堕天花 12

前が見えないほど高く積み上げられたスケッチの山を抱えた使用人を、警備の兵士が呼び止めた。
「なんだそれは。何事だ。」
「いやあ、ブルーノの代わりを公募したら、こんなに集まったのですよ。」
「ブルーノ?お抱え絵師だったじゃないか。どうかしたのか?」
使用人はスケッチ越しに首をすくめ、声を潜めた。
「・・・厨房送りですよ。堕天花様に懸想したカドで・・・」
「なに?またか。」
「もうすぐ新年を迎えるのに記念グッズのデザインがまだでしたからね。急募したところ、こんなに応募があったんです。」

兵士はやれやれと首を振った。
「ったく物好きが多くて困ったもんだ。いずれ厨房送りになるってのに・・・」
「では、失礼して。」
重さに耐えかね、ぷるぷる震える腕を抱えて、使用人は先を急いだ。










「へえ、凄い集まったなあ。」
ベッドに半分埋まり水煙草を嗜んでいたサンジは、顔を上げて目を丸くした。
寝そべったまま腕を伸ばし、1枚1枚眺めてはひらりひらりと床へと落とす。

「あーなんかこれ上手いなあ、んでも面白くねえ・・・って、誰だよこりゃあ・・・」
大きなクッションに凭れ直すと白いローブの裾から長い脛が剥き出しになって、使用人は慌てて視線を逸らす。
サンジはあれこれと見比べ、笑いながら撒き散らし・・・ふと手を止めた。

「・・・おもしれえな。こいつに決まりv」
残りの山には目もくれず、サンジはぴらりと1枚を高く掲げて見せた。











「ウソップと申します。お呼びに預かり、光栄でございます。」
玉座に座ったクロコダイルの前で、ウソップは跪き深々と頭を垂れた。
クロコダイルの肩に肘を凭れさせ、サンジは嬉しそうな顔でその一部始終を見ている。

「数多あるスケッチの中で私めを選んでいただけたこと、恐悦至極に存じます。かくなる上はこのウソップ。絵師人生をかけまして、堕天花様の真のお美しさに及ばずながら、でき得る限りそのお姿を描き止め、世に知らしめたいと存じます。なにとぞよろしくお願いいたします。」
そう唱え、また深々と床に額を擦り付けた。
「うむ、励め。」
クロコダイルはサンジを抱き寄せ舐めるように口付けると、立ち上がりさっさと部屋を出て行った。
扉が閉まり足音が遠ざかるまで、ウソップは頭を上げずひれ伏している。



やがて辺りがしんと静まり、衣擦れの音がさやかに響く。
ウソップはどんぐり目をぐるりと上げて、巻き毛の前髪越しに部屋を見渡した。
兵士も、使用人の姿もない。
白い紗に包まれたベッドの奥で、サンジがひっくり返って震えている。

「おい、大丈夫か?」
俄かに飛び起きて駆け寄れば、サンジは腹を押さえて笑っていた。
「あ〜〜〜おかしいっ、てめえいつから絵描きになったんだよっ」
ほっとして、それからむっとして軽く頭を小突く。

「馬鹿野郎、てめえ何心配かけてくれてんだ!」
サンジは白いシーツに片頬を埋めたまま動きを止めて、口元をきゅっと噛み締めた。
むくりと起き上がれ、へへと笑いかける。

「久しぶりだな。会いたかったぜ、てめえじゃなくカヤお嬢さんによ。」
軽口を叩いても、その表情が裏切っている。
ウソップは乱れたサンジの髪をくしゃくしゃに撫でて馬鹿野郎とまた呟いた。
「カヤは元気だ。お屋敷の暖かいところで暮らしてる。けど、本気でお前のこと心配してんだぞ。」
今も、してるんだ。
サンジは泣きそうに顔を歪めて、けれどまたにかりと笑う。

「丁度良かった。お嬢さんに伝えてくれ。俺今めちゃくちゃ幸せだ。」
軽く両手を広げ、そのままぱすんと後ろに倒れる。
柔らかな羽根布団がサンジの身体を優しく包み、輝く金糸が放射状に広がった。

