Call me
-4-



宝探しに浮かれた気分を挫くように、朝から雨が降り続いていた。
たまにはのんびりしようと怠惰を貪る仲間たちの中で、なぜかゾロだけがぱっちりと覚醒する。
窓の外を叩く雨音は、海の上にいる時とは段違いに静かで心地よい。
このままうとうととまどろむのは至福の時間のはずなのに、妙に頭がさえて寝つけなかった。
降りしきる雨の中を、散歩したくなる。

「――――ちっ」
ゾロは軽く舌打ちして、起き上がった。
宿の主人に雨具を借りて、当てもなく街をさまよい出る。

他の海賊たちも雨の日は宝探しも休みを決め込んだのか、人通りは少なかった。
今日こそ海辺をそぞろ歩くと決めていたはずなのに、気が付けば森の中だ。
道なき道をたどり、滴るような緑に覆われた枝を掻き分け丘の上に立つと、こんもりと丸い樹の梢に男が座っている。
雨粒は男の身体をすり抜けて、梢に繁った葉を叩いている。
水煙に掠れ、いつにも増して男の姿は朧で儚い。

ゾロは何も言わず、樹の下に駆け込んで濡れた雨具の露を払った。
大樹に凭れて顔を上げる。
頭上からは、ブツブツと呟く声が漏れ聞こえてきた。

「――――どこかにあるってえオールブルー。それを探すのが、俺の夢だ」
ゾロが姿を現したことを、気にかけてもいない。
いや、気付いてもいないのだろう。
――――なんでだ?

一昨日と昨日と、今日の何が違うのかを考えてみる。
遠目に、男の姿を見つけたまではすべて一緒だ。

しばらく考え込んだが、さっぱり思い当たらない。
その間も、男は同じことを繰り返し呟いている。
いい加減うるさくなって、ゾロは仰向いて「黙れ」と言った。
ら、黙った。

口を閉ざし、海を見下ろす方角を見つめている。
「おい」
呼びかけに、首を巡らす。
「おい、雨ン中なにしてる。降りて来い」
ゾロを見つけ、笑みを浮かべた。
それからくるりと巻いた眉根を寄せ、きょろりと辺りを見回す。
「おい、あの麗しいレディ達はどこだ」
「来てねえ。今日は雨だ、宿でゆっくりするんだろ」
「ああ、雨かあ」
今気づいたとでもいうように、男は鈍色の空を見上げた。

「降りて来い」
「うっせえな、いちいち呼びつけんじゃねえよ」
文句を言いつつも、男はふわりと半端に浮きながら降りてくる。
枝の間から滴り落ちる露にも濡れず、男の金髪はさらりと滑らかに流れている。
ゾロは無意識に手を伸ばし、その髪に触れてみた。
当然触れるはずもなく、体温も、気配も感じ取れない。

「触んな」
「触れねえじゃねえか、幽霊のくせに」
むっとして反射的に言い返すと、男は一瞬睨んでから視線を逸らした。
ゾロも何となく、バツの悪い思いをする。
――――こいつは、幽霊の自覚あんのか?

「お前、何が未練でここにいるんだ」
「未練?」
「なんか思い残すことがあって、成仏できねえんだろ」
パンフレットに書いてあった「赫足の呪い」とやらが影響しているのだろうか。
「てめえの夢の、オールブルーとかなんとか」
「…オールブルー、四つの海に棲む魚が一つの場所に集まる奇跡の海」
またぞろ独りよがりな解説が始まるかと思ったが、男はそこで言葉を止めた。

「夢、それが俺の夢」
そう言って、ゾロを振り返る。
「なあ、お前の夢はなんだ?」
「俺の――――」
夢、と続けようとしたら目の前で男の姿は霧のように消えてしまった。

「―――おい」
いつもより唐突な消滅に戸惑い、ゾロは顔を上げる。
樹の上に男の姿はなく、ただとめどなく雨が降り続けるだけだった。






「あら」
ロビンが傘を傾けると、雨の雫が側溝に流れ落ちた。
酷い降りだ。
雨具を身に着けていても、水飛沫で視界が悪い。
「街の中で行き会うなんて、珍しいわね」
「調べ物か」
「ええ、ちょっとその辺で食事でもして帰ろうかと思っていたの」
ゾロは、消えてしまった男のことは諦めて海に向かおうとしていた。
そうしたら、街の中に出てしまったのだ。
偶然ロビンに出会ったのは、幸運だったかもしれない。

「一緒に雨宿りしましょう」
「ああ」
奇妙な取り合わせだが、仲間だから遠慮することもない。
ゾロはロビンに続いて、すぐそばにあったレストランに入った。

未だ昼間だというのに雨のせいでどことなく薄暗い景色を眺め、ロビンが適当に注文してくれるのに任せ酒を呷る。
昼時を少し過ぎた時間で、店の中は半分くらい客で埋まっていた。
いずれも海賊か旅人の風情で、時折り粗野な笑い声が響く。

