堕天花 14



「クロコダイルは悪魔の実の能力者だ。奴一人なら砂と化して風に乗って逃げおおせることもできるだろう・・・だが―――」
エースは炎を吹き上げて敵を薙ぎ払いながら石段を駆け登った。
「ゾロ、この上がクロコダイルの部屋だ。先に行け!」
「お前は?」
切りかかる敵を真っ二つにして、返り血を浴びたゾロが振り返る。
「命獲るのはお前に譲るよ。後で首だけ斬らせてくれv」
片目を瞑り、踊るように炎を吹き上げる。
ゾロは振り返らず、まっしぐらに上に向かった。







「閣下、ここは危険です。早く地下通路へ・・・」
仕掛け扉に手をかけた兵士が、叫び声を上げた。
開いた途端風が吹き抜け黒煙が立ち昇る。
「ここも、駄目かっ」
絶望に似た呻きの中で、クロコダイルは片手にサンジを抱き寄せる。
「捕まっておれ。離れるな。」
「ああ。」
しっかりと手を握り足早に部屋から出ようとして、廊下を吹き抜けた爆風に身を屈めた。

「おのれっ」
吹き飛ばされた兵士を乗り越え、クロコダイル直属の剣士が飛び出していく。
キインと刃を交わす音が鳴り響き、怒号と悲鳴が交錯した。
鎧がガチャガチャと鳴り、分厚い肉を斬る鈍い音が響いた。
どうと倒れ臥す音より先に、白い扉に血飛沫を跳ね上げて、その男が姿を現す。




「・・・生きて、おったか・・・」
どこか呆然とした響きで、クロコダイルが呟いた。
繋いだ手を後ろに回し、サンジの身体を背後に庇う。

「地獄に逝くのは、てめえの方だ。」
白いシャツを血に染めて、ゾロは刀を構えたまま口端をぺろりと舐めた。
肌蹴た胸元は返り血でべっとりと濡れ、サンジの知らぬ深い傷跡を浮かび上がらせている。
クロコダイルの後ろで、蝋よりも白い貌でサンジは立ち尽くしていた。

ゾロの目が、クロコダイルを通して真っ直ぐ自分を見据えている。
それを感じていながらも、視線を合わせることができない。




「死に損ないが、恋人の仇を討ちに来たか。」
クロコダイルの嘲笑にもゾロは動じなかった。
「それとも殺されかけた復讐か?ったく、ミホークめなんと詰めの甘い・・・」
「敵討ちでも復讐でもない。」
ゾロの声が遮った。
「ただ、奪いに来ただけだ。」
す、と刀を翳され、白い刃が煌く。

「お前が置いていったのだろう。」
クロコダイルの嘲笑は止まらない。
「お前が連れ出し、俺に差し出したのだ。もはや俺のモノだ。恋人が死んでいたから、惜しくなったのか?」
「欲しいモノは奪う。それだけだ。」
ゾロは刀を咥え、さらに二本を両手に持ち、構える。
クロコダイルはサンジを後方に下がらせ、ゾロの前に立ちはだかった。

「哀れよの。国を乱し故郷を捨てて、堕天花を得て名を上げるつもりか。」
「俺が欲しいのは、サンジだ!」
ゾロは腰を落とし、構えたままクロコダイルに向かって突っ込んだ。


大門が開け放たれ、あちこちで青や赤の旗がはためいている。
ビビと合流したエースは、城に上がろうとするウソップとギンを止めた。
「迂闊に近付くと巻き込まれっぞ。ゾロに任せて置けばいい。」
不満そうな二人に苦笑して、ふと空を見上げた。
「それよりホラ、面白いモン見れるから。ちょっと上見てみ。」