「な、すげーだろ。こーんな綺麗な部屋で、こんなやーらけえベッドで毎日寝てんだぜ。食材は毎日新鮮なモノが手に入るし、調理だってできんだ。」
言われて振り向けば、瀟洒な部屋にやや不似合いな大理石のキッチンが設えてある。
「毎日料理してんだぜ。クソワニは俺の作った料理しか食わねえ。美味いって喜んで食ってる。俺、なんかすげー料理の腕上がったみてえ。早速食ってくれよ。」
そう言ってひらりとベッドから降りると白いローブの上からシンプルなエプロンをつけた。


「サンジ!」
ウソップは思わず声を上げてその名を呼んだ。
「なに?」
振り向く姿にかつての面影を感じて、けれどその身なりは見まごうばかりだ。
相変わらず痩せてはいるが、よく手入れされた肌も髪も輝くばかりに艶があり、その表情は自信に満ち溢れ傲慢ささえ窺える。

「お前、今―――幸せなのか?」
サンジは破顔した。
「あったり前だろ。見りゃわかるだろうに。」
さも可笑しそうに身を折って笑い、まあ座れとソファに指し示す。

「なかなか手紙も書けなくて悪かったな。ずっとお嬢さんとお前のことは気にかけてたんだ。けど、こうしてわざわざ会いに来てくれて有り難かった。・・・俺に会うために、スケッチまで出してくれたんだろう?」
長く離れていても忘れることはない、ウソップの独特のペンタッチ。
「あれで、お前が見つけてくれるかどうかなんて、俺にとっちゃ賭けだった。」
たくさんの応募の中から見つけてくれた。
それだけで、ウソップは凄く嬉しかった。
けれど―――

「お前、もうノースに帰る気はないのか?」
辛い目に遭ってるのではないか。
無体なことを強いられているのではないか。
今までウソップの胸を占めていた懸念は、実際にサンジに会って見て揺らぐ。
サンジは真っ直ぐにその目を見つめ返して、口元に笑みを浮かべた。

「ああ、帰るつもりはねえ。ここが俺の居場所だ。」
「カヤが、待ってんだぞ。」
ほんの一瞬目を眇めて、それでもサンジは静かに首を振った。

「お嬢さんにくれぐれもよろしく伝えてくれ。俺は今、幸せだって。」
その笑顔に一点の曇りも見えず、ウソップはたじろいだ。
サンジのことを思えば、本人が幸せだと言うのなら、このままそっとしておいてやりたい。
けれど―――
エースとゾロが、そして恐らくはそれに続く多くの者たちが、動き始めている。



「そうだゾロは・・・」
ウソップは今思い付いたと言う風に唐突に言った。
「ゾロはどうしたんだ。お前、あいつと一緒に出てったんだろ?」
残酷なことを聞いていると承知で、それでも尋ねずにはいられない。
サンジは、ゾロのことをどう思っているのか。

ぱちりと、音が立ちそうなほど長い睫毛を瞬かせて、それでもサンジは笑みを消さなかった。
「うん、あいつなあ・・・今どうしてるか。俺、知らねえんだ。」
困ったように髪を掻き上げる、なんでもない仕種にさえなぜかどきりとした。
サンジの肘は、こんなにも白かっただろうか。

「ここに来てすぐ、あいつ俺置いて行っちゃった。多分今頃、可愛いレディ仲良く暮らしてんだと思うよ。」
何も言えないウソップにへへと笑いかけ、サンジはキッチンに立つ。
手早く何かを刻みながら、少し猫背気味に俯く姿は昔のままだ。
けれど、短く切り揃えられたうなじの白さがやけに目に付いて、視線を外すタイミングさえ掴めなかった。

「あいつもさ。婚約者がいるんなら、最初からそう言えばいいのに。馬鹿だよなあ・・・」
俺は怒ったりしねえのに。
そんな小さな呟きまで聞こえて胸が痛くなる。
けれど、と言うことはサンジは知らないのだ。
ゾロが本当は殺されかけていて、それでも生きて復讐を企てていることも。

ウソップは躊躇った。
今ここで、サンジにゾロは生きていると知らせてやりたい。
生きて、お前を今でも愛していると、忘れられないと言っていたと伝えてやりたい。
―――けれど・・・

