牡丹恋歌 -1-



表通りにできた小間物屋の隣に水茶店も開いて、毎日若い女衆で繁盛していると使用人から聞かされて、ゾロは今度おたしと一緒に足を運んでみるかと思い立った。

おたしはゾロの許嫁で、この秋には祝言を挙げることになっている。
女は等しく甘いものが好きだろうし、ゾロ自身嫌いではない。
鍛錬した後の甘みは格別で、とろりとした黒蜜をかけたくずきりくらいなら丼一杯食べてもいいほどだ。

「評判ってえ、そこは美味いか?」
「ええ、味もよけりゃ職人の腕も見目もいいって話でさあ。なんでも若い男が仕切っているらしいですが、娘っこには優しい上に実にマメで町民ながらなかなかの人気、付け文が飛び代わってるってえ噂ですぜ」
ゾロは眉間に皴を寄せて、苦い顔になった。
それなら、おたしを連れていくのは止めとするか。
ともかく、どんな店かと友人エースを連れ立ってぶらぶらと大通りを冷やかしに歩いた。



一応武士の見栄として女子の溢れる店に足を踏み入れるのはやや気後れするが、同じ武家の出ながらすでに身をもち崩した放蕩息子として持て余されているエースと一緒なら心強い。
「おたしちゃんのために下見に来る何座、ゾロも顔に似合わずマメだねえ」
「愚弄する気か?」
「からかってるんだよ」
裃姿に脇差を差しきちっと髷を結い上げたゾロと、派手な女物の着物を洒落に着こなしざんばら髪で歩くエースとの二人連れは、街中でも大いに目立つ。

ゾロの両親はエースと付き合うことに表立って反対はしないが、苦々しく思っていることだろう。
しかしエースが嫡男であるポートガス家の主とゾロの父親は同期だったため、二人は幼い頃から自然と親しくなった。
親の教えを守り、幼少時より剣の道を極め勉学に励み真っ直ぐに成人したゾロと違い、エースは生まれ付いての奔放な性格ゆえか、たいした傾奇者になっていた。
仕官の道は弟に譲り、早々に隠居してそのうち諸国を回る旅に出るのだという。
「先日も、お父上が我が父と語らい、嘆いておられたぞ。この親不幸者め」
「嘆いてくれる親がいるってえのはありがたいよ。けど俺の心は誰にも縛ることなどできないさね」
「・・・戯けものが」


いきついた先は、間口の狭い小さな水茶店だ。
隣の小間物屋も最近できてなかなかの品揃えで繁盛していると聞いていたが、その客がそのまま流れて来るのだろう。
こちらも表の床几に零れんばかりの多くの人が腰を掛けている。
きゃいきゃいと娘たちの声がかまびすしい。
「ごめんよー。団子ふたつー」
エースが暖簾を掻き上げて、中に声を掛ける。
「あいよー」
威勢のよい返事が届いた。
若い男の声だ。

「男が一人で、切り盛りしてるのか?」
「ああ、こしらえるのも茶を淹れるのも運ぶのも全部一人でやってるらしい。けど不思議とこれが手早いってんで、それもまた評判でさ。あんまり客を待たせちゃ、どんなに味が良くても足は遠退くからな」
「ふむ」
ゾロは空いた緋毛氈の上に腰を下ろして、手持ち無沙汰に隣の小間物屋に目をやった。
「あの店と関係があるのか」
「茶店の主人は元は小間物屋の主人だったらしいが、店が早々に軌道に乗ったもんで、手代に任せて自分は趣味でここを始めたらしい。ところがそっちがまた評判になって、結局二つの店が共にてんてこ舞いってことになったんだな」
「ほお」
なかなかのやり手と言うべきか、考えなしの一発屋とも言うべきか。

懐に手を入れて要らぬ世話を考えていると、店から前掛けをした男が出てきた。
「お待たせしました」
手には朱塗り盆。
たっぷりと大きな湯飲みに波々と注がれた茶が湯気を立てている。
素焼きの皿の上には、艶良く垂れがかかった団子が三串。
盆を持つ手の色の白さに目を奪われた。
盆が床几の上に置かれるのを目で追ってから、ゾロは顔を上げた。
男はもう一つの盆をエースの隣に置いている。
少し俯いた横顔は、長く伸びた前髪で表情が見えない。
ひょろりと背が高く、痩せた身体に紺地の着物がよく似合っている。
ぼうと見ている横でエースが代金を払うと、男は片手で受け取ってどうもと頭を下げた。
顔を上げた刹那、視線がかち合う。
手と同様に白い面。
片方だけ隠れた目元から覗く黒曜石のような瞳の奥底に、青白い炎が浮かんだ気がした。


