DOUBLE 5


実際、喫茶店のマスターは実に気のいい男だった。
顔中髭だらけのクマの如き風貌ながら、大きな図体を丸めるように動いて汗をかきながら話す。
「いや・・・カールが来てくれてから、お客さん、増えちゃってねえ。ほら・・・彼の料理美味いから。」
どうやら軽食メニューはカールに任されているらしい。
片手ながらも段取りよく注文に応じている。

ルイジは裏方として働くことにした。
ウェイターとして立ち回るには経験が浅いし、愛想がなさ過ぎる。
言われたことだけしかできないが、確かに飯時など小さな店にしては大変な混雑になる時、何かと
役には立っているようだ。

「うん・・・ルイジが来てくれて助かるよ。給料少なくて悪いねえ。」
カールもその日暮らし程度の給金らしい。
自分ももし必要なら、その辺でカツアゲでもしてくればいいから、たいした問題ではなかった。


裏口からビールケースを3段まとめて運び入れる。
からんとドアの開く音がして、多くの人の気配がした。

「いやがったなあ、やっぱここによ。」
耳障りなダミ声が届いた。
その姿は抱えたケースでよく見えない。
がしゃんと置いて顔を上げれば、戸口にガラの悪そうな若者達が10数人立っていた。

「おい、丁寧に置けよ。ビン割れるだろうが。」
異様な雰囲気なのに、カールはテーブルに腰掛けて呑気に煙草を吸っている。
「そいであんたら誰?こいつのお客さん?」
くいくい、っと軽く手で示す。
さあ?とルイジは首を傾げた。
「とぼけんじゃねえ!この死に損ないがっ。よくもやってくれたなあ。」

思うに、隣町のチンピラかもしれない。
「顔なんざ、全然覚えてねえけどよ。」
「言ったなコラ、ここでのうのうと働いてやがると情報得たんだよ。てめえに殴られて仲間がまだ病院だ。
 落とし前つけてやる。」
狭い店の中が、あっという間に殺気に包まれる。
カールは足を組んだまま、あーあと溜息をついた。

「いいけど、やるんなら表でやれ。店を壊すな。」
「てめえ、さっきからごちゃごちゃうるせえぞ!!」
側にいた男が手にした棒でカールの頭を殴りつけようとした、が。
するりとかわして大きく空振りをする。
「・・・!」
ルイジは反射的に駆け出そうとして、たたらを踏んだ。
カールが無事なのを見て、あからさまにほっとした顔をする。
その後ろでは、汗かきのクマが右往左往していた。

「言ったろ。表に出てやれクソガキ共。表なら思う存分遊べばいいからよ。」
煙草をくわえたまま薄く笑って、両手をポケットに突っ込んでいる。
「この野郎、馬鹿にしやがって!!」
胸元からナイフを取り出し、棒を持った男と二人で襲い掛かる。
だが一瞬で、その手から武器は落ちた。
のみならず、周りで見ていた数人の手からも武器だけが弾き飛ばされている。

思わぬ展開に乱入した若者達もルイジも、固まってしまった。
――――あれか。
唐突に思い至る。
自分が意識を失うほどの衝撃は、蹴られたのか。

「き、君達。表に出たほうがいいよ・・・この人、こんな見かけだけど・・・つ、強いんだから。」
クマは大量の汗をかいている。
「ほら・・・そこの壁、そこだけ新しいでしょ。前に海賊が来たとき、その人その壁ぶち抜いて暴れたんだから・・・」
冗談だろ、と誰もが思った。
クマの言うことは大袈裟だろうが、当の本人は周りを囲まれてそ知らぬ顔で煙草を吸っている。

「次に来た奴あ、脳天砕くぜ。」
にい・・・と笑ったその目はただ事でない光を湛えて、チンピラたちを震撼させた。
細い身体の、稀有な金髪を持った男に気圧されてリーダーらしき男はちっと舌打ちした。
「しょうがねえ、表へ出ろ。来い、てめえ!」
促されてルイジも店を出る。
カールはその姿をにっこり笑って見送った。