翳した指先から炎が吹き上がり、空の一点まで突き抜けた。
それに呼応するかのように、稲妻が鳴り響く。

「・・・な、なんだっ」
突如黒雲が空を覆い、雷が轟く。
まだ戦いを続けていた兵士たちも一斉に空を見上げ、異様な雰囲気に身を屈めた。

一際大きな稲妻が空を駆け抜けた後、急に風が吹き雲が割れる。
暗い空の切れ間から射し込む日の光が、神々しいまでに輝いて辺りを照らした。


「なんだ、あれは―――」
誰ともなく空を指差せば、光の中から巨大な影が浮かび上がった。
それは日差しを浴びて金色に光り輝き、ゆっくりと降りてくる。
「船・・・」
「まさか・・・」
民衆も兵士も、反乱軍もバロック軍も、みなあんぐりと口を開けて尋常ならざる景色に見入っていた。

きらきらと光る船は、たくさんの人々を乗せてゆっくりと舞うように降りてくる。
船の先頭に陣取る男は白い肌に背中に巨大な太鼓を飾って、まるで雷の主のようだ。


「いやーハハハ!!これは愉快愉快。小物共が小競り合いをしておるわ!」
天を揺るがすほどの大声が鳴り響く。
輝く船はまるで見物するかのように頭上でゆっくりと旋回した。
「・・・天使、様?」
信じられないと、民衆達が目を瞠る。
船から覗く人々には、背中に確かに羽根が生えている。

一人の少女が船縁に立った。
金色の髪に白い肌。
背中に小さな、けれど確かな羽根がついている。

「どうか皆さん争わないで。私達は、いつも空から見守っています。」
「ひ、ええええええっ」
誰かが短い悲鳴を上げて地面に伏せた。
それに習って次々と人々が手や膝をつき、頭を下げる。

「天使様、天使様だ!」
「こんなにたくさん・・・」
ある者は拝み、またある者は呆然と事態を見守っている。
その中をゆっくりと船は進み。
また遠い雷鳴を呼びながら空へと昇って行った。

「お邪魔して、すみませ〜〜ん〜」
のほほんとしたおっさん天使の声だけを残して、その船は雲の切れ間から再び空へと消えていった。





「・・・」
誰も、何も言えず、ただ呆けたように空を見上げるばかりだ。

「い、まの・・・なんだ?」
腰を抜かしたウソップの横で、エースがカラカラと笑う。
「スカイピアっつって、空島ってのがあるんだよ。いや、うちの弟がこないだそこに行って来たっつってな。知り合いになったんだと。案外堕天花ってのも、スカイピアの住人の末裔なのかもしれねえなあ。」


空から舞い降りた天使の集団に度肝を抜かれ毒気も抜かれて、闘いはしぼむように急速に終息した。



















外の喧騒も知らず、ゾロはクロコダイルとの死闘を繰り広げていた。
何度斬っても影しか斬れない。
クロコダイルは瞬時に砂に変化しては巧みにゾロの太刀から逃れ、その鉤爪で確実に皮膚や肉を切り裂いて行く。

「おのれ・・・ちょこまかと・・・」
額から流れ落ちる血が目に入り視界が鬱陶しい。
ゾロはバンダナをきつく頭に巻き刀を構え直した。

「フハハハハ!無駄だ無駄!お前に私は斬れぬ」
「だが逃げられねえぜ。まあ、風に乗っててめえだけならその窓からでも逃げれっか?」
ゾロの挑発に、クロコダイルは笑みだけを返す。
どうしてもサンジを置いて逃げる気はないらしい。

「てめえも大概甘いなクロコダイル。そんなにこいつに惚れたのか?」
「笑止!私に愛など必要ない!」
一瞬霧散したクロコダイルが腕だけを伸ばしてゾロに襲い掛かった。
間一髪でそれを避け、返す刀で陰を薙ぎ払う。
「旋回!」
俄かに部屋に巻き上がった竜巻に、砂が舞い上がる。
意志を持ったそれらはすぐに集結し、禍々しい姿へと形作られ―――
その最中、サンジが背後から抱きついた。
クロコダイルは驚いて振り返る。
ゾロはその機を逃さず、太刀を振るった。

「鬼、斬り!」
クロコダイルは避けようと顔を上げ・・・できなかった。
白い刃が胸を切り裂き、血飛沫を上げる。
砂化しないままだくだくと血を流し、クロコダイルの巨体はゆっくりと床に臥した。
その背中に、サンジはしがみ付いたまま共に倒れる。