ここでサンジにそう告げることは、危険を伴う。
もしかしたらサンジは、そのことをそのままクロコダイルに伝えてしまうかもしれない。
それでは全ての計画は水泡と化し、エースやゾロの命も危うくなる。


「・・・まあ、お前が幸せなら俺はもう、何も言うことはねえや。」
ウソップはそう言って、乾いた笑いを漏らした。
迂闊なことは話せない。
しかしこのままでは、サンジが「敵」になってしまう。

ウソップの脳裏には反乱軍に攻め込まれ、炎に包まれたこの部屋で、白いローブを血に染めて倒れ臥すサンジの姿が浮かんだ。
それとも、憎き堕天花を我が手でと民衆達によってたかって八つ裂きにされる憐れな断末魔さえも――――

ぶるぶるっと頭を振りウソップが身を震わせる。
「どうした?」
屈託ないサンジの声に我に返って、また曖昧な笑みを返した。
「なんでもねえ、なあ・・・せっかく絵師に選ばれたんだ。しばらく本当にお前を描いていていいか?」
サンジの顔がぱっと輝いた。
「ほんとか?ほんとにお前、ここにいてくれるのか?」
「ああ、折角だしな・・・色々お前とは、もっともっと話がしてえ。」

まだ少し時間があるはずだ。
少しずつでも自分が置かれている状況と世界の動向を知らせてやろう。
それでサンジの気が変わるならその時は共に帰るんだ。

「うっし、んじゃ腕を奮うぜ。ゆっくりしてってくれよ。」

その夜、久しぶりに食べたサンジの料理は、あの頃と変わらぬものだった。


「おかえりなさい、早かったですね。」
気配だけで判断して、たしぎは静かに扉を開けるとゾロを招き入れ、音もなく閉めた。
「皆さんお集まりですよ。二階へどうぞ。」


ここはたしぎの家だ。
傭兵相手のアパートとなっているが、実際は反乱分子のアジトとなっている。

たしぎ自身、バロック公国に通りすがりに壊滅させられた少数民族の生き残りだった。
くいなと容姿が似ていることを利用して自ら身代わりを申し出、クロコダイルの信用を得て今は城外の街に暮らしている。




あの日、ミホークに袈裟懸けに斬られ崖に落ちたゾロを見届けて、たしぎは一旦はミホークと共に城に戻った。
ミホークも、骸を確認まではしなかった。
彼ほどの人物ならば僅かな気配でも見逃さないであろうに、わざと見逃したのかどうかは、たしぎにもわからない。

ただ、たしぎが城に戻って夜半、再び崖下に様子を見に戻るまで、ゾロは瀕死の状態で生きていた。
とうに息絶えていたならそれまでの男だと運を天に任せていたたしぎは、ゾロの生命力に感嘆し、今後の自分たちの運命を委ねることにした。
この男を助け、クロコダイルの抗う者たちを集め、いつか我が民族の仇を討とう。

それから1年――――
その願いが、今ようやく形になろうとしている。














「珍しい〜ね。今夜は迷わずにまっすぐ来れたのか?」
「それでも遅いぞ、ロロノア。」
部屋の中で陽気に酒を酌み交わしているのはエースと、部屋中に煙を充満させているスモーカーだ。
その他にも、何人もの屈強な男たちが部屋の密度を濃くしている。

「ウソップから情報が入った。天使ちゃんは、そのまんま天使ちゃんらしい。」
エースの軽口に、スモーカーがけっと横を向く。
「なにが天使だ。男の分際でクロコダイルなぞに囲われやがって。気色悪い。」
「そうだそうだ、そんなモン気にしてねえで一緒に殺しちまえばいいじゃねえか。」
「それとも俺らのモンにすっか?そうすっとこっちに運が回ってくっかもな。」
男たちの揶揄をギロリと視線だけで制して、ゾロはエースの向かいに腰を下ろす。

