牡丹恋歌 -2-



初めて出会った平安の都
牡丹の咲き乱れる中庭で、ゾロは初めてこの世ならざらぬモノと出会った。
金色の髪、青い瞳、透き通るような雪の肌。
美しい、狐の妖―――

「お前は、俺が人でないと知った上で、娶ってくれた」
「お前は化けるのが上手かったからな、誰もお前を怪しむものはいなかった。中睦まじい夫婦として暮らすことができた」
「たったの五年だったけれど・・・」
人間の命は儚い。
ゾロは流行り病で若くしてこの世を去った。
また再び逢おうと、サンジに言い残して―――

「それから俺は人の世に留まり、ずっと待った。お前が再び生まれ変わるのを、ずっと待った」
そうしてそれから二百年後、サンジは再びゾロと出会った。
牡丹の刺青を入れたゾロは、この身体ごとてめえにやるとそう言って、サンジを抱いた。
身分も格式もない二人は野で暮らし、愛を育んだ。
なのに――――
合戦に巻き込まれてゾロは死んでしまった。
二人で暮らした年月は、僅か二年だった。

また何百年も月日が流れ、牡丹の振袖が縁で巡り逢った時、ゾロは呉服屋の番頭だった。
やはり一目見てお互いがわかり、サンジは娘に化けて所帯を持った。
早々に暖簾分けされて、仲睦まじく呉服屋を営んでいたのも束の間、大火に見舞われゾロは店と共に焼けてしまった。
人の区別もつかぬほど焼け爛れた遺体を寺に運んだのはサンジだ。
物言わぬ真っ黒な炭の塊を前にして、サンジは涙が枯れるまで泣いた。
泣いても泣いても、悲しみは止まらなかった。



人の命はあまりに儚い。
いつも取り残されるのは自分ひとり。
次はいつかと、また逢えるのかと思い焦がれる心はいつでも張り裂けそうで、せっかく手に入れた幸せは指の間から零れ落ちる砂のようにあっという間に流れて消えてしまう。
なんて、せんのない恋をしているのだろう。
再び三度巡り逢えても、また失う悲しみを知るなら、もう逢わぬ方がよいのに。
人の世から姿を消して、己の領地で悠久の時を安穏と生きればいいことなのに、サンジはどうしても人の身のままで待ち続けてしまう。

そしてとうとう、百年前に、サンジは人違いをした。
ゾロだと思って恋い慕い、所帯を持つ寸前までいった男は、実はゾロを殺した悪党だった。
ゾロは、自分と出会う前に短い命を散らしていたのだ。


もう止めようと、本気で思った。
また生まれて巡り逢えたとしても、ゾロは必ず先に逝く。
ならばもう、逢わなくていい。
今まで共に暮らしたゾロとの想い出を胸に、これからは妖として身を隠し、穏やかな日々を送るのだ。
人も妖も、星の数ほどこの世にいる。
恋をしたければ、新しい相手を探せばいいだけのこと。
故郷に戻らず人の世に住み続けるサンジを慕い、数千年もの間ずっと傍にいてくれる妖もいる。
いい加減、ゾロのことを諦めて妖としての安穏な暮らしをすればいいものを、いつまでもうろうろと迷い続け探し続ける自分を、傍らからそっと見守ってくれている妖がいるのにも気付いている。
けれど、サンジはゾロを探すことを止める事ができなかった。
きっとまた逢える。
そしてまた別れが来る。

それでも
それでも―――


自らに言い聞かせ思い悩みながらも、サンジは結局里で暮らした。
人通りの多い町中に店を設け、名前を変え店を代え、転々と居場所を移し暮らし続けた。
いつゾロがこの世に生を受け生れ落ちても、また巡り逢えるように。








いつしか戦に明け暮れた世は遠退き、平穏な人々の営みが続くようになった。
サンジは西国の地に落ち着いて、小間物屋を開いた。
程なく店は軌道に乗り、ほんの手遊びに隣に店を広げ茶店を開けば、そちらの方も繁盛する。
すでに三千年を生きるサンジは大妖となり、付き従う眷属も多く、手助けには事欠かなかった。
そうして幾つもの眠れぬ夜を数え、果てなく続く悶々とした日々を過ごしながら、また再び二人は逢えたのだ。


「ゾロ・・・」
喜びに胸を震わせながらその名を口にしたサンジは、けれど抱き締めるゾロの背中にその腕を回そうとはしなかった。
胸元に両手を添え、そっと押しやる。
「サンジ?」
うつむいたサンジの表情は、長い前髪が隠してしまって何も窺えない。
今は漆黒に光る髪は、月の灯りを照り返して銀髪のようだ。

「サンジ、どうした?」
懐かしい名を呼ぶ声に、サンジはたまらず口元を覆った。
ともすれば、嗚咽が漏れそうになってしまう。
せっかく逢えたのに
ようやっと、巡り逢えたのに・・・

