだ。このままおめおめと惚れた女掻っ攫われて、我慢できんのかよ。今までずっとそうやって、我慢し倒してなにかいいことあったのかよ!」
ヨハンはぐっと押し黙った。
いかにも寡黙で忍耐強そうな男だが、それでもどこか思うところはあるらしい。

「仕方ないんだ。一時はこの島を出て他の街で修行もしたけど、親が病気になって舞い戻ってきた。古い食堂でも、俺にとっては大事な店だ。もっと賑やかな街でだって暮らしてみたかったけど仕方ない。仕方ないんだ」
「でも、そのお陰でアンナちゃんに出会えたんだろう?」
サンジに正面から見つめられ、ヨハンはすっと視線を斜めに下げる。
いかつい頬がほのかに赤いのは、正直サンジには気色悪く映る。
「いいか、仕方ないっつうのはほかに何も手立てがない時に使う言葉だ。諦める合図じゃねえ。どうしようもねえ時しか、使っちゃならねえ。なあ、あんたは本当に今、なにもしようがねえのか?」
ヨハンがつい、と視線を上げる。
「本当に、アンナちゃんが色ボケじじいの手に掛かるのを、指を咥えて見てることしかできねえのか?お前になにか、できることはねえのか?」
人生を賭けてでも。
愛する女を勝ち得るために、できることは。
「今ならまだ、間に合うだろう?」
サンジの言葉に、ヨハンはためらいながらも頷いた。

「うし、その意気だ!」
人の恋路に手出しするなんて野暮なことはしたくなかったが、ここで引いてはラブコックの名が廃る。
「けど、どうすれば・・・」
「まずはアンナちゃんに告白だ。それでOKなら次は領主の説得」
アンナに断られるとは、サンジは露にも思っていないらしい。
「領主には直談判だな。食料買い占めて宴会するとなりゃあ、料理人の手もいるんだろ?領主お抱えの料理人てのに勝負挑めばいいんじゃね?」
「勝負?ええ?!」
「なあに、腕のいい料理人がいるって俺が推してやるからよ」
そんな・・・と途端にヨハンは逃げ腰になった。
「なんだ、そんなに怖気付くほど領主の料理人は腕がいいのか?」
「いや、それは知らない。特に名は聞いたことないし、どうせ島のもんが賄ってることだし・・・」
「だったら、宴の料理だけでも自分が作ると名乗り出りゃあいいじゃねえか。んで、忍び込んでアンナちゃん掻っ攫って、ジ・エンドだ」
「終わらないだろう?俺はこの先もこの島で暮らし続けるつもりなのに」
「なあに、後の話は俺が付けてやるよ」
サンジにしたら、領主に対して一晩掛かってでも説教したいことは山ほどある。
言うこと聞かなきゃ、アンチマナーキックコースだ。

話している間にも、いつの間にか丘を越えて農村地帯に入った。
突然視界が開けて、一面の黄色い花畑と海が同時に広がる。
思いがけない景色にサンジは「おお」と感嘆の声をあげ、大げさに両手を広げた。
「なんってすげえ景色なんだ、綺麗だなあ」
「キジナバナの畑だ」
「なんか採れるのか?油とか」
「いや、最初は油が採れるってえので栽培を始めたんだが、どうも品種が違ったらしくて花が咲くだけでたいした実もなんもできなくてな。栽培初めて1年でやめたのに、自然に繁殖してこんだけ広がった」
「・・・そりゃまた、もしかして領主様の思い付きでか?」
「そうだ」
はあまあと、サンジは呆れて首を振りながら周囲を見渡した。
のどかな風景だが、畑の作物はお世辞にも豊潤とは言いがたい。
土地が痩せているのか、ぱっと見にも不出来な葉物ばかりだ。
「ここらで、見繕うのか?」
「ああ、どんなんでもあんたは美味く調理してくれるから、買っても損はないだろう」
「あのな、俺は明日にはここ出発するんだからな。頼るなよ」
そんなことを言っていたら、足元をすっと何か黒い影が横切った。
サンジは条件反射的にぎゃっ!と叫んで、その場で飛び上がる。
「今の、なんだ?」
「ああ」
サンジを肩に担ぐ格好になっても、ヨハンは暢気に突っ立っている。
「ヌメートリアだ」
「は?ぬめ?」
またさささっと走ってきた黒い陰は、ヨハンの足元でピタッと停まった。
イタチのようなネズミのような形で、毛色が黒い。
「領主が、畑のネズミを食うからと余所から持ち込んだのが勝手に繁殖したんだ。この辺りはヌメートリアがあちこちにいるぞ」
「へえ」
よく見れば、円らな瞳が愛くるしい。
あまりに動作が速いからそれとわからなければびっくりするが、見慣れれば可愛らしいものだ。
尖った鼻先をヨハンの靴にくっ付けて、クンクンと匂いを嗅いでいる。
「えらく人間に慣れてるな」
「ここのペットだろ。よく懐くし頭もいい」
そう言っている間に、農家からおばさんが出て来た。
突っ立っているヨハンに気付き、あらあと目を丸くしている。
「怪我でもしたの?」
「え?は、いや」
サンジはまだヨハンの肩に乗っかったままだったことに気付いて、慌てて飛び降りた。





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