End game  -6-



最後の客を見送って灯りを落としたのは、割と早い時間だった。
店を開けていればそれなりにもっと客は入っただろうが、いかんせん食材がなければ営業のしようもない。
「もっと仕入れとけよ」
そうサンジが文句を言うと、店主は困ったように眉を下げただけだった。
ぐちゃぐちゃ言い訳を並べ立てる男は好きではないが、弁解どころか返事の一つも返せない男もまたウザったい。
サンジは人気がなくなった暗いカウンターに腰掛けて煙草を咥える。
マッチを吸った一瞬だけ店内が照らし出され、すぐに元の暗がりへと戻った。
ついさっきまでごった返していた店内の、酒や料理の匂いはまだ色濃く残っている。

サンジが手際よく片付けたからいいものの、店主は食材のすべてを使ってしまった後は、呆けたように厨房内の椅子に座ったきりだ。
言葉を口に出して言えば何を考えているのかわかるのに、無口かつ無表情なせいで店主の感情がまったく読めない。
サンジはゆっくりと煙を吐いた後、ああそうかと声に出した。
「疲れたか?」
「・・・ああ」
なんだ、ただ疲れただけだったのか。
「もしかして、こんだけ客が入ったの初めてか?」
「ああ」
そうかそうかと、サンジにしては非常に根気強く頷いて見せた。
「それじゃあ多く仕入れてねえのも仕方ねえのかもな。けど、やりゃあできるじゃねえか。あんた一人であんだけの客の注文を捌いたんだから、これからも楽勝だろ」
店主はゆっくりと首を振った。
そうじゃないと、力ない目が否定している。
「今日はあんたがいてくれたからだ、いつもは俺一人で、接客もできねえ」
そう言われるとそうかと、サンジは眉を顰める。
料理の腕に間違いはないのに、愛想がなくて接遇がなってないから、やって来る客も捕まえ損ねるタイプだ。
「それこそ人を雇えばいいじゃねえか」
いいアイデアだとばかりに声に弾みをつければ、店主はますます頭を垂れた。
下がった肩のラインが、なんだか落胆を滲ませている。

「うちに人を雇える余裕なんて、ねえよ」
「何言ってんだ、今日の売り上げそこそこ行ってんじゃねえの。この調子で毎日やってったら、この不景気な街ん中でもかなりの売り上げ見込めるんじゃね?」
なんせログが溜まる島なのだから、島民が貧乏でもやって来る船客から稼ぐことはできる。
サンジがそうハッパを掛けるのに、店主の背中は丸まったままだ。
「今日稼げたのはあんたがいてくれたお陰だ。あんたは明後日にはもう島を出るんだろ?ならまた元の木阿弥だ」
欲はかくもんじゃねえ。
そう呟く声に覇気がない。
「ったく、どんだけ辛気臭い野郎だ」
サンジは憤然として声を荒げた。
「野郎ってのは一に根性・二に甲斐性だ。そんな不景気な面して客が入るかってんだ。あんたに接客が不向きなら、それこそ可愛いお姉ちゃんでも雇ってバリバリ客寄せしたらいいじゃねえかよ。例えば・・・」
サンジは一旦言葉を止めて、にやんと目を眇めて笑う。
「夕食を取りにきた可憐なレディ。あの子とか」
途端、見た目にわかり安すぎるほどに店主の顔が赤くなった。
首から額にかけてぼっと、火でも点いたように紅潮する。
「・・・あんた、普段無表情でわかり辛い面してんのに、血色だけはいいんだな」
「な、んの話だよ」
この期に及んで空とぼける店主だが、背いた耳朶まで真っ赤なのがなんとも可愛らしいとサンジでさえ思ってしまった。
「まあそう誤魔化すな。あんたが彼女にゾッコンなのはこちとらお見通しなんだよ。観念して吐いちまえ」
なぜか尋問口調になって、サンジはゆっくりと煙草を灰皿に押し潰した。

「娼館勤めとは言え、手伝いなんだろ?いくら親戚だからって、年頃の子がいつまでもいていい場所じゃねえだろうし、これを機会に誘ってみたらいいじゃねえか、うちの店で働かないかって。距離も近いし、通いでOKだろ。つか、いっそプロポーズしちまえ」
「俺は、そんな・・・」
オロオロする店主ににやんと笑い返し、サンジは椅子から立ち上がった。
「まあ、その話はまた明日だ。つか、俺がいる間にカタつけようぜ。明日は早いんだろ?買い出しとか」
「あ、ああ・・・」
「市場とか、行くのか?何時だ」
「あ、ええと、7時」
「了解、じゃあ6時に起きて朝飯な」
「ああ」
煮え切らない店主を置いて、サンジはさっさと2階に上がった。



