DOUBLE 4


尿意を催して、目が覚めた。
目を覚ましたはずなのに、あたりは薄暗い。
またしても、かなり寝ていたらしい。

ベッドを降りて適当に扉を開けた。
腹の痛みはさほどでもなく、あれほど重かっただるさも消えている。
よく寝たせいかかなり回復しているのが自分でもわかった。

トイレを済ませると、部屋の灯りをつけて自分の服を探し始めた。
小さな箪笥の中に見慣れたジーンズが畳まれている。
シャツは、多分血で汚れて穴があいていたのだろう、捨てられたようだ。
部屋の隅に置いてあった靴も、洗ってくれたのか血は付いてなかったが生乾きだ。
身支度だけ整えて、箪笥の小引出しを開けてみた。

何か金目のものないかひっくり返すが、それらしいものは何もない。
部屋自体に物が少ない上、殺風景で必要最低限のもの以外は何もなかった。

――――ったく、使えねえな。

持ち出して売れそうな物もない。
諦めてベッドに腰掛ける。

早く立ち去らないと、また奴が帰ってくる。
部屋を荒らされたところを見ると、流石のあいつも怒るだろう。
それでも、立ち上がる気にはなれなかった。

腹が、減ったな。

急ぐ旅ではない。
行く宛てなどありはしない。
ただ、もう一度あの男の料理が食べたいと思った。

俯いて、少し口元を歪める。
・・・俺が、人を待つなんてな。
まだ熱が残っているのだろうか。
このまま立ち去る気になれないのは、なんでだろう。

もう雨は止んだようだ。
乾いた足音が近づいてくる。


「残念だな。金目のもんがなくってよ。」
男は怒るでもなく、部屋を見回してにやりと笑った。

「俺は全財産はいつも持ち歩いてんだ。今度狙うときは俺を倒すこったな。」
物騒なことを軽く言って、手にした紙袋を台所に置く。
「持ち歩くなんざ無用心じゃねえか。」
流石にルイジも非難めいた口調になる。
襲われたら終わりじゃないのか。

「そんなセリフは俺を倒してから言うんだな。それより自分が散らかしたもんは自分で片付けろよ。」
そこまで言われて、ルイジは初めて気がついた。
「そう言えば、てめえ俺に何しやがった?なんでまた俺は寝てたんだ。」
「さあなあ。」
包丁を取り出して、刃でちょいちょいと片付けを示唆した。
早く片付けないと刺すぞ、とジェスチャーまでしている。

ふざけた仕草に怒る気もなくして、ルイジはしぶしぶ引出しを戻し始める。
中にたいしてモノが入っていないから、適当に突っ込めばすぐに見た目は綺麗になった。

「よしよし。よくできました。」
男は部屋の隅にある小さなテーブルに二人分の食器を並べて、手早く食事を並べた。
片手なのに手際がいい。
腕のいい料理人だとか何とか、言っていたな。

腕を使う職業の者が腕をなくしたら、どんな心地がするのだろう。
ルイジはぼんやりと考えた。
絶望。
喪失。
悲観。
碌なイメージが湧いて来ないのに、目の前の男は鼻歌混じりにパンを並べている。

「さあ喰えよ。美味いぞ。」
人の目の前に食事を並べた男の顔は、馬鹿みたいに楽しそうだ。
心底料理が好きなのだと、それだけで知れる。

明るいサンジの表情とは裏腹に、ルイジの腹の中はどす黒い感情で満たされてきた。
恐らく不幸な目に遭って、絶望的な状況にあったはずの男。
とりわけ不運な生い立ちでもないのに、未来も希望も見出せない怠惰な自分。
己を省みるとき、ルイジは後ろめたい感情に囚われる。
きちんと動く手足を持ち、よく見える目を持ち、強い力が備わった丈夫な身体。
恐らくは恵まれているであろう自分自身を持て余すのは、この先に何も見出す物がないから。
何のために生まれてきたのかすら、答えが見えないから。
だから余計に、目の前でへらへら笑う男に腹が立つ。、
どん底から這い上がったような、吹っ切れた顔で綺麗に笑う、この男が。

「ったく、いつまでもおっかない目で睨むなよ。」
微塵も恐れなど感じさせないで、男は軽い口調でからかった。
「・・・自分の名前も名乗れねえような奴は、信用できねえ。」
低く唸るように言うと、男は肩をすくめてみせた。
「言っただろ。俺はカールだ。」
ウソだ。
それはあのヤブ医者がつけた名前だ。

