堕天花 13



ノースから吹く風が、綺麗に磨かれた透明なガラス窓を叩く。
外側に張り巡らされた真鍮の飾り枠は見事な細工物だが、鳥の一羽すら中に入ることはできない。
美しい楼閣の檻だ。

一つしかない部屋の出入り口には常に兵士が張り付いて、自由に行き来できるのはクロコダイルのみ。
サンジ自身、部屋の外に出ることは適わない。
外の厳しい寒さが嘘のように暖かな部屋の中で、ウソップはさらさらと鉛筆を動かしながら小声で呟いた。

「お前さあ、この城から出たいと思わねえの?」
サンジはソファにしどけなく寝そべって、気のない返事を返す。
「別に・・・」
「だってよ、退屈だろ。こんななんもねえ部屋で日がな一日寝てくらしてよ。」
「料理はしてるぞ。」
「けど、お前の分とあの・・・クロコダイル?の分だけだろうが。たまには外出歩いたり買い物したり・・・その、他の奴とも話をしたりとか、したくねえ?」
言ってから、ウソップはしまったと思った。
サンジは物心ついてから屋敷の外に滅多に出かけていない。
迂闊に姿を見られると、人々に嫌がられたからだ。
だからサンジには、この暮らしはさほど不自由と感じていないのだろう。


「うん。俺あんま知らねえ人に会うの苦手だしよ。こっから街を眺めてるだけですんげー楽しいぜ。青い屋根に風見鶏が回ってる家のレディは、ここんとこ急に綺麗になったと思ったら、もうすぐ結婚するみてえだし。赤い2階立ての屋根んちは、最近赤ん坊が生まれたみたいで夜中でもしょっちゅう灯りつけてバタバタしてるし。」
サンジは、クロコダイルがいない夜はいつも窓辺に立って、その白い指をガラス窓に押し付けて外を眺めているのだろう。
一つ一つの窓に灯る明かりにぬくもりを感じて、人々の暮らしを高みから眺めて、たった一人で・・・
ウソップはつい想像してしまって、一人くすんと鼻を鳴らした。
が、クロコダイルがいる夜はそんな暇もないのだろうとそっちに頭が行って慌てて我に帰る。

「今は、あちこちで戦が始まってるから、クロコダイルもあんまり城にいないんじゃねえのか?」
「ああ、今度はちょっと長引くっつってたな。なんで戦争なんかするんだろうな。この国は今のままで十分広いのに・・・」
言ってから、思いついたように唇を開いた。
「あ、でも・・・俺が海を見てえっつったから、イーストに侵攻したんだあいつ・・・。別に急がなくてもいいのによう。」
戦う暇があんなら、俺連れて行きゃあいいのに。
そう呟くサンジに、どうしても世間とのギャップを感じずにはいられない。

サンジが今の状態で城の外に出されたなら間違いなく民衆の注目を引き、暗殺者が狙い、諸国が略奪しようと動く。
それなのに自分の価値も立場も、まったく理解していない。





「お前って俺から見たら、あんまり変わってねえのにな。」
サンジは寝そべったまま伸び上がって、ウソップのスケッチを見た。
左側から見たサンジの横顔が描かれている。
「へえ、俺の横顔ってこんな感じ?お前上手くなったのか下手んなったのか・・・なんか女っぽくねえ?」
「見たまま書いてるだけだ。なんつーか、顔から険が抜けてんだよ、今のお前の顔。」
ウソップは微妙に視線を逸らしながら、ぐしゃりと紙を丸めてしまった。
無防備にサンジに近づかれると、何故かドキドキする。

「なんだよ、勿体ねえなあ。」
「それより、ちゃんと背中見せてくれよ。ほんとに羽根が生えてんのか。」
こうして間近でサンジの身体を見るのは始めてだ。
今日のサンジは背中部分がオープンな白シャツを纏っているから、うなじも鎖骨も剥き出しでなんだか目に眩しい。
「どうなってんのか自分で見られねえんだよな。どうだ?」
「・・・ほんとに羽毛が生えてんだな。」
ソファに寝そべったサンジに覆い被さるようにしてウソップが覗き込む。
翼の骨格ではないが、密集具合が濃くぽわぽわとして、手触りがいい。

「感覚はあるのか?」
「んー、やっぱ気配でわかるっつうか、くすぐってえっつうか・・・」

バタンと大きな音を立てて扉が開いた。
文字通り飛び上がって、ウソップはソファから転がり落ちる。
毛皮を肩に羽織ったクロコダイルが、口元に笑みを張り付かせたままこちらを睨みつけていた。



「・・・新しい絵師を雇ったと言うのに、随分早く親密になったものだな。」
ウソップは床に這い蹲ったままガタガタと震えた。
表情に憤怒の相はないのに、クロコダイルの雰囲気だけで気圧される。
恐ろしい・・・なんか、めちゃくちゃ怒ってる・・・

「い、いやその・・・堕天花様の、お背中の具合、を・・・」
「お前は姿を写し取ればよいのだ。なぜ肩を寄せ合って話などしていた。」
声音が穏やかなのに、底光のする目で睨みつけられて射殺されそうだ。