昔は宿屋もしていたと言う部屋はシンプルな造りながら一応必要なものは揃っていて、クローゼットの中もよく掃除してあり清潔だった。
あの店主は見かけは愚鈍だが、きっちりした性格なのだろう。
いい仕事してんじゃねえの?つか、ここ宿屋にした方がいいんじゃねえの?と呟きつつ、ささやかな荷物を仕舞ってベッドに寝転がる。
今日は後半よく働いた。
給料もいらねえと突っぱねた仕事だったから儲けにはならないが、ここで3食食って眠れるなら、そう悪い待遇でもない。
むしろたった2日しか日がないのは、残念なくらいだ。

元々勝負の相手であった筈の、緑頭は今頃どうしているだろう。
あくどい真似でもしてガッポリ稼いでいるだろうか。
追い剥ぎかカツアゲか、はたまた当てもないまま獣を狩りに行って山中で迷子にでもなっているか。
金を稼ぐどころか使い道さえない状況で、夜露に濡れながら寝腐れているだろうか。
後者が一番確率高いなと考えている内に、サンジはいつの間にか眠ってしまった。







カーテンが閉まったままの部屋でも、朝日の気配は充分に感じられた。
船での生活と同じようにきっかり5時に目が覚めて、久しぶりの柔らかなベッドの感触を楽しみながらゆっくりと伸びをする。
市場に買い出しに出るのは7時だと言っていたから、店主はまだ夢の中だろう。
そう早起きをする必要はないとわかっているのに、なんとなくベッドに横になっているのも手持ち無沙汰で結局起き上がった。
朝からシャワーを浴びて気分をすっきりとさせる。
朝食を求めに出かけるとマイナスになるから、倉庫に残っていた僅かな材料を使い切るつもりで2人分の朝食を作り出す。
きっかり6時に、2階から店主が降りてきた。

「いい匂いがすると、思って」
無精髭が浮いた顎を擦りながら、まだ眠そうな目を瞬かせている。
「いいタイミングだな、飯にしようぜ」
「コーヒーを煎れるよ」
なんだか朝から男と顔を突き合わせて朝食の段取りなんて、寒すぎんじゃね?
今の自分達の状況にふと気付いてぶるりと背中を震わせ、サンジはフライパンを操る手を急がせた。

「いただきます」
「どうぞ」
フォークを手にした店主を前に、サンジはテーブルに肘を着いてゆっくりと煙草を吹かした。
人より先に食事に手をつけないのはもう、職業病だ。
それだけでなく、一緒に食事を始めるという行為にも疎遠になっている。
いつも人が飯を食っている姿ばかり眺めているなと、今更のように気付いてサンジは煙草を持った手で後ろ頭を掻いた。
向かい合わせの人物が女性なら「一緒に食べましょうよ」と誘ってくれるだろうが、男同士では痒過ぎて想像もしたくない。
「食べないのか?」
今更みたいに店主が上目遣いで促してきて、ああまあと曖昧に頷きながら煙草を揉み消した。
「今日は、あんたが飯を作らないか?」
焼きたてのパンを頬張りながら、店主はこちらを窺うような視線を投げ掛ける。
「生憎、俺はバイトでここに来てんだ。あんたの手伝いはするが、客用の料理は作らねえよ」
「デボンヌの飯は作ったのに?」
「ん、あ?」
「ああ、言ってなかったか。隣の娼館は『デボンヌの館』つうんだ」
「へえ」
そう言えば、娼館と聞いただけでテンションが上がって出前用の食事は作ったっけか。
「あれは特別。俺の飯はレディの美容と健康のためのみに活用されるべきなんだ。こんなシケた店でむさくるしい野郎共に振舞う腕はねえ」
「・・・あんたって」
呆れたような声を、ふふんと鼻であしらう。
「それより、あんたはさっさと店を軌道に乗せてあの可愛い子ちゃんを雇うんだな。あの子はなんて名前なんだ?」
途端、朱で刷いたように店主の頬が赤くなった。
本当にわかりやすい男だ。
「・・・アンナ」
「アンナちゃんか、名前も可愛いなあ」
でれんと、サンジの鼻の下が伸びた。
「毎晩、夕飯のお使いで来てんだろあの子。今夜にでもきちっと誘え。多少強引な方が男っぷりが上がるってモンだ」
「ダメだ・・・」
店主は暗い表情で俯いた。
照れているのではなく、どこか絶望感が漂う横顔にサンジはん?と眉を顰める。
「ダメだダメだって、なにがダメなんだ」
「あの子は、領主から申し出が来てる・・・」
「あ?領主って、この島のか?」
黙って頷く店主に先を促すも、中々口を開かない。
「ちゃっちゃと吐かないと直接娼館に乗り込んで、俺がアンナちゃんを口説くぞ」
宥めすかして脅して、ようやく店主は重い口を開いた。

