DOUBLE 12


まさか、そんな―――
知らず、足取りが速くなる。
下り坂を転がるように、サンジは駆け出していた。

街中へ入ると建物の陰に隠れて海も見えない。
それでも、ひたすら一点に向かって走り続けた。
道を渡り、路地を横切る。
活気のある市場を抜けて、波止場に出た。

青い空と海が溶け合って、白い雲が筋になって流れ行く景色の前に、懐かしい羊頭。
その頭頂に座る影が、かすかに揺らいだ。
見る見るうちに大きくなる姿は直ぐに目前まで迫り、変らぬ意志の強い瞳がサンジを捉える。

「サンジ!!」
びよんと伸びた人外の腕が、強引に痩躯を攫う。

「サンジだ、サンジだ!」
思い出の中よりずっと背が伸びて、肩幅も広い。
でも相変わらずお日様の匂いのする腕に掴まれて、あっという間に甲板に引き上げられた。


「みんなっ!サンジだ―――!!」

「サンジ君!」
懐かしい声が響いた。
長いオレンジの髪をなびかせて、ナミが駆け寄る。
変わらない伸びやかな手足。
大きな瞳が潤んだと思ったら、強烈なビンタがサンジを見舞った。
「この馬鹿!無事なら無事と何で報せないのよ!」
「ああ〜ナミさん、相変わらず素敵だ〜v」
ハートを飛ばしながら甲板にひっくり返る。
「サンジ、サンジかおい!!」
長っ鼻が滂沱の涙を流しながら抱きついてきた。
「うわあ足あるなあ、生きてんだなあおい!畜生、生きてやがったのかこのヤロー・・・」
「生きてちゃ悪りいか。」
「うっせえ馬鹿野郎!!」
ガキみたいにわあわあ泣きながら、力の限り抱きしめられた。
手先が器用な細い男だったが、随分逞しくなりやがったもんだ。
何事かと様子を見に来るのは知らない顔。
仲間も増えたんだな。
どかどかと床が響いて、でかいチョッパーが船内から現れた。
「サンジ・・・」
声が違う。
大人に、なったんだ。
何度もけつまずいて転びそうになりながら、でかい図体でサンジの前に飛び込んだ。
跪いて、それでも見下ろす目からボロボロと涙がこぼれる。
青い鼻からも鼻水が垂れて、情けない表情はあの頃のままだ。
「サンジ・・・俺・・・俺―――」
ぐずりとすすり上げて、そこから先が声にならない。
「チョッパー、悪かった。」
こいつにだけは、きちんと謝りたかった。
どんなに胸を痛めていただろう。
誰かに負い目を負わせることを一番恐れていたはずなのに。
「俺ぁ生きてる。無事だった。すまねえ、チョッパー。」
チョッパーはサンジの膝に突っ伏して声を上げて泣いた。
「つれえ思いさせて、悪かった。」
毛だらけのでかい背中を抱えて、サンジは宥めるように撫で擦る。
ひょこりと背中から手が生えて、同じようにロビンの手も優しく動いた。

「サンジ、腹減った!」
つい昨日のことのように、ルフィが飯をねだる。
サンジは顔を上げて、精悍さを増した船長の顔を見つめた。
「ルフィ、俺はもう昔みてえに、手早く大量に見た目のいい飯は作れねえ。」
サンジの声に、チョッパーが泣き声を抑えて顔を上げた。
「・・・それでも、俺をもう一度ここのコックに使ってくれねえか。」
「当たり前だ!」
間髪入れずにルフィが応える。
「美味い飯、食わしてくれんだろ。」
にかりと笑う、その目は期待に満ちていて・・・
「ああ、クソ美味え飯、食わせてやるよ。」
やったあと、歓声が上がった。

とてとてと、場違いな足音が響いてサンジの目の前に小さな子供達がしゃがみこむ。
「コックさん?」
「さん?」
「おやつくれる?」
「れる?」
まだ舌ったらずな喋り。
くりくりとした黒い瞳と鳶色の瞳。
栗色の髪と赤毛。
この微妙なミックスは・・・
「こ、これは・・・もしかして・・・」
「ああ、私とルフィの子よ。宝は3つで夢が2つ。」
ナミがさらっと紹介した。
「実際、この子達を生んでる間3年ほど私たちも旅をしていないの。ワンピースはまだ見つかっていないわ。」
子供?
ルフィとナミさんの・・・
ナミさんの―――
子供・・・

「素晴らしいナミさん!二人も生んでその体形なんて!!!」
ちょっと違う方向へ感動してからくるりとルフィを振り返った。
「このクソゴム!人が失踪している間にナミさんに子供生ませるたあふてえゴムだ!っていうかてめえみたいなムードもへったくれもねえガキがどうやって・・・っつーか羨ましいぜ畜生!!!」
にししと笑うルフィの首根っこを捕まえてがくがく揺らしながらちょっとした錯乱状態に陥っているサンジを見て、
ウソップがおうと手を打った。

「そうそう、ゾロだ。」
ぴくりとサンジの耳が反応する。
ゾロを忘れていたわけではない。
それどころか大いに気になっていたが、どうにも聞くのが躊躇われていた。
何故この場にいないのか。
もしかして大剣豪になったのか。
船降りたってこたあ、ねえだろうな。
「マリモは・・・どうしたよ。」
自然と眉間に皺が寄る。
妙な顔つきにならないように気を遣うと、しかめっ面になるらしい。
「ゾロはミホークを倒して世界一の剣豪になったわよ。」
ナミさんは腕を組んで、誇るように言った。