――――数分後。
頭から血を流し、数箇所打撲を負ったルイジがつまらなそうに入って来る。
表のチンピラたちは、何人か逃げ仰せ、残りは突っ伏してうめいているようだ。
マスターが濡らしたタオルを手渡すと、乱暴に額の血を拭った。
「・・・お前、戦い方を知らねえのか。」
窓際に座った金髪が、心底呆れたように言う。
「あれじゃあ刺されるわな。リーチが長いのをいいことに目暗滅法振り回すだけで、手元ガラ空きじゃねえか。」
「ぶっとばしゃあ、いいんだよ。」
憮然とした表情で、ルイジは乱暴に水を飲む。
「自己流にしても危なかしい喧嘩だ。なんか習うといいんだよなあ。獲物持つのもいいしよ。剣とか――」
そこまで言って、ひくりとカールの身体を揺れた。
何か恐ろしい物でも見たかのように凍りついた瞳で、固まっている。
しかしそれは数秒で、ゆるく動かした右手が煙草の灰を落とした。
――――?
時折、カールは意味深な反応を見せる。
ルイジにはそれがなんなのかわからないが、気に掛かることは確かだ。

「あんたの蹴り、教えてくんねえ。」
物思いに耽った顔がはっと上げられた。
「蹴り―――あんたすげーじゃん。」
ルイジの顔をまじまじと見て、カールが表情を緩める。
「まあな、気が向いたらな。」
表に転がっていたチンピラも、仲間が連れて行ったらしい。
静かになった大通りから客がやってくる。
仕事だぞ、とカールは立ち上がった。


ルイジが来てから、やたらと昔のことを思い出すようになった。
その声だったり、ふと見せる仕草だったり、醸し出す雰囲気だったり―――――
何かにつけその姿が奴を思い起こさせて、胸がざわめく。

手元に置いたのは、失敗だったか。
元はといえば、放って置けなかったのはあいつの目が死んでいたからだ。
夢も希望もないような腐った目で、同じ顔で俺を見るから、我慢できなかった。

ずっとずっと若いのによ。
もっと世界に目を向けて、何でも出来る可能性があるのによ。
同じ姿をして、揺ぎ無い奴の背中とは全然違う覇気のない表情。
なんだか、たまんねんだよ。

からりと、サンジは氷だけ残ったカラのグラスを置いた。
ルイジは隣のソファでもう眠っただろう。
誰に似たのか、本当に寝つきのいい奴だ。

奴に、剣を――― そう思いついた自分に吐き気がする。
剣を持たせてどうする気だ。
奴の代わりを作る気か。
同じ顔で、同じ声で俺だけの剣士を作る気か。
くく・・・と喉の奥で笑いを漏らす。
片手で栓を開けて、酒を注いだ。


19の頃に出会って、抱き合うようになったのはいつからだったか・・・
ただの仲間としては実にいけ好かない奴だったが、セックスの相性はばっちりだった。
切っ掛けは酒だったかも知れない。
長い航海で島にも着けず、溜まっていたのかもしれない。
それでも最初は馴れ合いのように始まった関係が、ずるずると4年も続いていた。
最初は奪い合うように、時には暖めあうように、あとは惰性で?
性欲処理だと割り切りながら、上陸してレディがわんさかいる街でも二人で宿にしけこんだりしたっけな。

あれは、なんだったんだろう。
どういうつもりで、俺達は抱き合っていたんだろう。
4年も一緒にいたのに。
4年も抱き合っていたのに、俺達は何一つそのことに答えなんか求めなかった。
サンジは片手で顔を覆った。

思い出すのは熱い掌。
齧り付いた幅広の肩。
斜めに走る傷に舌を這わせて、太い首を抱きしめた。
生真面目な剣士はセックスにも真摯で、いつだって真剣勝負みたいだった。
口の端で軽く笑う、アノ表情が好きだった。

ことりと、グラスを置いた。
顔を覆ったまま、左手を自分の中心に伸ばす。
思い出だけで、そこは熱を持って勃ち上がっている。

いい年こいて、何やってんだ俺は・・・
自嘲するのは何度目だろう。
ひなびた街で、夢を失ってただ生きる俺。
奴は俺のことなんかとうに忘れて、海原を駆けてるんだろう。
鷹の目は倒せたのだろうか。
ルフィはワンピースを見つけただろうか。

ずっと思い起こさないようにしていたことが、次々と胸に溢れる。
ルフィ・・・ナミさん・・・ウソップ・・・チョッパー・・・ロビンちゃん・・・
懐かしい仲間の顔が、走馬灯のように現れては消える。
そして――――
その声が、近くにあるような気がして、サンジは目を閉じた。

―――――ゾロ。

その名を、心の中で呼ぶ。
果てを行く仲間のことを思い出したくなくて、ただ己を擦った。
すべてを忘れたい。
ただ、ゾロだけを思い浮かべてサンジは暗闇の中で息を殺した。


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