「領主は代々この島を統治してる、島唯一の家柄なんだ。もう年は40越えてるけど独身で、これはと思う娘を妻に迎えたいと言ってる」
「40?おっさんじゃねえか。初婚かよ」
どうでもいい部分で引っかかるサンジだ。
「まだ未婚だからそうなるな。花嫁選びに慎重と言えば聞こえはいいが、惚れっぽくて飽きっぽいんだ。だから島の娘に手をつけては、すぐに飽きて捨てる」
「なんだとお!?」
サンジはその場で文字通りいきり立った。
そんな下衆野郎、男の風上にも置けない。
「なんて贅沢な野郎だ。島の若いむ、むむ娘さんを食い散らかすとは!そんな奴にアンナちゃん渡すだなんて、とんでもねえ!」
サンジがヒートアップするのに反して、店主はますます肩を落とし目をショボくれさせる。
「かと言って、実際に手にするまではしつこくて諦めが悪い。島に住んでる限り、領主からの誘いは免れねえだろうよ。しかも本人は運命の相手に巡り会うためにはなんだってするってえ意気込みだ。色欲は強いが根は悪い人間じゃなくて、純粋にパートナーを探してるつもりなんだ。だから余計、性質が悪い」
「なんてアホだ」
サンジに掛かれば、一刀両断だ。
「そんな色ボケじじいにアンナちゃん差し出して、飽きて捨てられてからとか思ってんじゃねえだろうな」
ずけずけと指摘すると、店主はぐっと言葉に詰まった。
どうやら図星だったらしい。
「かーっ!どんだけ情けねえんだてめえ、男の風上にも置けねえや。クズ野郎はてめえだこの鈍亀!」
容赦ない罵声にも、店主は固まって身動ぎすらしない。
「四の五の言ってねえで、アンナちゃん掻っ攫ってこの店に置け。俺が見る限り、つか昨日の雰囲気を読む限り、残念な話だがどうもアンナちゃんもお前を憎からず思ってるっぽい。つか、お前ら二人の間の空気が正直痒かった。やってらんねえ、とっとと連れて来い」
「けど領主が」
「領主だろうがなんだろうが、意に添わねえレディを無理やりどうこうしていい訳ねえんだよ!なーにが花嫁探しだ。レディの清純奪っといて責任取らねえ野郎なんざ下の下だ、そんな領主なんざ島から叩き出しちまえ!」
「いや、島の統治自体はいい領主で・・・」
なぜか店主の方がフォローに回っている。
「何言ってやがんだ。女癖悪い時点で俺にとっては万死に値する。つか、いっそ領主の地位もお前が乗っ取っちまえ。なんとかできねえか」
「あんた、無茶言うなあ」
さすがに呆れ果てたのか、店主は強張っていた表情を緩めて笑みさえ浮かべた。
「ポンポン威勢のいいタンカ切るし、昨日だって柄の悪い客相手でも上手にあしらってた。さすが海の男ってえか、中身だけは海賊みたいに荒くれてるな」
「は、褒め言葉か?」
「いや、褒めてないけど」
再びモジモジし始めた店主の背中をどやし、サンジは食事を再開させた。
「そうと決まればまずは買い出しだ。今日は昨日の3倍は食材を買って、大儲けするぞ。資金を稼いでアンナちゃんを迎えに行くんだ」
声高らかに宣言するサンジの向かいで、そう言えばアンナの名前は聞かれても俺の名前は一度も尋ねてもらえないなと、店主は今更ながら肩を落として嘆息した。







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