「サンジ、なぜ泣く。俺だ、ゾロだ。覚えているぞ、またこうして巡り逢えた。」
抱き締めようとする手を振りほどいて、サンジは後退りした。
白い頬に、涙の筋が光って残る。
「だめだゾロ、やっと逢えたのに・・・」
「駄目?何がだ」
「てめえがだ。てめえには、おたしちゃんがいるじゃないか!」
はっとして、ゾロは目を見開いた。
今ここでサンジと巡り逢えたと気付いた刹那、大量に流れ込んだ記憶で随分と混乱したが、今は武士の身の上で、しかも許嫁がいるのだ。
「サンジ・・・」
「しかも、お武家さんだよな。小間物屋を営んでる俺とは身分も違わあ・・・。お互い、自由に生きていた頃の二人じゃねえ」
そう言って、サンジはまた一歩下がった。
「こうしてまた逢えただけで、俺は満足だ。てめえが元気そうで、立派な屋敷で育ったことは見届けた。幸せに暮らせよ」
「てめえ、このっ・・・」

いきなり身を翻し逃げようとするサンジを、ゾロは咄嗟に追いかけ力強く腕を掴んだ。
そのまま引き倒す勢いで、身体に抱きとめる。
「勝手なことばかりほざきやがって、せっかく逢えたのに、んじゃさいならって、それで終わる気かよ!」
ゾロに掴まれて、サンジは顔を背けて手足をばたつかせた。
ガツンと脛を蹴られたが、ゾロには痛みより怒りの方が勝る。
「てめえコラ、こっち向きやがれ。何一人で結論付けてやがんだ。俺を、俺を見ろ!」
背けられた顎を掴み、無理やり仰向かせる。
月の光に照らされた双眸には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「てめえ、俺と別れたくねえだろう?」
ゾロはぎりぎりと歯軋りをしながら、唸った。
「俺は、おめえと離れたくねえ。また逢えたんだ。こうして逢えた。逢えたからには、もう離れねえ。てめえが妙な遠慮しようが気を回そうが、んなもんクソくらえだ。家がなんだ、おたしが何だ。俺はすべてを捨ててでも、てめえと添い遂げる」
「・・・また、すぐにいなくなるくせに!」
いきなり口を開き、サンジが叫んだ。
「そうしててめえと暮らしても、すぐにてめえはいなくなるんだ。いつだって、そうだ。残されるのは俺一人・・・てめえと暮らした家で、てめえの想い出だけを抱いて、ずっとずっと俺は一人取り残される」
「サンジ・・・」
ずるずるとその場にへたり込み、サンジは砂利の上に手を付いた。
「もう、止めにしようって何度も思った。もうこれきり、てめえのことは忘れて妖として生きようって。なにもかも、いい想い出として心に残して、てめえのことは、もうこれきりに―――」
細い肩が、小刻みに震えている。

「なのに、どこにいて誰といても、てめえの面影を探しちまう。今もどこかでてめえが生まれてやしねえか、死んでやしねえかと、そう思えば胸がはち切れそうになる。俺の知らないお前、俺が知らぬ間に生まれ生きて、死ぬお前。俺は何度、お前を失くせば気が済むんだろう。何度取り残される
 悲しみに暮れれば、てめえのことを忘れられるんだろう。俺には・・・」
地べたに這いつくばり、拳を打ちつけ慟哭する。
「俺には、てめえと出会う以外の救いは、ねえのかよっ」

細くたなびくような嗚咽が漏れた。
地面に突っ伏して泣くサンジの背中を、ゾロは立ち尽くしたまま見守っている。
長く長く、永遠に続くかもしれない出会いと別れ。
幾度も死に変わり巡り逢い、出会いの喜びよりも別れの悲しみばかりが募る、残酷な邂逅。
ゾロは瞑目し静かに息を吐くと、ゆっくりと瞳を開いた。
月の光の下、震えて嘆く背中が見える。
何かに縋るように伸ばされた白い手は砂利に爪を立て、苦悶の筋を浮かび上がらせている。
こんなにも嘆き悲しむ恋人は、けれど確かに、今目の前にいるのだ。

「サンジ」
ゾロはしゃがみ、サンジを優しく抱き起こした
いつまでも顔を上げない痩せた肩を、何度も何度も繰り返し撫で擦る。
「サンジ、それでも俺はてめえに逢えた」
こうして逢えた、それだけで・・・
「お前が愛しい。一目見て、すぐに思い出した。理屈ではない、てめえの姿を見たその時から、もう俺の生は決まったんだ。今の家も両親もおたしも、もう俺にはなんの意味も持たない」
「ゾロっ」
サンジの声には叱咤が含まれている。
けれどゾロは耳を貸さない。
「俺は、俺はてめえに出会うために生まれて来た。言えるのはそれだけだ。だから、これからの俺はてめえのもんだ」
「・・・ゾロ」
「俺は、お前のために生きる。お前と共に生きて暮らし、その胸で死なせてくれ」
「・・・ゾロっ」
ようやく顔を上げたサンジは、零れんほどに目を見開き、はらはらと涙を流し続けている。
濡れて開いた唇に己が口をそっと近付け、ゾロは万感の思いを込めて口付けした。