「なんでもねえよ。俺は自分の背中が見られないから、ちょっと見てみてくれって頼んだだけだ。」
じろりと、その視線がサンジへと移る。
「俺に嘘を吐くなと、何度も行ったはずだぞ。」
「嘘なんか・・・」
「ならば、必要なことも話さないと言うことか。お前、この男と知り合いだっただろう。」
サンジは呆気なく素直に頷いた。
「ノースで友達だった。俺に会いに来てくれたんだ。懐かしくて、こいつに決めちまった。」
「おいおいおい、サンジ・・・」
ウソップが慌てて手で制しても、サンジはきょとんとしている。
「ちゃんと言っておいた方がよかったのかな。友人のウソップだよ。」

クロコダイルは困ったように眉を顰めて、大げさにため息を吐く。
「最初からそう聞いていたなら、この男は雇わなかったよ。」
「なんでだ?」
床にへたりこんだウソップには目もくれず、クロコダイルは大股で近づいてサンジの隣に腰掛けた。

「どうしてお前にはわからないのだ。本当ならば、私以外の何者とも言葉を交わして欲しくはない。その姿を見られたくもない。お前を、私だけのものにしたいのだ。」
クロコダイルに肩を抱かれ、サンジは薄く微笑む。
「今更何を言ってる。俺はもう、とっくにお前のものだろう。」
「私には、信じることができない。お前から何もかもを遠ざける以外、心安らぐことはないのだ。」
その頬を両手で包み、愛しげに口付ける。
突如始まったラブシーンに恐れ戦きながら、ウソップは後ずさりした。
と、戸口に立った兵士ががっちりとその肩を掴み引き上げた。

「な、な、なにっ・・・」
「よせ、ウソップに乱暴するな!」
抱きこむクロコダイルを押しのけ、サンジが叫んだ。
「大丈夫だ。ただ、絵師は解雇するぞ。その代わり厨房で暫く働いてもらう。」
クロコダイルの言葉にウソップはぎょっとし、サンジは表情を和らげた。

「厨房って、ギンも行ったとこか?」
「ああ、なんせ人手が足りなくてね。どちらにしろ冬の間ノースには戻れんだろう。厨房を手伝ってもらえれば助かると、料理長が言っている。」
厨房ならばと、サンジは笑顔を向ける。
「ウソップ、少しの間でもこうして話せて楽しかったぜ。ありがとう。」
「サ、サ、サンジ・・・」
助けてくれとそう言いたいのに、両脇を固められた兵士から背中に短銃を突きつけられていて、伝えることができない。

「春になってノースに帰る前に、もう一度会って話すくらいいいだろう?」
「ああ、構わんよ。」
それではと、兵士が一礼してウソップを引きずり出すように部屋から出る。


「サンジーーーーーーっ!!!」

ウソップの叫びも虚しく、白い扉は閉ざされた。









空一面を、どこか禍々しい朱に染めた朝焼けが東から広がった。
城壁から街下を眺め、両手を伸ばし欠伸をした兵士は、ふと気配を感じて目を凝らす。
山の端からかすかに立ち上る土煙。
まだ寝静まった街に響く彼方からの轟き。

「敵襲か?!」
慌てて身を乗り出せば、眼下に広がる城下町のそこかしこから、ほぼ同時に火の手が上がった。












「目指すはバロック城のみ、クロコダイルの首を取れ!」
甲冑に身を固め、赤い羽根飾りの付いた槍を掲げてエースが鬨の声を上げる。
続いて連なる軍勢は、寄せ集めとはいえ百戦錬磨の戦士たちだ。
その先頭を、黒馬を駆ってゾロが突き進んだ。

「民衆には構うな。城だけを目指せ!」
簡易の発火装置だけで大火になる恐れはない。
それでも火を消そうと必死の民衆達の横を咆哮を上げながら騎馬軍団がすり抜ける。
「城は手薄だ、一気に片を付けるぜ!」
警備の兵士たちがそれを迎え撃ち、塀際で小競り合いが起こる。
城壁から大砲が撃たれ、銃声が響いた。

「どけっ」
馬上で手綱を放し、ゾロは両手に刀を構えて空を切った。
立ちはだかる兵士たちが風圧で吹き飛び、血飛沫を上げる。

「火傷したくなきゃ、どいてろよ〜〜〜っ」
エースが両手を掲げ、その後ろからゾロが刀を振るう。
「火焔旋風!!」
交差したゾロの腕からエースの脇へと烈風が吹き抜け、渦を巻いた炎が外堀を越えて城壁を打ち砕いた。

「・・・化け物だっ・・・」
絶句するバロック軍の背後で、絶妙のタイミングで跳ね橋が下ろされる。
「なんだとっ!」
振り返る間もなく吹き飛ばされた。
爆発音が響き、石段が崩れ落ちる。















