DOUBLE 11


カリカリとペンを走らせる。
不自然に傾いだ、几帳面な文字。
いつからか定番となったメニューのレシピを書き留めていく。
背後でのそりと起き上がる気配がして、ルイジの声がした。

「まだ寝ねーの。」
「なんだ、眠れねーのか。」
振り向かないで答える。
「冷蔵庫の横の紙袋に酒入ってから。飲んでもいいぞ。」

間を置いて、ごそごそと紙袋を漁る音がした。

「なあルイジ。」
「んー?」
「もしもお前の父親が、想像を絶する鼻クソおやじでも、蹴るなよ。」
ぶっと軽く噴き出した。
「何だよそれ。」
「物事は先に悪い方へ考えとくもんだ。期待してるようなイかしたオヤジじゃないと、がっかりだろ。」
とくとくと酒を注ぐ音が響き、アホかと呟く声がする。
「あんたも居てくれんだろ。」
「ばーか、感動の再会を邪魔なんかしねーよ。俺は朝から買い出しに行ってくっからな。」
パラリとノートをめくる。
これで大方書き終えた筈だ。
机のライトを消して立ち上がった。
ルイジはグラスを置いて、サンジへと手を伸ばす。

「緊張してんの?」
軽く問うとむっとした声で、んなことあるかと低く言う。
「あんたのこと、なんて紹介しようか考えてんだ。」
―――はあ?
ルイジの意外な答えに目を見開いて、それから急におかしくなって笑い出した。
「な、なに言ってやがんだ・・・しょ、紹介って・・・」
苦しげに身を捩る。
「お、お世話してますってか・・・くひひ」
「てめえ、笑いすぎだ!」
真っ赤な顔で屡次が後ろから抱え込む。
「いや、悪りい悪りい。なんか最初と違って、えれえ真面目だなーと・・・」
目尻に涙まで浮かべて肩を震わせている。
「なんでそこまでウケんだよ。」
口を尖らすルイジの表情は普段よりずっと幼くて、サンジはその固い髪をぐしゃぐしゃとかき回した。



「なんて言う、つもりだったんだ。」
聞いてもせん無いことを聞いてみる。
「もし俺が居たらよ。」
サンジを腕に抱えたまま、ルイジは顔を上げて視線を逸らした。
「大事な人だって、言いてえ。」
肩に廻された腕から、体温が上がるのが分かる。
「俺にとって初めての、大事な人だって言いてえ。」
「・・・そりゃあだめだ。思い切り誤解を招くぞ。」
ルイジの熱が伝染して己の耳まで赤くなるのを悟られないように、サンジは茶化した言葉で返す。
「降って湧いたように現れた息子が男に世話になってるってな、衝撃の事実をいきなり親に
 つきつけんじゃね―よ。」
絡みつく腕を邪険に振り払おうとして、失敗した。
息が苦しくなるほど強く抱きしめられる。
「俺にとってって、だけだ。あんたが遊びのつもりだろうが誰かの身代わりだろーが、俺には関係ねえ。俺の大事な人は、あんただけだ。」
サンジは恋の伝導師などと称しながら、こんなストレートな求愛にまるきり慣れていない。
過去の経験から見ても、大概相手は年上の手馴れた女性かあの無口な唐変木だ。
なりふり構わぬルイジの体当たり的なアプローチには調子を崩されっぱなしになる。

なんつー真っ直ぐ且つダイレクトな告白なんだ。
尻こそばゆいっつーか、なんかどきどきするよな。
けして悪い心地ではない。
だからこそ、いつまでもこいつの側に居てはいけないのだ。
あくまで遊びと割り切って、大人のポーズを崩さないで立ち去るのが、一番いい。
ルイジの為にも。
自分自身のためにも。

「ガキんちょは、素直だなあ。」
頬が赤いのを酒のせいにして、サンジは自分から口付けた。
ルイジは子ども扱いされても気分を害した風でなく、慣れた手つきで痩躯を抱えてベッドへと運ぶ。
このガキを甘やかしてんのか、俺が甘やかされてんのか・・・
ちらりとそんな思いが頭を掠めたが、直ぐに何もわからなくなった。


夜明け前に、ひとしきり雨が降ったらしい。
窓を開けると、湿った土の匂いがした。
こいつと初めて会ったのも、雨の夜だったと柄にもなく感慨に耽る。
どんよりと暗い空に煙を吹きかけて、雲の流れを目で追った。
ルイジは目を覚まさない。
昨夜酒に混ぜた薬が、良く効いているようだ。
ゆっくりと一服してから、煙草を灰皿に揉み消して窓を閉めた。
身一つで来たから旅立ちに荷物はない。
いつも出かけにキッチンを片付けているから閑散としていても不自然ではない。
空っぽのクローゼットからぽつんと残った服を取り出す。
この街では一度も袖を通さなかった黒いスーツ。
5年ぶりの着心地は、悪くない。
小さなバッグを一つ担いで、サンジは扉を開けた。

静かな寝息を背中に聞いて、最後にサンジは振り返る。
何かを横抱きに抱えた格好のまま眠る安らかな寝顔。

「あばよルイジ。てめえの――――
   ゾロに似てねえとこが、好きだったぜ。」
別れの言葉は、まだ薄暗い部屋に消えた。



町はしっとりと靄に包まれ、常とは違う顔を見せている。
通い慣れた道を通り店の扉を開けると、いつもの笑顔でマスターが迎えてくれた。
昨夜のレシピを渡して礼を言う。
事後を託して握手を交わし、別れを告げた。

分厚い雲の隙間から、朝日が顔を覗かせる。
通りにはいつものように市を立てる人々があちこちから集まって来た。
「おはようカール、早いねえ。」
「今日はどこまで買い出しだい?」
顔馴染みになった人たちから次々と声を掛けられ、サンジはその度立ち止まって会話を交わした。
けして短くはない、5年という歳月。
カールとして生きてきたこの町を離れるのは正直寂しい気持ちもするが、サンジの歩みに迷いはない。

ルイジが俺の背中を押してくれたようなもんだな。

もう一度海に出て、オールブルーを探そう。
この広いグランドラインで再びルフィたちに出会うことは奇跡に近い。
だがあの麦わらに拘らず、自分の夢だけを求めて旅立つなら何も恐れるものなどない。
海で死ねるなら、本望だ。


緩やかな坂を下って町を抜ける。
懐かしい風が、誘うようにサンジの頬を撫でた。
潮の匂いを嗅いで、自然足が早足になる。
港を見下ろす高台から視界が開けた。
果てなく広がる濃紺の海の上を白いカモメが舞っている。
朝日を受けてきらきらと輝き、大波に打ち寄せられた貝殻のように、大小様々な船が
停泊しているのが見えた。


眩しさに目を細めたサンジの目に、見間違いようのない、懐かしい羊頭が飛び込んできた。


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