End game  -3-



―――さてどうするか。
ゾロは踵を返して、サンジが行く方とは反対の方向に大股で歩き出した。

一人旅をしてきた頃は、手っ取り早い稼ぎ方として賞金首を狩っていた。
今回も一人か二人、目ぼしいのを狩ればすぐさまそれなりの金は手に入るだろう。
が、自らも賞金首となった今、目立つ方法は避けた方がいいと言うことは、いくらゾロでもわかっている。
面倒を引き起こして海軍でも引き連れた日には、ナミから借金倍増ぐらいで済まないほどの大目玉を食らうだろう。
それはもう、純粋に面倒臭い。
そのためゾロは、どこか人里離れた山の中にでも入って獣でも狩って、市場で売りつけようと思った。
その目的でどんどん歩を進めていくのに、何故か街の中へ中へと入って行ってしまうのはどういう訳か。
一体どんな島なんだと訝っている間に日は暮れて、街の高台にある古びた屋敷に行き当たった。
所々灯りの切れた安っぽい看板には、時代遅れの卑猥な誘い文句が書き殴ってある。

「ざけんなっ」
裏口辺りで怒鳴り声がして、何かが転がる音がする。
続いて女の、か細い悲鳴。
ゾロは聞き流して先に進もうとしたが、目の前には屋敷があるだけで横道などは見えない。
仕方なく引き返そうと方向転換するのに、なぜか屋敷の横を通ってしまった。
どうやらそこが裏口らしく、ゾロはまんまと揉めている男女前に辿り着く。
「なんだてめえ」
男はすでに酔っているのか、ふやけたような赤ら顔をゾロに向けて顎をしゃくった。
女の襟首を掴んだまま足元をふらつかせている。
「この店にはこんなクズしかいねえのか?オラ」
どう見ても通りすがりでしかないゾロに絡んでくる辺り、へべれけなのだろう。
ゾロは酔っ払いの素人など相手にせず、さりとて口端に血を滲ませて男の腕に掴み上げられている女を見過ごすこともできず、やんわりとその腕を取った。
「悪いがここは俺の通り道だ」
「じゃあもっといい女出せ」
まったく話が噛み合わないまま、ゾロは軽くその腕を捻った。
途端、大袈裟な声を出して男はその場で膝を着く。
すんなりと開いた手指から開放され、女は胸元を抑えてさっと退いた。
「痛え、んなろっ」
すぐさま立ち上がりゾロを殴ろうとして、自分の短い足に引っ掛かってつんのめり、男はそのままゴミ箱の中に突っ込んだ。
派手な音を立ててゴミ箱の蓋が転がったが、前のめりに倒れた男はそのまま動かない。
ほどなくして、豪快な鼾が響いてきた。

「なんだこいつ」
呆れてしばし見下ろしてから、ゾロはまたその先へと進もうとした。
「・・・あの、ありがとうございます」
暗闇に避けていた女が、おずおずと進み出て礼を言う。
商売女には見えない幼さだが、胸元の大きく開いた服を着ているから、そうなのだろう。
「うちに、なにかご用ですか?」
「あ?」
ゾロが聞き返すと、女はビクッと身体を竦めてまた影に身を潜めた。
「別に用はねえが、この先はどこに繋がってんだ」
「ここはお店の裏口です」
「店?」
そう言えば、そろそろ腹が減ったかもしれない。
酒場か何かと期待すると、女は訝しげな表情でまたおずおずと灯りが届く場所まで戻ってきた。
「あの、娼館なんですけど・・・」
ご存知なかったのですか?と静かに問われ、ゾロはまあなと素直に頷いた。



「あんた、なんてことしてくれたんです」
娼館の主らしき男は、とてもそうとは思えない貧相な身なりで表にやって来た。
のされて転がされているように見える、けれど実は単に眠っている酔客を見下ろし溜め息を吐く。
「こんなんでもお客さんなんだから、邪魔しないでください」
「女を殴っていたぞ」
ゾロに言われ、最初に出会った女は傷付いた口元を隠すように俯いた。
娼婦にしてはあまりにも地味で大人しすぎる。
主の後ろから恐々様子を見に顔を出した女達も、いずれもどこか遠慮がちで男を誘うような艶やかさにはとんと縁のない雰囲気だった。
一言で言うなら、辛気臭い。
「客が来たらすぐに呼びなさいと言っただろう」
「すみません、急に掴み掛かって来て」
まだ少女と言っていい年齢の女を、主もそれ以上責めるつもりはないようだ。
なんとも生ぬるい雰囲気に、ゾロの背中がどことなく痒くなる。
「客は選んだ方が高く売れるぞ」
つい、いらない口を挟んでしまった。

主はゾロの生意気な物言いにむっとするでもなく、逆に肩を落として溜め息まで吐いた。
なんとも不景気な表情だ。
「選べるものならいいですがね、なにせこの島は貧乏なんでそんな余裕もありゃしませんよ。売れるもんなら1ベリーででも買ってくれりゃ恩の字です」
「この島には、娼館が多いのか?」
「いえ、うちだけです」
ゾロは片手で額を押さえた。
「ならふっかけりゃ、いいじゃねえか」
「そんな恐ろしいことできませんよ。ここはログポースを溜めるためだけに寄る商船だけじゃなくて海賊なんかも来るんですから。逆らったらもう何をされるか」
「そういう相手にこそ、ぼったくりするもんじゃねえのか?」
「できませんって」
弱気な主を前に、ゾロはにやりと笑った。
そう言えば、賞金首を狩る以外にもう一つ実入りのいい仕事は娼館の用心棒だったか。
ゾロは単純に思い出しただけだったが、その凶悪な笑顔に主は元より背後で何事かと様子を伺っていた女達も一斉に震え上がっている。