「申し上げます!」
扉越しに切羽詰った声が響く。
クロコダイルは飾り窓の間から黒煙のたなびく街を見下ろし不機嫌そうに振り向いた。
「何事だ。」
「敵襲にございます。イーストのフーシャ国が攻めてまいりました!!」
「なんだと?」
フーシャは今まさに、自国が攻め入っている筈だ。
いやまだ、アーロンに梃子摺っているのか・・・

「フーシャの王子が先導している模様です。」
「火拳のエースか・・・」
クロコダイルは舌打ちした。
出て行ったきり行方知れずの放蕩息子が、よもやこの国に潜んでいたとは――――


「申し上げます!」
息せき切って、別の兵士が駆け込んできた。
「サウスから、アラバスタ軍が攻め込んでまいりました!」
「なんだとっ!」
最初に報告した兵士が慌てて外を確認した。
「青い旗印・・・馬鹿な、アラバスタは占領した筈だ!」

サンジは気だるげにベッドから抜け出すと、素肌にローブだけを纏って窓辺に歩み寄った。
「なんと勇ましくも美しい。まさに戦いの女神だね。」
うっとりと眺めるその先に、青い髪をたなびかせ馬上から旗を掲げるビビの姿があった。
迎え撃つはずの砲台の上からは、兵士を追い落とし占拠した男達がアラバスタ軍に合図を送っている。
「あやつは!」
黒々とした鉄球を振り回し、辺り一面に肉片を散らばせて悪鬼のごとき形相で立つ男。
血走った視線のまま、塔を隔てた窓越しにサンジに熱い眼差しを送っている。

「馬鹿な、奴は厨房送りになったはずじゃあっ・・・」
慌てふためく兵士たちをよそに、サンジはうっすらとギンに向かって微笑み返した。











「城内は既に混乱に陥っているわ。このままフーシャ軍と合流して、一気に攻め落とすのよ。」
「しかし、なんだって城の中から反乱軍が出たんだ?」
ビビに寄り添い、コーザが敵を薙ぎ払いながら馬の腹を蹴った。
「城の地下に既に反乱組織が作られていたからよ。もう一年も前からね。父が影武者を仕立てられたのも、私が逃げ伸びることができたのもミスター・プリンスのお陰よ。」
ビビは一瞬微笑み、表情を引き締めた。

「目指すはクロコダイルただ一人!決して、決して堕天花を傷付けてはダメよ、それだけは心して!!」
力の限り叫び、コーザとともに城壁を飛び越えた。











「ウソップ火薬星―――!」
いちいち必殺技を唱えては、細かな爆弾をそこかしこしに撃ち込んでいく。
「おー、いい調子だぞ、あんちゃん。」
「器用なもんだなあ。」
「悠長に構えてないで、てめえらも闘えよコラ!」
文字通りコックコートを血に染めて、地獄の料理人二人はウソップの後ろで暢気に見学している。
「いやあ、案外出番がなくてよ。あのギンってのもブルーノもなかなかどうして手練だが、お前もやるなあ。」
「ぐずぐずしてんな、俺あサンジを助けに行くんだからな!」

ウソップが連行された裏厨房には『地獄の料理人』を名乗る処刑人が控えていた。
そのまま必要なことだけ聞きだして後は骨も残さず始末される筈だったが・・・
なぜかそこは反乱軍の中枢になっていた。
「俺あパティ、こっちがカルネ。その昔ゼフの元で働いてた、正真正銘の料理人さあ。」
てっきり殺されると泣き喚いていたウソップは、地下で明かされた秘密に仰天した。

切っ掛けはパティの作ったノース料理だった。
この城に囚われた当初、まったく食事を受け付けなくなったサンジにせめて故郷の味をと届けられた料理にサンジが懐かしさを覚え、下げられる食器に手紙を添えたのが始まりだった。
料理人同士幾度かのやり取りの内にゼフが浮かび上がり、急速に親しくなった。
その頃、丁度城の処刑人が不慮の事故で死に、その後釜にパティとカルネは率先して着いた。
以後、サンジから送られる犯罪者を処刑する役目を負うことになる。

「んでまあ、処刑したと見せかけて、全部手駒にしてたってことさ。」
じめじめとした石牢の中で、場違いなほど美味い紅茶を飲みながら、ウソップはどんぐり眼のままただ頷くしかできなかった。
まさか、部屋から一歩も出ることすらできないサンジが、ここまで大きな組織を統率していたなんて思わなかった。

「元々俺らはノースの生まれだ。バロックに義理立てなんてありゃしねえ。しかもこの面相と態度だけで、処刑人に適任だとか言われたんだぜ。ひでえ失礼だと思わねえか。」
ほんとは虫も殺せねえほど優しいのによと呟かれ、冷や汗を垂らしながらまた頷く。
サンジには、こんなに心強い味方がいたんだ。

「今ならバロック・ワークスはフーシャに、バロック軍はサウスのクリークんとことイーストのアーロンとこに別れてるはずだ。あんたが捕らえられたこの日が決起の時だよ。矢は放たれた。」
言葉通り、フーシャの赤い嵐が狼煙を上げ、南からアラバスタの青い波が押し寄せる。
たちまち大混乱に陥ったバロック城は内部から崩れていった。



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