DOUBLE 1


夜半に降り出した雨は止むことを知らず、傾いた路地の隅で一筋の流れを作っている。
滑りやすい路面に注意しながら俯いた視界の隅に、色の違う流れが映った。
灯りの届かないゴミ箱の影から、でかい足が投げ出されている。
湿気たマッチを擦って煙草に火をつける。
一瞬照らし出された横顔は、まだ幼さが残っていた。
「ガキかよ。」
再び闇に包まれた路地裏で、とりあえずサンジは一服した。


「死に損ないが死に損ないを拾ったか。」
揶揄めいた口調に怒るでもなく、薄汚れた白衣を脱ぐ初老の男に酒を1本手渡す。
「夜中に呼びつけて悪かったなクソヤブ。また改めて飲みに来てくれ。」
受け取ったビンを大事そうに抱えると、ヤブと呼ばれた医者は軽く手を上げて部屋を出て行った。

部屋の照明を落として、煙草に火をつける。
自分のベッドを占領する男の寝顔を眺めながら、イスに腰掛けた。
図体ばかりでけえ描みてえだな。
短く刈られた黒髪。
少し血の気の戻った顔には、まだあどけなさが残っている。
細く整った眉。
意識を失いながらも一文字に引き結ばれた口元に、意思の固さが伺える。

―――似てるな。
ごく自然に思い至って、サンジは自嘲した。
ばかばかしい、行き倒れに面影求めんなよ、俺。

ぴくりと眉が上がり、眉間に皺が入った。
ああ、益々似てやがる。
煙草を指に挟んだまましばし見取れていたら、ゆっくりとその瞳が開いた。

眼球が左右に揺れて、何度か瞬きをする。
横たわったまま視線だけをこちらに向けてサンジの顔に焦点をあてた。
身動きもせず、ただ頭から爪先まで値踏みするように眺めている。
獣くせえ。
慌てる素振りはない。
ただ視覚から状況を判断しているようだ。

「たいした生命力だって、ヤブ医者が呆れてたぜ。」
サンジは灰皿に灰を落として銜えなおした。
「出血がひでえ上に、あの雨で冷え切ってて、ゴミ溜めん中で生きてるたあ、ゴキブリ並だとよ。」
サンジの言い草に僅かに顔をしかめて、視線を外した。
首をめぐらせて部屋の中を見渡す。
「ここは俺の部屋だ。俺様のベッドをレディ以外に寝かせるなんざ、てめえが初めてだぜ。感謝しろよ。ついでにクソ重てえ身体引きずって歩いてヤブ医者まで呼んでやった。俺がいなけりゃ手前今ごろのたれ死んでるぜ、ああ間違いねえ。言うなれば俺は命の恩人だ。せいぜい感謝しやがれ。」
煙草をもみ消しながら一気に喋り、二の句も告げない男に背を向けた。

部屋の中に備え付けた小さなキッチンに立つ。
左手で鍋の蓋を開け、レードルをでかき混ぜる。
近くに皿を寄せて、程よく冷めたスープを注いだ。
トレイにスプーンとコップを載せて、静かに運ぶ。
「起きれるか。」
訪ねるより早く、男は身を起した。

「あんた、ソッチきかねえのか。」

その声に―――
バランスを崩して取り落としそうになったトレイを、男が素早く受け止める。
「なにやってんだ、あんた。」
呆れたような口調に、胸が震えた。
「・・・そっちこそ、起きて大丈夫なのかよ。」
サンジはそのままトレイを押し付けて、乱暴にイスに腰掛けた。

似ている。
あまりにも。
声までも。

「腹刺されてんだぞ。痛えだろうが。」
「別に、そうでもねえ。」
やせ我慢でもない平気な顔で、スープを飲み始めた。
「いただきますぐらい、言え。」
悪態をつきながらもサンジは男から目が離せない。

――――畜生、こんなに似てるんなら、拾うんじゃなかったぜ。
肘を心持ち広げて食べる。
余所見をせずに真剣に、ただ喰らう姿があいつと重なる。
錯覚しそうだ、畜生――――

あっという間に平らげて、両手で皿を差し出した。
無言の仕草が、またかぶる。
「おかわりかよ。」
綺麗に食べられた皿を引っ手繰って立ち上がった。
コンロの前に皿を置き、蓋を開ける。
湯気の上がる中身をかき混ぜて、スープをよそうサンジの動作をじっと見ている。


「ご覧のとおり、俺は片腕がきかねえ。ろくなモンも食わせられねえが、我慢しろ。」
サンジの言葉に驚いたような表情を見せて、男は皿を受けとった。
「これ、あんたが作ったのか。」
じっとスープに視線を落とし、それからスプーンを使わずに直接皿に口をつけて飲み出した。
「細かく切ってあるが、ちゃんと噛めよ。」
言ってはみるが、その喰いっぷりは正直嬉しい。
男は一気に飲み干して、ぐいと口元をぬぐった。
「・・・うまいな。」
その声―――
ふるりと頤が揺れる。
サンジは自分を誤魔化すように、新しい煙草を取り出した。

男は傍らに皿を置くと、今度は酒をくれといった。
「酒だとお、ど厚かましい。大体そのケガで酒なんか飲んでみろ。血の巡りが良くなって又出血するぞ!」
喚きながら、サンジは眩暈を感じていた。
大怪我をした後、酒をくらって治す男を俺は知ってる。
「うっせーなあ、酒飲むと痛えの治るんだよ。」
「この馬鹿、やっぱり痛えんじゃねえか!」
サンジの声が響いたのか、わずかに男が顔をしかめた。
拗ねた表情がことさら子供っぽい。
「大体てめえ幾つだよ。俺の目は誤魔化されねえぜ。そんなナリはしてっが、まだガキだな。」
火のついていない煙草を銜えて、腕を組んだまま見下ろしてやる。
こっちだって伊達に年はくっちゃいねえ。
大人の余裕を見せてやらねえと。
「ガキじゃねえ、もう15だ。」
はあ?
ポロリと、煙草が口から落ちた。
15だと?
いくらなんでも、もうちょいいってると思ったが・・・
まんまガキじゃねえか。
「アホか!てめえ15の分際で酒ねだるなんざ100年早えよ。とっとと薬飲んで寝ろクソガキ!」
薬袋を投げてよこし、水差しから水を汲む。
なんだ、ほんとにガキなんだ。
手負いの猫拾ったようなもんかよ。
サンジはくくっと喉の奥で笑ってコップを手渡した。
「てめえ、名前は?」
「――ルイジ。」
まだ警戒を解かない、アッシュ・グリーンの瞳。
よく見りゃ全然違うじゃねえか。

「じゃあルイジ、今夜だけベッドを貸してやる。さっさと傷治して明日には出て行きやがれ。」
びしっと鼻先に指を突きつけて、サンジは煙を吹きかけた。
嫌そうに顔を顰めるルイジを一瞥して踵を返す。

ノブに手をかけたサンジに、男―――ルイジが声を掛けた。

「あんた、名前は?」
「一夜限りのお客サマに名乗るほどのもんはねえだろ。」
「俺が名乗ったんだ。てめえも名乗れ。」
助けられていて、随分尊大な態度だ。

サンジはさっきから自分の表情が崩れるのを止められない。
こんなやり取りも久しぶりだ。
懐かしいっちゃあ、俺も焼きが廻ったか。

「俺の名は、カールだ。」
言い置いて、サンジは静かに後ろ手で扉を閉めた。


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