DOUBLE 3


雨の降る音がする。


医者は、食事を終えるとさっさと帰ってしまった。
何しに来たんだあいつは。
飯喰いにきただけかよ。

一応薬を飲んだことは確認していった。
そのせいか、やたら眠い。
前から良く眠る方ではあったが、体がだるくて起き上がるのも億劫だ。

うとうとしていたら、雨の音に混じって足音が聞こえた。
耳を済ませる。
軽やかな水音。

遠のいて、ここからは離れているだろう、玄関に廻ったようだ。
程なくして、昨夜の男が顔を見せた。

「起きてんのか。」

左手にラップをかけた皿を持って、ぶつかるように入ってきた。
肩で扉を押してるんだな。
「遅くなって悪かったな。飯時が混んでてよ。」

時計を見れば2時を廻っている。
医者が帰ってから6時間は過ぎてるらしい。
「店のサンドイッチ持って来た。もう、喰えるだろ。」
片手ながらも手際よくコーヒーを煎れて、いそいそと運ぶ。
応えないルイジに頓着せず、膝にトレイを乗せた。

「喰え、クソ美味いぞ。」

相当強い雨なのだろう。
傘をしていたのに飛沫を受けて、金色の髪の端から水滴が落ちている。

一体いくつなのか。
えらぶって年上のように振舞っているが、さあ食えとどこか嬉しそうに見つめる瞳は子供みたいで、年が掴めない。

青い目に促されて、仕方なく手を伸ばした。
一口喰えば、止まらなくなる。
こいつの持ってくる飯は、どれも美味くて食べ始めると夢中になった。
気がつけば、2人前はあった皿をぺろりと平らげてコーヒーをすする。
男は笑って見守るだけだ。
すべて食べてしまってから、ルイジははたと気がついた。

「もしかして・・・てめえの分も、喰っちまったか?」
どこか不安そうに尋ねる顔つきがおかしくて、男は噴き出した。
「構わねえよ。俺は店で食ってっから、全部お前のだ。まったくいい喰いっぷりだな。」
綺麗になったトレイをどけて、薬を飲ませる。
適当に片付けてから、男はルイジの布団をはいだ。

「お前、クソヤブに包帯も変えさせなかったんだって。」
上半身裸の胸に手を当てた。
「ああ。やっぱりまだ熱が残ってんだ。てめえに手はたかれただけで、わかったってよ。」
冷たい手が、ルイジの裸の胸に触れる。
「血は、滲んでねえな。」
添えられた右の、手首を掴んだ。

枯れ木のように細い。
明らかに左とは太さも違う。

「俺の服を出せ。靴もだ。」
握った手首は、多分簡単に折れる。
「痛えよ。感覚は残ってんだ。」
男は正面から睨みつけても、薄く笑っている。

人がルイジに対するとき、外見のせいか滲み出る雰囲気からか、睨むだけで大抵の相手は怖気づく。
血の気の多い奴は目が合っただけで喧嘩を吹っかけてくるし、気の弱い奴は目を逸らして関わり合いに
なろうとはしない。
ルイジはどうでも良かった。
他人との関係は面倒だ。
男は自分より強いか弱いかのどちらか。
女はヤルだけ。
それでいい筈だ。

「今晩はこのベッドをあんたに返す約束だろ。だから出て行く。」
約束、の響きに男が痛そうな顔をした。
何が辛いのか。

「確かに夕べはそう言ったが、せめて熱が引くまでここにいろ。俺が拾ってやったんだ。」
左手に力をこめてルイジを押し倒そうとした。
その手も強引に掴む。
「俺に構うな、鬱陶しい。出さねえんならてめえの服はいでくぞ。」
下着一枚で身を起こすルイジに簡単に押さえつけられて、男はそれでも呆れた目で見るだけだ。

「ガキが。一人で生きてるような面してんじゃねえよ。」
なんだこの余裕は。
自分が本気を出したら、こんな優男一発でのしてしまえるのに。

「いいコだから大人しく寝てろ。てめえが出て行くときは、俺が叩きだす時だ。」
「てめ・・・ふざけんじゃねえぞ!」
本気で手に力をこめた――――瞬間。



ルイジには、何が起きたかわからなかった。
ただ彼の身体はベッドに沈み
――――意識を失った。



マジでガキだな、青臭え。
コリエを喰らって気を失った身体をベッドに寝かし直す。
いいガタイをしているせいで、片手では苦労した。
右手には感覚も神経も残ってはいるが、力が入らない。
フライパンひとつ、持てやしない。
あん時の俺みたいかよ。
サンジはルイジの寝顔を見ながら煙草に火をつけた。

酷い嵐で停泊した港で、海賊の襲撃を受けた。
火事場泥棒並に嵐に乗じた侵略だったが、いつものように返り討ちにする筈だった。
その日、ルフィたちは先に上陸していて、船に残っていたのはサンジとチョッパーだけで。
それでもちゃちな海賊相手に退屈しのぎ程度の戦いをしていた筈なのに―――
油断があったのか。
運が悪かったのか。
大方片付けた海賊達が退却しようとして、横波に呷られた。
打ち寄せる波と共にGM号に激しくぶつかる。
相手の船は大破し、見張り台に上っていたチョッパーが海中に落ちた。
いけない――――
とっさに荒れる海に飛び込んだ後は、よく覚えていない。
ただ、チョッパーを抱え上げて、ボートに戻したことは確かだ。
薄れゆく意識の中でチョッパーの泣き顔だけが目に焼き付いている。
涙を一杯溜めて鼻水を垂らして、チョッパーが俺の名を呼んでいた。

何度も。

何度も。


再び目を覚ましたとき、あの嵐の日から半月が経っていた。
木切れに掴まったまま、運良く島に流れ着いたらしい。
このあたりは小さな島が幾つもあって、ナミ達にもサンジの行方は掴めなかったのだろう。
意識を取り戻したサンジから連絡をとる方法は無いこともなかったが、あえてサンジはそれをしなかった。
右手を使えない自分は、もうコックには戻れない。
コックでない自分は、あの船には不要の存在だから。

辺鄙な島で、閉鎖的なところもあったのに、島の人々は献身的に助けてくれた。
半月も意識の戻らない怪我人を抱えてヤブ医者はあらゆる手を尽くしてくれ、喫茶店のマスターは身元も
分からない男を雇ってくれた。

生かされていると思う。
思えば自分は生れ落ちてから、ずっと誰かに生かされてきた。
客船の船長だったり、くそジジイだったり、仲間達だったり、この島の人々だったり――――
宙を漂う紫煙を目で追いながら、サンジは静かに目を閉じた。
最後に見たのは、小さなトナカイ。
自分のせいで俺が死んだと責めてはいないだろうか。
それだけが、気がかりだった。

next