寸の間、時が止まったように見詰め合い、男の方がふわりと笑みを浮かべる。
まるで花がほころぶような、柔らかで温かい、懐かしい笑顔。
ただ声もなくゾロはその顔を凝視して、再び頭を下げて店の奥へと引っ込む男の後ろ姿を阿呆のように見つめていた。

「どうしたんだ一体。おい、ゾロ?」
隣でエースが二人の成り行きを見守っていて、戸惑いながらも興味津々と言った風に話しかけてくる。
「ありゃ、ゾロの知り合いか?」
「いや、初めてだ」
「それにしちゃあ、なんだ今の意味深な微笑みは。明らかにゾロを見て笑ってたぞあの子」
「ああ・・・」
「女の客以外には、えれえつれねえってのも評判なんだぜ。男にゃつっけんどんで愛想もクソもねえってな。それがまたどうしたこった」
エースは面白がってあれこれと話しかけてくるが、ゾロは何も答えられずただ眉間に皺を寄せて黙り込んでしまった。
なんとも答えようがない。
あの男の顔を見た途端、なんとも言えぬ懐かしさと愛しさがこみ上げて来ただなんて。

愛しさ、だと?
わからぬ。
だが今己の心の中を満たす、この暖かいような悲しいような遣り切れぬ思いは、他になんと呼べばいいかゾロにはまったくわからない。


「まあまあ、そう考え込まずに。茶が冷めるぜ」
エースに促され、ゾロは上の空で団子を一串摘まんだ。
程よく焼けて香ばしく、柔らかな団子と甘辛い垂れの絡み具合が絶妙だ。
なるほどこれなら評判にもなろうと合点がいくが、ゾロの胸を満たしたのはそれ以上のことだった。
俺は、この味を知っている。
この団子を、食ったことがある。
いつだったか遠い昔―――
この団子もあの男も、俺は知っている・・・
不意に湧き上がった感情は、次第に確信へと変わっていった。












以来、ゾロはその茶屋に足繁く通うようになった。
いつも人で溢れているため、ゾロの定位置は表の床几の端だ。
しばらく通う内に、店に声を掛けずとも勝手に茶菓子が出てくるようになった。
ゾロは何でも好きだと知っているのか、その日によって品は変わるがどれも口に合い美味かった。
店の男は挨拶と礼だけを述べて、茶菓子を出すだけでさっさと店の奥に帰ってしまう。
それでも、ふと交わす目線とゾロにだけ向けられる微笑に歓迎されているのだと知れた。

「いらっしゃい、ああ今日はお連れさんと一緒で?」
顔を出した男は、ゾロの隣に若い娘を認めると慌てて奥に引っ込んだ。
程なく盆を持って出て来る。
「いらっしゃいませ、お嬢さんは初めて来てくだすったね」
「はい、とても美味しい甘味屋さんだとお聞きして、連れきていただいたんです」
おたしは器量よしで利発な娘だ。
ゾロと同じく武家の出で、年も二つしか違わない。
それ故に早く祝言を、と隣家からは急かされている。
「綺麗な娘さんだね、お武家さんのお嫁さん?」
町人らしい軽口だが男の目の色に不安が見て取れて、ゾロはなぜだか心苦しくなった。
隣でおたしは恥ずかしげに頷く。
「はい、この秋にそうなます」
「そう、おめでとうございます」
笑みを湛えたまま両手を揃えてきちんと頭を下げる男の、白い手元が震えていることをゾロは見逃さなかった。