ゾロは荒い息を吐き、足元に広がる赤黒い染みを呆然と眺めながらバンダナを外した。

「そんなに、愛してたのか・・・」
ゾロの刃を避けたなら、背後のサンジを斬っただろう。
それはゾロにとっても賭けだった。

サンジは血だまりの中に腰を下ろし、クロコダイルの頭を膝に乗せた。
愛しげにその髪を撫でる。



「お前が、地下組織を作っていたと・・・たった今エースに聞いた・・・」
まだ整わぬ息の下で、ゾロが淡々と話す。
「クロコダイルを愛していたんじゃ、ないのか?」
サンジは顔を上げ、初めて真正面からゾロを見た。
「愛していたさ。誰よりも・・・」

青い瞳が潤み、つうと目尻から涙が零れる。
「愛していたから、止めたかった。俺なんか口実にして闘わないで欲しかった。もう誰も殺さないで欲しかった。俺だけを見てて欲しかった。ずっと側に、居て欲しかった。」
小さく嗚咽を漏らし、その髪を掻き抱く。
「本当は二人だけで、ずっとずっと暮らしたかった。」

目を閉じた固い瞼にほろほろと涙を零し、サンジは何度も蒼褪めた骸に口付ける。
ゾロは刀を下ろしたまま呆然と魅入っていた。
嗄れた喉に無理に唾を飲み込んで、なんとか声を絞り出す。

「俺と、行こう・・・」
サンジは俯いたまま頭を振った。
それでも、なおも言い募る。
「俺と行ってくれ。皆も待ってる。俺と―――」
サンジは顔を上げた。
涙に濡れた瞳には強い光を湛えている。

「お前はそうして、何度俺から大切なものを奪う。」
ゾロは絶句した。
重い沈黙の中、サンジが軽く笑い声を立てた。
「それとも、今度は俺を炎王に差し出すか?」

ゾロは一瞬目を閉じ、苦悶に顔を歪めた。
サンジは口元を噛み締め、もう一度ゾロを睨み付けた後、クロコダイルを抱き締める。
血に汚れた白いうなじを目で辿って、ゾロは一度は仕舞った刀を抜いた。


「―――炎王の勅命だ。」
じり、と一歩踏み出し、剥き出しのサンジの首筋に刃を当てる。
「この世に『堕天花』は必要ない。―――抹殺せよと。」




サンジは目を閉じている。
その口元には笑みを湛え、表情は穏やかだった。






















その後、バロック公国は崩壊しアラバスタが統治することとなった。
フーシャは草原の民を携え、イーストブルーを制覇する。
二つの大国は協定を結び、周辺の小国は同盟を結ぶことにより、その独立性を保った。

フーシャの炎王は絶大な武力を誇りながらも、決して無用な侵略はしなかった。
陸にも海にも、空にも広がる果てない世界に、覇者は必要ない。

そう宣言し
以後『堕天花』の伝説は途絶える。



























足元を洗う波が、白い泡を立てて行きつ戻りつを繰り返すのをゾロは飽きることなく眺めていた。
耳を打つのは、時に荒々しく時に安らかな漣の音。
目の前に広がる海は青の濃淡を繰り返し、遠くに空と隔てる曖昧な境界線が浮かんでいる。

それらを目で追って、潮の匂いに息を吐いて、ゾロはようやく腹巻の中に突っ込んでいた腕を出した。
その掌の中には、ずっと握り締められてくたりとなった白い毛溜り。

不意に吹き抜けた風が手の中を攫って、青い空の合間ちらちらと舞いながら沖へと流れた。
煽られる度、元の形を成してくるくると踊るように遠ざかる。
幾つもの羽毛はちりぢりに乱れながら、波の合間に消えていった。