「ゾロ・・・」
柔らかい草の上にサンジを押し倒し、ゾロは首元に顔を埋めてその匂いを存分に嗅いだ。
焦がれて求めて愛しくて止まぬ相手が、今、自分の腕の中にいる。
どうしてこの男のことを忘れて、今まで安穏と暮らしていたのか。
そんな自分が今では信じられない。
こんなにも愛しい存在はなかったのに。
「サンジ」
何度も口付け、深く吸った。
着物の合わせ目から手を差し込み、柔らかな肌のぬくもりを求める。
サンジはかすかに背を撓らせて、ゾロの愛撫に身を捩る。
月の光の下で、徐々にサンジの姿が変化していく。
漆黒の髪は透けて輝き、金色の光を弾いた。
固く瞑られた瞳がゾロの口付けに誘われるように開かれ、月の光を青く照らし返す。
「ああ―――」
ゾロはサンジの上に馬乗りになって、感嘆の声を上げた。
これこそサンジだ。
何百年何千年と、何度も巡り逢い愛し合った、美しき妖―――

数千年の時を経た大妖は、夜露に濡れた花びらのようにしどけなく横たわり、震えている。
この肌を、身体を、何度愛しても満たされることはない。
ゾロもまた、永遠の渇きの中でサンジの面影を求め続ける。

襟元を肌蹴け、すでに色づき硬くなった乳首に舌を這わせる。
わき腹を撫で腰紐を解き、もじもじと擦り合わせる膝を割って、太腿を撫でた。
「ゾロ・・・」
サンジの口から、切なげな吐息が漏れる。
「もう止めようなどと、言ってくれるな」
囁きながら、ゾロは何度も唇を合わせた。
「生まれ出でてもお前がおらねば俺は狂う。狂うて見失って、死ぬことも忘れるやも知れぬ」
指の腹で乳首を捏ねられ下腹を擦られながら、サンジは乾いた笑い声を立てた。
「狂うなら、俺のがとうに狂っているよ。寝ても覚めてもお前のことばかり・・・死ぬことすら、叶わぬ」
笑い続けるサンジを組み敷いて、ゾロは喉笛に歯を立てた。
「今度身罷る時は、いっそこの手で連れて行こうぞ。お前が俺を忘れて他の者と共になるなど、到底許せぬ」
サンジの喉を震わせる含み笑いが止んだ。
「今度こそお前を連れて逝く。俺はお前だけのものだ。何度も生まれ変わり死に変わり、永遠に求め続け、結ばれても一つにはなれぬ」
「ゾロ―――」
サンジの足を肩に担ぎ上げ、掌に唾を吐いてゾロは乱暴に擦り付けた。
「俺を忘れることなど、許さぬぞ。この身は果てても幽鬼となりて、お前の傍にいよう。なれるものなら狐火でいい。その髪の一筋を濡らす朝露でもいい。お前の傍にいられるならば、未来永劫―――」
「あ、あああっ、ゾロ」
強引な繋がりを、サンジは悦びをもって迎えた。
今この場にゾロが生きて、此処に在る。
それだけがすべてで、もう構わない。
「ゾロっ・・・好きだ。忘れるなんて、できない!」
「俺もだ、サンジ・・・このまま共にっ・・・」


どうしてこんなに惹かれ合うのか、どうしてこんなにも求め続けるのか。
答えなど見つからぬまま、二人はお互いを貪り続ける。
これを恋と呼ぶのなら、それはあまりにも惨くいたわしい。








東の空が白々と開け始め、朝露に濡れた木々を風が優しく揺らしている。
明け方まで睦み合った二人は、稲荷神社の境内で寄り添って、互いの熱を冷ましていた。
「ゾロ、もう夜が明ける」
「ああ」
サンジを抱く手に力をこめて、ゾロはまっすぐ前だけ向いて言葉を綴った。
「俺は、家を出る。」
「けれど・・・」
「もはや俺には、家も親も大切なものではない。お前と共にのみ生きていく」
サンジはゾロの胸に顔を凭れさせてまま、ゆるく首を振った。
「だめだ、許婚のおたしちゃんが・・・」
おたしは気位の高い女だ。
許婚に出奔されたら、自害しかねないだろう。
だが・・・
「かまわぬ。俺にはもはや、お前しかおらぬ」
言い出したら聞かないところは、何度死んでも直らない。
サンジは困った顔つきのまま、それでもゾロに小さく頷いて見せた。


その日、小間物屋は突然店を畳み行方知れずとなった。
時を同じくして、ロロノア家の嫡男ゾロが行方知れずとなる。
悪友のエースにそそのかされてでもしたかと、家を上げての大騒ぎとなったが、結局行方はようとして知れなかった。
一人残されたおたしは潔く大橋から身を投げようとしたところを、通りすがりの武士に助けられ、後にその男と夫婦となる。
事がうまく運んだ背景には、西国に残ったサンジの眷族の計らいがあった。




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