夜半過ぎ、ゾロは再び表通りまで来ていた。
普段は、日が暮れてからの他出などめったにせぬゾロだが、どうしても訪ねずにはいられなかった。
「邪魔するよ」
とうに暖簾の下げられた水茶店の引き戸に手をかける。
戸締りはきちっとされており、引き戸はがたつきはするが開かなかった。
声を掛けても返事はなく、裏口を求めて店を回るがそれらしき木戸はない。
小間物屋もしっかりと雨戸がを閉められ、叩いても応えはなかった。
―――ここに住んではいないのか?
しかし小間物屋と茶店を合わせてみると、なかなかの店構えだ。
奥に使用人くらい寝泊りしているだろう。
そう考えて勝手口を探そうと踵を返すと、俄かにゾロの足元が照らされた。
どこから灯りが漏れるのか、まるで誘うようにゾロの足先三寸ほどが明るく光る。
狐火か?
提灯もないのに自在に光るのは、それ以外考えられまい。
元々細かいことに頓着しないゾロは、これは便利だと導かれるままに歩いた。

いつしか大通りを抜けて、橋を渡り、稲荷神社の敷地にまで来ていた。
はてと首を傾げ辺りを見渡すと、いつの間にか狐火は消えてしんと静まり返っている。
月明かりが境内をほのかに照らし、闇を恐れることはない。
砂利を踏む音が聞こえて、ゾロは振り返った。
茶店の主人がいつの間に近付いたのか、すぐ傍に立っている。

「お前に、会いたいと思った」
ゾロは何の前置きもなくそう切り出した。
「毎日会ってるがな、客としてじゃなく話をしてえと・・・そうしたら灯りが点いたんでここまで来ちまった」
恐れもせず、いぶかりもせずにゾロはそう言い、照れた仕草で頭を掻く。
「てめえがここまで呼んでくれたと、そう思っていいんだろう?」
男は困ったように笑みを浮かべ、懐の中で腕を組み替える。
「何を仰いますやら。お武家さんがこんな夜中に町歩き・・・いや、神社詣でとは何事かなと、思って出てきただけですよ。狐にでも化かされなすったか?」
「そうか」
ゾロは当てが外れたと思ったか、露骨にがっかりした顔をする。
「まあいい、てめえに話があるっつったのは、これだ」
ゾロは袂から小さなものを取り出し、男へと差し出した。
その手の中のものを凝視し、男は信じられないといった風に目を見開く。
それは瑪瑙細工の根付だった。
色鮮やかな紅の牡丹が掘り込まれている。
「女物でもないのに牡丹でな、エースにでもやろうかと思ったがどうもしっくり来ねえ。それで、てめえを見たときからなんとなく似合うんじゃねえかと思ったんだ。洒落物として持ってんのもいいだろ」
突き出された手のひらをじっと見据えたまま、男は石のように固まっている。
月の光の下で見るせいか、その顔は強張って青白い。

「気に入らんねえか?」
「・・・どうして・・・」
拒んでいる風には見えないが、ともかく驚いているようだ。
ろくに親しくない男から物を貰うなど、警戒されても仕方のないことか。
「あ、これは俺の剣の師匠の形見分けでもらったんだがな。どうも俺には似合わねえし、かと言ってこれが似合うような知り合いも俺にはいねえ。息子ができたらとでも思っていたが、てめえの顔を見たとき、ああこいつがいいんじゃねえかと、そう思っただけだ」
他意はない。
本当に、一目見たとき似合いそうだと思っただけなのだ。
白く透き通る肌、輝く金の髪に青い瞳を持つこの男は、その身の内に紅蓮の炎のような激情を秘めている。
一輪の紅の牡丹はその冷たい容貌と対照的で、よく映えるに違いないと。
そこまで考えて、ゾロははっと気が付いた。

今、俺は何を思った?
この男が金色の髪だと、青い瞳だと?
そんなはずはない。
目の前にいるのは、色こそ白いものの黒髪に黒い瞳の優男だ。
一体俺は、誰のことを思い浮べたと言うのだろうか―――


一人でうろたえたゾロの前で、男は大切そうに両の手を差し出し、根付を受け取った。
胸に当て、愛しげに目を伏せる。
「覚えて、いてくれたのか?」
震える声に、ゾロは惑ったままその顔を見返した。
なぜだ、俺はこの男を知っている。
知っている、とその男が目で訴えてきている。
知っているはずだ、何度も何度も夜を共にし、生きて、死んだ
誰よりも愛しい―――

「あ・・・」
ゾロは声を上げ、それからやにわに手を伸ばして男の身体を抱き締めた。
同じくらいの上背だが、痩せた躯はすっぽりと腕の中に収まる。
「あ、サンジ」
「ゾロ会いたかった・・・」
まるで波が一気に押し寄せるかのように、色んな記憶がゾロの脳裏を駆け巡った。



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