「わかった、それじゃ俺が客になる」
「は、え?」
それならば、といきなり揉み手状態になった主の前で、ゾロはざっと女達を見渡した。
一番年嵩と思われる女を指差し「3万ベリーで」と言う。
「3万ベリー?」
「え!3万?」
主のみならず、指された女当人もその周りも、全てがぎょっとしたように目を剥いて口を開けた。
「3万って」
「安いか?」
「いえとんでもない!って、本気ですかあんた!」
これはとんでもない老け専か?と浮き足立っているところに、坂の下から男たちが集団で上がってきた。
ゾロは道を譲るように脇に退き、主はお客さんだと女達を引き連れて表に出る。

「いらっしゃいませ」
「ちっ、こんなシケたとこかよ」
「なんだなんだ、陰気臭え顔して」
商船か海軍か、いややはり海賊だろうと当たりを付けてしまいそうな、ガラの悪い集団だ。
女達を値踏みするような目で眺め、鼻の頭に皺を寄せている。
「いかがですか?いい子が揃っていますよ」
ゾロに買われた年増が部屋へと案内しようとするのに、ゾロはその腕を引いてわざと表に出させた。
「どいつもこいつもパッとしねえな」
「そこのババアなんざ、一体いくらなんだ」
嘲りの声にも慣れているのか、女達の顔には笑みも悲しみも悔しさもない。
それでも名指しされた年増の顔色が微妙に白けた隣で、ゾロはその肩を抱くようにして顔を出した。
「こいつは俺が3万ベリーで買った」
「ああ?」
「3万だと?」
男達も目を剥いて、それから手を叩きゲラゲラと笑い出す。
「たいしたお大尽だな、こんな女に3万ベリーも出すなんざ」
「3千ベリーの間違いじゃねえのか」
馬鹿笑いを続ける男達の前に進み出た。
腕を組み目を半眼にして薄ら笑いを浮かべる。
「俺の女を笑う奴は誰だ?」
ただ呟いただけで、すっとその場の空気が冷えた。

まだ若造と言っていい見てくれなのに、首筋の毛がチリチリするような威圧感を伴っている。
こいつは誰だと男達は改めてゾロを眺め、左耳のピアスと腰に差した3本の刀にぎょっとした。
「まさか・・・」
「まあ、3万以上の値打ちがあるかもしれねえがな」
ゾロは一歩退いて女に道を譲るようにし、「試してみるか?」と挑発する。
「まさか、な」
「ああ、こんなところにいるはずねえ」
仲間内でボソボソ呟く男達の後ろで、一番年嵩の男が片手を上げた。
「じゃあ試させてもらおうか。俺は5万ベリー出す」
「うえ?!」
声を上げたのは主の方だった。
後ろに控えていた女達が、その間抜けな口元を押え付ける。
戸惑いゾロを振り返る年増に、いかにも悔しそうな表情でゾロは肩を竦めた。
「俺の有り金は3万ベリーだ。畜生め」
「じゃあ、商談成立だな」
その場で5万ベリーを払い、年嵩の男が女を連れて館の中に入っていった。
女は一旦背後を振り返ったが、先ほどとは違い背筋をしゃんと伸ばして男の手を取っている。
それを見送ってから、それじゃあと連れの男達が物色し始めた。
「この子は、2万ベリーでも・・・いいかな?」
「あ、俺2万5千ベリー出すぜ」
「せこい奴だな、俺は3万ベリーでこの子な」
主が采配せずとも勝手に値が釣り上がり、そのまま6人の客が館の中に入っていった。



彼らが部屋に上がってしまってから、ゾロは残った女の誰にともなく呟いた。
「5万も出す価値あんのかよ・・・」
「姐さんは経験値高いから」
「テクは折り紙付です」
したり顔で頷く女達に、そりゃよかったと真顔で頷き返す。
「いやあんた、無茶するねえ。今回は助かったけど」
なんの役にも立っていない主は、冷や汗を拭きながら泣き笑いみたいな顔で擦り寄ってくる。
「でも、今のお客さんは物騒じゃなくてよかったけど、どんな人が来るかわかりませんから」
「なんか揉めたら、俺を呼ぶといい」
ゾロはこともなげにそう言って、勝手に娼館のエントランスにあるソファに腰を降ろした。
「2日ばかり用心棒をさせてもらうぜ。なあに、給料はいらねえ、飯さえ食わせて貰えればな」
「そんなあ」
弱り果ててへたりこみそうな主の後ろで、女達は嬉しそうに両手を合わせて笑った。
―――そんな面すりゃ、みなそこそこ見えるじゃねえか。
そう言ってやろうとして、最初に酔っ払いに絡まれていた女がその場にいないことに気付く。
買われた女達の中にもいなかったから、娼婦ではないのかもしれない。
まあいいかと足を組んで、腹が減ったと横柄に告げた。



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