「名前なんて、たいした意味は持たねえんだ。カールと呼ばれりゃ俺は振り向く。そんなもんだろ。」
なあルイジ、と男――カールは肩に手をかけた。
「お前は一人なのか。オヤとかいねえの。」
手元のワインを傾けて、ルイジの前のグラスに注いだ。
特別だぞ、と片目をつぶってみせる。
「母親はいる。父親は知らねえ。」
「そっか、おふくろさんいるんだ。ここにいること知ってっか?」
何故そんなことを聞く。
どこまでも鬱陶しい男だ。
「俺は10の時家を出てからそれきりだ。おふくろの居場所はわかってるが向こうは何も知らねえ。」
くいとワインを飲み干して、カールから瓶を引っ手繰った。
「俺にも注げ、こら。」
差し出されたグラスを無視して、瓶に口をつける。
「あ、てめえほんとに行儀悪いな。」
カールが咎めながら笑う。
なんだか調子が狂う相手だ。

「なあ、オヤが生きてるんなら、せめて連絡を取れよ。親ってのはきっとずっと心配なんだ。」
そう言うサンジは、ゼフに連絡をしていない。
託された夢を失って、どうしておめおめと無事を知らせることができるだろうか。
今でもオールブルーを求めて海原を旅していると、信じていて欲しい。
カールの目が切なげに眇められた。
ルイジを通して別のところを見ているような、遠い瞳。

もう1本ワインを取り出してカールも勝手に飲み始めた。
ルイジは今手にしている瓶をさっさと空にして、その分も横取ろうと考えている。

「隣の喫茶店のマスターがいい人でよ。俺もそっから給料貰ってっし。カモメ便の取り扱いもしてるんだ。そっから手紙出せよ。な。絶対連絡しろよ。約束しろよ。」
それほど飲んでいないのに、酔っ払いのようだ。
「知らせる必要ねえ。俺の親は子供の心配するようなタマじゃねえよ。」
ビンを開けてしまうと、カールの持っているもう1本も無理矢理奪う。
「昔から娼婦やってて、船乗りに惚れてガキ連れでグランドライン渡ってきた。今は自分の娼館持ってる、ふてえアマだ。趣味が男に黙って子供産むって奴で、俺の他にも父親の違う兄弟が4人いるぜ。」
カールの目が驚いたように丸くなる。
「出来たら堕ろさねえんだとよ。あてつけだかなんだか知らねえが、勝手に産んで・・・しかもその父親ってのをちゃんと覚えていて、いつかどこかで逢ったらあんたの子供がいるって言ってやるのが楽しみなんだと。」
最低サイアクに性質の悪い娼婦だ。
ルイジはカールから奪ったもう1本も一気に空けてしまった。

「凄いな、あんたのおふくろさん。」
カールから出た言葉に、揶揄や蔑みの響きはない。
「お前がどう思ってるか知らないが、子供を産むってのは伊達や酔狂でできるもんじゃねえんだぜ。少なくとも10月は腹ん中に持ってて、命がけで産み落とすんだ。あてつけや趣味だけじゃねえよ。物凄く情の深い、素晴らしい女性じゃないか。」
ルイジは驚いてカールの顔を見た。
カールは頬を紅潮させて、演技でもなんでもなく感動している。
「妊娠している間、仕事すらままならねえのに・・・それを投げ打って命を生み出したんだ。そして育てたんだろ。5人、一人も欠けてねえんだろ。凄いじゃねえか。肝っ玉母さんだな。」
ルイジは半ば呆れてカールの顔を見た。
今まで母親のことをとんでもない娼婦だと言われたことはあっても、肝っ玉母さんなどと呼ばれたことはない。
目の前にいる男の思考回路がどうなっているのかさっぱり分からないが、悪い気はしなかった。

「なあ、絶対連絡取れよ。できたら俺逢いたいくらいだあんたの母さんに。きっと素晴らしいレディだろう。」
こいつ、頭イっちゃってるのかもしれねえ―――
心の中で馬鹿にしながら、酒のせいではなく腹の中が暖かくなるのを感じた。
いつ出会うかも分からない、遺伝子上の父親へのあてつけのためだけに産まれたと思っていたが、カールの言葉を借りると、どこか救われる心地がした。
「明日、手紙を書け。それから・・・行く宛てがないんなら暫く手伝ってくれねえか。」
突然の申し出に固まってしまった。
「コソ泥の真似事が出来るんなら、もう動けんだろ。最近店が忙しくなってきてもう一人雇いたいってマスターが言ってたんだ。お前力仕事できそうだし・・・しばらく泊めてやるからよ。」

僅かなワインで出来上がったのか、カールは赤い顔で上機嫌にばしばしとルイジの肩を叩いた。
ルイジは珍しく考えてしまった。
どこか一つ処に留まって暮らすなど経験したことがない、が、このままこの男を置いて出るのは気が引ける。
どう見ても、恐ろしく人が良くて危なっかしい。
こいつ、このまま一人にしておいたら絶対なんかのカモにされるタイプだ。
人の心配をするなど恐らく初めての経験だが、ルイジは本気でカールのために暫く側にいることを決めた。

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