目を眇め見届けるゾロの背後で、砂を踏む音が止まる。




「弔いのつもりか?」
いつまでも波打ち際から離れないゾロを呼びに来たのだろう、ウソップが腰に手を当てて隣に立った。
「見かけによらず、センチな男だな。」
「・・・」
からかいに片眉だけ上げて見せて、さっさと先に立って砂浜を登った。

入り江には、どこかのほほんとした羊頭のキャラベルが待っている。
これから、この船に乗ってグランドラインに漕ぎ出すのだ。



「遅いわよ、早く出港準備にかかって頂戴!」
甲板でえらそうに指図するのはこの船の航海士だ。
元はアーロン一味だったらしいが、壊滅と同時に解放された、ややこしい女らしい。

「うっし、んじゃ出発するぞ!」
間抜けな羊頭の上に陣取って腕を振り回しているのは、この船の船長であり炎王の弟でもあるゴム人間。
なんでも海賊王になるらしい。

甲板の上をちょこまか歩いているのは狸みたいなトナカイ人間。
時折急に巨大化して力仕事もこなしてしまう器用な医者だ。

デッキチェアに座って優雅に茶なぞ飲みながら、あちこちから手を生やして雑用をこなしているのは何故か乗り合わせた考古学者。

いずれも一筋縄ではいきそうにない曲者ばかりのこの船に、ウソップも乗り込む。
海賊だった父親に憧れ、偉大なる海の戦士を目指し旅立つのだと言う。
そしてゾロも同じく海を目指す。

胸に袈裟懸けの傷を残したあのミホークがグランドラインにいると聞いて、いてもたってもいられなくなった。
復讐ではない、純粋に戦い打ち負かしたい闘争本能。
その為に仲間と共に海を目指すのだ。
ゾロがもう一度海を眺めたその時、けたたましくラウンジのドアが開いた。


「んナミさ〜ん、ロビンちゅわ〜んっ、おやつの時間ですよう!」
弾んだ声に航海士ががっくりと肩を落とす。

「・・・サンジ君、私達はこれから今まさに!出航しようとしてるんだけど・・・」
言い終わらないうちにゴムが飛んできた!
「まずはおやつだーーーっ!!腹が減ってはクソができねえぞっ!」
「戦でしょうがっ!」
ナミに殴られサンジに蹴られて、それでもゴムはへこたれずラウンジに飛び込んで行った。

「仕方ないわね。」
微笑を湛えながら考古学者も後に続く。
トナカイ人間がちょこまかとサンジの足元に近付いて背伸びをした。
「まだ背中の傷が治りきってないんだ。あんまり無理しちゃいけないぞ。」
「もうなんともねえっての。お前らも冷めないうちに食え。」
そう言ってにいっと笑って見回した。
黒いスーツに身を包み、しなやかな背中にはもう何もない。

ゾロの顔でその動きは止まり、見る見るうちに仏頂面になる。
煙草を口端でがしがし噛むと、ころっと表情を変えて「んじゃ行こうか」とトナカイを肩に担いだ。
「無理すんなよ〜」
口では抗いながらも、担がれたトナカイは嬉しそうだ。
さっさとラウンジに入ってしまった背中を見送ってウソップがやれやれと首を竦める。

「あいつもよく一緒に行く気になったよなあ。まあちょっとは希望が残ってるってことだよな。」
慰め口調でそう言ってへらりと笑った。

「実際のところ、これからどうする気なんだ?未来の大剣豪さんは。」
からかい口調ながらも目は笑っていなかった。
ゾロは腕組みしたまま、凭れていた船縁から身体を起こす。

「まあ、あいつの傷が癒えたらな、今度は本気で口説くさ。」
「・・・懲りねえ奴。」

精々頑張れよと檄を飛ばされ、ゾロは真面目な顔で頷いた。
カヤに報告するネタが尽きねえ気がするぜ。
密かにほくそえみながらウソップもラウンジへと足を運ぶ。



ゾロは一度空を仰ぎ見、光る海と溶ける水平線に目を凝らしてから踵を返した。








時は今―――
大陸が統治され、人々が未知なる海へと漕ぎ出す大航海時代の幕開け


冒険の旅は
これからはじまる



END




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