そうか。
サンジの肩からすとんと力が抜ける。

「そうか・・・へへ、なりやがったか。」
―――生きてんだな。
大剣豪になりやがったのか。
夢が叶ったんだな、畜生・・・
見たかったなあ。
その場に、立ち会えなかったなあ。

「今は用事で船を下りてるだけよ。その・・・」
ちらりとナミが視線を落とす。
隣でロビンが困ったような笑みを浮かべた。
二人の才女は時がたっても美しいままだ。
ナミの様子を不審に思いながらも、サンジはぼんやりとそんなことを考えていた。

「聞いて驚けサンジ!ゾロには子供がいたんだ!」
屈託ない、ウソップの声。
「ゾロ本人も知らなかったらしいが、まだ村にいた頃にできた子だってよ。こないだその相手と偶然会ったらしい。運命って怖いよなあ。」
「ウソップよしなさいよ。久しぶりなのに。」
ナミが珍しく焦った声で嗜める。
「なんでだよ。これからまた一緒に旅するんなら知らないと不自然じゃねえないか。そりゃ・・・ゾロとサンジは何かと張り合って喧嘩ばかりしてたけど、こればっかりはしょうがねえ事実だしよ。ゾロに子供がいたって悔しくねえよなあ、サンジ。」

子供?
ゾロに?
子供―――

「ほら、サンジ君驚いてるじゃない。」

ゾロの子供って・・・
いくつ?
まだ村にいた頃って、いつ・・・

「筆下ろしで大当たりってのはすげ―よな。そんなうまい話があるかと皆も疑ったんだが、母親が言うには
 見ればわかるって一言だってよ。」

見れば、わかる。
ゾロの子供。
そんな、まさか・・・

「この島にいるって言われてすっ飛んで会いに来たわけだ。どんなガキなのか俺らもちょっと楽しみなんだよなあ。」

この島に
ゾロそっくりの
娼婦の子

「コックさん、大丈夫?」
サンジの尋常でない様子にロビンが手を添えた。
指の先は氷のように冷たくなって、細い頤が震えている。


「あ、あれゾロだ!」
ルフィの声が響く。
「おんなじようなのがもう一人いるぞ。すげー背格好とか一緒だぞ!うはは歩き方までそっくりだあ。」
どれどれとその場にいた殆どの者が一斉に注目する。
「うわ、ほんとにそっくりだ!」
「あんなでけえ息子か?」
「髪の色は緑じゃないぞ!」

ゾロの息子―――
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ―――――


「ゾロ!!」

ルフィの声が木霊する。

「サンジが、帰ってきた!!!」


一瞬の間

「お、猛ダッシュだ。」
「すげーゾロ走ってぞ。」
「うはは走る走る全速力だはえー。」
男達が船縁を叩いてげらげらと笑い出した。
「ゾロー、サンジだぞー!!」
「すげー必死こいてる・・・」

ゾロが、走ってる?
なんで・・・
俺が、いるから?
ゾロが―――
必死で―――?


「おし来た、はええ!」
だんと、甲板が壊れそうなほどの勢いで何かが飛び込んで船が揺れた。
俯いたサンジの目の前に、黒い影が落ちる。
顔を上げる暇もなく、横っ面に衝撃を受けた。
弾かれて崩れた身体をロビンのいくつかの手が辛うじて抱える。
「と・・・なにすんの、ゾロ!!」
「航海士さん、人のことは言えないはずよ。」
ロビンの胸に支えられながらサンジはようやく顔を上げた。

太陽を背に受けて、大きく肩で息をするゾロがいた。
額からも汗が流れている。
そんなに必死に走ったのか。
呆然と見上げるサンジに腕を伸ばして、ぐいと胸倉を掴み上げた。

「てめ・・・何しやが―――」
「この、クソコック!」
真正面から睨みつけてゾロが吠えた。
「てめえ、生きてんなら生きてるって、言いやがれっ。」
射殺しそうな視線はそのままに、表情が奇妙に歪んだ。
ちったあ年をとったのかな。
俺も、てめえも。
「このバカやろ・・・っ!」
もう一度殴られるかと思った。
覚悟して歯を食いしばったのに、予想に反してふわりと体が包まれる。
そのまま力の限り抱きしめられた。
肺が圧迫されて、骨がみしりと悲鳴をあげた。
「生きてやがったんなら、早く言え!!」
ゾロの汗の匂いがする。
押し付けられた胸からどこどこ響く鼓動はゾロのモノで、多分それに負けないくらい自分も脈打っているに違いない。
「いて・・・ぞ、クソ腹巻・・・」
サンジはゾロの腰に手をあてた。
古ぼけて染みのついたそれは、変らずそこにあった。
腹巻をぎゅうと握り締めて苦しさに息を吐いた。

俺のこと、覚えてたかよ。
ちったあ心配してくれてたんかな。
俺の名前聞いて、必死に走ってくる程度に・・・

じわりと、胸に熱いものが広がる。
ゾロの熱と一緒にいろんな思いが流れ込んでくるようで、心が震えた。
想っていたのは、俺だけじゃねえのかもしれない。
言葉はないのに、触れ合っているだけでゾロに満たされる。
ゾロの手が首の後ろに廻って、抱きしめられたときと同じように唐突に身体が離れた。

それでも肩を抱いたまま、ゾロが振り返る。
仲間達のざわめきと、新しい足音。
サンジの背中が、ぴくりと揺れる。

「あんた、サンジってんだ。」

聞き慣れた、ゾロと同じ声。

すうと、サンジの体温が下がった。

俺の顔はひどく青褪めていないだろうか。
肩は、震えてはいないか。

「ハジメマシテ。」

視線を上げた先
ゾロと同じ顔をした男は
冷たい目で
笑った――――


END

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