「あいつのことは後回しでいい。それより、情勢はどうなってるんだ。」
「サウスでクリーク団が包囲されている。」
エースはテーブルの上の地図を指し示し、灰皿や栓抜きを配置させる。
「アーロンはココヤシ村まで追い詰められた。クロコダイルは勢力を分散させて、魚人退治のついでにクリークも一緒に片付ける算段だろう。そして・・・」
つう、と羽ペンを転がし山を越えさせる。
「勢いづいたところで極東のフーシャまで来る・・・と。」
「そう上手く行くか?」
エースがくるりと輪を書いてみせるフーシャの位置には、何もない。

「多分ね。道中は草原が続くばかりで、今の時期なら遊牧民も離れてる。んでもって、領主は病死。
 放蕩息子は行方知れずだ。」
「ここにいるのにな。」
誰かが口笛を吹いたのに、エースは調子よく腕を振って返した。
「海を手に入れたついでに極東を制覇するのも、アリでしょ。勢いづいたワニちゃんならv」
「攻め込まれて大丈夫なのか?」
エースは腕を組んだまま嬉しそうに頷いた。
「ある意味、大丈夫じゃねえかもしれねえなあ。なーんも考えてねえ弟がいるから。あんまり早い段階で派手にぶっ飛ばされるとまずいからな、ギリギリまで誘い込めって・・・できるかな。あいつに・・・」
首を傾げて素で考え込み始めたエースの肩越しに、たしぎがコーヒーをテーブルに置く。
「バロック・ワークスはすでにフーシャに向かっています。その読みは、間違いないでしょう。」

「タイミングはどうすんだ?」
「・・・それもウソップ任せ。」
「ああ?」
スモーカーが派手に煙を撒き散らした。
「あんだってんだ。オカマ野郎といい得体の知れねえ鼻といい、そんなんどうでもいいだろうが!」
「そうでもねえの。結構重要ポイントだよ〜ん。」
「ここまで情報が入るのも、城に強力な内通者がいるためです。今はエースさんの指示通りに動くのが得策だと思いますよ。」
たしぎがやんわりと窘めた。
「内通者って、ウソップ以外にか?」
ゾロの問いに、たしぎは黙って頷く。
「今はまだ申し上げられません。ですが、信用できる人物です。私が保証します。」
面白くなさそうにぼやく男たちの前で、スモーカーは口をへの字に曲げたまま椅子に座り直した。







「あのエースってのも、どこか胡散臭くて信用ならねえ。」
深夜、ゾロと差し向かいで酒を酌み交わしながらスモーカーは葉巻を噛んでぼやく。
「エースはああ見えて責任感の強い男だ。国を守るために命を懸けている。」
「んでてめえは?可愛い可愛いオカマの為に、命懸けてんのか?」
今夜は少し悪酔いしているらしいスモーカーの絡みも、ゾロは黙って受け流した。

ウソップの話が本当ならば、サンジは今幸せに暮らしているということだろう。
いくらクロコダイルが憎い仇で暴君と言えども、サンジに対してだけは優しいのかもしれない。
貴重な堕天花として大切にしながらも、あの疑いを持たない無垢な性格にも惹かれたであろうことは想像できる。
決して従順なだけではない、けれど何もかもを許し包み込む情の深さが、サンジの救いにもなり業にもなるのだろう。
それでも―――

「俺は、奴を取り戻す。」
それは自分自身のエゴであり、独りよがりの誓いだ。
くいなを亡くし生死の境を彷徨う最中にも、ゾロの胸の中には常にサンジの姿があった。
あれほどに自分を真っ直ぐに見つめ慕ったあの男を、ただ一人敵の城の中に置いて行った罪悪感は、
恐らくは一生消えない。
サンジを取り返して、罪が拭われるとも思っていない。
だが、それでも――――

「例えあいつがこれを不幸だと感じても、俺は求めずにはいられない。」
誰にともなく呟かれたゾロの言葉を、スモーカーはからかったりはしなかった。
只の傭兵であるスモーカーが今回の計略に乗ったのも、たしぎと情を交わしたからだ。

「国だの領土だの、地位だ名誉だ権力だのと言っても、結局はなあ・・・」
スモーカーは勢いよくゾロの杯に酒を注ぎ、手酌をする。
「惚れた奴の為に命懸けんのが、一番強いんだ。」
らしくないスモーカーの台詞に、ゾロは少しだけ口端を引き上げ笑った。



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