「あなたと二人きりで食事をするなんて、初めてのことね」
「…ああ」
わざわざ口に出すことはないものを。
意識していると思われるのも癪なので、黙ってグラスを傾ける。

「で、なにかわかったのか?」
「ええ、この島の歴史…というより、お宝伝説の元かしら」
ロビンは頬杖をついて、雨に濡れたガラス窓を見つめた。

「お宝伝説についての資料は、膨大にあったわ。何十年も、百何十年にもかけてありとあらゆる人が考察し、論じて、探索している。でも結果は、『わからない』よ」
「あ?」
ゾロは剣呑な声を出した。
からかっている風でもなく、ロビンの瞳は真剣なままだ。
「わからないのよ。そもそもお宝が何なのか、本当に実在するのかどうか、客観的に調べた結果『わからない』の」
「なんだそりゃ」
ゾロは静かに嘆息する。
そこに料理が運ばれてきた。
しばらくは二人とも無言で、料理を口に運ぶ。

「わからねえもんを、俺達は探してるってわけか」
ゾロが頬袋を膨らませたまま問うと、ロビンも咀嚼しながら頷く。
「そうね」
「俺らだけじゃねえ、こいつらも、みんなだ」
「こいつら」は敢えて声のトーンを落としたが、店を満たす他の客たちだ。

「この島は『お宝さがし』で成り立っているのでしょうから、それはまあ、いいんじゃないかしら」
「ったく、業突く張りのナミの欲の皮に引っ張られてるだけだ」
ゾロの辛らつな言葉に苦笑する。
「でも、そのお宝がなんであれ、存在するか否かも置いておいたとしても『ジェルマ』の物語は本当にあった話よ」
「科学力のお宝、か」
ゾロにはまったく、ピンと来ない。
「この島の資料だけでなく当時の新聞記事も調べてみたの、ジェルマを中心にして。そうしたら、写真もあったわジェルマ66の」
ロビンが、肘を着いて身を乗り出してくる。
もの言いたげな姿勢に、ゾロは眉根を寄せた。

「その報告は、他の奴らが一緒の時のがいいんじゃねえか」
「まずあなたに尋ねたいの」
ロビンの白い指先が、己のこめかみのあたりを指す。
「樹の上の幽霊さん、私の見間違いでなければ眉尻が渦を巻いていなかった?」
「あ?ああ」
それは確かに巻いていた。
ゾロも最初に、その渦に目が行ったのだ。

「巻いてたな、おかしな眉毛野郎だ」
「やっぱり」
「なんだ、勿体ぶるな」
ゾロはイライラしながら杯を空け、空だったのでお代わりを頼んだ。

「私が見たジェルマ66の写真に写っていた人々も、眉尻が巻いていたのよ」
「なに?」
あんな変な眉毛をした人間が、ほかにいるのか?
最初に思ったのはそれだったが、すぐに思いついた。
「血縁者、か?」
「ええ、遺伝かもしれない。つまり、あの幽霊さんは本当に『ジェルマ66』と関係があるってこと」

120年前に実在した人物とよく似ているとなると、やはり正真正銘の幽霊か。
それになにより――――
「あいつ、自分が幽霊ってわかってんじゃねえか」
「そう思うの?」
「ああ、さっきも会ってきたがそんな感じがした」
「そう」
気軽に会える幽霊なのね…と、ロビンが呟く。

「それならやっぱり、なにか未練があって成仏できねえってことじゃねえか」
「気になる?」
正面から問われて、思わず口を噤む。
ナミのように宝に興味がある訳ではない。
ルフィのように好奇心が旺盛な訳でも、ウソップのようにお人好しでもない。
だが、気になるといえば、気になる。
「気になる、のね」
「うるせえな、最初に見つけただけだ」

ロビンもコーヒーのお代わりを注文し、頬杖をついた。
「彼、観光パンフレットに載るぐらい有名な幽霊だけど、でも基本的にずっと放置されてるみたい」
「まあ、そりゃそうだろうな」
行けば会えるから珍しくもない。
さりとて、なにか貴重な情報が得られるでもなく、頓珍漢な夢の海の話ばかりを繰り返し、唐突に消えてしまう。
無害で無益だ。

「でもずっと独りぼっち、可哀想ね」
独り言のような呟きには答えず、ゾロは黙って酒を飲んだ。
「可哀想」という感情とは違うが、なにかしら心の底から突き動かされるものがある。
少なくとも、あの幽霊のことをもう少し知りたいと思う程度に。

「ジェルマの話をすると、ナミはきっと食いついてくると思うけどいいかしら」
明確な「宝」らしきものは存在しないといえば、ナミは諦めて興味を他へ移すだろう。
だが、宝云々はともかく幽霊男がジェルマと関係していることを伝えると、必ずそこから宝へ繋げようとするはずだ。
面倒臭い状況になるのは目に見えている。
とっとと「宝なんてない」と結論付けてしまえばいい。
そう思うのに、ゾロは静かに首を振った。

「お前が得た情報だ、好きにしろ」
ロビンは微笑んで、温かいコーヒーに口を付けた。






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